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十 電話

「ねえ、本当に私でいいの?」

「いいと何度も言っているだろう」

 紗月は寮の居室にいた。壁に立てかけた村雨と話している。

 さっきは大変だった。あれから村雨は空までビュンと飛んだが、心の準備ができていなかった紗月は記憶が飛びそうなほど叫んだ。怖くて目も開けられない。それどころか汗で村雨から滑り落ちそうだった。村雨に「降りて」と叫ぶと、真下にベチャッと降りた。砂浜だった。骨が折れたかと思った。

 足がまだ痛む。村雨をじっとにらんで質問する。

「なんで私なの?」

「紗月が吾輩にれられるからだ」

「なんでさわれるの?」

さわれる者だからだ」

 らちが開かない。さっきから同じ会話の繰り返しだ。紗月は新しい質問をしてみる。

「なんで連れていって欲しいの?」

「吾輩一人ではもはや動けないからだ」

「どこに連れていって欲しいの?」

「紗月、お前が向かう場所に吾輩を連れていくだけでよい」

「なんで?」

「私は、もうすぐ死ぬからだ」

 死ぬという言葉に、紗月はぎょっとした。

「村雨、死ぬの?」

 というか、村雨は生きているんだ。日本刀なのに。

「すぐではない。だが、今際の際にもう一度だけ、世界を見聞したかっただけだ」

 紗月はなんだか、村雨がかわいそうに思えてきた。この日本刀になにがあったかは知らないけど、もうすぐ死ぬんだ。だからいろいろ見たいんだ。連れていくだけでいいなら、連れていってあげよう。

 そのときドアが開いた。他の友達と遊んでいたエレナが帰ってくる。

「おー村雨くん元気してるー?」

 もうエレナは喋る日本刀を受け入れている。すごい対応力。でも村雨は、うんともすんとも言わない。晩ごはんのときもそうだった。村雨が「連れていけ」と言うので、食堂に連れていった。エレナ、ビクトール、楓が村雨を質問攻めにしたが、うんともすんとも言わない。村雨が喋りたくないときは、なにがなんでも喋らないみたいだ。

 紗月は、今村雨と話していたことを伝えた。エレナがびっくりする。

「村雨くん、死ぬの?」

「だから、すぐではない」

「あー! 初めて返事してくれた!」

 エレナが「ワーイ」と言いながら居室を跳ね回る。「でもすぐ死ぬんじゃなくてよかった」と少しして付け加えた。先にそっち言ってあげなよ……と心の中で思った。「小癪こしゃくな娘だ」と言って村雨も喋らなくなった。

 そうだ、電話。紗月は公衆電話でお母さんに電話しようと思ってたことを思い出した。キャリーケースを開き、電話番号をメモした紙を探す。でも、見つからない。紗月は電話番号を思い出そうとした。でも、下四桁をど忘れしてしまって、どうしても思い出せない。メグちゃんや京子ちゃんも居室に戻ってきた。キャリーケースを時間をかけて隅々まで探す。でもやっぱり紙は見つからない。あっという間に消灯時間がやってきた。暗くなる。結局、探し物は見つからなかった。

 ベッドの中で必死に電話番号を思い出そうとしてみる。でも、思い出せない。どうしても下四桁が思い出せない。もしかすると春休みまで、お母さんの声を聞くことすらできないんじゃないかと思った。血の気が引いていく。真っ暗な穴に落ちたような気持ちになる。お母さんと会うどころか、電話もできない。そう思ったらどんどん悲しくなって、涙があふれてきた。

「どした?」

 エレナが二段ベッドの上からひょこっと顔を出した。

「エレナ……」

 心配してくれたのが嬉しくて、ますます涙があふれた。エレナがスルッと紗月のベッドに降りる。紗月は、ところどころ息を詰まらせながら、エレナに事情を話した。エレナはなにも言わずに、じっと聞いてくれた。紗月が全て話し終えると、エレナが口を開いた。

「今から電話しにいこう」

 エレナが紗月の目をまっすぐ見つめる。

「でももう消灯時間だし……電話番号もわかんないし」

「心配いらない。なんとかする」

 紗月の目を見ながら、エレナはニコッと笑った。その笑顔を見ていると、本当になんとかなる気がした。

「電話したいときに電話するのが一番だよ。さあ、行こう」

 エレナは紗月の手を引いて、ベッドを抜け出した。

「紗月、吾輩も持っていけ」

 小銭入れを取ろうとした紗月に、村雨が呟いた。紗月は迷った。こんなことにまで連れていく必要はないんじゃないかと思った。でもエレナが「なにかの役に立つかも」と言うので、しぶしぶ持っていくことにした。そっとドアを開けて居室を出る。薄暗い廊下を、静かに歩く。

