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十八 分かれ道

 紗月は後悔していた。ベッドに転がって、まとまらない考えをぐるぐると巡らせる。今日、やっぱり三条先輩に言うべきだった。やめてと言うべきだった。あるいは、やっぱり言わないべきだったのかもしれない。わからない。三条先輩の言葉が頭から離れない。三条先輩の表情が、頭から離れない。私はどうすれば良かったんだろう。

 お母さん。お母さんのことを考える。紗月が犯罪を犯したら、きっと悲しむ。お母さんを、悲しませたくない。そうだ。悲しませたくない。お父さんとお兄ちゃんになにがあったのかは気になる。でも、お母さんを悲しませるようなことはしたくない。三条先輩だってそうだ。真冬ちゃんになにがあったのか知りたがるのは当然だと思う。三条先輩の気持ちはすごくわかる。でも、ばあやさんはきっと悲しむ。そうだ。きっと悲しむ。

 やっぱり、こんなこと、だめだ。

 紗月はがばっと起き上がる。時計を見ると、すっかり晩ごはんの時間になっていた。

 

 寮の食堂。いつもの四人でテーブルに座る。楓が少し緊張した顔で言う。

「次の文芸部の活動日。明後日の日曜日だって」

 ビクトールがうわっという顔をする。

「ついにきたね……」

 エレナが声を潜める。

「てことはどこに〝ファイル〟が隠されてるかわかったんだ」

「私——」

 怖い。でも、自分の気持ちに正直にいたい。ぎゅっと拳を握る。

「私、止めたい」

 エレナとビクトールと楓の目を見る。握った拳が震える。

「私もこんなやり方、やっぱり良くないと思う。止めよう、紗月」

 紗月の震える拳に、楓が手を添える。

「中庭のときもなんとかなったし、今回もなんとかなるよ!」

 その上に、ビクトールが手を添える。

「私、紗月のそういうとこ、大好きだよ。止めよう!」

 エレナが手を添える。

 

          *

 

「揃ったな」

 前と同じ場所。前と同じ時間。文芸部の集会が始まる。

 三条先輩は今回も結界魔法をかけている。

「基礎魔法学で結界魔法の授業が始まって改めて思うけど、三条先輩の魔法の腕前は抜きん出てるよ」

 紗月の後ろで楓がささやく。

「どういうこと?」

 正直、結界魔法がからっきしなので、凄さがいまいちわからない。

「まずこの建物全体を覆うほどの規模の、立体的な感知結界を張れるのがすごいの。人が入ってきたか識別できるほどの精度なのもすごい。そしてそれを長時間維持できているのもすごい。極めつけは、三条先輩、ルビーなの。サファイアっぽいのにね。名家の出身とか関係なく、純粋に魔法使いとして、超優秀なのよ」

 紗月にもすごさがなんとなくわかった。三条先輩はすごい。すごい才能がある。将来、きっとすごい人になる。私なんかが想像もできないくらいのすごい人。だからこそ、やっぱり止めたい。

