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十七 あの日

 夏休みはあっという間に過ぎていく。結局楓は夏休みの宿題をすぐに終わらせてしまったので、もう急かされることもなくなって紗月は宿題をほっぽらかしていた。八月は時間が経つのが異様に早い。気づいたときにはもう遅かった。最後の一週間、紗月は宿題地獄の日々を送った。エレナと一緒に。

 

 宿題地獄が始まってから少し経ったある夜。ラウンジスペースで、紗月は国語の宿題を必死にこなしていた。エレナと一緒に。宿題を終わらせていたビクトールは漫画を読んでくつろいでいる。羨ましい。楓は魔法の実技の練習をしていた。真面目すぎる。四人がいるテーブルに、ひょこっと黒猫が現れた。

「シャロン!」

 楓がびっくりする。紗月は嫌な予感がする。

「えっ? なになにこの子?」

 エレナが興味津々で聞いてくる。ビクトールも驚く。二人はシャロンを初めて見たようだ。

「楓が寮でこっそり飼ってるんだ。シャロンっていうの」

 紗月が説明する。シャロンがこっちを睨む。

「で、〝ごちそう〟は用意してるのかニャ?」

「猫が喋ったあ!」

「猫が喋ったああ!」

 二人して同じリアクションをする。シャロンの言葉は、エレナとビクトールにも聞こえるみたいだ。

「えっと、実はね——」

 楓は二人に説明しはじめた。途中、楓が心配そうな顔で紗月を見てきた。「大丈夫だよ」という顔をした。楓は勇気を出して、自分の起源魔法の話をした。もちろん二人とも、〝動物と話せる起源魔法〟に偏見なんてなかった。それどころか二人はすごく興奮していた。紗月と一緒だ。

 

「それでニャ?」

 エレナとビクトールからの質問攻めに飽き飽きしながら、シャロンが紗月に向かって聞いた。紗月がおそるおそる答える。

「それで、とは……?」

「〝ごちそう〟だニャ」

 紗月は神様に祈りながらポケットをゴソゴソする。あっ。差し出してみる。

「これしかありません……」

「それはなんだニャ」

「消しゴムです」

「それは食えるのかニャ?」

「食えません」

「ふざけるニャー!」

「ひえええ!」

 差し出した手にシャロンが噛みついた。紗月が悲鳴をあげる。既視感。でも今度は、楓とエレナとビクトールの三人が大声で笑う。

 それからシャロンは四人のもとへたびたびやってきて、紗月たちにごちそうをせびるようになった。

 

          *

 

 夏休み明け最初の授業は基礎魔法学だった。しょっぱなから全組合同授業なんて最悪だ。やっぱり一ノ谷たちがからかってくる。

「おやおや、だれかと思えば人混みに押し潰されながら花火を見た〝庶民の〟紗月さんじゃないか」

 ドヤ顔がうっとおしい。イラッとしたので紗月も言い返す。

「おやおや、だれかと思えば三条先輩に気づいた途端ビビって逃げ出した〝風流じゃない〟一ノ谷くんじゃないか」

 一ノ谷の顔が真っ赤になる。チャイムが鳴る。

「今日から、結界魔法の授業をするよ」

 白石先生は相変わらず爽やかだった。後ろのメグちゃんがなにか呟いている。

「やっぱり白石先生が……でも私にはクリス先生が……ああ、どっちを選べばいいの……」

 いったいなにに葛藤してるの、メグちゃん。

「結界魔法は難易度が高いし、種類も多岐に渡るし、奥が深い。でもとても大切だよ。高度な結界魔法の使い手はどの時代でも重宝されてきたんだ。関東で最も有名な結界魔法といえば、その昔女神様と龍神様が創りだした、鎌倉の結界と江ノ島の結界だね。特に、鎌倉の結界が魔法使いにもたらした恩恵は計り知れないよね。この結界があることで、この地に定住する魔法使いがどんどん増えて、今の〝魔法使いの市、鎌倉市〟に至ったと言われているからね」

