14
扉が開かれた途端、冷たい風が吹き上がった。
視界を埋め尽くすほどの白い薔薇の花びら。
――悲しい。
泣き叫ぶ愛しい人の声が、風に混じる。
泣かないで、愛しい人。
『誰のものにも、ならないで』
僕は君のものだ。
お願いだ、泣かないで。
『私を、選んで』
僕は君だけを探している。
泣かないで、愛しい人よ。
視界が白に覆い尽くされた、そのとき。
悲鳴が現実へと引き戻した。
「アウル!」
アウレリウスのマントが欄干に引っかかり、彼の体はバルコニーの外に投げ出されていた。
「引き上げる! 手を伸ばせ!」
「……エ……ド!」
絡まったマントが首を締めている。
無我夢中で腕をつかみ、全力で引き上げた。
二人で床に倒れ込む。
「はぁ……はぁ……」
顔を上げれば、そこに彼女がいた。
翠の瞳が、まっすぐこちらを見ている。
「どうして? なぜ助けたの?」
真珠のような涙が、真っ白な頬を伝い落ちる。
白い花びらがはらはらと降り注ぐ。
「余計なものは、白薔薇で散らしてしまうの。
あなたの枝に咲くのは、私ひとりでいいのに……」
今すぐ抱きしめたい。涙を拭ってあげたい。
衝動を抑えるように、自らの体を強く抱いた。
「……エド! しっかりしろ!」
掠れた声で、アウレリウスが裾を掴む。
いつだって自分を支えてきた声。
――これだけは失えない。
気づけば、頬を涙が伝っていた。
袖で乱暴に拭い、叫ぶ。
「もう僕の前に現れるな!
彼は僕の半身なんだ! アウレリウスにだけは手を出すな!」
その瞬間――風も、花びらも、音さえも消えた。
◇◇◇
静まり返るバルコニー。
「エド……」
「アウル! 大丈夫か!?」
「俺はエドのおかげで助かった。……ありがとう」
息を整え、彼は続ける。
「ただ……俺には、何も見えなかった」
「……そうか」
風のない夜は、あまりにも静かだった。
ふと、袖口に目を落とす。
一枚の白い薔薇の花びらが、そこに留まっていた。
指先で触れた瞬間、淡い光を残して溶けるように消える。
――まるで、最初から存在しなかったかのように。