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十九 体育祭

「しかし、本日は天気もよく晴れて、絶好の運動日和と——」

「校長先生の話ってなんであんなに長いの?」

 後ろのエレナがあくびをする。壇上には校長先生。さっきからずっと喋っている。

 初等部から高等部までの全校生徒が、校庭に集まって整列していた。栗色、紺色、えんじ色。ブレザーの色が、綺麗に三色に分かれている。全校生徒が一堂に会すると、やっぱり圧巻だ。本当に人が多い。生徒の親や鎌倉に住んでいる魔法使いの見物客は、校庭の外側の巨大な特設スタンド——昨日まではなかったのに——に座っている。それもまた、人が多い。紗月は鎌倉中の人が集まってるんじゃないかと思った。

「前の学校の校長先生も話が長かったよ。校長先生ってやっぱり話が長くないとなれないんじゃない?」

 紗月は壇上の校長先生を見つめる。校長先生を見るのは夏休み明けの始業式以来だ。会ったことが数回しかないから、いまいち顔を覚えられない。

「絶対そうだよ。どんだけ話が長いかで選ばれてんだね絶対」

 

「優勝旗返還!」

 ようやく校長先生の話が終わり、壱組の団長が大きな優勝旗を持って壇上にあがる。優勝旗は栗色だ。エレナは少し前から寝ている。校長先生の呪文に耐えきれなかったみたい。

「毎年優勝した組の色に変わるらしいの。まあ、私が入学してから栗色以外の優勝旗見たことないんだけどね」

 前の楓が教えてくれた。壱組の団長が優勝旗を返還する。拍手が起こる。紗月もあわてて拍手に混ざる。エレナが拍手で「うわっ」と起きる。ゆらめく優勝旗の隣で、校長先生の指輪が光る。

「鎌倉総合魔法学校体育祭の開催を、ここに宣言します!」

 魔法で声が響きわたる。

 紗月の、初めての体育祭が始まった。

 

          *

 

「フレー! フレー! 讃組!」

 昼過ぎ。紗月は特設スタンドで楓の隣に座って、讃組の応援をしていた。校庭ではテニスの試合。壱組対讃組。讃組が負けそうだ。学ランを着て、えんじ色のはちまきを額に巻いた応援団が声を張り上げる。ビクトールもそこにいた。あと、七宮先生も。七宮先生は全力で応援団の旗を振り回している。ものすごい気合いだ。

「ふむ、体育祭というものは、うるさいな」

 背負ってる村雨が小さく呟く。紗月も小声で返す。

「村雨が来たいって言ったんでしょ」

 紗月はイライラする。今朝、村雨を置いて出て行こうとしたらしつこく連れてけと言ってくるので、仕方なく連れてきた。置く場所もないのに。しかも「えっ? 今喋った? この刀喋った?」と、隣にいたメグちゃんにしつこく詰められて、それはそれは大変だった。説明するのが面倒で、「宮崎で買ったお土産です」と言ったら、「宮崎県ってすごいんだね」と納得してくれた。

 テニスの試合に目を戻す。紗月がさっきから驚いているのは、スポーツで当たり前のように魔法を使っていることだった。そのおかげで、見応えがありすぎて見てて全然飽きない。

「おーっとぉ! ここで壱組、山寺選手の必殺技! ブーメランマングースだーッ!」

 実況解説の生徒が盛り上がる。壱組の選手が打った球が、ありえない軌道を描いてコートに突き刺さる。いやいや。もうテニスじゃないでしょ。なにあれ。別の競技だよ。

「勝利ーッ! 壱組、山寺選手の勝利です!」

 周りがどよめく。壱組の方のスタンドからは大歓声。負けちゃった。

「さっきから全然勝てないね」

「うん、まあ、十年連続最下位はだてじゃないよね」

 隣の楓が苦笑いする。

「エレナの出番っていつだっけ?」

 さっきエレナは「最後の練習あるから」と言ってサッカー部の練習に行ってしまった。

「最後だよ」

「最後?」

「うん。日本の魔法使いのあいだで、今一番人気のスポーツはサッカーだからね。鎌総もサッカーが一番人気だし、一番部員多いんだよ。だから一番盛り上がるトリは、サッカー」

 ワクワクしてくる。早くエレナを見たい。応援したい。そうだ。こっそり、練習風景でも見てこようかな。

「ちょっとトイレ!」

 紗月は立ち上がって、小走りで生徒の間を抜ける。たしか体育館で練習してるって言ってたっけ。特設スタンドを出て、体育館へ向かう。校庭の歓声が遠くに離れていく。

 紗月が体育館を目で捉えると、ちょうど中から誰か生徒が出てくるところだった。あっ。紗月は立ち止まって物陰に隠れる。出てきたのは、文芸部の狐憑きの先輩だった。名前は思い出せないけどエレナがサッカー部だって言ってた人だ。廃工場に関係してて、京子ちゃんのお兄ちゃんかもと思った人。違うみたいだけど。ブレザーではなくジャージを着ている。サッカーの練習から抜け出してきてるみたいだ。その狐憑きの先輩が、あわてた様子で一人でスタンドの方へ歩いていく。なんだか怪しい。紗月は直感でそう思った。こっそりとあとをつける。

 狐憑きの先輩は、壱組の生徒たちがいる特設スタンドに入っていった。このままついていきたい。でも、讃組の、えんじ色のブレザーの紗月は目立ちすぎる。そこは全員壱組。栗色の世界だ。

「おいおい、悲〝惨〟の讃組の紗月さんじゃないか」

「げっ」

 一ノ谷が取り巻きを引き連れてスタンドから歩いてきた。

「張り合いが無さすぎて応援する気も起きないよ。いくら悲〝惨〟の讃組とはいえ、もう少し頑張ってくれないか? 体育祭の点数まで悲惨なことになってるぞ」

 取り巻きが笑う。紗月には一ノ谷の煽りが届いていなかった。狐憑きの先輩を追いかけたい。どうすれば。ブレザーを脱げばまだマシかな。でも、みんなブレザー着てるしな。そもそもこんな冬の寒い日に、シャツだけなのも目立つよな。うーん。いっそ、ダメ元で一ノ谷にお願いしてみようかな。