 三条先輩の指輪の煌めきが収まる。口を開く。

「単刀直入に言おう。ついに〝ファイル〟の保管場所を突き止めた」

 文芸部の生徒たちが歓声を上げる。拍手が起こる。

「みんなの協力のおかげだ」

 紗月はエレナとビクトールと楓を見る。三人とも、うなずく。胸が緊張で苦しくなる。でも、言うしかない。

「あとは決行のためのタイミングを——」

「三条先輩!」

 紗月は大声で三条先輩の言葉を遮る。三条先輩がこちらに顔を向ける。拍手の手が止む。不穏な空気が流れはじめる。

「紗月、どうした——」

「やっぱりやめましょう! 盗みだすなんて、こんな方法間違ってます!」

 心臓がバクバクと音を立てる。上手く息ができない。でも、話すしかない。

「ならどうする?」

 三条先輩の声は冷たい。

「地道にみんなで訴えていきましょう! みんなで運動とかを起こせば——」

「馬鹿が! そんなもんあったに決まってんだろうが!」

 ドーン先輩が怒鳴る。紗月は恐怖で、動けなくなる。

「なんも変わんなかったんだ! ならもう盗むしかねえだろ!」

 狐憑きの先輩も声を張り上げる。足が震えて動けない。楓が震える声で訴える。

「でも、やっぱり盗むのは違います! まして先輩たちは将来の約束された壱組なんだから——」

「そんな将来に意味はない!」

 三条先輩だった。今まで、こんな顔の三条先輩は見たことがない。敵意をむき出しにした、怒りの、憎しみの顔だった。

「おい、三条。こいつら一回殴らせろ。そうすりゃ調子乗った口もきけなくなるだろ」

 ドーン先輩が一歩前に出る。ビクトールも前に出る。持ってきた大木槌を構える。

「おいおいこのチキン野郎、なんのつもりだ?」

 ドーン先輩がビクトールを嘲笑あざわらう。ビクトールはくじけない。

「吾輩を構えておけ」

 念のために持ってきた村雨がささやく。でも、紗月は村雨を構えない。

「ううん。私、説得したい」

 紗月が震える足で、なんとか一歩前に進む。

「紗月、本気で言っているのか?」

 三条先輩が冷たい声で問いかける。これが最後の分かれ道だと紗月にもわかる。紗月は引かない。

「本気です。やめましょう」

「わかった。なら君たちは〝退部〟だ。もう二度と来るな。帰れ——」

「このまま帰らせるわけねえだろ!」

 狐憑きの先輩が指輪を光らせる。ドーン先輩は大斧を振り上げる——

「逃げろ!」

 エレナが叫ぶ。その指輪から、火花が散る。瞬間、紗月の目の前で爆発が起きた。いや、それは正確には、花火だった——。目の前で飛び散る色とりどりの炎の矢は、夏にみんなで見たあの花火そのものだった。すさまじい音と風圧。煙が巻き起こる。熱くない。きっと、魔法だから。でも、突然の衝撃で体が固まる。煙の中、誰かが紗月の腕を掴んだ。

「早く!」

 エレナだ。固まった体をなんとか動かす。引っ張られるがまま、紗月は出口に向かって走る。煙の中から出る。楓もビクトールも無事だった。出口へ走っている。

「今の花火ってエレナ?」

「そうだよ! 今のうちに逃げよう!」

「すごい! すっごいよ!」

 四人はそのまま一目散に走った。廃工場から抜け出した。

 

          *

 

「とりあえずなんとかはなったけどさ」

 紗月たちは讃組のラウンジスペースにいた。

「結局止められなかったね」

 あれから四人はなんとか逃げ切れた。でもなにも変わっていない。三条先輩たちを止められたわけではない。説得は失敗した。むしろ先輩たちをひどく怒らせてしまった。暗い雰囲気が四人を包む。エレナが、わざと明るい声を出す。場を和ませようとする。

「まあさ、いいんじゃない? 紗月は言うだけ言ったよ! みんなわからず屋だったね。あたしたち退部って言われちゃったし、もう関わんなきゃいいだけの話——」

 エレナがチラッと紗月を見る。紗月はうつむいている。

「——っていうわけにも、いかないか」

 紗月が顔を上げる。泣きだしそうな顔で、エレナを見つめる。

「この前、三条先輩から鎌倉大火災の話を聞いたの。すごく自分を責めてたの。三条先輩ね、鎖でがんじがらめになってるみたいだった。いろんなものを背負いこんで、全部自分のせいにして。自分じゃ、もうどうしようもできなくなってる気がしたの。だからね、私、ほっとけないよ」

