四 クラス分けテスト
「さあさあ、着きました。ここで降りますよ」
紗月と七宮先生は七里ヶ浜駅で降りた。七宮先生は、顔に陽気さが戻っていた。
駅の外に出ると、潮の香りが広がった。紗月は胸いっぱいに空気を吸い込み、空を見る。
「わあっ」
紗月は思わず声を出した。人を乗せた自転車が、箒が、自動車が、空の上を飛び交っている。
それはあまりにも不思議な光景だった。
「ここはもう鎌倉市です。結界をすり抜けて来たので、魔法で飛んでいる人々があちこちで見えるでしょう?」
前に来たときは知らなかった。鎌倉市の秘密。魔法使いの世界。胸が高鳴って止まらない。紗月は空を見ながらうなずいた。
「私も、あんな風に飛べるんですか?」
「ええもちろん。練習すれば、飛べますよ」
飛んでみたい、と紗月は思った。
「えっ——」
警官の格好をした人たちが、道の向こうから歩いてきた。腰に日本刀を携えて。
「あの人たちは〝鎌倉警察〟の警官さん達です」
「警官? でも、なんで刀持ってるんですか?」
「伝統ですから」
伝統ですから。そう言われたらもうなにも言えない。鎌倉市では警官が日本刀を持っているのは伝統だし当たり前らしい。
警官たちと七宮先生は知り合いのようだった。世間話をしている。紗月は物騒な刀を携えた警官をただただ眺めていた。日本刀。本物だ。怖い。観光客が何事もないみたいに警官の後ろを通り過ぎる。警官が刀を持っていることにも、違和感を感じていないみたいだ。これが結界の力なんだと、紗月は思った。
警官たちが去ると、七宮先生と紗月も学校を目指して歩きはじめた。
「あの……江ノ電のときから思ってたんですけど、でっかい棍棒持ってる人いたり刀持ってる人いたり、それって大丈夫なんですか?」
「伝統ですから」
また出た。伝統ですから。でも流石にこれは伝統で片付けて良いものなんだろうか?
「——鎌倉市では、護身用に魔法の武器の所持が認められています」
「えっなんで?」
びっくりしすぎて敬語が飛んだ。
「妖怪や悪霊などから身を守るためです」
「妖怪や悪霊がいるんですか?」
紗月の好奇心が、お腹の中で走りまわる。
「います。例えば——鬼。そちらの世界でも有名でしょう。鬼はいます。日本の歴史上、最も多くの魔法使いを殺した、恐ろしい妖怪です。ここ十数年は現れていませんが」
紗月の表情が凍りつく。好奇心で聞いたことを、すぐに後悔する。
「妖怪や悪霊は、魔力を欲します。そのため非魔法使いはほとんど襲わず、より魔力を備えている魔法使いを狙って襲うんです。鎌倉警察がこれに対処しますが、なにせ数が多く神出鬼没なので、昔から魔法使いは護身のために魔法の武器の所持が認められています」
紗月は辺りを見回した。七宮先生の話を聞いて、急に怖くなった。
「大丈夫ですよ。警官が目を光らせていますから、この辺りではほとんど見ません。特に昼間は」
じゃあ夜は? と聞きたかったけど怖いのでやめた。
*
七里ヶ浜駅のすぐ近くに、鎌倉総合魔法学校はあった。
パッと見た感じでは普通の学校と変わらない。大きさ以外は。とても広大な、海の近くの学校だった。
「大きいでしょう。なにしろ初等部から高等部まで生徒がいますから。わりとマンモス校です」
七宮先生は楽しそうに話しながら学校の敷地内に入っていった。紗月も後に続いた。
七宮先生に案内されて、昇降口にたどり着く。
「まだ組が決まっていないので、来客用の下駄箱を使ってください」
言われるがまま靴を脱いでいると、奥の廊下から女子生徒が歩いてきた。黒髪のショートヘアで、シュッとした輪郭にキリッとした目力のある人だ。栗色のブレザーがよく似合っている。紗月は、まるで女優さんみたいだと思った。
「七宮先生、遅いです」
その女子生徒は、少し苛立ちを見せながら淡々と言った。
「いやあごめんごめん。あっ紹介しますね。彼女は中等部二年壱組の三条夏海さん」
「あっ、白瀬紗月です」
紗月は三条先輩に軽くお辞儀して、自己紹介した。
「三条さんは生徒会に所属していて、今日のクラス分けテストを執り行ってもらいます」
そうだった。これからテストがあるんだ。また緊張してくる。
「ではでは三条さんに着いていってくださいね。あとは彼女に頼んであるので。あっ、キャリーケースは重いでしょうから預かっておきましょう。組が決まり次第、教科書やプリント類と一緒に学生寮に送ってもらうようにします。それでは——」