 眠くなってくる。隣のエレナも眠そうだ。

「そんなわけで女神信仰、龍神信仰は、鎌倉の魔法使いに広く浸透しているんだ。鎌倉の結界そのものも神聖なものとされているし、女神様と龍神様が住まうとされる〝聖地江ノ島〟は聖域として扱われて、禁足地になっている。まあそもそも入ろうと思っても入れないんだけど。女神様と龍神様が創った結界で隠されているからね。その代わり、毎年たくさんの魔法使いが、女神様と龍神様を祀る〝観光地の江ノ島〟を参拝するわけだよね」

 女神様、龍神様。女神様、龍神様。呪文みたいだ。まずい、本格的にまぶたが落ちてきた。隣のエレナはもう寝た。

「ここテストに出すからね」

 眠気が吹き飛ぶ。全力でノートに書き写す。隣のエレナはスヤスヤだ。

「今日は比較的簡単な平面の物理結界魔法を実践していくよ。なにか外敵から身を守ることを意識しつつ、硬くて薄い膜を張るイメージ。または、こっちの世界とあっちの世界をへだてるイメージかな。遮れ!」

 白石先生の手のひらから、大きくて薄い氷の膜のようなものが現れた。拍手が起こる。

「みんなは小さな結界で大丈夫。大きいものを張ろうとすると、難易度も格段に跳ね上がるからね。とはいえ結界魔法は簡単なものでも複雑なイメージが必要だから、難しいと思うよ。さあ、始め!」

「遮れ!」

 紗月はさっぱりできない。何度やってもだめだった。まず、イメージの仕方がよくわからない。教科書の説明を見ても、いまいちピンとこない。びっくりしたのは、楓を見たときだった。

「すごい! できてるよ楓!」

 楓のかざした手のひらの前に、小さな薄い膜が現れていた。楓はすこし照れている。

「でも私、サファイアだから——」

「関係ないよ! すごい!」

 紗月は自分のことのように嬉しかった。

「——うん」

 楓は泣きそうな顔で笑った。

 

「いやあ、さっきの楓すごかったよ」

 大食堂でお昼ごはんを食べているときも、紗月はまだ興奮が収まらない。楓は夏休み中も暇さえあれば魔法の練習をしていた。それを隣で——宿題地獄の日々を送りながら——見ていたからこそ、より一層嬉しかった。

「おめでたいから楓に僕のとんかつ一切れあげる」

 ビクトールが楓にとんかつ定食のとんかつを一切れ渡す。

「あたしのもあげる!」

 エレナも楓にとんかつを一切れ渡す。

「私も!」

 紗月も楓にとんかつを一切れ渡す。おまけでキャベツも。

「わあ、ありがとう!」

 渡されたとんかつとキャベツで盛りあがった皿。その上で弾ける楓の笑顔。紗月も幸せだった。

「やべ、部活行かなきゃ。今日から体育祭に向けて組別で練習するんだよね」

 エレナが自分のとんかつ定食を急いで平らげる。

「あっ、僕も! 夏休み明けから応援団の練習始まるんだった」

 ビクトールも急いで食べはじめる。

「応援団?」

「そうそう。体育祭の応援団に志願したんだ」

「体育祭かー。なんだか二人とも忙しそうだね」

 紗月は能天気にゆっくり食べる。

「そうだ! 私も委員会あるんだった!」

 紗月がむせる。

「楓も? てか委員会入ってるの?」

「うん。〝体育祭実行委員会〟」

 

 三人はあっという間に食べ終えて、それぞれどこかへ行ってしまった。ぽつんと残される紗月。前にもこんなことがあった気がする。そうだ、あのときは購買でなにか買って中庭で食べたっけ。それ、いいな。そうしよう。

 紗月は立ち上がる。購買の列に並んでアップルプルパイを一つ買う。〝金のパン〟は今日も売り切れだ。階段を登って外を目指す。

 中庭に出る。どこか、静かな場所で食べたいな。そう思ってうろうろしていると、うってつけのベンチを見つけた。ここ、人通りも少ないしちょうどいい。でも、先に座っている人がいる。あっ——

「三条先輩!」

「紗月か?」

 三条先輩は一人でお弁当を広げながら、なにか書き物をしているようだった。

「なにしてるんですか?」

「まっとうな文芸部の活動さ」

 まっとうな?