 ——夏海お嬢様をどうか、どうかお支えください——。花火大会のときの、ばあやさんの言葉が頭に反響する。

「……うん」

 紗月を支えるように、エレナが答えた。

「よし! こうなりゃなにがなんでも止めよう!」

 エレナが決意を固める。

「でも、どうやって止めるの? 誓約書があるから他の人には頼れないし……」

 楓がみんなに尋ねる。たしかに、その通りだった。頭が痛い。

「そりゃもう、そのときに無理やり止めるしかないっしょ!」

 エレナが考えずに喋る。

「無理やり止めるにしても、決行の日時や場所を知らないとだめだよね。でも、僕たちもう文芸部の集会に参加させてもらえないんじゃない? 学校でも無視されそうだし……」

 ビクトールが困った顔をする。またもやたしかに、その通りだった。さらに頭が痛い。

「隠れて盗み聞き、とか?」

 紗月が思いつきで話す。

「紗月忘れたの? 三条先輩は結界魔法で、盗み聞きの対策をしてたでしょ? それにこんなことがあってからじゃ、次の集会がまたあの廃工場でやるかも怪しいんじゃない?」

 楓が冷静に紗月の意見を切る。さっきからその通りすぎて、とても頭が痛い。

 

 四人はなんの解決策も浮かばないまま、消灯時間がやってきた。紗月はベッドの中でも考える。やっぱりもう一度、三条先輩と話したい。明日、またあのベンチに行ってみよう。

 

          *

 

 翌日。月曜日。昼休み。紗月は中庭へ向かう。中庭のベンチに行けば、三条先輩に会える。三条先輩に会えれば、きっと話し合える。心から話し合えば、三条先輩もわかってくれる。そう信じて、ベンチで待った。三条先輩が来てくれるのを、一人で待った。

 でも、三条先輩は来なかった。

 

 それから来る日も来る日も、紗月は中庭に行った。

 三条先輩はもう二度と現れなかった。

 

          *

 

「やっぱりあれから文芸部の先輩たち、私たちこと避けてるよね……」

 いつもの四人で昼ごはんのカレーをつつく。〝火威吹ビーフカレー〟じゃなくて〝チキンカレー〟なので火は吹かない。そのかわり、食べるたびに鳥肌が立って震える。美味しいけれど。

「生徒会のあとも三条先輩たち、全然取りあってくれない」

 楓が震えながら落ち込む。

「僕も学校や外で会う文芸部の先輩全員に、ことごとく避けられてるよ。あ、ドーン先輩は別だよ。視界に入ったらいっつも逃げてるから」

 ビクトールが震えながらカレーをかきこむ。椅子ごと震えてる。

「ふふん。そんな君たちに朗報だよ」

 エレナが震えながらニヤニヤする。

「エレナ、なんかわかったの?」

 紗月が震えるエレナを見る。紗月も震えているのでエレナの顔のピントが合わない。

「文芸部にリュウジ先輩っているじゃん。ほら、狐憑きの先輩。あの人サッカー部でさ。部活のときに別の先輩と話してる声がたまたま聞こえちゃったんだ。今日の放課後、〝他の部活がある〟って言ってた」

「それってつまり——」

 紗月が震えながら立ち上がる。

「文芸部の集会でしょ!」

 エレナがキメ顔をする。震えながら。

「今日ちょうど、放課後に生徒会の集会がある!」

 楓が思い出したように言った。

「よし、じゃあ生徒会のあとの三条先輩を尾行しよう!」

「いや、三条先輩はまず簡単に尾けさせてもらえないと思う」

「うーん、たしかに」

 警戒心の強い三条先輩なら、紗月たちの尾行なんてすぐ気づきそうだ。

「——だからもう一人の生徒会、兎田先輩を尾行しよう」

 それは紗月たちが文芸部に入るきっかけになった、最初に尾行した生徒会の先輩の名前だった。

「たしかに、兎田先輩なら、いける気がする」

 エレナが腕を組んでうなずく。震えもおさまってきて紗月はちょっと冷静になる。なんか私たち、悪役みたいな会話してるな。楓が水を得た魚のように計画を立てはじめる。

「私は生徒会が終わり次第、こっそり兎田先輩を尾けるね。紗月たちは初等部高学年の昇降口近くの茂みに隠れて待機。中庭で合流しよう。題して〝兎田先輩尾行大作戦〟!」

「ラジャー!」

 三人が声を揃える。こうして、兎田先輩尾行大作戦が始まった。

 