「ちょっとの間、そのブレザー貸してくれない?」

 一ノ谷が目を丸くする。そして、ニヤリと笑う。意地悪なことを思いついたみたいな顔。

「あー、いいぞ。そのかわり、いつも大事そうに持ち歩いてる、お前の〝その刀〟をもらう」

「いいよ!」

 即答する。口をぽかんと開けて唖然とする一ノ谷。村雨が小さく「貴様きさま……」と囁く。村雨を背負うためにくくりつけた紐を外す。掴まれないように。

「んじゃ、ここに刀置くから! 取ってって! ブレザー借りるね」

 紗月は村雨だけを地面に置いて、一ノ谷から強引にブレザーを剥ぎ取った。

 サッと栗色のブレザーを羽織る。文句を言う一ノ谷に目もくれず、狐憑きの先輩を目指して走りだす。

 いた。スタンドの上の方。奥。幸運なことに、狐憑きの先輩はすぐ見つけられた。みんなブレザーの中、ジャージなのでわかりやすい。しかも、狐憑きの先輩が進む先には、ドーン先輩の姿があった。

 紗月は気づかれないようにできるだけ近づく。一ノ谷のブレザーで、他の壱組の生徒に紛れる。周りは歓声が飛び交っている。応援団からは叫ぶような声援。真隣にでもいないとなにを話しているのか聞き取れそうにない。紗月は自然と目をつぶっていた。指輪が煌めく。耳に全神経を集中させる。すると、雑音の中、かすかに二人の会話の輪郭が聞こえてくる。慌てている狐憑きの先輩の声と、冷静な、でも少し怒っているようにも感じるドーン先輩の声。

「ほんとにこの体育祭が終わったらやるのか?」

「ああそうだ。さっきもそう言っただろ。だいたいこんなとこで聞いてくんじゃねえよ」

「でも昨日集会したばっかだぞ? 本当なのか?」

「思いがけず使うチャンスが巡ってきたらしい。例のあの、三条の〝アレ〟だ」

「じゃあいつ実行するんだ?」

「それは知らん。だが集会はやる。最終確認だ」

「鍵は?」

「持ってる」

「……わかった」

「わかったなら早く戻れ。試合、頑張れよ」

 狐憑きの先輩が離れる。気づかれないように、しばらくしてから紗月もその場を離れる。

 スタンドの出入り口には、まだ一ノ谷がいた。

「おい紗月! 刀に魔法をかけたな! 俺を馬鹿にしやがって!」

 触れない刀を必死に触ろうとしている。へっぴり腰で踏ん張っている。ちょっと面白い。

「一ノ谷ありがと!」

 ブレザーを返す。そのまま村雨を掴んで走り去る。軽々と刀を掴んだ紗月に、一ノ谷がまたもや唖然とする。紗月は走る。走る。早くさっきの話を楓に伝えたい。

「紗月……貴様というやつは……吾輩をダシに……」

 村雨が怒っている。紗月は今朝のことがあったので、ちょっとせいせいした。

 

「やばいやばいやばいやばい!」

 大急ぎで楓のもとに駆けもどる。校庭は相変わらず歓声で賑わっている。

「えっ? どうしたの紗月?」

 走って帰ってきたので、息が切れる。

「今っ! ちょっと、そこで、聞いちゃった、たまたま」

「えっと、なにが?」

 楓が頭を傾げる。

 「集会! 文芸部の! 体育祭が終わってからやるって言ってた」

 楓の表情が途端に真剣になる。

「でも、昨日もあったのに……」

「最終確認って言ってた。きっともう近いんだよ。実行の日——」

 紗月も楓も、息を呑む。

「だけど結局尾行はできないし、どこで集会してるのかさえわからないんじゃ……」

 楓がため息混じりにうつむく。たしかにそうだ。紗月もうつむく。

「なんか良い方法ないかな、楓?」

 こういうときに一番頭が働きそうなのは、楓なのだ。

「うーん。紗月は、なにか気づいたこととかない?」

「気づいたこと……。あっ、昨日の夜、京子ちゃんと話したの。京子ちゃんが前に話してた家族の話を思い出してね——。京子ちゃんのお父さん、鎌倉で工場を経営してたらしいんだけど、鎌倉大火災で工場が閉鎖になっちゃったらしいの。それで、お兄さんもいるみたいなこと言ってたから、そのお兄さんって、文芸部にいる狐憑きの先輩のことかなって思ったんだけど——」

「うん、うん! すごいよ紗月! 名推理じゃない!」

 楓が興奮している。

「——でもね、違うみたい」

「えっ?」

「原口金属って知ってる? って聞いたけど、知らないって言われちゃった。だからたぶん違う工場のことなんだよ」

「原口金属……。そっか、あの廃工場の看板にそう書いてあったもんね」

 楓は考え事をしているようだった。ブレザーの内ポケットからペンとメモ帳を取り出す。なにかを書きながら考えているみたいだ。紗月はそれをぼうっと見ていた。ブレザーの内ポケットにペンとメモ帳、用意してるんだ。意識高いな。

「やっぱり、そうだ!」

 楓が顔を上げる。

「なんかわかったの?」

「合ってたんだよ! 紗月の考え!」

「ええっ? でも——」

「京子ちゃんの苗字、覚えてるよね?」

「うん。源田。源田京子でしょ?」

「そう。あそこの工場は、〝源田金属〟だったのよ!」

「えっ? どういう意味?」

 こういうとき、紗月は頭がにぶい。自分の頭の悪さに嫌気がさす。

「あの〝原口金属〟の看板、そうとう古ぼけてたでしょ?」

「うん」

「〝源田〟の文字がかすれて、〝原口〟に見えてたのよ!」

 楓がメモ帳に漢字を書く。源田と原口。うわあ。天才だ。楓は天才だ。すごい。天才だ。

「天才だよ楓!」

 紗月と楓は同時に立ち上がった。

「京子ちゃんのところに行こう!」

 

          *

 

「京子?」

 スタンド席をいくら探しても京子ちゃんが見つからないので、京子ちゃんと仲の良いメグちゃんに聞いてみた。メグちゃんはすぐ見つけられた。「クリス様世界一愛してる」と書かれたうちわと「白石様世界一愛してる」と書かれたうちわを高々と掲げてたから。うちわとうちわが矛盾し合ってるよ、メグちゃん。