七宮先生は忙しそうに去っていった。紗月のキャリーケースも突然ふわっと浮かんで、どこかに行ってしまった。残ったのは筆記用具やらが入ったかばんだけだ。
「あらためまして、三条です。よろしく。ついてきて」
三条先輩はくるっと回り、もと来た廊下をスタスタ歩きはじめる。七宮先生より、二倍くらい歩くのが速い。
「これからクラス分けテストを行うけど、七宮先生から組のことはなにか聞いた?」
歩きながら、三条先輩は紗月に質問した。
「あっはい。サラッと」
正直、情報が多すぎてあまり覚えてないけど。
「そう。七宮先生は教えてないだろうから私が教えてあげよう。あの人は讃組の教師だから、教えないのも無理はないが」
「なんのことですか……?」
「もし、将来のことを真剣に考えてるなら、絶対壱組に入らないといけない。最低でも仁組。讃組はだめだ」
「えっ……」
紗月はうろたえた。今のところ、一番讃組に入りたかったのに。
「〝一〟流の壱組。〝に〟んげんの仁組。悲〝惨〟の讃組と言われているんだ。生徒の間ではね。まだ初等部だから適当で良いだろうって気を抜いてると、中等部や高等部に上がっても絶対壱組には入れなくなる。壱組の生徒は、壱組を維持するためにもっと勉強するから」
きっと三条先輩は私のために忠告してくれてるんだと、紗月は思った。思ったは思ったけど、なんだかイライラもした。少なくとも、七宮先生はとても優しかったし、そんな先生のいる讃組をバカにされるのが、嫌だった。
「私、讃組に入りたいです」
正直に言ってみた。それまでスタスタと途切れぬペースで廊下を歩いていた三条先輩が立ち止まった。振り返って紗月の目を見る。紗月は、三条先輩と初めてちゃんと目が合った気がした。
「君、面白いこと言うね」
三条先輩は少し驚いた顔で、微笑んだ。紗月はてっきり怒られると思っていたので、少しホッとした。ホッとしたので、そのまま心配事を打ち明けてみた。
「でも、テストの点が不安で……」
三条先輩は吹き出した。なぜか今の紗月の言葉がツボだったらしい。
「ごめんごめん、だっておかしくって——」
「私は真剣です!」
本当に真剣に悩んでいるのだ。そんな紗月を見て三条先輩は笑うのをやめた。
「——じゃあ一つアドバイスをしよう。名前と希望の組をしっかり、間違えずに書くこと」
「はい?」
紗月は思った。それって当たり前のことなんじゃ。
「君、名前は?」
「えっと、白瀬紗月です」
さっき自己紹介したんだけどな……と心の中で思った。
「紗月か。覚えた。私は三条夏海。よろしく」
三条先輩の名前もさっき聞いたんだけどな……と心の中で思った。
「でも、〝冬〟って感じですね、三条先輩」
「えっ?」
三条先輩が、目を大きく見開いた。
「あっ悪い意味じゃなくて! 三条先輩かっこいいから冬も似合うなって——」
怒らせたと思って、必死に紗月は弁明した。
でも三条先輩は、笑顔だった。
なんだか、その笑顔は、弾けるような夏だった。
*
「この教室だ。入って」
三条先輩に案内された教室に入る。中には誰もいない。教卓の前の机の上に、真っ白な紙が一枚置いてあった。
「じゃあ紗月はそこの机に座って」
三条先輩は教卓の前に立つ。紗月は言われた通りに、白い紙が置かれた机に座る。筆記用具を取り出す。
「準備はいいか? 始めるぞ」
そう言うと三条先輩は目をつぶった。三条先輩の付けている指輪が煌めく。
「これよりクラス分けテストを行う! 制限時間五十分! 始め!」
突然、白い紙から口が飛び出して喋りはじめた。紗月はびっくりして椅子から転げ落ちそうになる。三条先輩はまた吹き出しそうになって口を手で押さえた。
現れた口がすうっと消え、代わりに文字がびっしりと現れた。テストの問題だ。
紗月は記名を済ませ、テストの問一を読んでみた。
問一 魔法使いが魔力増幅のために用いる宝石のうち、代表的な宝石を全て答えよ。
また、宝石ごとの特性も述べよ。
可能であれば、代表的ではないが使用事例のある宝石とその特性も述べよ。
よし、パスだ。紗月は気を取り直して次の問題を見てみた。
問ニ 鎌倉市を守護する結界が創られたとされる年は、西暦何年か答えよ。
また、誰によるものか、その目的は何かを述べよ。
知るわけないでしょ! 紗月は顔が真っ青になった。恐れていたことが起こった。なにも答えがわからない。問三や問四、問五を見ても結果は同じだった。むしろ、もっと言っている意味がわからない。