          *

 

 終礼の時間、いきなり七宮先生がえんじ色のはちまきを巻いた。

「明日は! 待ちに待った体育祭です!」

 すさまじい謎の気合いを感じる。

「今年こそは……! 今年こそは讃組が! 優勝を掴み取りましょう!」

 拳を突き上げる七宮先生。静まり返る教室。紗月は周りを見渡す。私だけじゃない。みんな若干、七宮先生に引いている。ここ最近、七宮先生の様子がおかしい気がしたけど、今日の様子のおかしさは一段階上だ。それにしても、すっかり忘れてた。体育祭ってもう明日なんだ。

「改めて説明すると、各運動部の部員が組ごとに三つに分かれて、そのスポーツで勝敗を争います! 運動部に所属していない生徒、試合に出ない生徒は応援に徹します! 私たちは初等部ですから、みなさんほとんど応援に回ると思います! 明日は制服で八時に集合! 部活の試合や練習に参加する方はジャージなども忘れずに! みなさん! 明日は先輩を精一杯応援しましょう!」

「う、うおー!」

 七宮先生の熱に当てられて、なんとなく讃組の生徒が団結する。でも紗月はそれどころではなかった。兎田先輩。このあとの兎田先輩尾行大作戦のことで頭がいっぱいだ。

 ふと、黒板の上に貼ってある讃組の級訓に目が行った。〝困難に立ち向かうことで、人はより成長する〟と達筆な字で書かれている。その級訓を眺めていると、どんどん勇気が湧いてきた。尾行、頑張るぞ。

「ではまた明日!」

 終礼が終わる。教室を出る。西日が差し込む廊下を、四人で歩く。

「讃組って十年連続最下位なんだ」

 ビクトールが気まずそうに言った。

「えっ? そうなの?」

 よわっ。讃組、弱すぎる。

「毎年体育祭の時期になると、七宮先生あんな感じになるよね」

 エレナが笑う。ビクトールと楓は苦笑いしている。

「——じゃあ私、生徒会室行くからこっち。作戦覚えてる?」

 立ち止まって楓が三人に聞く。三人揃って親指を立てる。ばっちりだ。

「よし、作戦開始!」

「ラジャー!」

 

 楓に言われた通り、紗月たちは中庭の茂みに隠れて待った。ビクトールが思い出したようにエレナに尋ねる。

「そういえばエレナ、今年の体育祭のサッカー、讃組代表で出るんだよね?」

「うん」

「ええっ?」

 紗月はびっくりした。さっき七宮先生が言ってたみたいに、試合にはほとんど高等部——あとは中等部——の生徒たちが出るはずだ。初等部の五年生がそこに加わるなんて。エレナ、すごい。

「私、応援するね!」

「ありがと、紗月」

 エレナが照れくさそうに目を逸らす。

「でもそれのせいでマジしんどいよ最近。讃組の先輩は気合いやばいし。練習量えぐいし。なんか部活内にピリピリした空気流れてるし。はぁ」

 エレナが遠くを見ながらため息をつく。なにかが目に止まる。

「あ。あれ、兎田先輩じゃない?」

 エレナが指差す。兎田先輩が昇降口から出てきた。少し遅れて楓も出てくる。楓と目が合う。無言でうなずき合う。

「よし、楓と合流しよう」

 