「京子は今日休みだよ? 紗月ちゃん気づかなかった?」

 予想外の答えが返ってきた。

「そうだったの?」

 紗月は朝のことを思い出す。バタバタしてて気づかなかった。

「どうしよう紗月?」

「行こう」

「えっ今から? 体育祭やってるんだよ?」

「大丈夫。ビクトールが私たちの分まで応援してくれるよ」

「でも……」

 こういうとき、楓は頭が硬い。きっと楓の頭が良いからだ。

 紗月は楓の手を取って走りだす。

「ちょっと紗月?」

「善は急げだよ!」

 二人は特設スタンドを抜け、校庭から離れ、校門をくぐる。学校を抜け出した。

「ああ……私たち……体育祭中に学校を抜け出してる……」

 楓は良心と戦ってるみたいだ。紗月はニヤッと笑う。

「ハラハラしちゃうね」

「——なんか、エレナにちょっと似てきたね。紗月」

 楓が微笑む。

「そうかな?」

 びっくりした。考えたことなかった。でもたしかに、そうなのかも。

「うん、そうかもね」

 紗月はニコッと笑った。

 

 公園に着く。木の前で、お昼の食べ残しのおにぎりを取り出す。穴が開く。おにぎりを転がし入れて、紗月たちも中に入る。学生寮。まっすぐに居室を目指す。

「京子ちゃん!」

 居室に入る。京子ちゃんはベッドで本を読んでいた。いきなり入ってきた二人にびっくりする。

「なに?」

「いきなりごめん! 体調は大丈夫?」

「ああ、仮病だよ」

「えっ」

 楓がショックを受ける。紗月は、薄々気づいていた。なんとなくだけど。

「だってなんで応援しなきゃいけないの? 面倒くさいよ。出るわけでもないし」

「いやでもそれは——」

「京子ちゃん! 話があって来たの」

 話がややこしくなりそうなので、反論しようとする楓に割って入った。

「話?」

「楓ちゃんの家の工場の名前って、〝源田金属〟だった?」

「……そうだけど」

 紗月と楓は顔を見合わせた。やった。やっぱり合っていた。

「あのさ、たしか工場は二つあったって前言ってたよね?」

「——うん」

 京子ちゃんはイライラしてる。伝わってくる。紗月はちょっとたじろく。代わりに、楓が質問をぶつける。

「その二つの工場の場所、教えてくれない?」

「いやだ」

 固まる。京子ちゃんは本を閉じて紗月たちを睨みつける。

「だいたいいきなり来てなに? こっちはあの工場のことなんか思い出したくもないの! もう出ていってよ!」

 京子ちゃんが声を荒げた。こんなに感情をむき出しにした京子ちゃんを見たことがなかった。紗月は思わず一歩下がる。でも楓は、一歩前に出た。

「京子ちゃん、ごめんなさい」

 楓が深く頭を下げた。紗月は驚く。京子ちゃんは顔をしかめる。

「私、京子ちゃんの家庭になにがあったのかわからない。でも、どうしてもその工場の場所を知りたいの。そうすれば、大切な人を助けられるかもしれないから。失礼なのはわかってる。でもどうか、教えてください」

 紗月は固まったまま動けなかった。楓の実直な心に胸を打たれて、立ちすくんでいた。

「……なんで」

 京子ちゃんが口を開く。

「なんで、楓はそんなに頑張れるの?」

 意外な言葉だった。

「えっ?」

 楓が頭を上げる。京子ちゃんはうつむく。

「〝憑人〟なのに。楓も、〝憑人〟なのに。なんでそんなに人生頑張れるの?」

 うつむいたまま、言葉を吐きだす。

「嫌な思いだってしてきたでしょ? 魔法だって下手くそじゃん! なのに、なんでそんなに……頑張れるのよ」

 ぽつりと、本に涙が落ちた。京子ちゃんは、泣いていた。

「——もう言い訳にしたくないから」

 楓の声には、迷いがなかった。まっすぐだった。

「頑張れるだけ、頑張りたい。それでも無理なことだってあるけど。でも、頑張りたい。頑張ってるほうが、楽しいよ」

 楓は微笑んだ。京子ちゃんは、それ以上なにも言わなかった。

 

「これ、地図」

 しばらくすると、京子ちゃんは簡単な地図を描いて渡してくれた。

「ありがとう京子ちゃん!」

 京子ちゃんにお礼を言って、紗月が居室から出る。

「楓」

 紗月に続いて居室から出ようとした楓を、京子ちゃんが呼び止めた。

「うん?」

 楓が振り返る。

「……ありがと」

「ううん」

「楓、変わったね」

「そうかな?」

「紗月たちとよく話すようになってから、変わったよ」

「……うん、そうかもね」

 楓はニコッと笑った。

 

          *

 

「ここだ! 二つ目の工場」

 紗月と楓は誰もいないラウンジスペースを貸し切って地図を広げていた。

「ここで集会してる可能性はかなり高いと思う」

 紗月も同じ意見だった。むしろここじゃなかったらお手上げだ。

「よし、じゃあここで待ち伏せして——」

「どうやって話聞くの?」

「あっ」

 しまった。そのことについては、なにも考えてなかった。

「三条先輩は集会をする前に建物全体に感知結界を張ってたよね。あれがあるから、こっそり近づいてもバレちゃうよ」

「……いっそ、中で隠れる!」

「バレると思うよ。たぶん三条先輩の感知結界は、結界の中の人の動きも感知できるはずだから」

「そうだ! 外から頑張って盗み聞きする! 私こう見えても盗み聞きの魔法は得意みたいだから」

 紗月は胸を張る。その魔法の力でさっきも文芸部の集会があることを突きとめたのだ。

「でも、地図を見てみて。この工場、周りがかなりひらけてる。文芸部の人たちに見つからないような場所から盗み聞きしようとしたら、いくらなんでも遠くなりすぎるんじゃない?」