「やっぱり、消灯時間に出歩いたらダメなんだよね?」

「ダメだね。トイレ以外は基本」

 二人並んで、廊下を進む。

「……エレナ、やっぱり帰ろうよ。エレナまで怒られちゃうかもしれないし」

「大丈夫、大丈夫」

 隣でエレナが微笑む。奥に階段が見えた。

「……今、どこに向かってるの?」

「寮の公衆電話」

 昨日、楓に寮を案内してもらったときに公衆電話もあった気がする。でも、場所までは思えていない。階段に着く。音を立てないように、のぼる。

「でも、本当に電話番号が思い出せなくて——」

「安心して。寮の公衆電話なら、番号がなくてもかけられるから」

 それを聞いて、紗月の胸がぱあっと明るくなった。

 ガタン——。

 ギョッとする。エレナの袖にしがみつく。隅のあたりに誰かいる——。

「ニャー」

 猫だった。黒猫だ。ホッとする紗月とエレナ。黒猫はそのまま階段の下の方に消えていった。はあ、びっくりした。それにしても、なんでこんなところに猫がいるんだろう。

 階段の踊り場に着く。さらにのぼる。このまま行くと、ラウンジスペースだ。ふいに紗月は、さっきから不思議に思っていたことを聞きたくなった。

「エレナは……なんで助けてくれるの?」

「え?」

 紗月の今までの人生で、エレナのような人とは出会ったことがなかった。誰かのために、自分も危険をおかせる人。お母さんはそうだ。いつも紗月のことを考えてくれる。でも、お母さんは家族だ。エレナは、昨日会ったばかりの友達。でもこうして、紗月を助けてくれる。

「——だって、困ってたから」

 困ってたから——。当たり前なんだ。困ってる人に手を差し伸べるのは、エレナにとって当たり前なんだ。自分はどうだろう? 紗月は自分が恥ずかしくなった。紗月は今まで、自分のことで精一杯だった。前の学校でもそうだ。紗月より、もっといじめられている人がいた。でもその人のことを助けようと思ったことはなかった。自分のことで精一杯だった。エレナは自分のことで精一杯じゃないのかな? きっとそんなことない。エレナにはエレナの〝大変〟があるに違いない。それでも、私に手を差し伸べてくれる。

 ——私も、エレナみたいになりたいな。

「エレナが困ってたら、次は私が助けるからね」

 エレナが立ち止まる。ハッとした顔で紗月を見つめる。そして悲しそうに笑った。

「約束だよ」

 

          *

 

 ようやく紗月とエレナは、ラウンジスペースに着いた。

「ここ?」

「ううん。でももうすぐそこだよ」

 二人はラウンジスペースを横切って、左に見える通路に入ろうとした。そのときだった。

「そこにいるのは誰だ!」

 ラウンジスペースの奥の方から、誰かが声をかけてきた。薄暗くて、よく見えない。でも、歩いてくる音が聞こえる。

「まずっ! 先生に見つかった!」

 エレナが慌てる。紗月もびっくりして、心臓の鼓動が速まる。

「あたしが時間かせぐから、紗月はそこの通路をまっすぐ行って!」

「でもエレナが——」

「あたしは大丈夫! 早く!」

 エレナが走って先生の方へ行ってしまう。紗月は慌てて通路へ駆け込んだ。ラウンジスペースのほうから、紗月の知らない先生の怒鳴り声が聞こえてくる。

「なんでこんな時間に出歩いてるんだ!」

「すみません、なんか寝ぼけてたら——」

 エレナが嘘をついてごまかしてくれている。エレナに申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちでいっぱいになる。紗月は音を立てずにできるだけ急いで通路を進んだ。エレナと先生の声がどんどん遠ざかっていく——。

 

 しばらく歩くと、ついに公衆電話を見つけた。黒い公衆電話が並べて置かれている。その中の一つの受話器を取る。そこで気づく。ああっ。エレナから、電話の仕方を教えてもらっていない——。もちろん、電話番号は思い出せない。ここまできたのに、電話ができない。お母さんと、話せない。涙がぽろぽろとこぼれてくる。受話器をぎゅっと握りしめる。お母さんと、話したい——。

 プルル。

 突然電話がかかる。受話器にしか触っていないのに。けれどたしかに、どこかに電話をかけている。なぜ電話がかかったのか全くわからない。でも、すぐに考えるのをやめた。その代わり祈った。お母さんに繋がりますように。受話器をさらに握りしめる。いつの間にか、指輪が光っていた。

「もしもし——」

 その声はお母さんだった。お母さんの声を聞いた瞬間、熱いものが込み上げて、ますます涙が止まらなくなった。嬉しかった。もうずっと会っていないような気持ちだった。

 紗月はこの数日に起きたことをお母さんに伝えた。お母さんは、それを楽しそうに聞いてくれた。学校のこと。七宮先生のこと。エレナのこと。楓のこと。ビクトールのこと。宝石屋さんでのこと。雑貨屋さんでのこと。でも鎌倉大火災の話だけは、しないでおいた。変な心配をさせたくなかったから。紗月は謝る。お金のこと。きっとお母さんに苦労をかけてしまっていること。でも、お母さんは笑う。「そんなこと気にしなくていいのよ」と。そして「その代わりに、学校を目一杯楽しみなさい」と言う。紗月はうなずく。お母さんの言葉が、胸に響く。

