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二十 衝突

 静まりかえった深夜の校舎。満月に照らされた校庭。さっきまであったはずの特設スタンドは、きれいさっぱりと消えてなくなっていた。校庭の前にある正門から、人影がこっそり静かに、次々と忍び込んでくる。十人。校庭を通り、学校へ最短で向かおうとする。

「三条先輩」

 隠れていた紗月が、人影に声をかける。紗月の隣には、エレナ、楓、ビクトール。十人の文芸部が一斉に振り返る。月明かりに浮かび上がる、三条先輩の輪郭。

「紗月……」

 三条先輩は驚いているような、苦しんでいるような表情をしていた。

「今さら説得しにきたんじゃねえだろ?」

 ドーン先輩が凄む。ビクトールが答える。

「先輩たちを、止めにきました」

 誰も動かない。沈黙が流れる。緊張が、体を駆けまわる。

 突然強い風が吹いた。真冬の冷たい夜風が、肌を刺す。体がこわばる。そのときだった。

「三条、ドーン走れ! こいつらは俺らが潰しとく!」

 一瞬の隙をついて、源田先輩が叫ぶ。同時に三条先輩が走る。ドーン先輩も小さく舌打ちして、走りだす。

 まずい——。紗月は思った。このままじゃ三条先輩たちに図書館へ行かれてしまう。追いかけないと——。しかし源田先輩たち、八人の文芸部が行く手をはばむ。瞬間、エレナが囁く。

「あたしが隙を作るから三人は三条先輩たちを追いかけて」

「でもエレナは?」

「心配いらない。なんとかする」

 紗月の目を見ながら、エレナがニコッと笑った。本当になんとかなる気がする、そんな、魔法みたいな笑顔。うなずく。エレナを信じる。ルビーの指輪が煌めく。火花が散る。エレナが叫ぶ。

「走れーッ!」

 目の前で花火の大爆発が起こる。廃工場で見たエレナの花火だ。赤、青、黄色。美しい、色とりどりの炎が校庭に弾ける。巻き起こる煙。舞い上がる土埃。熱くないのは廃工場のときに知っている。花火に向かって、学校に向かって、紗月は走る。走る。

「何度も同じ手に騙されるかよ!」

 走る紗月と楓、ビクトール。少し遅れて、煙から抜け出た源田先輩が三人を追いかける——が、立ち止まる。

「おいおい……」

 炎。源田先輩の目の前に現れたのは、巨大な炎の壁。さっきの猫だましの花火とはわけが違う、圧倒的な灼熱。八人の先輩とエレナを、燃えさかる炎の壁が囲いこむ。

「お前さ、初等部だよな?」

 源田先輩が汗をたらりと流す。炎の熱気にあてられて。魔法のスケールに驚愕きょうがくして。

「——捕まえた」

 エレナはもう、笑っていなかった。

 

 追いかける。追いかける。三条先輩を追いかける。なんだか後ろがすごく熱い。でも振り返る時間すらもったいない。とにかく必死に追いかける。

 中庭に入る。三条先輩は昇降口近くの開いた窓——きっとあらかじめ開く細工をしてたんだ——から校舎に入っていくところだった。紗月も追いかけて窓へ走る。その目の前に立ちはだかったのは、ドーン先輩だった。