 胸を引っ込める。自信が急にしぼみだす。たしかにさっきも、ギリギリまで近づいてやっとだった。

「うーん。いっそ盗み聞きはあきらめて、待ち伏せして説得する!」

「説得は何度もしようとしたでしょ。たぶん待ち伏せしても一瞬で逃げられちゃうよ」

 正論だ。紗月たちは、めちゃくちゃ避けられている。楓が否定ばっかりしてくるので、紗月はだんだんイライラしてきた。そのときだった。

「なにしてるニャ」

 振り返る。シャロンだった。

「おい紗月。お前いつになったら〝ごちそう〟くれるんだニャ。まだまともなのもらってないニャ」

「あっ!」

 楓が立ち上がる。

「シャロン! お願いがあるんだけど……」

「なんだニャ」

「盗み聞き……してきてくれない?」

 紗月はびっくりして楓を見た。

「えっ? シャロンに?」

「うん。あの結界は、小さな生き物までは感知できないはずだから。シャロンだったら、盗み聞きできると思う!」

「楓すごい! やっぱ天才だよ!」

 イライラしてごめんなさい、と心の中で謝っておく。

「どういうことニャ。一から説明するニャ」

 紗月と楓は、シャロンに事情を説明した。

 

「ははん。まあ、盗み聞きしてやらないこともないニャ」

「ほんと? じゃあ——」

「その代わり! 報酬をよこすニャ」

 シャロンの口角が上がった気がした。

「報酬……。う、うん。もちろんだよ! どんなのがいい?」

 今月のお小遣い、ほとんど残ってないけど。シャロンが目を細める。

「〝金のパン〟ニャ」

「〝金のパン〟?」

 紗月は考える。〝金のパン〟って、あの、購買で売ってるらしい幻のパン? 絶対無理だ。手に入るわけない。見たことないし。というか、猫ってパン食べるの? 

「いやいや、〝金のパン〟はさすがに——」

「わかったよシャロン」

 楓だった。

「約束だよ。私たちは〝金のパン〟を調達するから、シャロンは盗み聞きお願いね」

「契約成立ニャ。ニャー! 今夜は〝ごちそう〟ニャー!」

 シャロンの尻尾がピンと立つ。そのまま小走りで、ラウンジスペースの隅のほう、壁がひび割れてできた小さな穴の中に入っていった。

「あれ? どっか行っちゃったよ?」

「大丈夫。あの穴、外に通じてるらしいの。だからもう、教えた工場に向かったんだと思う」

「へぇー」

 紗月は小さな穴を覗く。ここから外に繋がってるなんて。

「それにしても楓すごいなぁ」

「えっ?」

「今のだってシャロンと喋れなかったら絶対無理だったじゃん。楓の起源魔法って本当にすごいよ!」

 楓の頬がサッと赤くなる。

「それに機転がきいてうらやましいよ。さっきのあれ、とっさに言った出まかせでしょ? だって〝金のパン〟なんてまず買えないもんね」

「ううん、違うよ」

 紗月は驚いて楓を見た。えっ。違うの?

「そもそもシャロンは頭良いから、〝金のパン〟渡さないと情報教えてくれないよ」

 なんてずる賢い猫なんだ。

「じゃあどうするの? だってシャロンに——」

「たぶん大丈夫だよ。〝金のパン〟のことは、私に考えがあるから」

 楓にはなにか秘策があるみたいだった。紗月は考えるのをやめた。楓がたぶん大丈夫って言うなら、それはたぶん大丈夫だ。楓を信じる。

「ああーっ!」

 突然、楓がラウンジスペースにかかっている時計を見て絶叫した。楓の顔がみるみる青くなる。

「どうしたの?」

「時間のことすっかり忘れてた! もう間に合わない……このあと体育祭実行委員の仕事があるのに……」

 楓がその場にへたれこむ。今にも泣きだしそうだ。

「大丈夫!」

 楓が見上げる。紗月は微笑む。

 今日は散々楓に助けてもらった。今度は私の番だ。正確には村雨の。村雨にまたがる。魔力を込める。

「村雨お願い!」

 沈黙。うんともすんとも言わない。怒ってる。村雨、さっきのことまだ怒ってる。

「……村雨様。先ほどはすみませんでした。お願いします」

「仕方がない」

 刀が浮き上がる。「うわあっ」と声を漏らす楓。

「楓は刀握れないと思うから、えーと、紐! 紐掴んで!」

 さっきくくりつけ直しておいた紐を、楓が掴む。次の瞬間。風のようにラウンジスペースを駆け抜ける。開けっぱなしの玄関から飛び出して、そのまま穴を抜けて空へ。高く。高く。一直線に学校を目指す。

「きゃあああ!」

 絶叫する楓。紗月はハッとした。そういえばこれ、〝通学路破り〟じゃないのかな。またなにか楓が言ってくるかもと思ったけど、楓はそれどころじゃなさそうだ。目をつぶってひたすら叫んでる。

 夕日が空の二人を照らす。

 刀にまたがるオレンジ色の紗月。そこにぶら下がるオレンジ色の楓。

 絶叫が鎌倉市に響きわたる。

 

          *

 

 二人はあっという間に学校に到着した。

「え、えっと、あ、ありがとう、紗月。そ、それ、じゃあ」

 楓はハアハア息を切らしながらなんとか言い終えると、そのままよろよろと走っていってしまった。紗月は一人で特設スタンドに戻る。戻った途端、大歓声。校庭を見る。体育祭の最後の種目、サッカーが行われるところだった。仁組対讃組。紺色のユニフォームと、えんじ色のユニフォーム。エレナだ! エレナがいる。紗月も胸がドキドキしてくる。空いてる席に座る。

 ピィーッ。笛の音がなる。試合が始まる。

「さあ始まりました! 仁組対讃組!」

「楓?」

 びっくりした。実況の声は、紛れもなく楓だった。体育祭実行委員の仕事って、サッカーの実況解説ってこと?

「まず主導権を握ったのは讃組! 讃組です!」

 ボールがえんじ色の人たちの間で高速に移動している。速い。すごいのが紗月にもわかる。

「おおーっと! ここでボールは讃組エレナ選手へ!」

 エレナがボールを持った! すごい! チーターみたいに速い! 

