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「殿下、お休みなさいませ」
「アウルもね」
緑の離宮に帰り着いたエドワードは、使用人たちに迎えられ、軽く頷きで返す。
書類をセラフィーナに、ジャケットとネクタイをフランツに渡しながら、歩きざまに告げた。
「僕は部屋に籠る。誰も通すな」
「後ほどお茶だけ、お持ちしますぅ」
「わかった」
◇◇◇
私室にひとりきりになると、ようやく息がつける気がした。
「今日は……やけに疲れたな」
広々とした部屋は、澄んだ空色と白を基調に整えられていた。
手前には白革張りのソファと卓が置かれ、背後には執務机と本棚。さらに奥には天蓋付きの寝台があり、壁も扉もなく一続きになっている。三つ並んだ窓からは夜の光が差し、寝室からも応接からもバルコニーに出られる造りだった。物は多くなく、一つ一つは最高級品でありながら、空間には静謐な清らかさが漂っていた。
靴を脱ぎ捨て、ソファに沈み込む。ランプの灯りが揺れ、空色の壁がふらついて見える。
やがてノックの音。フランツがティーワゴンを押して入ってきた。
「失礼しまーす。お茶淹れますよぉ」
「……あぁ」
甘い匂いが漂う。
「蜂蜜か」
「そうです。今日はミルクも付けましたよぉ」
「珍しいな」
「副監察官様からのご指示です。『殿下は何も仰らないけど、気落ちしていらっしゃる。甘い飲み物を』とのこと」
「……そうか」
「愛されてますねぇ」
エドワードは眉を歪め、フランツを睨む。だが相変わらずにこにこと笑っている。
「もう下がれ」
「はいはい。何かあればお呼びくださいませぇ」
静寂。
蜂蜜入りのミルクティーを一口含めば、胃の奥まで温かさが落ちていく。
窓がカタカタと鳴った。
かつては使用人も少なく、窓の開け閉めすら自分でしていたことを思い出す。――いつからだろう、あまり窓に自分で手をかけなくなったのは。
先ほど脱ぎ散らした靴が、いつの間にかソファの足下に揃えられている。
靴を履き直し、窓辺へと歩む。厚手の絨毯が足音を吸い込み、窓際の木床に変わるとコツ、コツ、と静かに響いた。
三つ並んだ窓のひとつをそっと撫でると、ガラスはひんやりとして、額を押し当てた。
「どこにいる……」
思わず声に出し、自分で驚く。――何を探しているのか。
知らない何かに引きずられていく感覚があった。
窓を開け放つ。
途端に強い風が吹き込み、白い薔薇の花びらが舞った。
あまりの強さに腕で顔を庇う。花瓶が音を立てて割れる。
……その時、確かに甘い声が耳を打った気がした。
『私を、選んで』
痺れるほど甘美な響き。
「……どうして」
次の瞬間には風も止み、香りも消えていた。
足元には割れた花瓶と、じわりと濡れた絨毯だけが残っている。
――声は、幻聴だったのかもしれない。