「ここは通さねえ」

 ドーン先輩は背負っている大斧を手に持った。それで思い出す。私にも背負ってる村雨がある。

「村雨お願い!」

 村雨にまたがって中庭を飛ぶ。ドーン先輩を避けながら窓を目指す。

「通さねえって言ってんだろ——」

 ドーン先輩がダイヤモンドの指輪を光らせる。ものすごい脚力で、一気に紗月との間合いを詰める。大斧が紗月に襲いかかろうとしたそのとき——。

「やめろ!」

 ビクトールの大木槌が、ドーン先輩の大斧を受け止めた。力と力。強烈な衝撃音が鳴り響く。

「行って紗月!」

「でも……」

 どう考えても、ドーン先輩が一番物騒なのだ。紗月は迷った。ビクトールが心配だった。

「僕は大丈夫! だから——」

 ビクトールと目が合う。なにかを託された気がした。そうだ。止めにきたんだ。私は三条先輩を止めたい。ビクトールを信じる。

「わかった!」

 紗月は覚悟を決め、開いた窓に滑り込む。

「なめやがって! ぶっ飛ばしてやる!」

 ドーン先輩が大木槌を振り払う。その場に倒れるビクトール。もうだめだと目をつぶる。ドーン先輩が大斧を掲げて、振り下ろす——。

 ガキンッ。

 なにか硬いものにぶつかる音。ビクトールが目を開ける。目の前に立っていたのは、楓。

「間に合った——」

 ビクトールを助けたのは、楓の結界魔法だった。

 

「三条先輩!」

 図書室の前の三条先輩に追いつく。なんとか、間に合った。三条先輩が振り返る。

「紗月……」

「三条先輩、もう、やめましょう」

 三条先輩はなにも答えない。そのかわり、ゆっくりと廊下を見渡す。教室から廊下へ差し込む月明かりが、三条先輩を照らす。

「……懐かしいな。覚えているか? この廊下で、紗月と初めて話をしたな」

 七宮先生に連れられて、初めて学校に来た日。三条先輩に案内されて、一緒に歩いた廊下。大きく息を吸い込み、吐き出す。そして三条先輩は話を続ける。

「——〝冬〟って感じですね——」

「えっ?」

「あの日、紗月が私にそう言ったんだ。それが、どれだけ嬉しかったか。心の中で、真冬が生きている気がしたんだ。まだ、真冬が生きている。私の中で」

 三条先輩の目から涙がこぼれた。頬を伝う涙が、月明かりに照らされてきらりと光る。

「それなのに……それなのに!」

 指輪が煌めく。

「構えろ、来るぞ」

 村雨の声。紗月の心はまとまっていなかった。でも、反射的に村雨を構える。

「そのお前が! 私をなぜ止める!」

 三条先輩が手を突き出す。光の短剣のようなものが現れて、目にも留まらぬ速さで紗月に向かって飛んでいく。

「吾輩を盾にしろ!」

 紗月の指輪も煌めく。村雨から結界が現れて、短剣を横に弾き返す。三条先輩と練習した、村雨の結界——。ガラスが割れる音。紗月はバランスを崩して尻餅をつく。でも、無傷だ。立ち上がる。前を向く。

「これは私の生きる理由なんだ! それをなぜ奪う!」

 三条先輩の周りに無数の短剣が現れて、紗月に襲いかかる。それをなんとか、村雨で弾く。

「同じ鎌倉大火災の被害者なのに! 仲間だと思っていたのになぜだ!」

 短剣を村雨で弾く。紗月は引かない。

「あの日! あの日にあのベンチで、私の心を打ち明けたのに! それなのに……それなのになぜ!」

「だって!」

 村雨で弾く。一歩前に踏み出す。

「だって三条先輩が大切だから! 大好きだから! 犯罪なんかしてほしくないから! あの日の三条先輩が——頭から、あ、頭から……離れないから」

 涙が落ちる。目が潤んで、三条先輩の輪郭が月明かりに溶けていく。

「それなのに……。それなのになぜ……」

 三条先輩は手を下ろす。周りに浮かんでいた光の短剣が、力を失ったようにすべて廊下に落ちて、消える。

「……なぜお前は、真冬に重なる?」

 紗月の青い瞳を、泣き崩れた顔で三条先輩は見つめていた。

「帰りましょう、三条先輩」

 涙をぬぐう。まっすぐ、見つめ返す。三条先輩は逃げるように、うつむく。

「もう遅い。もう、遅いんだ」

 そのとき、図書館のドアが開いた。

 内側から、小さな女の子が出てくる。赤い、鬼のお面を付けた、小さな女の子。そのお面をゆっくりと外し、素顔が月明かりに照らされる。紗月は、瞳に映ったものが信じられなかった。知っている。その女の子を知っている。前に一度、紗月はその子を写真で見ている。