「敵のディフェンスをものともしない! 凄まじいドリブルだーッ!」

 というか楓のキャラ、変わってるような。

「あっという間にゴール前だーッ!」

 エレナの指輪が光った気がした。強烈なシュート。その瞬間、ボールが燃え上がる。炎を纏ったボールが、ゴールの隅をめがけて突き進む。キーパーもジャンプ。片手でボールを弾こうとする。紗月はダメだと思った。ボールの先には手。キーパーに弾かれちゃう。でも違った。炎を纏ったボールが、逆にキーパーを弾き返してそのままゴールに突き刺さる。

「ゴーーールゥゥゥ!」

 讃組から地響きのような大歓声。紗月も気づかぬうちに叫んでいた。

「すごーい! エレナーッ!」

 

 それからも一方的な試合展開で、讃組が四対一で勝利した。

「やったよ! やったよ紗月!」

 応援団のビクトールが駆け寄ってくる。今日一日応援し続けているビクトールは、喉がカッスカスだ。

「すごいすごい!」

 肩を掴んで一緒に飛び跳ねる。応援してるチームが勝つと、こんなに嬉しい気持ちになるんだ。知らなかった。スポーツっておもしろい。

「次は壱組対仁組の試合で時間があるから、エレナに会いに行こう! 体育館で休憩してるって!」

 エレナに会いたい。とにかく会いたい。この感動と興奮が冷めないまま、紗月とビクトールは急いで体育館に向かった。

「エレナ! すごかったよ!」

 エレナは体育館前で水を飲んでいた。

「わあビクトール! 紗月!」

「もうほんと、かっこよかったよエレナ!」

 紗月が興奮しながら訴える。エレナは照れくさそうだ。

「二人とも、ありがと」

 エレナが微笑む。紗月はさらに激励する。

「次の試合も頑張ってね!」

「うん!」

「——エレナ!」

 後ろから男の人の声が聞こえる。振り返る。壱組の生徒だった。

「おー蒼じゃん」

 蒼くん。栗色のユニフォーム。夏に花火大会でちょっと喋った、壱組の蒼くんだ。

「負けないからな」

「まずは仁組に勝ってからいいなよ」

 エレナが笑う。蒼くんも笑う。なんか、〝良きライバル〟って感じだ。

「紗月はどっち応援するのー?」

 エレナがなぜか目を細める。

「え? そりゃ讃組だよ」

「ふふん」

 なぜがエレナが蒼くんに勝ち誇った顔をする。蒼くんの顔が真っ赤になる。

「絶対倒す!」

 そのまま走って校庭に行ってしまった。

「ところで楓って実況やってた?」

 エレナが二人に聞く。

「なんか試合中に聞き覚えのある声が実況から聞こえたんだけど、でもなんかめちゃくちゃハイテンションだし。楓じゃないよね?」

 笑った。ビクトールも笑った。

「さあ始まりましたァー壱組対仁組!」

 楓の実況が始まった。紗月とビクトールは吹き出した。

 

          *

 

 壱組対仁組は三対一で壱組の勝利だった。よって次の試合、壱組対讃組に勝ったほうが、サッカーの優勝組だ。ちなみに総合優勝はぶっちぎりの点数で壱組が確定している。最下位もぶっちぎりの点数で確定していた。讃組だ。よってこのサッカーの勝敗は総合優勝となんの関係もない。でも、会場のボルテージは最高潮に達していた。讃組もこうなったらヤケクソだった。サッカーだけは優勝したい。その意地が熱気となって、讃組全体を包み込む。

 辺りはすっかり暗くなっていた。照明が校庭を照らす。そこに現れる、二色のユニフォーム。栗色とえんじ色。選手が入場する。もう始まる——。紗月の胸も、ドキドキする。

 ピィーッ。

「始まりましたァ体育祭最後の試合! 壱組対讃組ィ! これに勝った組がサッカーの優勝組となります!」

 試合が始まった。今日一番の大声援。紗月も最初から叫んで応援する。ボールは讃組からのスタートだった。

「讃組が攻める! パス! パス! パス! 凄まじい連携でボールが渡っていきます! おおっとォ——」

 それは蒼くんだった。ボールを持った讃組の選手の前に立ちはだかる。指輪が光る。一瞬の出来事だった。消えた? 違う。目の前の蒼くんが瞬間移動したみたいに、いつの間にか讃組の選手を抜き去っていた。ボールを盗んで。壱組が沸く。

「ウオオオーッ!」

「あっ……取ったァーッ! 壱組の四元選手、ボールを軽やかに盗みだしました!」

 今、あっ……って言ったよね、楓。絶対ちょっとがっかりしたよね。

「今度は壱組の猛攻だーッ! 止まらない! 止まらない四元選手! 流石は讃組のあのエレナ選手と並んでサッカー部の『天才ルーキー』と称されるだけあります!」

 しれっとエレナも褒めたよね、楓。かわいい。

 蒼くんはすごい変わった動きをした。全力で走ったかと思えば、急停止。予想のつかない動きで、讃組の選手を翻弄する。紗月はサッカーのことはよくわからないけど、明らかに蒼くんは天才だった。

「おおっと四元選手、ここでパス! その先にいるのは、壱組の源田選手だーッ!」

 京子ちゃんのお兄ちゃんだ。そして、文芸部の先輩。源田選手がボールを空に弾いた。高く上がっていくボール。指輪が煌めく。源田先輩が後ろ向きでジャンプ。魔法の力で高く浮かび上がる。

「源田選手! オーバーヘッドシュートッ!」

 空中で体を回転させ、頭上のボールに強烈なキック。彗星みたいなシュートが、讃組のゴールに襲いかかる。

「ゴーーールゥゥ! 先制! 先制したのは壱組です!」

 壱組の大歓声が響き渡る。讃組も負けられない。大応援で立ち向かう。応援団はすでにほとんどみんな声がカッスカスだった。それでもそのカッスカスの声を震わせて叫ぶ。紗月も叫ぶ。

「頑張れーっ!」

「おおっとーッ! 讃組! チャンスだーッ!」

 凄まじいパスの嵐。いつの間にかボールはゴール前のエレナの元へ。紗月は叫ぶ。

「エレナ行けーっ!」

 呼応するように指輪が煌めく。シュート。鋭く弾き出されたボールを炎が包み込む。仁組との試合で見たあのシュートだ。壱組のゴール前には——結界? キーパーがゴール前に大きな平面の物理結界を張っている。まるで壁だ。そんなのずるじゃん。入りっこないよ。紗月が絶望した瞬間、エレナの炎を纏ったボールが、結界にぶち当たる。亀裂。次の瞬間、崩れる結界。火の球がゴールに突き刺さる——。

「ゴーーールゥゥ! 同点! 同点だーッ!」

 割れんばかりの大歓声。気づかぬうちに紗月は立ち上がっていた。

「わあーっ!」

 すごい。エレナすごい。頑張れエレナ!

