素敵な贈り物をありがとうございます
広場に着くなり、レオンはさっそくアプローチをかける。
「何か欲しいものがあれば言え。全部買ってやる。花でも菓子でも、アクセサリーでも」
「え? でも……」
「遠慮するな。婚約者にプレゼントを贈るのは、当然のことだからな」
(婚約者……)
『婚約者』の部分を敢えて強調するレオンに、クラリスはどう反応すべきか困ってしまった。
確かに今はまだ婚約者の関係であるし、レオンの思惑を理解しているとはいえ、クラリスは婚約破棄を覆すつもりはなかったからだ。
(いくら噂を払拭するためとは言え、これから婚約を破棄する相手から贈り物を貰うのは、気が引けるのよね)
消え物ならともかく、アクセサリーなど貰ってしまったら最悪だ。
元婚約者からのアクセサリーなど、一生お蔵入りになること確定である。
そう思いながらも、ふと視線を向けた先に気になる露店を見つけ、クラリスは目を輝かせた。
「クラリス……?」
レオンが視線を追うと、その露店には沢山の本が並んでいる。本以外にも、ブックカバーや本のしおりなどが並べられていた。
それを見たレオンは、不意に思い出す。
(そう言えば、クラリスは本を読むのが好きだったな)
これはチャンスなのでは?
レオンはすかさずクラリスの手を引き、露店に向かった。
露店に並んでいたのは、隣国ノルディアの本だった。
それらの殆どは、この国の第二言語である帝国語に翻訳されていたが、ノルディア語の本もある。
クラリスは、その中の一冊に目を止めた。
(これって……!)
そこにあったのは、ルース・A・ジュリアンの本だった。
ノルディア語のためタイトルは読めないが、名前の形だけは覚えたのだ。間違いない。
「あの、これって『ルース・A・ジュリアン先生』の貴書ですよね……!?」
言いながら顔を上げると、売り子の男性は眼鏡の奥の瞳を大きく見開いて、嬉しそうに微笑む。
「そうだよ。二週間前に出たばかりの新刊なんだ。ノルディア語なのによくわかったね」
「恥ずかしながら、読めるのは先生のお名前だけなんです」
にしても、『新刊』とは何と甘美な響きだろう。
一層瞳を輝かせるクラリスに、売り子は目を細めた。
「君、ジュリアン先生のファンなの?」
「はい、先生の本は全て揃えました! と言っても、帝国語に翻訳されたものだけで、原書は一冊もないんですけど……」
「ノルディア語はマイナーだからね。国外にはほとんど出回らないんだ」
「そうなんですね。……あの、これいただけますか?」
「もちろんだよ。でもノルディア語だよ? あと二週間も待てば、帝国語翻訳版が書店に並ぶと思うけど」
確かに、この国では一般的にノルディア語は学ばない。母国語以外には、帝国語を学ぶのみだ。諸外国の大抵の書物は、大陸公用語である帝国語へと翻訳されるからである。
その為、ノルディア語を話せるのは外交官や政務官くらいなもの。
当然、クラリスも話せもしないし読めもしない。
けれど、辞書を引けば何とかなるだろう。
「当然、そちらも買います。でも、一度原書で読んでみたかったんです」
「そう言ってもらえると、彼女と同じノルディアの民として誇らしいよ」
――こうしてクラリスは、露店にて運命の出会いを果たしたのだった。
それから少し後、レオンはクラリスと共にカフェでお茶を飲んでいた。
本を手に入れてから、クラリスはずっと上機嫌である。
「本当に本だけで良かったのか? 他にも何か――」
「いいえ、十分です。とても素敵な贈り物をありがとうございます、レオン様」
「――!」
愛らしい笑みを浮かべるクラリスに、レオンは頬を染める。
(たかが本一冊で、こんなに喜ぶのか?)
結局、ルース・A・ジュリアンの本は、レオンが購入した。
自分で買うと言い張るクラリスに、「いや、俺が払う」と無理やり売り子に金を受け取らせた形だが、クラリスは本が手に入る喜びが大きかったのか、その後はずっと機嫌がよく、こうしてお茶の誘いにも快く応じてくれた。
(『ルース・A・ジュリアン』、だったか? 俺も一度、読んでみるか)
思えば、自分はクラリスのことを殆ど知らない。
何が好きで何が嫌いか。食の好みも、好きな色も、彼女が何に喜び、何に悲しむのか。どんな内容の本を好むのか。
十歳のときに婚約してから七年が過ぎたというのに、何一つ知らないのだ。
(彼女のことを、もっと知りたい)
こんなことを言えば、何を今さらと、クラリスはきっと怒るだろう。
だが例えそうだとしても、クラリスを諦める理由にはならなかった。
「クラリス」
「はい、レオン様」
レオンが呼ぶと、最高の笑顔で返事をするクラリス。
その微笑みに胸を高鳴らせながら、レオンはおずおずと口を開く。
「ヴィクトルが、隣町に新しい本屋ができたと言っていた。来週行こうと思うんだが、一緒にどうだ?」
すると、クラリスは意外そうに目を見開く。
「本屋ですか? レオン様が?」
「俺だって本くらい読む」
実際は、教科書以外の本を読んだのは思い出せないほど昔だが、嘘も方便である。
だがその一方で、クラリスはすぐにレオンの嘘に気が付いた。
昔からクラリスが本の話題を出すたび、つまらなそうに顔をしかめていたレオンである。それどころか、クラリスが本を読んでいると、「そんなものよく読めるな」「他にすることはないのか?」などと度々馬鹿にしてきた。
そんなレオンが本を読むはずがない。
おかしなことを言う――そう思ったが、ここでもクラリスは閃いた。
(わかったわ! レオン様は自分の苦手を押し殺してでも、婚約者の為に尽くす姿を周りに示したいのね! 策士だわ……!)
それもこれも、全てはメリッサのために。
レオンがメリッサのことを愛していると確信しているクラリスは、当然そのように思った。
加えて、こうも考える。
(お二人の間の噂が完全に消えれば、レオン様もわたしとの婚約を破棄しやすくなるはずよ。どうせ、いつまでもこのままではいられないもの。それに、新しい本屋だなんて、素敵じゃない?)
本音と建て前を半々に、クラリスはにこりと微笑む。
「ええ、ぜひご一緒させてください。わたしたちのこの関係も、そろそろはっきりさせなければなりませんし」
「あ、ああ……そうだよな!」
後半の意味はよく理解できなかったが、クラリスとの次の約束を取り付けたレオンは、それ以上深く考えることはなかった。
こうしてクラリスとの関係に手応えを覚えて帰路についたレオンだったが、しかし、そんな彼を待ちうけていたのは父親の信じられない言葉だった。
「……は? 父上、今何と……」
父親の書斎で、レオンは呆然と立ち尽くす。
「二度も言わせるな。お前とクラリス嬢の婚約破棄が成立した。今後一切、クラリス嬢には近付くな。これは当主命令だ」