レオン様の気持ちに応えることはできません
それはレオンの本心だった。
嘘偽りない、心からの言葉だった。
けれど、クラリスは到底信じることができなかった。
婚約破棄を突きつけるまで、レオンは自分に見向きもしなかったというのに、どうしてその言葉を信じられるだろうか。信じられるわけがない。
クラリスは困った様に眉尻を下げる。
「……そんな、気を遣わなくていいんですよ。メリッサ様は優しくて、お美しくて、レオン様が好きになるのもわかります。わたしとレオン様はもう婚約破棄したのですから、今更取り繕う必要はありません」
「――ッ、いや……違う、本当に俺はお前を……」
しどろもどろになるレオンに、クラリスは痺れを切らしたのか、はっきりと言い放つ。
「そうは言いますが、レオン様はわたしといるとき、いつもつまらなそうだったではありませんか。手紙を書いてもお返事はなく、外出にも、ランチにも、誘ってくださったことはありませんよね?」
「……っ」
「誕生日プレゼントも、メリッサ様に選ばせていたでしょう? それに、読書をしているわたしに向かって『他にすることはないのか』と、馬鹿にしたように仰いました。……覚えていらっしゃいませんか?」
「――!」
レオンはぐっと押し黙る。
全て、紛れもない事実だった。こうして言葉にされると、いかに自分が最低な男だったか身に染みてわかる。
けれど、ここで逃げたら終わりだ。
「全てお前の言うとおりだ。俺は最低な男だった。でも、それには理由があるんだ」
「……どのような?」
レオンは唇を噛みしめ、恥を忍んで、口にする。
「……俺がお前を誘わなかったのは、一緒にいると、緊張して上手く話せなかったからだ。下手に話して、退屈な男だと思われたくなかった」
レオンは続ける。
「手紙は……何を書けばいいかわからなかった。俺は昔から手紙が苦手で……くだらない文章を書いて、頭の悪い男だと思われたくなかった。プレゼントも……何を贈れば喜んでもらえるかわからなくて、メリッサにアドバイスを貰ったんだ」
「……では、読書のことは?」
「それは……ただ、お前が本ばかり読んでいて俺に見向きもしないから、かまってほしくて……意地悪を言ったんだ。……今は、全部後悔してる。謝って済むことじゃないが、本当に悪かった」
「…………」
クラリスは言葉が見つからなかった。
まさか本当にそんなくだらない理由で、これまでないがしろにされてきたのかと。
だが、レオンは至極真面目な顔で、自分を見つめていて……。
(嘘じゃないんだわ。――ということは、レオン様の『わたしが好き』という言葉も……?)
混乱するクラリスに、レオンは尚も続ける。
「今さら"やり直したい"なんて言う資格はない。好きになってほしいだなんて、おこがましいにも程がある。だが、お前がいなくなると思うと、胸が苦しくてたまらなくなるんだ。……だからお願いだ、クラリス。どうか、俺の目の届くところにいてくれないか。帝国になんて、行かないでくれ」
「……っ」
クラリスの心に、レオンの気持ちがようやく届く。
レオンは、やり方は間違っていたけれど、確かに自分に本気だったのだ、と。
けれど、それを知るのは、あまりにも遅すぎた。
クラリスはしばらく瞼を伏せて黙っていたが、ソプラノの声が止んだところで、不意に顔を上げる。
「……わたしも、もっと素直に気持ちを伝えるべきでした。物分かりのいい婚約者であろうとして、無理をしていたのかもしれません。よく考えたら、わたしの方も、レオン様にはっきり想いを伝えたことはありませんでした。ですから、お互い様だったのかもと思います」
けれど、そう言った後、クラリスはきっぱりと告げる。
「ですが……申し訳ありません。レオン様の気持ちに応えることはできません。 わたしは、帝国へ行きたいと、本気で思っているんです」
レオンは、クラリスを見つめたまま、動きを止めた。
「……ラインハルトと一緒に行くのか? ……あいつのことが、好きなのか?」
「いいえ。ユリウス様とはそういう関係ではありません。あの方は、大切な友人です」
「なら、縁談を避けるためか……? その為に、帝国に……」
「違います。……確かに最初は、縁談を避けられるなら、と思いましたけど。帝国のことを調べているうちに、本当に行ってみたくなったんです。この国では、貴族の女性は結婚する以外に道はありません。でも、帝国は全然違うんです。貴族の女性でも、好きな仕事をしている方が大勢いて。そんな未来に、憧れてしまったんです」
「…………」
「わたしは自分の人生を、自分で選び取ってみたい。……兄には反対されましたし、家族の説得はこれからですけれど、諦めるつもりはありません」
そう言って、すがすがしいほど明るい笑顔で微笑むクラリスに、レオンはもう、何一つ言えなくなった。
ただ一つ分かったことは、自分にはもう、望みはないということ――それだけだった。
結局、レオンは最後まで何も返さなかった。
ただ、滲んだ視界の向こうに浮かび上がる煌びやかな舞台を、どこか遠い世界のことのように、ぼんやりと見つめていた。