「なんで……?」

 三条真冬だった。

 

「捕まえられたのはどっちだ?」

 源田先輩が吠える。校庭。炎の壁に取り囲まれる中、源田先輩や兎田先輩たち八人の文芸部は、エレナにじわりじわりと近づいていた。

「君の才能は認めるけど、こんなとんでもない規模の炎の魔法使って閉じ込めてたら、もう魔法でなにもできないだろ? そろそろ魔力だって尽きるんじゃないか? こっちは八人いるんだ! もう、諦めろ!」

 兎田先輩が、エレナに向かって叫ぶ。エレナは、まるで動じない。

「さっきのサッカーじゃお前に負けたけどな、今回は俺の勝ちだ!」

 源田先輩がさらに距離を縮める。他の七人も、同様に縮める。

「はぁ」

 なぜか、エレナは、大きなため息をついた。

「——さっきのサッカー、あれが全力だと思ってるの、先輩?」

 最初に異変に気づいたのは兎田先輩だった。

「えっ?」

 上を向いて、空に向かって指を指す。

「なにあれ?」

「なんだ?」

 他の文芸部も異変に気づく。九人の頭上、上空に、いつの間にか、巨大な炎の塊があった。それはまるで——

「——隕石?」

 源田先輩が呟く。エレナがニヤッと笑う。

「落ちろーッ!」

 校庭に隕石が落ちた。

 

 凄まじい衝撃と音で、中庭にいるビクトールは転びそうになる。

「校庭からだ」

 隣の楓が心配そうに声を漏らす。それを聞いて、ビクトールはますます心配になる。

「エレナ……」

「よそ見してんじゃねえよ!」

 逸らした目線を前に戻す。遠くにいたはずのドーン先輩が、目の前にいた。

 ガキンッ。

 間一髪。楓の結界魔法で、またしてもドーン先輩の大斧を防ぐ。しかし大斧の力が強すぎて、結界魔法ごと、楓は後ろに弾かれる。その一瞬の隙に、ビクトールが大木槌を叩き込む。が、ドーン先輩はひらりとかわす。そのまま、また距離を取られる。

「——楓、助かったよ」

 ビクトールが楓を助け起こす。

「でももう、限界かもしれない。もう一度だせるかどうか……」

 楓とビクトールはすでに満身創痍まんしんそういだった。ドーン先輩はまだまだ余裕そうだ。息一つ切らしていない。絶対絶命。ふいに、ドーン先輩が口を開く。

「成長したな」

 予想外の言葉だった。ビクトールが目を見開いてびっくりする。

「ずっと前にここでお前に焼き入れようとしたとき、お前ビクビクしててどうしようもないやつだったけどよ、今は良い目してんじゃねえか」

 ビクトールは混乱した。さっきまで大斧で襲いかかってきてた人が、急に自分のことを褒めている。

「でもな、悪いがぶっ飛ばされてくれ。俺はよ、三条に恩を返してやりてえだけなんだよ」

 ドーン先輩は、急にこめかみをトントンと叩き始めた。

「小さいときに事故にあってな。後遺症でほとんど目が見えなくなった。起源魔法で目が見えるようになるまで、俺は腫れ物みたいに扱われてた。家族にも、学校の奴らにも。そんな中で、三条だけは対等に接してきた。俺はそれに、ずいぶん救われた。だから今度は、あいつの望みを叶えてやりてえんだ」