「今日の生徒会も、やっぱり三条先輩たち、目も合わせてくれなかったよ」

 楓がため息をつく。前方には兎田先輩。みんなで慎重に尾行する。

「やっぱり無理やり尾けるしかないね」

「でも、よく考えたらさ、尾行しても結局三条先輩が結界張っちゃうんじゃないの?」

 ビクトールが心配そうに尋ねる。

「たぶんね。でも、どこで集会が行われるかはわかるし、なにもしないよりはずっと良いと思う。他にできることも思いつかないし……」

 楓がまた、ため息をつく。たしかにそう。なにもしないよりマシだ。三条先輩が結界をかけ忘れることだってあるわけだし。うん。たぶん。

 兎田先輩はぐんぐん歩いていく。たぶん尾行には気づいてない。

「こっちは廃工場の方向じゃないね」

「やっぱり新しい場所で集会するんだ!」

 ビクトールは少し興奮気味だ。なんだか、四人で探偵してるみたいな気分になってきた。エレナもノリノリだ。正直、ちょっと楽しい。

「あれ……この道……」

 楓だけが不安そうな顔をしていた。そして、ついに兎田先輩が立ち止まる。

 そこは小さな池の前だった。

「やっぱりそうだ——」

 楓がハッとして口をおさえる。

 兎田先輩が池の近くの岩にいる亀をなでる。その亀をガシッと両手でつかむ。次の瞬間、兎田先輩が亀を持ったまま、池に飛び込んで消えた。

「えっなに今の?」

 エレナが驚く。ビクトールも、紗月も驚く。ほんとに、なに今の。

「壱組の寮の入り方なの。池の亀をなでてあげて、一緒に池に飛び込む。そうすると亀が、池の底にある寮の入り口まで連れて行ってくれるの」

「なにそれ気持ち悪っ!」

 エレナが露骨に引いている。たしかにちょっと気持ち悪いかも。でも、讃組の寮の入り方もなかなかだと思うよ、エレナ。

「毎回出入りするたびに、びしょ濡れってこと?」

 ビクトールが信じられないという顔をしている。エレナよりも引いている。でも、学校で見る一ノ谷たちは別にびしょ濡れじゃないな。

「いや、魔法で濡れないようになってるよ」

 楓が壱組の生徒の名誉のために説明してくれる。一ノ谷の顔を思い出していると、出入りのたびに、びしょ濡れだったらよかったのにという気持ちになってくる。あ、でも、それだと三条先輩たちもびしょ濡れになっちゃうな。

「そんなことより、まんまとしてやられた!」

 楓が話を戻す。紗月はよくわかっていない。

「壱組の寮で集会するってこと?」

「ううん、周りに聞かれるリスクもあるし、それはないと思う。一旦寮に戻ってから、別の出入り口を使って集合場所に行くんだよきっと。尾行対策。絶対三条先輩の案だ」

 楓は悔しそうだ。ビクトールが驚いたように聞く。

「ここ以外にも出入り口があるの?」

「いくつか秘密の出入り口があるって話を聞いたことがあるの。私は知らないけど、たぶん三条先輩たちなら、知ってるはず」

「万事休すってやつ?」

 エレナがお手上げという顔をしている。

「二手に別れよう。二人はここを監視。もしかしたら、兎田先輩やほかの文芸部の先輩が誰か出てくるかもしれない。もう二人は廃工場に行って待ち伏せ。また廃工場で集会を開く可能性もあるし」

「了解!」

 

 紗月は楓と一緒に池の周りを監視することになった。池から遠すぎず、近すぎない建物の影に隠れる。

「楓、ありがとうね。いろいろ、考えてくれて」

「ううん——」

 楓は、なにかを考えてるみたいだった。

 しばらくして、口を開いた。

「……私ね、三条先輩が、憧れだったんだ。きっかけはなにかの代表挨拶だったかな。生徒会の三条先輩が堂々とスピーチしてるのを見て、憧れたの。この人みたいにかっこよくなりたいって。それで、生徒会に入ったんだ。三条先輩みたいになりたいっていつも思ってた。だからこそ、文芸部の活動は……」

 紗月はあの日の楓を思い出していた。あの日、兎田先輩を最初に追いかけた日。三条先輩? と言った楓の声が、頭に反響する。きっとショックだったんだ。あの場に三条先輩がいることが。

