十二 ドワーフとダイヤモンド
紗月はまだお昼ごはんに慣れない。大食堂に慣れない。中等部が、高等部が、自分よりも小さい子たちが、入り乱れて食事をする大食堂のお昼ごはんに慣れない。人が多すぎて少し気分が悪くなってしまう。メニューの中から好きな料理を選ぶのにも慣れない。紗月は〝ぶっ飛び焼き小籠包〟でぶっ飛んだ体験が頭から離れない。面白かったけど、できることなら、もうぶっ飛びたくはない。普通そうな料理を、慎重にメニューの中から選ぶ。でも、普通そうな料理がわからない。メニューのラインナップが日替わりで変わるうえに、料理の説明が少なすぎる。
料理名〝火威吹カレー〟
説明〝牛肉たっぷりで火を吹くほど美味しい〟
怪しい。実に怪しい。名前からして実に怪しい。火威吹って。この料理は危険な気がする。そもそも辛いのが得意じゃないし。パスで。
料理名〝魔法料理研究家レイジ監修の親子孫丼〟
説明〝説明不要! 食べればわかる!〟
説明が説明になってないよ。だいたい親子孫丼ってなんだよ。初めて聞いたよ。怖いよ。普通の親子丼が食べたいよ。パス。
料理名〝よだれ鶏〟
説明〝よだれが出ちゃう自慢の美味しさ〟
よだれ鶏は知ってる。鶏肉の美味しい料理。たぶん、昔食べたことがある。よし、消去法でこれだ。これにしよう。
お盆にご飯、お味噌汁、サラダ、そしてよだれ鶏のお皿がのる。すごく良い匂い。お腹が空いた。
エレナとビクトールは先にテーブルに座っていた。
「紗月ー、ここ、ここ」
火威吹カレーのビクトールが呼んでくれている。よだれ鶏の紗月が座る。親子孫丼のエレナは自分の皿をこっそりつついている。フライング。
——そして、ようやく、楓が来た。
あれから楓は、また喋ってくれるようになった。また、この四人でいることが増えた。昼ごはんも、この四人で食べることが増えた。紗月はすごく、この四人でいるのが好きだった。
親子孫丼にした楓が座る。迷いに迷ったらしい。
「いただきます」
お腹が鳴る。それがゴングのように、箸をつかんで豪快に食べる。美味しい。よだれ鶏、美味しい。噛めば噛むほど、肉汁があふれてくる。食べだしたら止まらない。もう一口。もう一口。ほっぺいっぱいに、リスみたいに頬張って、授業の途中に取り出して食べたいくらい美味しい。よだれ鶏。本当によだれが止まらなくなるくらい美味しい。あれ、おかしい。おかしいぞ。よだれが止まらなくなるくらい美味しいけれど。本当によだれが止まらない。
紗月の口からよだれが滝のように流れだした。唖然とする紗月。よだれに気づいたエレナが身をよじらせて笑っている。楓は笑いながらハンカチを取り出す。ビクトールも紗月を見て吹き出した。すると炎も吹き出した。火が吹くほど美味しいって、そういう意味ね。ビクトールが炎を吹き出しながら笑うのがツボに入って、紗月もよだれを垂らしながら笑った。
どうやら〝当たり〟は親子孫丼のようだった。エレナと楓を見るかぎり、火も吹いていなければ、よだれも垂れていないからだ。でも、よだれ鶏も、美味しかったからいいか。面白かったし。パクパク食べながらそう思った。タラタラよだれを垂らしながら。
ようやく紗月のよだれが収まってきたころ、ビクトールが思い出したように言った。
「あっ! 昼休み、園芸部のやることがあるんだった!」
「あたしも部活あるー」
「私、生徒会行かなきゃ」
あれ、もしかして、私以外みんな忙しい?
*
大食堂でみんなを見送ったあと、紗月はテーブルに残ってぼんやりとしていた。暇だ。次の授業までは時間があるし。なにをしよう。そうだ。学校探検。学校探検をしよう。
紗月は立ち上がる。大食堂の喧騒と人混みの中、一人、頼りなさそうに歩く。ふと、購買が目につく。列ができている。購買はお昼の時間に大食堂に現れる。パンとかを売ってるみたいだけど、紗月はまだ一度も買ったことがなかった。そうだ。せっかくだから並んでみよう。紗月は購買の列に並ぶことにした。でも、なにを買えばいいんだろう。どんなパンが売ってるんだろう。こういうとき楓がいたら、怖いくらい細かく説明してくれるんだけどな。
前の中等部の生徒たちが、パンの話をしてるみたいだ。ごめんなさい。ちょっと盗み聞きしちゃおう。耳を澄ましてみる。
「お前、なに買う?」
「やっぱ安定のアップルプルパイでしょ」
「〝金のパン〟売ってないかなぁ」
「売ってるわけないだろ。一瞬で売り切れだよ」
「じゃあ僕もアップルプルパイにするかぁ」
「だいたい、本当にあるのかも怪しいよな。だって買えたやつ見たことないし」
「〝金のパン〟は伝説の購買パンだぞ。まず買えないって」
「ところで次の授業の——」
なるほど、なるほど。アップルプルパイが安定らしい。よし、アップルプルパイにしよう。〝金のパン〟を食べてみたいけど、きっと売り切れなんだろうな。いつか食べてみたいな。あれ?