 ビクトールは驚きを隠せなかった。知らなかった。ドーン先輩の過去。ドーン先輩の起源魔法は、〝目が見える魔法〟。でも——。歯をぎゅっと噛む。引かない。

「三条先輩たちのことを大切に思ってるからこそ、紗月は……僕たちは止めたいんです」

「だろうな。お前らが正しい」

 ドーン先輩のまさかの言葉に、腰が砕けそうになる。楓が訴える。

「ならどうして——」

「でもよ。この道は正しくないと知ってても、惚れた女が本気で選んだ道なんだ。地獄にだって付き合うさ」

 ドーン先輩の顔が鋭くなる。ビクトールは初めて、ドーン先輩の本心に触れた気がした。それでも、だからこそ、引かない。

「なら、やっぱりぶっ飛ばして無理やり止めるしかないです。三条先輩とドーン先輩のためにも」

「言うようになったじゃねえか」

 ドーン先輩が笑う。楓が小声で聞いてくる。

「でも、どうするの? もう私ほとんど結界張れないよ?」

「一つだけ、案があるんだ。楓、目の前にありったけの魔法を込めて硬い結界魔法を張れる?」

「目の前に?」

 楓はビクトールの言っている意味がわからない。まだドーン先輩が攻撃してきていないのに、なぜ今、目の前に結界を?

「こそこそ作戦会議中悪いけどよ、そこの女の結界魔法も限界だろ? あと出せて一回ってところじゃねえか? もう諦め——」

 楓が結界魔法を目の前に張る。

「なんだそれ? 白旗の合図か?」

 ドーン先輩は完全に油断している。今しかない。

 ビクトールは大木槌を大きく振りかぶって、ありったけの力で楓をぶっ叩いた。

「ああ?」

 唖然とするドーン先輩。

「きゃあああ!」

 そのドーン先輩目がけて、結界魔法を張ったまま突っ込む楓。一瞬でドーン先輩に豪快にぶつかる。そのまま二人は校舎の壁に激突する。結界魔法と壁に挟まれたドーン先輩は、気絶していた。

「やった! 大成功だ!」

 ビクトールが喜んで飛び跳ねる。楓がガバッと起きてビクトールに激怒する。

「ありえない! ひどいよ! 私ごと——え、あれ? 私、どこも怪我してない……」

 楓は、無傷だった。ビクトールに大木槌であんなに叩かれたのに。

「——僕の起源魔法なんだ。〝大切なものを傷つけない魔法〟」

 

「真冬……ちゃん?」

 紗月は信じられないものを見た。図書館から出てきたのは、たしかに三条真冬だった。鎌倉大火災で亡くなったはずの、三条真冬だった。紗月が花火大会で着た、あの雪の結晶柄の浴衣を来て、そこに立っている。手には鍵束のほかに、赤いお面とファイル。きっと〝鬼ノ面〟と〝鎌倉大火災のファイル〟だと、紗月は思った。

「紗月がここに来る前、先に忍び込ませたんだ」

 紗月は理解ができない。真冬ちゃんがなぜ? だって真冬ちゃんは——。頭が割れそうになる。そんな紗月の心を見透かしたみたいに、三条先輩が呟く。

「これは真冬ではない」

「えっ?」

 ますます理解が追いつかなくなる。ならここにいる女の子は、誰?

「あれは初等部四年生のころだった。三月。まだ寒かった。その日は鎌倉大火災から、真冬が亡くなってから、ちょうど三年を迎える日だった。私はベッドで、一人で泣いていたんだ。あの日、初めて、死のうと思った。真冬の後を追おうと思った。そして、ゆっくりとベッドから起き上がった。すると、これがいた」

 紗月は三条先輩の言っている意味がまだわからない。

「これは、私の起源魔法だ」

 鳥肌が立った。言葉にならない恐怖を感じる。これが、起源魔法?

