五 鎌倉総合魔法学校
三条先輩に案内されて、紗月は五年讃組の教室の前までやってきた。
「じゃあ私はここまで」
三条先輩が言った。紗月は、なんだか急に心細くなった。
「紗月が讃組に決まったことは、ここの担任の先生にも伝わってるから安心して。教室に入れば、あとは先生がやってくれる」
「あの、ありがとうございました」
紗月はお礼を言って頭を下げた。顔を上げると、三条先輩は優しい顔をしていた。
「じゃあね紗月。また——」
三条先輩はくるっと振り返り、スタスタと相変わらずのペースで廊下の奥に消えていった。
紗月は胸がどきどきした。さっきまでの胸の高鳴りとはまったくの別のどきどき。不安だった。この扉の向こうに、私の新しいクラスがある。友達ができなかったらどうしよう。嫌われたらどうしよう。転入生の私を、誰も受け入れてくれなかったらどうしよう。
また、目の色でいじめられたら、どうしよう。
大きくなる不安と必死に戦いながら、引き戸に手をかける。少し震えている。頑張る。勇気を出す。ゆっくりと戸を開ける。
目に飛び込んできたのは、教卓、七宮先生、黒板、窓、その向こうに広がる海と青空。左側にはたくさんの生徒。視線が一斉に集まるのを感じる。ほっぺが熱くなる。
「紗月さん! ちょうどいいところに」
黒板の前に立っている七宮先生が言った。
「皆さん、転入生を紹介します。さあこっちに来て」
七宮先生に促されるように、黒板の前に立つ。
「ではお名前をどうぞ」
紗月は緊張で声が震える。
「白瀬紗月です。よろしくお願いします」
なんとか噛まずに言えた。クラスメイトからパラパラと歓迎の拍手が起こった。当然だけれど、クラスメイトは全員、私と同じえんじ色のブレザーを着ている。なんだか、私もその一員に加わったんだという気持ちに、じんわりと包まれた。
「紗月さんはあちらの空いてる机へどうぞ」
七宮先生に案内された机に座った。右隣に座っている女の子が、ひそひそ声で話しかけてきた。
「よろしく。あたしエレナ」
紗月は女の子を見た。耳が長い。〝エルフ〟だ。江ノ電で事前に七宮先生から説明を受けていたので、あまり大きな反応を見せずにすんだ。外見を見てびっくりされるのが嫌なのは、きっと自分だけじゃないはず。紗月は出来るだけ周りのクラスメイトの外見が今までの常識と違っていても、あまり驚かないように心がけた。
「私、紗月。よろしく」
紗月は改めてエレナを見た。綺麗——と思った。長い銀髪。白い肌。まるでどこかのおとぎ話から飛び出してきたみたい。
「あのさ、人を食べる化け物って本当?」
「は?」
つい大きな声が出てしまった。紗月はハッとして七宮先生の方をチラリと見た。七宮先生には気づかれてないみたいだ、学校の事務的な話を続けている。良かった。
「いやー、この学校に五年で転入する人なんてめったにいないらしいからさ、なんかとんでもない奴なんじゃないかって噂になってたんだよね。でも人は食べなさそう」
「食べないよっ!」
紗月は息をできるだけ殺してツッコんだ。
「ほら言ったじゃんエレナ。普通の人だよって」
後ろの席から優しそうな声がした。振り向くと小柄な男の子がいた。薄い栗色の天然パーマで、可愛い顔をしている。でも机の隣に大きなハンマー? が立てかけられている。すごく物騒だ。顔に似合ってないと思った。そういえば江ノ電で見たドワーフの人も、大きな棍棒を背負っていた。なんとなく雰囲気が似ているし、この男の子も〝ドワーフ〟なのかな。
「あっ僕はビクトール。よろしく」
ビクトールは紗月に挨拶をした。紗月も挨拶を返した。ビクトールは——というかクラスの男子は——リボンの代わりに赤系のチェック柄のネクタイを付けて、グレー系のチェックパンツを履いていた。男子も女子も、制服がおしゃれだ。
「なんだぁ。普通かぁ」
エレナが拍子抜けそうに言った。
普通。そう、私は普通だ。紗月は周りのクラスメイトを見回した。
エルフ。ドワーフ。狐みたいな尻尾が生えてる子もいる。髪色もバラバラ。もちろん、目の色も。
ここでは私は普通なんだ。それがたまらなく嬉しかった。今まで、目の色が周りと違うことが本当に嫌でたまらなかった。でもここじゃ、目の色が違うことなんて、普通——。
今までいたせまい世界の常識から、一気に解放されたような気がした。