紗月は、自分の指輪が光っていることに気づいた。いつの間にか、魔法で自分の聴力を強めていたらしい。だから声がよく聞こえたんだ。どうやら、盗み聞きする魔法は得意みたいだ。なんだか、嫌だな。それ。
列はどんどん進んでいき、紗月の番がやってきた。目の前に、たくさんのパンが並んでいる。
焼きそばかすパン。シロワッサン。アンバタバターパン。紗月は心の底からホッとした。さっき盗み聞きしておいてよかった。してなかったら、なにを選べばいいか、さっぱりわからなかった。〝売り切れ〟と書いてあるパンも多かった。金のパンも〝売り切れ〟になっている。あ、あった。アップルプルパイだ。
「アップルプルパイを一つ、お願いします」
「はいどうぞ」
紗月はちょっと驚いた。パンを渡してくれたのは、讃組の寮母のおばあちゃんだった。昼どきはこうして、たまに購買を手伝っているらしい。おばあちゃんにお金を渡して、アップルプルパイを一つもらう。そうだ。今日は天気が良いから、中庭で食べよう。アップルプルパイを片手に、大食堂をあとにした。
眩しい。つい、目を細める。空は雲一つない青空だ。太陽が好き放題に輝いている。少し、暑いくらい。中庭の適当なベンチに腰掛ける。アップルプルパイをひとくち。サクッという音と共に、バターのいい香りが広がる。わあ。おいしい。りんごがプルプル。でも、パイはサクサク。とっても甘くて、ちょっとだけ酸っぱい。こんな美味しいアップルパイ食べたことない。紗月はあっという間に完食してしまった。
「あれ? 紗月だ」
ベンチでひなたぼっこをしていると、声をかけられた。ビクトールだった。
「ビクトール? 部活は?」
「やってるよ。これこれ」
ビクトールは中庭の花壇を指差した。花壇の手入れも園芸部の活動の一つらしい。ビクトールはジョウロを持っている。水やりをしている途中みたいだった。
「わあ、綺麗な花」
紗月は花壇に近寄って花を見た。今までちゃんと花壇を見たことがなかった気がする。ちゃんと見ると、すっごく綺麗。赤。青。黄色。色とりどりの花々が咲いている。
「綺麗だよね。僕、植物が好きなんだ」
そうなんだろうなとは思っていた。園芸部だし。堀須雑貨店で、植物がぐるぐるに絡みついていたけど、楽しそうだったし。
「——男のドワーフのくせに植物なんか育ててんじゃねえよ」
声。ビクトールと紗月が振り向く。四、五人の小柄な——たぶんドワーフだ——男子生徒たちが、二人を囲んでいた。真ん中にいるのは、大斧を背負ったドーン先輩。やっぱり、ドワーフの生徒の集まりみたいだ。ビクトールの血の気がさーっと引いていく。
「おい、お前がビクトールだよな?」
「は、はい」
ビクトールは怯えている。この人たちは、ビクトールになんの用なんだろう。ドーン先輩が、ビクトールの腕をバッと掴む。
「おいおい、マジだぜ。こいつ、エメラルドの指輪付けてやがる」
ドーン先輩がビクトールを指輪を見ながら嘲笑った。他のドワーフの生徒も意地悪そうに笑っている。よく見ると、保険の授業で見たことのある生徒たちがいる。紗月はピンときた。あの仁組の男子たち、ビクトールの指輪を見てぶつぶつ言ってた人たちだ。他のドワーフに告げ口したんだ。ビクトールがエメラルドの指輪だってことを。
「男のドワーフはダイヤモンドの指輪にするってことくらい、わかってるよな? それともお前、女なのか?」
周りのドワーフの生徒が笑う。紗月はもう黙っていられなかった。言い返す。
「そんなの別にいいじゃないで——」
「ヒト族は黙ってろッ!」
ドーン先輩が紗月に吠えた。あまりの迫力に、紗月はなにも言えなくなった。恐怖で、手が震えだす。
「これは俺たちドワーフの問題だ」
ドーン先輩が再びビクトールに向き直った。背負っている大斧が太陽を反射して気味悪く光る。村雨は教室に置きっぱなしだ。紗月は持ってこなかったことを後悔した。
「おい、今日指輪を取り替えてこい」
ビクトールは、黙っている。必死に、恐怖と戦っているみたいだった。
「俺、お前の家族知ってる。家族にも言うぞ。いいのか?」
仁組のドワーフの生徒が脅す。ビクトールがうろたえる。
考えもしなかった。ビクトールがエメラルドの指輪を選んだだけで、こんな目に遭うなんて。そしてエメラルドの勧めたのは、私だ——。私のせいだ。
「目をつぶって逃げんじゃねえ! お前の両目はなんのために付いてんだよ? 俺を見ろ!」