「新聞部が発行している学校新聞に、文芸部は毎回短編小説を掲載してるんだ。全部私が書いているがな」

 三条先輩がいたずらっぽく笑った。びっくりした。文芸部ってまともな活動してたんだ。というか、まともな活動してるように三条先輩がごまかしてくれていたんだ。

「隣で食べてもいいですか?」

「ああ」

 三条先輩が微笑む。

「良かったら食べてくれないか? いつも食べきるのに苦労するんだ」

 三条先輩のお弁当は、びっくりするくらい豪華だった。高そうな黒と赤の四角いお弁当箱に、おせち料理みたいな食べ物がこれでもかと詰められている。美味しいかはわからない。でも豪華。さすが名家。

「あ、今日一ノ谷がまた突っかかってきました。花火大会の夜、三条先輩見てビビって逃げたよねって言ったら、あいつ、顔真っ赤になってました」

「ふふっ」

 三条先輩が楽しそうに笑う。前から思ってたけど、三条先輩はクールなときも素敵だけど、笑うととってもかわいい。ひまわりのような笑顔。紗月は三条先輩の笑顔を見るのが好きだった。

 

          *

 

 昼休みは、いつもエレナも楓もビクトールも忙しそうだった。そんなわけで、みんなでお昼ごはんを食べたあと、ベンチでお弁当を食べている三条先輩のところに行くのが、紗月の日課となった。よく一ノ谷の愚痴をこぼした。その度に三条先輩は笑ってくれた。たまにまっとうな文芸部の活動も手伝った。そのかわり、勉強をたくさん教えてもらった。一緒にいると、なんだか心が落ち着いた。

 

 その日は村雨を使って飛ぶ練習を三条先輩に見てもらっていた。

「しかし不思議な日本刀だ。喋る上に紗月以外触れないなんて」

 小休憩。紗月は三条先輩のお弁当をつつきながら、話を聞いていた。片手に持っていた村雨を見つめる。改めて、綺麗な刀。なんで私にしか触れないんだろう。村雨に何度聞いてもよくわからない。はぐらかされてる気もする。

 紗月が箸で唐揚げを掴んだままじっとしていると、突然空からトンビが襲ってきた。

「きゃあーっ!」

 その瞬間、なぜか急に方向を変えてトンビが逃げ去った。唐揚げは無事だ。

「危ない……唐揚げ取られるところだった……」

 鎌倉の空はトンビがいっつも食べ物を狙ってくる。隙を見せると持っていかれる。この前も、アップルプルパイを奪われたばかりだった。

「今、結界ができていたぞ。その刀から」

「えっ?」

 紗月はびっくりして、三条先輩と村雨を交互に見る。

「驚いたな。まさか結界も創り出せるとは」

 三条先輩が感心したように呟く。紗月は結界魔法がからっきしだ。苦手。結界魔法、きらい。でも村雨と一緒なら、結界も創れるのかな? 胸が高鳴る。

「吾輩を鞘から抜けば斬ることだってできるのだぞ」

 村雨の声だった。突然村雨が喋って、びっくりした三条先輩がベンチから転げ落ちそうになる。紗月は吹き出しそうになって、口を手で押さえた。いつかのクラス分けテストみたいだ。立場がすっかり逆だけど。

「村雨、抜かないよ」

 紗月は村雨を鞘から抜いたことがない。怖いから。

 