「紗月、止めよう。三条先輩からしたら大きなお世話かもしれない。でも、黙って見過ごせないよ。やっぱり。私、止めたい」

「うん!」

 紗月は、楓の目を見てうなずいた。

 

 どれくらい経ったんだろう。池に生徒が入っていく。入っていく。たまに、出てくる。でも、文芸部の生徒は現れない。紗月は少し眠くなってきた。

「……ねえ紗月、全然関係ない話してもいい?」

「うん、もちろん」

「讃組の京子ちゃんのことなんだけどね。京子ちゃん、私のこと嫌ってる気がするの。紗月って京子ちゃんとルームメイトだよね? なにか心当たりない?」

 眠気が吹き飛んだ。ある。めちゃめちゃある。あの日の京子ちゃんの話を思い出すといまだに胸が苦しくなる。家族のこと。憑人の差別のこと。でも、楓にどこまで言っていいかわからない。紗月は、かいつまんで話すことにした。

「京子ちゃんね、家族が、〝憑人〟っていう理由で、大変な……経験をしたみたいなの。それで、あんまり、なんていうか、諦めてるっていうか」

 だめだ。うまく説明できない。でも、お父さんの話はしたくない。

「——そっか、紗月、教えてくれてありがとう」

 楓は、なにかを察したようだった。深く息を吐く。なんだか気まずい空気が流れる。きゅっと、胸が締め付けられる。紗月は池の監視に精を出した。そのあいだは、嫌なこと、怖いこと、難しいこと、なにも考えなくて済んだ。

 

 結局、池から文芸部の生徒は一人も出てこなかった。廃工場にも誰も来なかった。やはり集会は別の場所で行われている。尾行もできない。

 紗月たちは振り出しに戻った。

 

          *

  

 合流した四人が寮に帰ると、ラウンジスペースで体育祭の前夜祭が行われていた。

「わあ」

 陽気な音楽。飲み物やお菓子。〝わた雲あめ〟も浮いている。壁にはえんじ色の折り紙で作った輪飾り。天井には、魔法で宙に浮いたミラーボールが光っている。たくさんの人が集まって和気あいあいとしていた。

「すごい……」

 目の前を、飛んでいる折り鶴の大群が横切った。魔法だ。紗月はわっと息を呑む。

「ここら辺の魔法全部、寮母のおばあちゃんが一人でやってんだよ。やっぱあの人、ただもんじゃないよね。やっぱ千年生きてるって噂は本当なんじゃ……」

 エレナがニヤニヤする。楓がツッコむ。

「いやいや、都市伝説すぎるって」

「去年も前夜祭豪華だったよね」

 ミラーボールに照らされながら、ビクトールが呟いた。

「うん。てか、前夜祭が一番豪華だよね。毎年最下位だから。体育祭終わった後、いっつもお通夜みたいじゃん」

 笑った。

「私これ大好き。〝おみくじコーラ〟」

 楓がテーブルからペットボトルを一本掴む。透明な飲み物だ。炭酸かな? 楓が蓋をひねると、プシュッという音と共に、一瞬にして透明な液体が金色に変わった。ラメみたいに、中身がキラキラ光っている。

「楓すごい、金色! 大吉じゃん!」

「明日絶対良いことあるよ!」

 エレナとビクトールが沸く。どうやら、蓋をひねると色が変わるらしい。色で運勢がわかるのかな?

