挽回の機会をくれないか!
その頃、レオンはクラリスと話をするため、ローレンツ伯爵邸の門前に立っていた。
レオンが門番に「クラリスはいるか」と尋ねると、門番は丁寧に答える。
「まだお帰りになっておりません」
「……そうか」
「婚約の件でしょうか? 中でお待ちになりますか?」
「そうだな。……いや、やっぱりいい、ここで待つ。だから、俺が来たことは誰にも言うな」
「……はぁ。かしこまりました。では、何かあればお声がけください」
門番は不思議そうな顔をしながら、奥へと戻っていく。
レオンはその背中を見送って、小さく息を吐いた。
(クラリスより先に、家族に会うわけにはいかないからな)
ローレンツ家から婚約破棄を求める書類が届いてから、早四日。
けれどレオンはまだ、書類を送り返していない。
クラリスとの婚約破棄を認めたくなかったレオンは、父を通して、ローレンツ伯爵に「猶予」を貰えるようにお願いしているところなのだ。
そんな状況で屋敷の中に招かれれば、あれやこれや尋ねられるに決まっている。
それを考えると、気安く足を踏み入れる気にはなれなかった。
(まずはクラリスと話すのが先だ。どうせすぐに帰ってくるだろう)
レオンは門の外に立ち、時間が過ぎるのを待つ。
けれど、クラリスはなかなか帰ってこない。
(友人と寄り道でもしているのか?)
最近のクラリスはいつも沢山の女生徒たちに囲まれているから、きっとその中の誰かと一緒にいるのだろう。
そんなことを考えながら、レオンは腕を組み、空を見上げた。
青かった空は次第に赤く染まり、濃紺へと変わりつつある。
「……にしても遅いな。もう夜だぞ」
女性だけで出歩くには、流石に遅すぎるのではないか。
――じわりと胸の奥が苦しくなる。
レオンはこれまで、クラリスを待たせることはあっても、自分が待たされたことはなかった。
約束をしていないとはいえ、待たされるというのはこんなにも不安な気持ちになるものなのか。
しかも、クラリスは今、自分ではない誰かと一緒にいて、自分のことなどすっかり忘れて過ごしている――そう思うと、言いようのない焦りが込み上げた。
ここまで来て、屋敷の門前で待ち続けている自分が、あまりにも惨めに思えてくる。
それでも、レオンは動く気にはなれなかった。
クラリスが戻ったのは、日が完全に沈んだ後のことだった。
レオンは、暗がりの向こうから現れたクラリスの姿を見て、目を丸くした。
「……歩きだと?」
レオンはてっきり、クラリスは馬車で帰るものだと思っていたのだ。
それがまさか歩き。しかも、どう見てもひとりである。
レオンはぞっとした。
「クラリス!」
レオンが声を荒げると、クラリスはようやくレオンに気付いた様子で、不思議そうに声を上げる。
「まぁ、レオン様。こんなところでどうされたのですか?」
「どうした、じゃない! お前、こんな時間まで何をしていた! 令嬢が遅くまでふらふらと……どうして馬車を使わない!? 危ないだろう!」
すると、クラリスは一瞬きょとんとして、にこりと微笑む。
「いつものことですから」
「いつものことだと!?」
それが当然とでも言うようなクラリスの口調に、レオンは開いた口が塞がらなかった。それが自分のせいだという考えは、少しも浮かばないまま。
「大丈夫ですよ。危険な路地は、全て把握しておりますから」
「――っ」
「それより、今日はメリッサ様のお見舞いに行かれなくてよろしいのですか? いつもならこの時間、メリッサ様のところにいらっしゃいますよね?」
「そ、それは……」
「もしかして、書類を持ってきてくださったのですか? 郵送でよろしかったのに」
「――!」
レオンは絶句した。
書類――それは、婚約破棄の書類に違いなかった。つまりクラリスは、レオンが婚約破棄の書類にサインを入れて持参したと考えたのだ。
レオンはショックのあまり頭を真っ白にしながら、必死に言葉を絞り出す。
「ち……、違う」
「違うのですか? ……そうですか」
すると、心底残念そうに眉を下げるクラリス。
その表情にレオンはさらにショックを受けたが、それでもどうにか「クラリス……俺は……」と、必死に何かを言いかける。
だがそのときにはもう、クラリスはレオンの横を通り過ぎた後だった。
「でしたら、わたしはこれで失礼しますね。門限がありますので」
「――!」
門の取っ手に手をかけながら、クラリスはレオンに軽く微笑んで、屋敷の門をくぐろうとする。
その横顔は、まるでレオンのことなど気にしていない。
レオンは、それが耐えられなかった。
気付けばレオンは、クラリスの腕を掴んでいた。
「待ってくれ、クラリス!」
「――っ、……レオン様?」
流石に驚きを隠せないクラリスに向かって、レオンは声を張り上げる。
「俺に、挽回の機会をくれないか!」