 その日から三条先輩と、村雨で結界を創り出す練習を始めた。

 トンビからお弁当を結界で守るために。

 

          *

 

 冬服に衣替えしてしばらく立ったある日。その日も紗月は三条先輩のお弁当をつついていた。外でお弁当を食べるには、もう寒いくらいだ。でも紗月は、三条先輩と一緒に過ごすこのひとときが、すごく好きだった。

「近ごろばあやが弁当の量を増やすんだ。困ったよ。ここのところいつも完食するから、足りないと思われてるんだ」

 三条先輩が笑う。紗月も笑う。最近、ますます三条先輩と打ち解けられた気がする。

「なぜだろう、紗月といると、つい心を許してしまうな」

 それはまるで、心を許すのが罪深いことのような言い方だった。

「性格も容姿も違うが、きっとなにかが真冬に似てるんだろうな」

 真冬——。前にばあやさんが言っていた人だ。

「たしか、三条先輩の妹さんですよね?」

「ああ」

 三条先輩は深く息を吐いて、言葉を慎重に選ぶように話す。

「双子の妹だったんだ。かけがえのない存在だった。でも、鎌倉大火災で死んでしまった」

 紗月の表情が凍りつく。ショックでなにも言えなくなる。三条先輩は写真を一枚取り出して、紗月に見せる。

「あの頃は三条家の別邸に、腫れ物みたいに住まわされていた。私たちは双子なのに性格が正反対で、でも、いつも一緒だった」

 写真には、ひまわり柄の浴衣を着た小さな三条先輩と、雪の結晶柄の浴衣を着た三条先輩にそっくりの女の子が写っていた。真冬ちゃんだ。

「真冬は静かな子だった。私は活発で、よく真冬を振り回していた。あの日——。あの日は、真冬と家で遊ぶ約束だった。誕生日にお互いにプレゼントしたばかりの浴衣を着て、お祭りごっこをして遊ぶことになっていた。夏祭りが待ちきれないと、真冬は言っていた。でもあの日、突然近所の子から電話がかかってきたんだ。『今から校庭でみんなと遊ぶから、夏海も遊ぼう』と」

 写真の上に雫が落ちた。

「私は『行く』と答えた。真冬と二人で行こうと思った。でもそれを伝えると、真冬は怒った。真冬は『お姉ちゃんと遊びたいの』と言った。口喧嘩になった。私も怒って、『じゃあ一人で遊んでれば』と怒鳴った。真冬は泣いていた。私は浴衣を脱ぎ捨てて、厚着をして家を出た。出るときに玄関で一度振り返った。浴衣を着たまま泣きじゃくる真冬を見た。でも、無視して学校に向かったんだ。だんだん言いすぎた気がしてきて、帰ったら謝ろうと思った。会ったらすぐに、謝ろうと思ったんだ。でも、それからもう二度と、会えなかった」

 三条先輩は大粒の涙を流していた。

「私は今、なんで生きているんだろう。なんであのとき、真冬と遊ばなかったんだろう。あのとき一緒に遊んで、一緒に、一緒に死ぬべきだったのに」

「そんなこと言わないでください」

 言いながら、紗月も涙があふれていた。

「私は、私は、三条先輩に、生きていてほしいです」

 三条先輩は腫れた目を見開いて、紗月を見ていた。紗月の瞳に重なった誰かを見ていた。ハッとして、目を逸らす。それは許されないことのように、後悔を顔に浮かべる。

「——すまない」

 もう一度、紗月を見据える。涙は止まっていた。

「私がまだ生きているのは、〝あの日〟の真相が知りたいからだ。それが、私から真冬へしてやれる、唯一の、せめてもの贖罪しょくざいだから」

 紗月はもうやめてと言いたかった。

「これは私が生きている意味。私の生きる理由だ」

 

「絶対にやり遂げよう。紗月」

 でも、言えなかった。

 

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