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それからしばらく、平穏な日々が続いた。
大きな調査もなく、体調も戻っていた。
「面倒だな」
「こればっかりは仕方ないですよぅ」
王族主催の大舞踏会。社交界にほとんど顔を出さないエドワードも、年に一度のこの場だけは欠席が許されない。
フランツに紺色のマントをかけられ、セラフィーナが宝石のブローチで留める。
「立派になられて……」
しんみりと乳母が言った。
「去年はまだ、留学直後でバタバタしていたからな」
腰までのプラチナブロンドの髪を、セラフィーナが丹念に整える。結い上げず、三つ編みにして背に流すと、光を受けて淡く揺れた。幼いころからその髪を撫でてきた人の手に、今も触れられることが不思議で、くすぐったい。
「いってらっしゃいませ」
両肩をぽん、と叩かれる。
「……あぁ」
◇◇◇
現王族の中でパートナーがいないのはエドワードだけだ。王族親族の寡婦、アデリア夫人がパートナーとして指名されていた。
エドワードは先に会場入りし、彼女を待つ。知らせを受け、馬車まで迎えに出る。
夕暮れの石畳に、靴音が澄んで響いた。無駄のない姿勢と、洗練された歩み。彼が進むだけで、周囲のざわめきがひとしずくずつ吸い込まれるように消えていく。
御者が一礼し、扉を開ける。中から薄布をかけたアデリア夫人が顔を覗かせた。
「アデリア夫人。来てくださってありがとう。パートナーをお引き受けいただき、感謝します」
差し伸べられた指は長く、指先まで気品が宿っていた。その優しい微笑みが、夫人を安心させる。――その刹那。
生ぬるい強風。幾枚もの白い薔薇の花びらが一斉に舞い上がり、マントが翻った。
悲鳴があちこちから上がり、馬車の扉が音を立てて閉じる。
ふっと風が止む。
手のひらに、一枚の花びらだけが残った。
「申し訳ありません!」
慌てた御者が扉を開け直し、我に返る。
「夫人、お怪我は?」
花びらを握り込んだ手とは逆の手を差し出す。
夫人はにこりと笑い、「びっくりしたわね」とおどけた声を返す。
「エドワード王弟殿下、本日はよろしくお願い申し上げます」
熟練された美しいカーテシー。
エドワードは腕を差し出し、会場へとエスコートした。
――けれど、手のひらに残したはずの花びらは、会場に着いたときにはもう消えていた。