「これは人形だ。ただし、心臓が動いている。血も通っている。姿かたちも、私が最後に見た真冬そのものだ。〝鬼ノ面〟を付けて、その力を使うことさえできる。——ただ、魂がない。魂だけがない。魔法で操ればこうして歩くこともできる。だがこれは——真冬じゃないなにかだ」

 三条先輩は苦しむように言った。

 紗月は思い出す。起源魔法の授業の、七宮先生の言葉を、思い出す。

 ——心の底の強い望みが、魔法に結びついたものが起源魔法なんです——

 これが、三条先輩の心の底の強い望み。三条先輩の心が、限りなく真冬ちゃんに近いなにかを作り出した——。

 今まで紗月は、どこかで三条先輩の気持ちをわかってあげられている気になっていた。でも、違った。紗月には想像もつかない地獄。そんな地獄の果てに生まれた起源魔法。

 知らなかった。私は三条先輩を、なにも知らなかった。

「三条家の祖先が、〝鬼ノ面〟を使って将軍を暗殺した話は知っているか」

 紗月は覚えている。楓が前に言っていた、三条家の伝説。

「私はそれを蔵にあった文献で知った。その祖先の起源魔法まで細かく伝えられているものだった。そっくりだったんだ。私の起源魔法と。それで、思いついた。きっとその祖先も、同じように〝鬼ノ面〟を使ったんだろう」

 真冬ちゃんのようななにかは、三条先輩へ持っているものを渡すと、ぐしゃっと倒れて煙のように消えた。

「終わりだ。〝ファイル〟はこの手にある」

 

          *

 

「紗月!」

 後ろの廊下からエレナと楓とビクトールが走ってくる。紗月は振り向いてみんなの顔を見る。体の力が抜ける。みんな無事だ。安心して、また涙が出そうになる。申し訳なさで、また涙が出そうになる。

「良かったみんな……。でも、ごめん——」

 エレナたちは〝ファイル〟を持った三条先輩に気づく。そして察する。紗月が止められなかったこと。三条先輩は〝ファイル〟の中からなにかを取り出す。黒いレコード。それはいつかエレナと見た映画のものとそっくりだった。きっと、同じ原理のものだ。床に突き刺すと、周りに映像が流れるもの。

「これはおそらく、鎌倉大火災の当時の映像だろう。さて、鬼が出るか蛇が出るか」

 三条先輩が廊下にレコードを突き刺した——

 紗月たちは小高い山の上に立っていた。

 下に見えるのは鎌倉の町並み。晴れた空。澄んだ空気。鎌倉は平和そのものに見えた。

 龍を見た。

 なんの前触れもなく、それは突然現れた。家という家を薙ぎ倒し、灼熱の炎を吐き出しながら、天に昇っていく。ほんの一瞬で、町が地獄へ変わる。龍が消えた——そう思った瞬間、たどり着いた衝撃波と爆風が、紗月を吹き飛ばした。

 気づいたときには、廊下に戻っていた。汗が身体中から噴き出している。心臓が狂ったように脈を打つ。生きた心地がしなかった。

「なんだ、今のは」

 三条先輩だった。

「龍——だったよね?」

 小さく、エレナが呟いた。

「や……やっぱり、単なる火災じゃなかったんだ。あの日——」

 自分でも信じられないという顔で、楓は言葉を続ける。

「——鎌倉に龍が現れた。数百年ぶりに。でもその龍は、一瞬のうちに町を壊して、火の海にして、たくさんの人を殺して、空へ消えた。それがあの日、起こったことだったんだ」

 紗月はその場に立ち尽くしていた。龍が、殺した? 