 紗月はそのまま、ずっとずっと、話し続けた。

 

「誰か来る」

 紗月が夢中で話していると、突然村雨が喋った。奥の方から、人の気配がする。

「やばっ、もう行かなきゃ」

 急に現実に引き戻されていく。お母さんと電話したひとときは、まるで魔法の時間だった。鎌倉で見たどんな不思議な魔法にも負けない、素敵な魔法だった。話しているうちに迷いが一切吹き飛んでしまったようだった。紗月の心の曇り空が、お母さんと話すたびにどんどん晴れていった。紗月はもう泣いていなかった。

「また電話してね、おやすみ紗月」

「——うん。またね、おやすみなさい」

 受話器をガチャリと戻す。現実に戻る。

「そこに誰かいるのか?」

 まずい——。さっきとはまた別の先生が、すぐそこまで来ていた。紗月は急いで逃げようとする。でも間に合わない——。もう見つかる——。

「吾輩を握りしめろ」

 ハッとして紗月は村雨を力一杯握った。指輪が煌めく。その瞬間、ものすごい勢いで後ろに飛んだ。先生の人影がものすごい勢いで遠ざかって、闇に消えた——。助かった。

 紗月は、間一髪で逃げのびた。

 

 しばらく村雨に任せて飛び続ける。あれ、今通り過ぎた場所。見覚えがある。なんだっけ。そうだ、楓に教えてもらった〝行っちゃいけない場所〟だ! あれ、ということは——。

「村雨止まれ!」

 村雨はキュッと止まった。急に止まりすぎて紗月は少し吹っ飛ばされた。紗月の手が離れると、村雨はボトッとその場に落ちた。

 周りを見渡す。薄暗い十字路の廊下。やっぱりそうだ。紗月の血の気が引いていく。

 私、迷子だ。ここ、どこだ。

「村雨、ここどこ?」

「吾輩が知るわけがないだろう」

「私たちの居室まで、帰れたりする?」

「吾輩が覚えているわけがないだろう」

 万事休すだった。その場に座り込む紗月。話し相手がいるのが唯一の救いだった。もし村雨もいなかったら、きっとまた泣きだしている。

「なんで適当に飛んじゃったの!」

「道なんぞ知らんからだ。それに吾輩が飛ばなければ見つかっていただろう」

 その通りなので言い返せない。

 とにかく歩くしかない——。そう思って立ち上がったときだった。

「ニャー」

 猫だ。黒猫だ。さっき階段で見た黒猫だ。

「ニャア」

 黒猫は歩きながらこっちを見て鳴いた。ついてこいってこと? 

「ニャ」

 黒猫はスタスタと歩く。どうせあてもないので、黒猫についていくことにした。この猫、誰かが寮で飼ってるのかな? そんなことを考えながら黒猫の後を歩いていると、見覚えのある場所に戻ってきた。それは、たしかに女子の居室の廊下だった。

「黒猫ちゃんありがとう」

 紗月は心の底から感謝した。なんて賢い猫なんだろう。

「本当にありがとう。今度会ったらごちそういっぱいあげるからね」

「ニャアア」

 返事された気がした。

 

          *

 

 紗月はやっと、自分の居室に帰ってきた。静かにドアを開ける。メグちゃんたちのベッドからは寝息が聞こえてくる。エレナは先に帰ってきていた。ベッドから手招きしている。紗月はエレナのベッドに上がりこむ。

「どうだった?」

「おかげで電話できたよ。エレナ、本当にありがとう」

「そっか、よかった」

 エレナは照れくさそうに笑った。

「エレナこそ、あのあと大丈夫だった?」

「えーと、うん、なんとかなった!」

 エレナが親指を立てながら言う。言い方がなんだか嘘っぽくて、少し心配になった。エレナを問い詰めてみる。

「本当に?」

「なんとかなった!」

「本当の本当?」

「……トイレ掃除二回でなんとかなった!」

「なんとかなってないじゃん!」

 エレナが笑う。

「私も一緒に掃除するからね」

「えっ? いいよいいよ——」

「するから!」

「……うん、わかった」

 エレナは少しばつが悪そうで、でも嬉しそうだった。

「そういえば、なんでお母さんに電話かかったんだろ。私受話器取っただけだったのに」

「そっか言い忘れてた。寮の公衆電話はね、受話器に魔力を込めながら、心に強く想った人の電話にかけれるんだよ。だから電話番号いらないんだ」

「——なるほど」

 紗月は、図らずも電話の条件を満たしていた。

 

 その夜紗月はベッドでぐっすりと眠った。昨日よりも、ずっとぐっすりと眠れた。

 紗月の心は青空だった。

 

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