問六 制限時間までにこのテスト用紙に、自らの魔力を込められるだけ込めよ。
この問題に関してはもはや記述ですらない。
紗月はテスト用紙をさすりながら必死に「込もれ〜」と念じてみたが、たぶんやり方間違ってるんだろうなと思った。
紗月は泣きそうになりながら最後の問題まで目を通したが、なにひとつまともに答えられそうな問題がなかった。テスト用紙の一番下には、希望の組を記入する欄があった。
そのとき、三条先輩がテスト前に言っていた言葉を思い出す。
——じゃあ一つアドバイスをしよう。名前と希望の組をしっかり、間違えずに書くこと——
そうだ。たしかにそう言っていた。
紗月は三条先輩の言葉にすがるように、希望の組の欄に〝讃組〟と書く。自分の名前と希望の組を、ちゃんと間違えずに書けているか何度も確認する。〝讃〟という漢字が、ちゃんと書けているか心配になる。
「そこまで!」
急にテスト用紙から口が飛び出して叫んだ。紗月はまたひっくり返りそうになる。三条先輩はまた楽しそうに笑った。
「そうだ、テストを受けたのは紗月だけだからすぐ始まると思う。離れていた方がいい。触ると少し熱いから」
始まる? なにが? その瞬間、テスト用紙が燃えだした。
「うわっ!」
紗月はびっくりして立ち上がる。テスト用紙はパチパチと音を立てて燃えながら、みるみるクシャクシャに縮んでいった。机には燃え移っていないし、炎の勢いの割にはあまり熱を感じなかったので、きっとこれは魔法の特別な炎なんだと思った。
ついに燃え尽きて、机の上にはクシャクシャに丸まった黒焦げの紙——というか炭——だけが残った。
「採点終わりの合図なんだ。その紙の中に紗月の入る組の組章が入ってる。もう熱くないと思う。調べてみてくれ」
この炭の中に? 紗月は恐る恐る手を突っ込んでみた。熱くない。中に、たしかに組章が入っている。「讃」と書かれていた。
「讃組だな」
三条先輩は近くに寄ってきて組章を確認した。
良かった——。紗月は安心した。讃組に無事入れた。
「残念だな。中等部までに勉強して壱組に入ってくるといい。待ってるよ」
そうだ、三条先輩は壱組なんだった。
いつの間にか、少しだけ三条先輩と距離が縮まっている気がした。ちょっぴり、壱組にも入ってみたかったなと思った。
「でも私、全然答えられなかったのに、なんで希望の讃組に入れたんだろう」
不思議だった。三条先輩が答える。
「——だって、讃組が一番不人気だから」
「あっ」
たしかに一番人気の組があるなら、一番不人気の組もあるはずだ。けれど、讃組が一番不人気だと聞いても、それほど残念には感じなかった。知っている先生が担任をしている組に行けるのは、すごく安心感があった。むしろ、一番不人気だったから讃組に入れたわけで。一番不人気で良かった。ちょっと不謹慎かもしれないけど。
「紗月のだ」
三条先輩は、教卓の下から真っ白な制服一式を取り出した。
「制服には魔法がかかっていて、着た人に合わせて多少サイズが変わるようになっている。初等部の間は買い替えなくて済むはずだ。念のために着て確認してみてくれ」
紗月はその真っ白な制服を着てみた。最初は小さいかな? と思ったけど、来てみるとなぜかぴったり。これも魔法らしい。魔法って素敵だ。
真っ白なブレザーに真っ白なスカート。真っ白なリボン。ブレザーの胸元には、鎌倉総合魔法学校のエンブレムが縫い付けられている。
「似合ってるよ。大丈夫そうだな。じゃあさっきの組章をブレザーに付けてみてくれ」
三条先輩に言われた通りに、紗月は組章をブレザーの襟に付けてみる。
突然、真っ白なブレザーがえんじ色に変わった。真っ白だったスカートとリボンも、えんじ色によく似合う、赤系のチェック柄に変わった。
「わあ」
魔法って素敵だ。紗月は改めてそう思った。
「組章に反応して、制服の色が変わるようになっているんだ。讃組の組色はえんじ色。ちなみに壱組は栗色。仁組は紺色」
三条先輩の説明を聞きながら、紗月はずっと制服を眺めていた。
私は讃組なんだ。本当に鎌倉総合魔法学校に転入したんだ。えんじ色の制服を見ると、どんどん実感が湧いてきた。これから始まる魔法の学校生活に、紗月は胸をおどらせた。
三条先輩は、プリントを見ながらやり残したことがないか確認しているようだったが、少しすると目線を上げて、紗月を見た。
「さて、五年讃組に行こう」