ドーン先輩が凄む。ビクトールはじっと目をつぶって、必死に耐えている。
「おい! 聞いてんのか!」
ドーン先輩がビクトールを突き飛ばした。花壇に思いっきり尻餅をつくビクトール。
「そんな——」
さっきまで手入れをしていた花々が、ビクトールの下敷きになってしまった。
「ビクトール!」
ビクトールは、ドーン先輩の声も届いていないようだった。花を潰してしまったことのショックで、それどころじゃないみたいだった。このままじゃドーン先輩がなにするかわからない。ビクトールを助けないと。なんとかしなきゃ。私がなんとかしなきゃ。目をつぶる。耳を澄ます。指輪が光る。足音。話し声。誰か助けて。足音。話し声。この声。どこかで、七宮先生の声が聞こえる。
「七宮先生! 助けて!」
紗月は叫んだ。力いっぱいの声で叫んだ。近くを歩いていた生徒たちがこっちを見る。その瞬間、風が起こった。つむじ風。土埃が舞う。紗月が目を開けると、目の前に七宮先生が立っていた。指輪が光っていた。
「どうしました? 紗月さん、ビクトールさん」
七宮先生が振り返る。ドーン先輩たちを睨みつける。
「これは?」
「やばい先生が——」
「いったん逃げましょう!」
ほかのドワーフの生徒たちが動揺する。
「めんどくせえな」
周りにうながされて、しぶしぶドーン先輩も諦める。曲がり角を曲がって全員見えなくなる。良かった。なんとかなった。紗月は大きく息を吐き出す。緊張の糸が途切れる。
「大丈夫ですか?」
七宮先生が手を伸ばす。その手を掴んで、ビクトールが起き上がる。
「ありがとうございます……」
「なにがあったんですか?」
紗月が説明しようとする。それをビクトールが制止する。
「ちょっと、ドワーフのいざこざで。でも、もう大丈夫です。なんでもないです」
「——本当に?」
「はい。それに、たぶん、これは僕が乗り越えなくちゃいけないことだと……思うから」
七宮先生はしばらくなにも言わなかった。そしてなにかを取り出した。お守りだった。それをビクトールに握らせる。
「じゃあせめて、このお守りを持っていてください」
「これは?」
「うちの神社の、お守りです」
七宮先生はにっこりと笑った。
七宮先生が戻っていなくなると、紗月は頭を下げた。
「ごめん!」
「えっ?」
「私がエメラルドにしなよなんて言ったから——。ビクトール、本当にごめん」
「ううん、大丈夫だよ」
「私、こんなに騒ぎになるようなことだって、知らなかったの。本当に、ごめんなさい」
紗月がまた頭を下げる。ビクトールは優しく笑う。そして、紗月が思ってもないような言葉を呟いた。
「——ありがとう」
ありがとう?
「僕、紗月にすっごく感謝してるんだ。あのとき宝石屋さんで紗月が肩を押してくれなかったら、きっとダイヤモンドを選んでた。でもそうしてたら、今ごろ後悔してた。僕ね、エメラルドの指輪が、憧れだったんだ」
憧れ——。そうか、だからおばさんにエメラルドって言われたとき、あんなにビクトールは嬉しそうだったんだ。
「僕、本当は、将来お医者さんみたいな人を助ける仕事がしたいんだ。だけど、男のドワーフで医者なんていないから、諦めてた。でも僕、エメラルドだった——。エメラルド。エメラルドって言われた瞬間、すっごい嬉しかった。お医者さんにはエメラルドが多いから。だから紗月、エメラルドにさせてくれて、ありがとう」
それでもまだ、紗月は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「でも、そのせいでビクトールが……」
「次またドーン先輩たちが来たら急いで逃げるから! 大丈夫だよ」
ビクトールが走るふりをして、おどける。
「だけど家族に言うって……」
「もし家族にぐちぐち言われたら、家出でも喧嘩でも、なんでもして説得させるから大丈夫!」
ビクトールは笑っている。それでもやっぱり、紗月は負い目を感じる。
「私のせいで、ビクトールが育ててた花を……」
潰してしまった花のことを思い出して、ビクトールの顔が少し曇る。
「紗月のせいじゃないよ。押したのはドーン先輩だから。ドーン先輩の——」
ビクトールが振り返って花の方を見たまま固まった。紗月も花壇を見てみる。信じられない光景が、目の前に広がっていた。
花が、潰れていない——。
まるで何事もなかったかのように、美しく咲いている。
「もしかして、これが僕の……」
ビクトールが、小さな声で呟いた。