 紗月も一本掴んで蓋をひねる。プシュッ。中身が毒々しい紫色に変わる。

「あー、紫か……どんまい、大凶だね」

「まあ、そういうときも、うん。あるよ。明日、悪いことがないといいけど」

 エレナとビクトールが同情の眼差しを向けてくる。大凶だった。紗月は〝おみくじコーラ〟を一口飲んでみる。わあ。弾ける炭酸。甘い。後味は、爽やか。とっても美味しい。大凶だけど。

 奥の壁にかかった大きな横断幕には「最下位から抜け出そう!」の言葉。いやそこは「めざせ優勝!」とかでしょ。なんてひかえめな横断幕なんだろう。あっ、七宮先生。七宮先生は腕を組んで、その横断幕を不満そうに見ていた。紗月は思わず吹き出した。

 ラウンジスペースの中央に、特に人だかりができている場所がある。その中心で、椅子に立って誰かが演説していた。

「讃組の団長が演説してる!」

「団長?」

「うん。讃組の応援団長だよ」

 歓声。拍手。団長の演説はかなり盛り上がっていた。

「そう! 我々は何年も最下位に甘んじてきた! だが今年は違う! 今年こそは! たぶん、違う!」

 ふわっとしてるな。その人だかりから、誰かがこっちに歩いてくる。

「おっ、エレナいた! こっちこっち!」

「あ、先輩お疲れ様で——」

 高等部の先輩——サッカー部かな——に見つかって、エレナはあっという間に人だかりの中に連れていかれてしまった。相変わらず人気者だ。

「あ! 〝かみなりわた雲あめ〟だ!」

 ビクトールが指を指す。紗月の方に〝かみなりわた雲あめ〟が近づいてきた。ビクトールと楓が一口ずつつまむ。途端にビリビリ痺れはじめる。やっぱりなぜか、ビクトールの天然パーマが静電気で膨れ上がる。

「ざづぎも食べぬぁよ!」

 ビクトールが痺れながら喋ってくる。紗月は笑いそうになった。

「——うーん、私、疲れたし今日は早めにベッド行こうかな」

「オッゲー。楓ど僕はもうぢょっと前夜祭楽じんでるよォ」

 ビクトールが喋るたび笑いそうになる。

「おやすみー」

 楓とビクトールに別れを告げて、居室に戻る。

 前夜祭はとっても素敵だった。でも、なんだかいまいち、盛り上がる気分になれなかった。落ち着いて、文芸部のことを考えたかった。三条先輩と会って話すこともできないし、尾行もうまくいかなくて、どこで集会しているのかもわからない。振り出しに戻った感覚。三条先輩たちがどんどん先へ行ってしまう気がする。考えているとどんどん、胸がざわざわする。

 居室に入ると、京子ちゃんが本を読んでいた。紗月はベッドに転がる。考える。どうすれば、三条先輩たちを止められるんだろう。まず、そもそもどこで集会をしているんだろう。三条先輩は場所にすごくこだわってるみたいだった。万が一誰かに聞かれれば、捕まっちゃうかもしれないから。人がまず立ち寄らなさそうな場所。あの廃工場以外に。あの廃工場。名前はたしか——原口金属だったっけ。原口金属。廃工場。しかし、京子ちゃんと二人きり、ちょっと気まずいな。今日の夕方、楓と京子ちゃんの話をしたばかりだ。なんとかかいつまんで話したけど。お父さんの話はしないように。お父さんの——。

 ハッとする。

 バッと起き上がる。勢いに驚いて、京子ちゃんがこっちを見る。

「京子ちゃん、たしかお兄ちゃんいるって言ってたよね」

「ああ、前に言ったかも」

 京子ちゃんはめんどくさそうに答えた。あの廃工場は、文芸部の狐憑きの先輩のものだったはず。もしかして京子ちゃんのお兄ちゃんって——。

「ごめん、嫌なこと思い出させちゃうかもしれないけど……お父さん、鎌倉で工場経営してたって言ってなかった?」

「え、なにいきなり?」

 京子ちゃんは、露骨にうっとおしそうな顔をしている。

「……してたよ。もうとっくに潰れたけど」

 パズルのピースが、はまりかける。

 あの廃工場の名前。そう、名前。看板に書かれていた名前は——

「その工場ってさ、〝原口金属〟だったりする?」

 

「はら、は? 知らない。それどこ?」

 パズルのピースは、はまらない。

 


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