 じゃあ、お父さんとお兄ちゃんも——

「そんなことってあるの?」

 ビクトールが信じられないという声を出す。

「だって——」

 言いよどむ。

「——だって龍は、鎌倉の神様なんだよ?」

 龍神信仰。紗月も知っている。鎌倉の魔法使いは、女神様と龍神様を信仰している。この地を守る結界を創った、女神様と龍神様を。

「真実を魔法使いたちにも公表できなかった理由はこれだったんだ。だってこれ、龍神信仰の根本を崩しかねない大事件だもの。鎌倉で、龍が、人を殺したなんて」

 そう言う楓の声は、震えていた。

 突然、小さな音がカラカラと響く。

 最初、紗月はそれがなにかわからなかった。音の鳴る方。その先には、三条先輩。笑っていた。呆れているような、絶望しているような、笑い声。

「——傑作だな。今、わかったよ。私は真相を知りたいと、それが真冬のためだと、そう自分に言い聞かせておきながら、願っていたんだ。神に願っていたんだ。あれが事故ではなくて、誰かの引き起こした殺人だということを。私は、憎みたかったんだ。自分ではない誰かを。責任を! その誰かに! 押し付けたかったんだ!」

 三条先輩は笑いながら、泣いていた。

「とんだ皮肉じゃないか。殺したのは、神だった。あれは、天災だった。なら、私はどうすればいい? この感情はどこに向かえばいいんだ? 神を憎めばいいのか? そうすれば、今度こそ私は救われるのか?」

 紗月はなにも言えなかった。なにを言っても、無責任な言葉になってしまう気がした。

「私はこの期に及んでもまだ、救われたいのか。救いようがないな」

 三条先輩の指輪が煌めく。

 現れた光の短剣を、自らの胸に突き立てる。

「——初めから、こうするべきだったんだ」

 これって。うそだ。三条先輩は——

「だめーッ!」

 叫ぶと同時に、紗月は走り出していた。でも間に合わない。

 三条先輩は勢いよく短剣を胸に突き刺した——その瞬間、短剣が吹き飛んだ。

「まだ死んでもらっては困る」

 声。

 紗月は見た。三条先輩の背後。暗闇からぬっと現れた、青年の顔。白い髪で、微笑みを浮かべる青年の顔。どこか、見覚えのある顔。

「——ようやく持ち出してくれたんだから」

 青年が三条先輩の肩をポンと叩く。驚きの顔を浮かべて三条先輩が振り返る。

「眠れ」

 青年のヒスイの指輪があやしく光る。三条先輩が眠りに入るように気を失う。倒れる体を青年が腕で支える。すると青年は三条先輩を抱えたまま宙へ浮かび上がり、隣の教室へ滑るように入った。紗月たちも追いかけて教室に飛び込む。教室の奥、開け放たれた窓から二人は飛び去り、夜の闇に消えていく。一瞬の出来事だった。入りこんだ潮風で、カーテンがひらひらと揺れる。紗月は窓に駆け寄る。窓の向こうには、満月に照らされた海。波の音。遠くで江ノ島の灯台がきらりと光った。

 

 三条先輩が連れ去られた。

 少しして、ようやくそのことを理解した。紗月は最初、なにが起きたのか全くわからなかった。

「あいつだ。今のやつだ」

 どこからか、苦しそうな声が聞こえた。廊下に戻ると、フラフラしながら壁伝いにこちらに歩いてくる、ドーン先輩がいた。

「どういうことですか?」

 楓がドーン先輩に尋ねる。状況が飲み込めていないのは、紗月だけじゃない。エレナもビクトールも楓も、同じだ。

「俺も後ろから一瞬男を見た。あいつ。絶対そうだ。俺と三条に協力してた警官だ。今となっちゃ本当に警官なのかも怪しいが……。あいつが俺たちに接触してきて、全てが始まったんだ。〝鎌倉大火災のファイル〟の存在を知った三条が、文芸部を作った」

 紗月は楓と顔を見合わせる。どういうこと? なにが起こってる? ドーン先輩はよろめきながら、必死に言葉を続ける。頭に大きなこぶ。今にも気を失いそうだ。

「俺は胡散臭いと思ってたんだ! でもあいつの情報は正確だった。だから三条はどんどん計画を進めていった。〝ファイル〟だ! きっと〝ファイル〟を盗み出すために俺たちを使ったんだ! 頼むビクトール、お前たち。三条を、助けてくれ——」