 

 試合は前半が終わり、後半になっても一進一退の攻防が続いた。壱組と讃組の応援も、どちらも譲らず互角に響き渡った。

 二対二で迎えた終盤。残り五分。

「ボールを持ったのは四元選手だーッ!」

 蒼くんが、不規則な動きでまた翻弄する。隙をついてパス。

「ボールを持ったのは源田選手だァーッ!」

 壱組が沸きあがる。絶体絶命。そのまま源田先輩はボールを上へ弾く。さっきと同じ、彗星シュートをするつもりだ。讃組からは悲鳴の嵐。紗月は力いっぱい叫ぶ。

「キーパー頑張れーッ!」

「源田選手の強烈なオーバーヘッドシュート!」

 彗星みたいなシュートがまたしてもゴールに襲いかかる。紗月は思わず目をつぶる。怖くてみていられなかった。大歓声が巻き起こる。この歓声は……周りから?

 目を開ける。讃組のゴールキーパーが、ボールをキャッチしていた。

「ゴールキーパーこれを阻止! あの強烈なシュートを阻止しましたァァ! 讃組、反撃開始だァァーッ!」

 応援団が最後の力を振り絞り、大声援を送る。紗月も一緒に大声で応援する。讃組得意の嵐のようなパスの応酬おうしゅうで、ボールはどんどん前へ。

「ボールを持ったのは、エレナ選手だァーーッ!」

 紗月の声もとっくに枯れていた。それでも大きな声で叫ぶ。

「エレナーッ! 頑張れーッ!」

 指輪が光る。時間的に、これが最後の攻撃だ。振り上げる足。あの炎のシュートが来る。その瞬間、エレナの前に誰かが現れる。蒼くんだった。蒼くんはあの強烈なシュートを体で受け止めるつもりだ。完全にシュートのコースを防がれている。嫌だ。エレナ! 負けないで!

「エレナ選手! シュ——」

 エレナのキックがボールに当たる。蒼くんの全身に力が入る。その瞬間。その瞬間を見逃さなかった。シュートしない。フェイント。蒼くんの足の間にボールを転がす。光らせた指輪の力で、目にも止まらぬスピードで蒼くんを抜き去る。

「フェ……フェイントです! エレナ選手! 四元選手を抜き去ったーッ!」

 エレナの指輪がまた光る。シュート。炎に包まれたボールが、ゴールに突き刺さる。

「ゴールゥゥ! ゴールです! 讃組やりました! 三対二だァァーッ!」

 讃組のスタンドから割れんばかりの大歓声。大歓声。大歓声が止まらない。叫んでる子。泣いてる子。喜んでる子。

 ピィーッ。

 試合終了の笛が鳴った。三対二で讃組の勝利。讃組のスタンドはお祭り騒ぎだった。優勝した。讃組が優勝した。紗月の胸は震えていた。讃組が優勝したんだ!

 

          *

 

 讃組が優勝した。サッカーは。

 総合得点は、ぶっちぎりで讃組が最下位だった。閉会式で、またもや優勝旗が壱組に渡される。だが、もはやそんなことは讃組の誰も気にしていないようだった。トリを飾るあの〝サッカー〟で、讃組は一位になったのだ。あの壱組を倒したのだ。

 

「エレナ! ほんとにすごかった! おめでとう!」

 体育祭が終わって寮への帰り道。いつもの四人で歩いていた。なぜか楓が急かすので、他のクラスメイトよりひと足先に寮へ向かう。

「ふふん、勝ちました」

 エレナがわざとらしく胸を張る。

「私実況しながら何度も泣きそうになっちゃったよ。エレナに感動しちゃって」

 そういいながら楓は泣いている。閉会式あたりから。

「ぼぉーぼんどにずごがっだお。おべでどお! エベナ!」

「なんて?」

 ビクトールは朝から応援しっぱなしで声が枯れすぎて、なに言ってるのかよくわからなかった。自分の喉に手を当てて、ビクトールが呟く。

「癒えどぉ」

 ビクトールのエメラルドの指輪が光る。

「あ。あー。よし。いやあほんとにすごかったよエレナ!」

 まだちょっと枯れているけど、だいぶ喉が治ったみたいだ。治癒魔法ってすごい。

「ビクトールまた上達した? そんなに治るなんてすごいよ!」

 楓が驚く。ビクトールが照れる。

「楓だって結界魔法すごいじゃん。最近なんて——」

「あのー。もうあたし褒めるの終わりですかー?」

 エレナが不満そうに手を挙げる。みんなで笑った。

 

          *

 

「うわあああ!」

 寮は前夜祭よりも豪華だった。ラウンジスペースには料理やお菓子がこれでもかと並べられている。横断幕には「サッカー優勝おめでとう!」の言葉。もはや今日やってたのは体育祭じゃなくてサッカー大会だったみたいな書き方だ。紗月たちは早めに着いたので、まだ生徒はほとんどいない。テーブルの上の料理が、ほぼ手をつけられていないまま、輝いていた。

「うわぁ美味しそう……。僕、こんなに豪華な後夜祭初めてだよ」

 ビクトールが感動している。そういえば、いつも前夜祭が一番豪華だって言ってたっけ。

「エレナ、ビクトール、よく聞いて」

 楓が真面目な顔で二人に向き合う。そして、さっき紗月と楓が経験したことを二人に説明した。文芸部の集会が今日もあることを突き止めたこと。二つ目の工場のこと。シャロンが盗み聞きしに行っていること。