「どこから転入してきたの? やっぱ京都の魔法学校?」
ビクトールが聞いた。
「いや、宮崎の、普通の小学校だよ」
「えっ? 普通の小学校?」
エレナとビクトールが大声をあげた。周りのクラスメイトにも聞こえていたらしい。クラスが騒然となった。
「じゃあ、魔法学校からの転入じゃないの? すごー!」
エレナが興奮して立ち上がった。
どうやら、〝普通の学校から来たこと〟は、普通じゃないらしい。クラスメイトも次々に立ち上がって、みんなからすごい勢いで質問が飛んでくる。
「そこまで!」
誰かの大声が教室に響きわたる。鼓膜が破れたかと思った。七宮先生だ。顔は一応笑顔だけど完全に怒っているな、と紗月は思った。みんなも思ったみたいだ。全員席に戻って授業が再開された。
授業はそのあとすぐに終わった。本格的な授業は来週からみたいだ。最後に七宮先生が、思い出したように言った。
「そうそう。来週から〝宝石〟を用いた魔法の授業が始まります。まだ〝指輪〟を持っていない人は、この土日の間に用意しておくように」
クラス中が沸き立つ。どうやら、待ちに待っていたことらしい。紗月はなんの話か全然わからなかったので、あとで七宮先生にこっそり聞こうと思った。
終礼の後、紗月は七宮先生に呼び出された。先生の隣に、狸耳? で眼鏡をかけた、頭の良さそうな女の子が立っている。讃組のクラスメイトだ。スカートの中から狸のような尻尾がヒョロっと出ている。江ノ電で先生から聞いていた、〝憑人〟だと思った。たぶん〝狸憑き〟なのかな?
「紗月さん、こちらはクラスメイトで生徒会役員の山村楓さんです」
「初めまして、楓です」
生徒会と聞いて三条先輩を思い出した。エレナやビクトールと違って、なんだか会話にかたさと距離を感じる。
「紗月です。初めまして楓、さん」
呼び捨てにはしないほうが良いかなと思って、さん付けで呼んでみた。
「なんだか初々しいですね」
七宮先生は微笑んでいた。
「彼女に学校の施設案内と寮までの帰り道の案内をお願いしてあります」
紗月は楓さんに会釈をした。生徒会ってなんか大変そうだなと思った。
「そうだ。エレナさんやビクトールさんとも仲良くなっていたみたいなので、二人にも案内をお願いしましょうか。ねえ二人とも」
帰りの支度をしていたエレナとビクトールがビクッとした。言い方的に、まだちょっと七宮先生怒ってるな、と思った。
「そうそう紗月さん。鎌倉総合魔法学校は初等部高学年から、〝部活〟に最低一つは入ることが義務付けられています。初等部高学年、中等部、高等部、どの学年からでも入れる部活が多いですから、先輩たちとも仲良くなれますよ。入部届は各部の部長か、顧問の先生から直接貰う形になっています」
そう言うと、七宮先生は部活のリストが書いてあるプリントを紗月に渡した。
部活? 一気に紗月の頭の中が部活のことでいっぱいになる。そんないきなり入れと言われても、どこに入るべきなのか見当もつかない。ワクワクよりも、不安の気持ちの方が強かった。
「んじゃ行こー」
頭を悩ませていると、エレナが腕を掴んできて廊下に引っ張り出された。廊下にはもうビクトールと楓さんが待っていた。
楓さんは、歩きながら学校を紹介してくれた。
「まず今歩いてるここは初等部棟です。初等部棟は二つあって、あとは中等部棟、高等部棟と全部で四つの校舎が現在——」
「ちょい待ち、なんで敬語なの?」
エレナが楓さんに聞いた。
「だって、今日会ったばっかりだし……」
楓さんの頬がサッと赤くなった。
「てかあたしにもときどき敬語だよね? いーよタメ口で!」
エレナが軽やかに言った。
「エレナにも敬語なの? なんで?」
不思議だったのでつい聞いてみた。
「いや、あの……私、去年から讃組になったばっかりで、あ、あんまり友達がいなくて、つい……」
楓さんはますます赤くなった。
そうだ。エレナたちは去年クラス分けテストを受けたんだった。
「たしかに去年楓とあんまり話した記憶ないかも……」
エレナは思い出したように言った。
「じゃあさ、この四人には、お互い敬語はなしね! 友達!」
屈託のない笑顔でエレナが言った。太陽みたいだ、と思った。紗月にはエレナが眩しく見えた。きっと楓も同じことを思ったに違いない。楓の表情を見てそう感じた。
「う……うん!」
楓はすごく、幸せそうだった。
*
