22
夜の離宮。
なぜか会えるという、甘美な確信があった。
バルコニーへの扉を開けた途端、柔らかな風が吹き込み、白い薔薇の花びらが宙を満たした。
まるでこの瞬間を待っていたかのように。
彼女はそこにいた。
白銀の髪は淡い月光を宿し、翠の瞳は潤んで輝いていた。
緑色に染まりつつある自分の瞳を、真っ直ぐに映してくる。
彼女は浮いているのか、エドワードの頭を包むように抱き締めて、甘やかなキスを落とした。
脳天から痺れるような甘い刺激。
見つめ合えば、互いの境界もぼやけるような錯覚をおぼえる。
知らずに、自分の瞳からも涙が溢れる。
待っていた。共にいられる日を。
甘い夢を見ていた。
このまま溺れてしまいたかった。
もう一度キスをしようとしたその柔らかい唇を、手で制する。
「……君は、シルフなのか」
声にした途端、彼女の翠の瞳から、ポロポロと涙が落ちた。
それはエドワードの頬に落ち、首筋を伝う。
「知られてしまったのね……」
か細い声。
やめてくれ。これ以上心を揺さぶるのは。
「君を愛している」
伝えてはいけない。愛してはいけない。
「もう会えない。掟だから」
彼女を抱き寄せる。冷たく、柔らかい肌。
「風が止まれば、私は散る花びら。あなたに触れることもできない」
「今、触れている。抱きしめている。君はここにいるではないか!」
触れてはいけない。離れなければいけない。
「世界樹よ、どうか忘れないで。風も花も、あなたを愛して散ったことを」
花びらがざわめき、足元を覆っていく。
風はまるで彼女の嗚咽そのもののようだった。
腕の中にあったはずの体は、いつの間にか欄干の上に消え入りそうに立っている。
「やめてくれ。行かないで」
追い縋ってはいけない。求めてはいけない。愛してはいけない。
愛してはいけなかったのに。
言葉が涙に変わる。
嗚咽は声にならず、胸を掻きむしるように痛む。
「私を選んで。私だけを」
彼女が白い腕を伸ばし、涙に濡れた翠の瞳から涙が零れ落ちる。
その瞳に囚われてしまう。
彼女が泣いている。
お願いだ、泣かないで。
エドワードはギュッと目を瞑る。
「……君を、選びたい……!」
翠の瞳に吸い込まれそうになりながら、それでも足掻いた。
「でも……選んではならない……! 僕は、人間だ……! 王族だ……!
僕はここにいなければならない……!」
その叫びに、風が止んだ。
花びらが宙に凍りついたように動かない。
彼女は泣きながら微笑んだ。
「あなたは正しい。だから、私はもう行かなくては。あなたを愛してしまったから」
「……っ! 待ってくれ!! 置いていくな!! 君を愛しているんだ……!」
伸ばした手を、風がやさしく払いのける。
白い薔薇の花びらが最後の雪のように降り注ぎ――彼女は消えた。
静寂。
膝をつき、エドワードは胸を掻きむしり、慟哭した。
「うああああああああああ――――っ!!!」
声は夜空に吸い込まれていく。
涙で濡れた床に、ただ一枚、白い花びらだけが残っていた。