「いやぁマジか。そんなことがあったの? あたしも混ぜてよ!」

 いや、エレナは練習しててよ。

「それでね、シャロンに報酬の〝ごちそう〟を約束したんだけど、それがあの〝金のパン〟なの」

 エレナとビクトールの顔に衝撃が走る。

「幻のパンじゃん! 僕でも食べたことどころか見たこともないよ!」

「てか猫ってパン食べるの?」

 エレナが自分と全く同じことを考えていて紗月は笑った。

「とにかく! 〝金のパン〟を調達しないといけないの」

「そんなの絶対無理だよ。そもそも、購買がこの時間もうやってないし」

 ビクトールが正論を言った。

「ところが——」

 楓が不敵な笑みを浮かべる。なにかを企んでる顔だ。

「幻の〝金のパン〟。作ってるのは讃組の寮母のおばあちゃんなの」

「ええっ?」

 三人が顔を揃えてびっくりする。

「というか購買は、各組の寮母さんが製造を手伝ってるの。たまに販売も手伝ってる」

 そういえば一回、購買で寮母のおばあちゃんを見かけたことがある。

「つまりね、寮母のおばあちゃんは〝金のパン〟を作れるんだよ。しかも去年の前夜祭。私、たしかに見た。ラウンジスペースに並ぶ料理の中に、〝金のパン〟があるのを。すぐに、見つけた先輩に食べられちゃったけどね」

 三人が胸を揃えてドキドキする。それってつまり——。

「今日はサッカー部の快挙のおかげで、前夜祭より豪華。ということは——」

 三人が口を揃えて言う。

「ここにある!」

 ガチャン。

 そのときだった。普通に歩いていた讃組の生徒たちが続々と帰ってきた。雪崩のように。

「まずい! それぞれ散ってテーブルから〝金のパン〟を探して! 作戦開始!」

「ラジャー!」

 楓は左に、エレナは右に、ビクトールは奥に、それぞれ走る。紗月も探そうとしたが、大切なことに気づく。

「楓? でも私、実物みたことないよ!」

「大丈夫! 見たらわかるから!」

 そう言って楓は走っていってしまった。仕方なく紗月は近くのテーブルを探す。ビュッフェ形式で、あらゆる料理が並べられている。タンドリーチキン。餃子。ステーキ。エビフライ。豪華。前夜祭のときより豪華だ。見渡す限り紗月の好物だった。

 ふと、向こうのテーブルのなにかが目に留まった。なんだろう。光ってる。近づいてよく見てみる。

「ええっ?」

 紗月は仰天した。金色に輝くパンがあった。

「これ……絶対〝金のパン〟じゃん」

 本当に、見たらわかった。

 紗月は光り輝く黄金のパンを手に取ると、急いでブレザーのポケットに隠した。

 

          *

 

「それにしてもすごいよ紗月。ほんとに見つけちゃうなんて」

「なんか紗月ってそういう運いいよね」

 いや、どういう運なの。

「シャロンまだかな……なにかに巻き込まれてないといいけど……」

 さっきまでラウンジスペースは大盛り上がりだった。讃組のサッカー部員はまさにヒーローだった。寮のみんなでサッカー部員を祝福した。七宮先生なんて感極まりながらスピーチをしていた。お祭り騒ぎもだいぶ収まって、ぼちぼち居室に戻る生徒も増えてきた中で、紗月たちはラウンジスペースの隅でシャロンの帰りを待っていた。あまりにも目立つ黄金色のパンを持って。

「これさ……ちょっと食べてもいい?」

 エレナがよだれを垂らしそうな顔でパンを見ている。

「だめだよ」

 楓が諭す。紗月も、実はちょっと食べてみたい。

「でもさ、端っこならバレないんじゃない? 端っこなら」

 エレナが黄金に輝くパンの光に下から照らされて、完全に悪役の顔をしている。

「端っこをチーズにディップして……」

 ビクトールはもっとやばい顔をしていた。いつの間にかビュッフェからチーズフォンデュを持ってきている。用意周到すぎる。完全に〝金のパン〟を食べる気だ。

「まあたしかに……端っこだけなら——」

 紗月も空気に呑まれかけたときだった。

「端っこ食ったら許さないニャ」

 シャロンだった。壁のヒビの穴からひょっこり現れる。

「シャロン!」

 楓がホッとする。シャロンは無事みたいだ。

「よしよし、オマエたちよくやったニャ。交渉成立ニャ」

 シャロンがゴロゴロと喉を鳴らしはじめる。

「シャロンの方はどうだったの?」

「バッチリニャ」

「はい〝金のパン〟! だから聞いたことを教えて!」

 ああ……。楓がシャロンに〝金のパン〟を差し出す。エレナとビクトールを見る。二人とも紗月と同じく「ああ……」と声を漏らした。

「いいだろうニャ。まずリーダーみたいな女が古そうな赤いお面を見せたニャ。ありゃやばいニャ。チラッて見ただけで毛が逆立ったニャ。心配するな、これを安全に使う方法はある。でも私にしか扱えない。だから私が先頭でナンタラカンタラって言ってたニャ」

〝鬼ノ面〟だ。やっぱり三条先輩、持ち出したんだ。

「そのあとこう言ったニャ。〝決行は今夜十二時きっかり〟」

 紗月は壁の時計を見る。時刻は、いつの間にか十一時を回っていた。本当ならとっくに消灯時間だ。前夜祭と後夜祭は特別に十二時まで電気が点いている。

「それで……場所は?」

 楓が顔をシャロンに近づける。

「場所は——」

 シャロンが目を細める。紗月は息を呑む。みんなが耳を澄ませる。

「——言ってなかったニャ」

 え?