鎌倉総合魔法学校は想像以上に大きかった。初等部から高等部まで在籍しているので、校庭もとんでもなく広い。特にびっくりしたのは、学校の地下に大食堂があることだ。四つの校舎とそれぞれ階段で繋がっているらしい。基本はここで昼食をとるのだという。他には植物園があったり、体育館があったり、大きなプールがあったり……その他いろいろな施設の説明をしてくれたが、正直多すぎてあんまり覚えていない。
楓はすごく丁寧に教えてくれた。几帳面だ。エレナは行く先々で誰かに声をかけられていた。人気者だ。ビクトールは歩きながらずっとなにか食べていた。食いしん坊だ。
一通り学校の紹介が終わって、紗月たちは寮への帰り道を歩いていた。
「にしてもびっくりだよねー。普通の小学校から転入なんて。すごいよ」
エレナがワクワクしながらこっちを見ている。
「私からしたら、みんなの方がすごいよ。だいたい私なんて、一ヶ月くらい前まで魔法のことも知らなかったし」
三人が凍りついた。紗月は、なにかおかしなことを言ったんじゃないかと不安になる。
「嘘でしょ? ちょっと前まで非魔法使いだったの?」
楓が驚いたように言った。
「う、うん。たぶん」
「じゃあなんで魔法学校に転入することになったの?」
ビクトールも興味津々だ。
「それは江——」
江ノ島に迷いこんで——と言いかけてハッとした。七宮先生に、あのことは秘密にしなさいと言われているんだった。紗月は必死でごまかす。
「えー、えーっと、お父さんが魔法使いだったらしいんだけど、いろいろあって最近まで知らなくて——」
嘘はついていない。
「いやーびっくりだよ。人を食べる化け物よりもすごいかも」
エレナが腕を組んで感心している。
「いやいや」
そんな物騒なのと比べるのやめて、と心の中で思った。
「てかさ部活、どうしよう。どこがいいのかな?」
紗月は教室を出てからずっと、部活のことが頭の片隅にあった。思いきってみんなに相談してみる。
「サッカー部入りなよ!」
エレナは目をキラキラさせている。
「エレナすごいんだよ。サッカー部始まって以来の天才って言われてるんだ」
ビクトールが自分のことのように嬉しそうに言った。エレナはサッカー部なんだ。
「ちなみに僕は園芸部」
優しい雰囲気のビクトールにピッタリだと思った。
「私は生徒会。生徒会に入ると部活に入らなくてもいいの。紗月も生徒会……どう?」
楓がモジモジしながら、さりげなく勧誘してきた。
「生徒会ってなにするの?」
生徒会には三条先輩もいるし、ちょっと気になるかも。
「えっとね、生徒のみんなが学校生活をより良く過ごせるように活動してるの。学校に設置された目安箱を定期的に確認して、生徒の不満や提案を聞き入れて改善、解決のために努力したり、それぞれの部活に予算を振り分けたり、学外ではボランティア活動や、あっ、学校や寮で先生と一緒に低学年の生徒の面倒をみたり、それからまだまだ——」
うん、自分には無理そうだ。
「そうだ! いっそ全部入ったら? ウチらの学校掛け持ちオーケーだし」
エレナが名案を思いついたような顔をしている。いやいや、掛け持ちなんてもっと無理だよ。
「あれ?」
ふと、楓が遠くを見て呟いた。栗色のブレザーを着た鎌倉総合魔法学校の生徒——先輩かな——が、道を逸れて細い路地に入っていった。
「あの人、初等部の六年生だ。生徒会の……!」
楓はなんだか怒っているようだった。
「〝通学路破り〟、だね」
エレナがニヤニヤしながら目を細めている。楓が紗月に説明する。
「鎌総の初等部はね、安全のために寮から学校までの〝通学路〟が決められてて、その道を逸れちゃいけない決まりになってるの」
「鎌総?」
「鎌倉総合魔法学校の略ね」
ビクトールが教えてくれた。
「生徒会は規則を守って生徒の模範にならなきゃいけないのに……。その生徒会が通学路破りしてるなんて許せない!」
楓が怒りながら、生徒会の先輩の後を追う。
「なんか面白そうなことになってきた!」
エレナはニコニコで、生徒会の先輩と楓の後を追う。
「ちょっと危ないって! 戻ろうよ!」
ビクトールが止めようと、生徒会の先輩と楓とエレナの後を追う。
「あれ……? 一人じゃ帰り道わかんないよ!」
ポツンと残った紗月も仕方なく、生徒会の先輩と楓とエレナとビクトールの後を追う。