 そこでドーン先輩は倒れた。ビクトールが駆け寄る。

「気絶しちゃったみたい……。癒えろ——」

 ビクトールの指輪が煌めき、ドーン先輩に応急処置の魔法をかける。

「もうなにが起きてるの? わからない」

 楓がしゃがみ込む。紗月も頭が割れそうだった。

「あの白い髪の男、『ようやく持ち出してくれた』って言ってたよね。やっぱり、〝ファイル〟を盗ませたかったんだ」

 応急処置を終えたビクトールが言った。ドーン先輩は寝息を立てて眠っている。楓が膝に顔をうずめながら、声だけ発する。

「でも、なぜ三条先輩を連れて飛び去ったの? 〝ファイル〟だけ奪えばいい話なのに」

 たしかに、と紗月は思った。なんで三条先輩を連れていったんだろう。

「——目的は〝ファイル〟じゃないのかも」

 エレナが呟く。廊下の隅に落ちているなにかを拾い上げる。

 それは〝ファイル〟だった。

 かたわらにレコードも落ちている。さっきの光景がフラッシュバックして、汗が噴き出てくる。

 龍——。そうだ。私は、あの龍を前に見たことがある。あの日、全てが始まった日に。

「もうさ、今さらだけど先生を呼ぼうよ。なんだかもう、全部怖いよ」

 ビクトールがみんなに語りかける。

「でもなんて説明するの? 誓約書だってあるし」

 楓が困った顔をする。みんな、なにも言えなくなる。

「ドーン先輩も助けてくれって言ってたしさ、あたしたちで助けに行こうよ。三条先輩」

 エレナがめちゃくちゃなことを言っている。

「そんな! エレナも見たでしょ? あの男、魔法の力だけで宙に浮いてたんだよ? 道具もなしに魔法だけで空を飛ぶのって、それも人一人抱えてあんなに速く飛ぶのって、並大抵の魔法使いができることじゃないよ。私たちだけで追うなんて危険すぎる! 第一どこに行ったのかもわからないし——」

「江ノ島……」

 紗月が、口を挟むように呟いた。紗月の心は思い出の中にいた。出会っていたのはあの龍だけじゃない。全てが始まった日。聖地江ノ島から元の世界に戻ってきたとき、紗月は白い髪の青年と会っている。綺麗な目。微笑み。思い出す。私はやっぱり、あの青年に会ったことがあった。あの日。あの場所。江ノ島の前で。

「江ノ島? なんで——」

 ビクトールが紗月に詳しく聞こうとしたとき、楓がハッとして声を上げた。

「たしかに。江ノ島かもしれない。白い髪の男は〝ファイル〟を持ち出して欲しかったわけじゃなかった。だって〝ファイル〟はここにあるから。なら他に三条先輩が持ち出したものは——〝鬼ノ面〟! しかも〝鬼ノ面〟が目的なら、三条先輩を連れ去る理由もある。〝鬼ノ面〟は付けると、我を失うほどの苦しみと引き換えに、鬼の力を得る呪具。でも三条家の者にしか使えない。だから三条先輩に無理やり付けて、鬼の力を使わせる。そして〝鬼ノ面〟は結界をこじ開けられる。〝聖地江ノ島〟は——強力な結界で守られてる!」

「あの男、海の方に飛んで行ったよね。たしかに、江ノ島の方向だ」

 青ざめたビクトールが思い出したように言った。紗月はみんなの顔を見る。

「楓の話が本当なら、三条先輩が危ないかもしれない。行ってみようよ、江ノ島へ」

 なんだか、江ノ島に引き寄せられるような、不思議な感覚だった。

「いやっ、でも……。あああっ! だいたいどうやって行くの? 今から走って行ったって、かなり時間がかかるよ?」

 楓が頭を掻きむしりながら言った。エレナがニヤッと笑う。

「これ、これ」

 エレナが指差したのは、村雨だった。

 

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