「いやいや、えっ?」

「場所は?」

 動揺する四人。

「だから! 言ってなかったニャ! なんか暗号みたいに〝あそこ〟とかばっかり言ってて、場所の詳しい話はしてなかったニャ!」

「おわったー!」

 エレナがソファに沈まる。

「もう決行まで一時間もないんだよ?」

 動揺するビクトール。

「聖地江ノ島の宝物殿、ドワーフの鶴岡大金庫、鎌倉総合魔法学校の特級禁書庫。なにかそれっぽい話してなかった?」

 確認する楓。

「全然してなかったニャ」

 ケロッと言い切るシャロン。

「役目は果たしたニャ! ニャーッ!」

 シャロンは尻尾をフリフリしながら、大興奮で〝金のパン〟をくわえると、そのまま風のようにどこかへ消えていった。

「……こうなったら、三つにわかれて食い止めに行くしかない?」

「ほぼ一人一ヶ所ってこと?」

「私たち四人でも自信ないのに……一人で出くわしたとして、なにができるの?」

 沈黙。重い空気が流れる。ビクトールがわざと明るくふるまう。

「みんなとりあえずこれでも食べない? こういうときこそ食事だよ!」

 さっき〝金のパン〟をディップしようとしたチーズフォンデュをみんなに勧める。食べながら考えればマシなアイデアを思いつくかもしれない。紗月はパンをつまんでチーズにディップした。

「そういえばビクトールのおうちにお邪魔したときもチーズフォンデュだったよね」

「あー! あれ美味しかったなぁ」

 エレナもソーセージにチーズをディップする。

「そういえばあのとき——」

 楓だった。

「——あのとき、ドーン先輩を見かけたよね」

「〝非合法の合鍵屋〟って噂の店から出てきたんだっけ?」

 ビクトールがオニオンフライにチーズをディップする。丸い輪っかのオニオンフライ。それをみながら紗月はなにかを思い出しそうだった。丸い輪っかの……鍵束?

「そうだ! 鍵束! あのときドーン先輩鍵束持ってたよ!」

「——じゃあやっぱり合鍵屋だったんだ」

 楓が独り言のように呟く。なにか考え事をしてるみたいだ。

「あの鍵束、文芸部と関係あるんじゃない?」

 なんとなく、直感だった。

「うーん、でもさぁ、ドーン先輩ってちょっとヤンキーだし、そういう場所にいてもおかしくなさそうじゃない?」

 エレナが三本目のソーセージにチーズをディップする。ちょっとというか、ドーン先輩はがっつりヤンキーだよ、エレナ。

「なんか僕、〝っぽくない〟とは思うな。だって鍵とか関係なく全部ぶち壊しそうじゃん。ドーン先輩」

 ビクトールの言葉に楓がうなずく。

「それだ! なんか引っかかる違和感。〝っぽくない〟の。もし、万が一鍵束が必要だったとしても、わざわざ自分で危ない店まで買いに行かないと思うの。あの人番長なんだから、下っ端に買いに行かせればいいんだよ」

「でもたしかに自分で買いに行ってたよね」

「ドーン先輩がわざわざ自分で買いに行ったのは、〝他の人に任せられなかった〟からじゃないのかな? 例えば、〝三条先輩に頼まれて〟鍵束を買いに行ったとか」

 楓が推理する。なんとなく、しっくりくる。

「たしかにドーン先輩に頼み事できる人なんて、三条先輩くらいしか思いつかないかもなー」

 エレナがうずらの卵をチーズにディップする。サッカーボールみたいに丸い、うずらの卵。いつの間にか、紗月は今日の体育祭のことを考えていた。

「あっ!」

 思い出す。今日体育祭で盗み聞きした、ドーン先輩たちの会話。

「今日盗み聞きしてるときにも話してたよ! 鍵のこと!」

 楓がまとめる。

「てことはやっぱり、鍵束を使ってどこかに侵入しようとしてるのかもしれない。そして三条家の呪具を使って、結界魔法の守りも無理やり通り抜けるつもりなんだよ」

「——だとしたら、鶴岡大金庫はないね」

 ビクトールだった。

「えっなんで?」

「だってドワーフの建築物には、鍵の概念がないから。〝非合法の合鍵屋〟は、地上の建物専門だよ」

 ハッとした。たしかにビクトールの家には、鍵がなかった。夏休みに行ったとき、不思議な方法でドアを開けていたのを覚えている。

「じゃあ学校図書館の特級禁書庫か、江ノ島の宝物殿かの二択だね」

 絶対の根拠があるわけじゃないけれど、紗月たちは、一歩答えに進んだ気がした。

「もうさー二手に分かれて見張るしかないっしょ!」

 エレナが手をポンと叩く。

「たしかに……二つに絞れただけでもかなり大きいよね」

「聖地江ノ島の宝物殿なんて見たこともないし……まあ、それは特級禁書庫もだけど。もう推理のしようがないよね」

 楓がため息まじりに呟いた。紗月は楓の言葉が引っかかった。聖地江ノ島の宝物殿。宝物殿。私、宝物殿を見たことがある。あの日。思えば、全てが始まった日。七宮先生と出会った日。七宮先生はたしかに言ってた。——宝物殿から盗み出そうと忍び込んだのか?——。七宮先生の背後にあった、なにかを祀っていた、祭壇。

「宝物殿じゃない。野晒しだったし、鍵なんて必要なさそうだったもん」

 紗月の言葉に、みんなが不思議がる。楓が紗月に尋ねる。

「どういうこと? まるで見たことあるみたいな——」

「うん。見たことある」

「ええっ?」

 三人は仰天した。紗月はここまで驚かれると思ってなくて、仰天した。そのあとにすぐ思い出した。七宮先生の言葉。聖地江ノ島に入ったことは、言っちゃいけないんだった——。

「えっと、秘密! 秘密だよ! でも、本当に一回見たことあるの。そのとき見た宝物殿——たぶん、宝物殿は、祭壇みたいな感じだったから……」

 しばらく、三人は固まっていた。紗月もなんだか気まずくて、なにも言い出せなかった。そのときだった。ビクトールが沈黙を破った。

「あっ! 時間!」

 十一時五十分になろうとしていた。

「時間ない! 行かなきゃ!」

 みんなが立ち上がる。

「じゃあとにかく行き先は、学校だよね?」

 エレナがみんなに確認する。異論は誰も唱えない。

「ああーっ!」

 楓がなにかに気づいて声を上げた。

「どうしたの?」

「よく考えたら、寮から出掛けられないよ! 出入り口はとっくに施錠されてるから……」

「うわったしかに……」

 すごい根本的な問題だった。紗月も全く考えてなかった。どうしよう。紗月は焦る。楓も焦る。ビクトールも焦る。でもエレナだけは、ひょうひょうとしていた。

「——紗月、覚えてる?」

 エレナがこっちを向いて、にやりと笑った。

「あっ」

 思い出す。エレナと一緒に通った——

「秘密の抜け道!」

 


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