17
第三者監察院の応接室は、他の部屋よりも整然としていた。
深緑の壁紙に重厚な木の腰壁。マントルピースの上には必要最低限の置物が並び、壁にかかった古い油絵も色褪せている。大きな窓は曇りガラス越しに外の霧を映し、薄い光が差し込んでいた。整えられているのに、どこか冷たい。まるで霧のように、静かで湿った空気が漂っている。
そんな部屋で、エドワードはソファに腰掛け、客人を待っていた。
◇◇◇
「お久しぶりでございます! 輝ける知性! 海底より深い見識! 我らに愛を注ぎし永劫の煌めき! 天上のお方――エドワード王弟殿下にご挨拶申し上げます!」
「……あ、はい。お久しぶりです。白き契約の会、代表のヨハン殿」
アウレリウスが呆れた顔で二人の間に入る。この熱量は、確かに少し怖い。
ヨハン代表はかつてヴァルハラ帝国との戦争で魔術結界を張り、大いに活躍した人物。失われた魔術研究と保護に人生を捧げ、王国の古い魔術研究塔を「聖地」とも呼ぶ男だった。
白き契約の会はかつて国籍を持たぬ宗教団体だったが、今や王国に帰化し、塔は再建され「王立魔術大研究所」として再び稼働する。その所長に任じられたのが、このヨハンである。
「こうして再びヴァレンシュタイン王国の地を踏み、さらに移住できるとは……感無量!」
「そう……。我々はあなた方を歓迎します」
「……っ! 殿下ぁ! いてっ!」
テーブルを飛び越えてエドワードの腕を掴もうとしたヨハンの手を、アウレリウスが叩いた。
「まぁ、冗談はさておき」
「冗談だったんだ……」
「いえ、敬愛は本心でございます!」
アウレリウスは深くため息をつき、エドワードは「王弟殿下」の微笑みを保つのに苦労していた。
「王国に帰化させていただき、男爵の爵位まで賜り……。これはもう誠心誠意、陛下と王族の方々に尽くす所存です」
「ありがとう。期待している」
ヨハンの目がうるうるしている。
「ところで……お人払いをお願いできますか?」
空気が変わった。
アウレリウスが従者たちを下げる。
「私は残った方がいいですか?」
「はい、いていただければ」
三人だけになると、ヨハンの顔は朗らかさを消し、鋭さを帯びた。
「……魔術とは異なる、人ならざるものの気配を殿下から感じました。お気づきですか」
エドワードの血の気が引く。
アウレリウスが静かに呼吸を整え、代わりに口を開く。
「それは、具体的に?」
ヨハンはじっとエドワードを見つめた。
「妖精ではない……精霊でしょう。しかもかなり力のある部類の」
「精霊……」
エドワードの唇が小さく動いた。
「お気をつけください。あれらは人とは異なる理で生きる者。常識は通じません。心を許せば――あちらの世界へ引きずり込まれる」
「過去に、そういった例が?」
「大変希少ですが、存在します」
「資料があれば、拝見できますか」
「もちろん。すぐに届けましょう」
◇◇◇
ヨハンが下がっても、エドワードはソファから動けなかった。
「エド……」
アウレリウスが肩に手を置くと、細かく震えているのがわかる。
「精霊……だと……?」
「エド、しっかりしろ!」
「僕は……精霊に魅入られているのか」
アウレリウスは正面に回り、両肩を強く掴んだ。
「エド! まだ断定はできない。これから一緒に調べよう。気を持て!」
虚ろだった瞳が、ようやくいつもの理知的な空色に戻る。
――その瞬間、窓がカタカタと鳴った。