第1話 婚約破棄してくださいね。
【ランドルフ様
ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです。
学院の夏休みで領地にお帰りになるのですね。ごゆっくりとお過ごしください。
私は実家に帰ります。
何をどう考えても、貴方と私とではつり合いが取れませんので、この婚約は破棄してくださいますよう、お願い申し上げます。
さようなら。お元気で。
マルガレータより】
待ちに待った愛しの婚約者からの手紙が来て、学院の中庭でそっと開く。うふふっ。
王都の学院に来てからというもの、僕が毎週手紙を出しているのに、マルからの手紙はこれが初めてだ。一年ぶりにゆっくり帰れると喜んでいたのに…。
にこにこしながら開いたら…これ?
「お、珍しいなあ、あのめんどくさがりの妹が手紙を寄こすとはな。」
マルの兄であるヘンリックが寄って来て覗き込む。
「え?あ?ああ、あいつらしいなあ。色々と面倒くさくなったんだろう。お前の家の屋敷で行儀見習いさせてたんだろう?よく持ったよ。うん。春の舞踏会に出て、いよいようんざりしたんじゃない?まあ、デビューだから仕方なかったけどね。」
「・・・・・」
「独占欲強すぎない?こういっちゃなんだけど、誰も取らないって。社交的でもないし、絶世の美女ってわけでもないし。まめでもないしねえ。
お前、この前の春の舞踏会でも女の子に囲まれてたじゃない?その中からでも、ちょちょいと選べばいいんじゃない?」
「・・・・ちょちょいと?人生の伴侶を?」
「・・・重い。重いよ。そうじゃなくてさ、マルじゃなくても女の子は沢山いるってこと。」
ヘンリックの領地はうちの領地のすぐ隣にある。小さくて可愛らしい領だ。
遥か昔の分家筋にあたるらしく、ずっと付き合いもあり、良好な関係。
ヘンリックが同じ年だったこともあり、行ったり来たりの付き合い。2つ下の妹、マルガレータも一緒に3人で仲良く親戚付き合いのような関係だった。
マルが15歳になったので、父上に頼んで婚約の申出をしてもらった。
学院に来るのかと思ったら、めんどくさそうなのでやめたらしい。
僕が王都の学院にいる間に、どっかの誰かと婚約なんかされたら困るし。
僕の家はどこかの勢力に媚を売る必要もないし、政略的に繋がりが必要ということもない。父も嬉しそうに申出を了承してくれた。
ここ一年は、母が呼び寄せて行儀見習いをさせていた。
まさか…嫁姑争い?
母はマルを本当の娘のように可愛がっていたが、立場が変わったから?
ぐるぐる考えを巡らせていると、
「まあ、夏休みになったらとりあえず帰ろう。僕もお前んちの馬車に乗せてよ。」
ヘンリックがこともなげに言う。
そうだな。とりあえず帰って話をしよう。
*****
「ま、マルちゃん?」
ごそごそと自分の荷物をかき分けているマルガレータ様に奥様が恐る恐る声を掛けていらっしゃる。足の踏み場がないほど荷物が散乱している。
「こ、これはどうしたの?アンネ?」
「奥様、いつもお嬢様のお部屋はこんな感じです。」
「こんな?まるで泥棒が入った後の現場みたいなんだけど?」
「そうですね。いつもです。」
「いつも?って、お掃除係がはいるでしょう?」
「どこに何があるのか分からなくなるから、掃除はしなくていいと申されましてね。」
「え?」
「例えば、本を読んでいますでしょう?ご不明な点を違う本で調べているうちに面白くなってその本を読み進みますね。すると、参考文献があったりしまして、どんどん幅が広がっていくらしいです。最終的には元の本に戻りたいので、そのままになるわけです。3冊も4冊も。本以外でもそんな感じです。刺繍を始めたとするでしょう?お花の形の確認に植物図鑑を開くでしょ…」
「そ…お洋服は?」
「お洋服も、明日また同じものを着るのでそのままで構わないと申されましてね。」
「そ…???」
「但し、お風呂は入れております。強制的に。ほおっておくとそのまま本を読んだり、書きものをしたりして寝てしまいますので。」
呆然とした奥様と二人で、マルガレータ様のご自分の荷物の発掘現場を眺める。
「あったわ!アンネ!」
嬉しそうにお嬢さまが掘りだした小箱。
流石です。お嬢様。この汚部屋で自分がどこに何を置いていたのか把握なさっていらっしゃる。頭に綿埃が付いています。
「あら、お義母様、いらしていたのですね?気づかず、申し訳ございません。」
小箱を持ったまま、お辞儀をしている。部屋の汚さとミスマッチ?綺麗なお辞儀だ。何でもそつなくこなして、もう教えることが無くなったわ、って奥様が喜んでた。
お嬢様が急に実家に帰るというので止めに来たんだろうけど…。
「と、とりあえず、お茶にしましょう?」
奥様の動揺が伝わります。ま、びっくりしますよね。
私は一年見てまいりましたので、慣れ?いえ、あれはあれで、お嬢さまにとっては合理的なお部屋なのでございましょう。最初の頃は散らかす端から片づけたくてうずうずしましたが。
ティールームで、お茶を出す。
お嬢さまの茶器の扱いは優雅だ。とてもあんな汚部屋に生息なさっているようには見えませんね。頭の綿埃は取らせていただきました。
「それでね?マルちゃん。お家に帰りたい、って話なんだけど。」
「はい。」
「何かやりたいことがあるのかしら?」
「そうですね、一度婚約破棄とかすると、いい縁談はないと聞き及びますので、市井の生活をしたいと思います。」
「い?」
「それからこれは、ランドルフ様から頂いた婚約指輪です。ジーモン侯爵家に代々伝わるものと伺っております。新しい婚約者様のために、お返ししておきますね。」
「え?」
お嬢さまが先ほど汚部屋で探し出したものですね。
綺麗に装飾が施された小箱ごと、にっこり笑って滑らすように奥様に。仕草もお綺麗です。
「わかりました。とりあえず、ご自分で生活なさってみなさい。マルちゃんに丁度いい一人暮らし用の家を紹介いたしますわ。それでどうかしら?」
奥様?坊ちゃまに叱られますよ?
「まずは3か月。大丈夫なようなら、そのお家を差し上げてもよろしくてよ?
そのかわり、無理ならここに帰って来てね。それから、家賃は月に5万ガルド。自分で働くのよ?できるかしら?最初の月は何かと大変だから、翌月払いでいいわ。」
「よろしいんですか?ありがとうございます、お義母様!!」
スキップしながら汚部屋に戻られるお嬢様を見送る。
「奥様?」
「ああ、アンネ、大丈夫よ。あの子だって貴族の娘よ?1か月もしないで音を上げるわ。うふふっ。」
そうでしょうか?