氷雪侯爵と仮面夫婦になったのでアイスクリームを作ります
この国は、南から北へと長く伸びたバゲットのような形をしています。
そして北端は極寒の氷雪地帯で、一年中雪が溶けないのです。そこを統治しているのがトリスタン・ネージュ侯爵閣下。
幼い頃に爵位を継ぎ、生活さえも厳しいような領地で辣腕をふるい続けた閣下は、婚期と言えそうな年齢になっても領地に引きこもり執務に励まれているそうです。王都に出てきて社交することはほぼありません。
彼が唯一参加するのは建国祭。
その際、見目の良さから令嬢たちの好奇心の的にはなるものの、対応があまりにもそっけなく、周囲にブリザードを渦巻かせていました。そのせいで付いた通り名が『氷雪侯爵』です。
「――――で、その侯爵閣下と結婚しろということですか?」
「あぁ。彼の働きはオレリアも知っているだろう? この国の経済は彼と彼の領によって支えられている。彼の代で終わらせるわけにはいかないのだよ」
お菓子作りが大好きすぎて、結婚などしないと断言していたのですが、伯父上である国王陛下に契約結婚を持ちかけられました。
「やっと彼が了承したのだよ。口うるさくなく、お互いの行動に干渉しない、そんな契約ができる相手ならば結婚していいと」
「なるほど――――」
「――――ということで、本日よりこちらへ輿入れして参りました、オレリアでございます」
「聞いてないのだが?」
「手紙はこちらに」
国王陛下から預かった手紙を氷雪侯爵に渡すと、眉間に皺を寄せて目を通し始めた。
ふわりと揺らめく炎のように赤い髪と、全てを凍らせるような青い瞳。しっかりと鍛えられているのが分かる、引きこもりとはいえないであろう体格。
今までは遠くから数度お見かけしたくらいでしたが、目鼻立ちの整ったお顔なことも相まって、ご令嬢たちが色めくのがやっと分かった気がしました。
「――――なるほど。子さえ成せば仮面夫婦でも構わない、と書かれているが、君はそれでいいのか?」
氷雪侯爵は現在二十八歳、私は二十歳。婚期真っ只中ではあるものの、お互いに結婚する意思も意欲もないことから、国王陛下に勧められたのだと話すと、更に深く眉間に皺を寄せられてしまいました。
「…………勝手にするといい」
氷雪侯爵が侍女を呼び、私を客間に案内するよう伝えました。
持ってきた荷物は従僕たちに運ばせるそうです。ありがとう、よろしくねと、使用人たちに礼を言うと、少し驚いたような表情のあと、恭しく臣下の礼をとられました。
部屋はかなりの広さで、上級貴族用の客間のようです。極寒の地だと聞いていて、外はその通り全てが真っ白な世界だったのですが、城内はとても暖かく保たれていました。そして、案内されたこの部屋も、しっかりと暖められており、念のためにと着ていた上着を脱がないと汗をかいてしまいそうなほどでした。
荷物を置く場所などを聞かれたので、三つのトランクは服なのでクローゼットに、二つは生活用品なのでキャビネットなどに並べるようお願いしました。
「残り五つのトランクはどうされますか?」
「あぁ、それは……あ。許可を取り忘れましたね。トリスタン様にお目通り願いたいのだけど」
「ご主人様は先ほど城下町へ視察に向かわれましたが……」
「そうなのね。昼食には戻られるかしら?」
侍女と従僕たちが顔を見合わせて、夜までは戻らないことが多いと、申し訳無さそうに謝ってきました。
気にしないでいい、残りのトランクはそのまま置いておいて、とお願いして片付けを終了しました。
そのタイミングで老齢の執事が部屋を訪れ、お茶を運んできました。
「ご挨拶が遅れました、執事のポールでございます」
ぴっしりと撫でつけられた白銀の髪と、一切着崩れしていない執事服。とてつもなく遣り手の気配がします。
「ポールね、よろしく。早速だけど、城内を案内してくれないかしら?」
北の要であるこのネージュ領の領主が住むのは、数代前の国王が頑丈に造らせたお城です。当時は他国との戦争が頻繁に起こっていたため、かなり重厚な造りになっており、城内も複雑な造りになっているようでした。
「申し訳ございませんが、承知致しかねます」
「あら? どうして?」
「トリスタン様と城内で働く者のため、貴女様が本当にオレリア・デュフレーヌ様かどうか確認できるまでは、こちらの部屋からお出にならぬようお願いに参りました」
これは…………前途多難ね? まぁ、部屋から出ないでと言われたのであれば出はしないけれども、その代わりに欲しいものは持ってきてくれるのかしら?
「食事はどうするの?」
「部屋に運ばせます」
「そう。トリスタン様が戻られたら、話したがっていると伝えてくれるかしら?」
「承知しました。お伝えはします」
「…………よろしくね」
伝えはする、ということは、話せない可能性の方が大きいってことね。まぁいいわ。とりあえずは、言われた通りに部屋でのんびりしていましょう。
昼食も夕食も部屋で取りましたが、トリスタン様からもポールからも何も連絡はありませんでした。そして、翌朝も部屋で食事をしました。
これは本格的に会ってはもらえないのでしょう。
もしかしたら、無視しておけば勝手に逃げ出すと思っているのかも?
であれば、こちらはこちらで好きにしても良いのでしょうか? 一応、部屋に居ろという言い付けは守る方向で。
「ねえ、ちょっとお願いしたいものがあるのだけど」
「は、はい」
二人の侍女と侍女見習いの子を付けてもらっており、何か欲しいものがあれば彼女たちに頼んでいいと、初日に執事のポールから言われていました。であれば、最大限期活用せねばなりませんよね?
「先ずは部屋の温度を少し下げて欲しいのよ。窓を開けて構わないから、お願いできる?」
「え……っと、暑かったのでしょうか?」
「あっ、ううん。違うの、貴女の温度管理は完璧よ。ただ、やりたいことがあってね。それから――――」
持ってきて欲しいものをお願いすると、侍女が怪訝な顔をしたものの、了承してくれました。とりあえず、一歩進みましたね。
部屋はかなり広く、軽い炊事であれば出来るようなキッチンも備え付けられています。流石と言うべきか、大きな氷が入った氷室箱もありました。これなら、色々と出来そうだと思っていたので、やってしまおうと。
思い立ったが吉日という言葉が東の国にあるのですが、私はこれを信条としています。
「お待たせいたしました」
「ありがとう」
持ってきてもらったのは、生乳と生食の出来る卵と砂糖。
そして、不揃いに砕かれた氷と塩。氷は食しはしないので、ある程度綺麗であれば構わないと伝えていました。
今回使う道具は、材料を取りに行ってもらっている間にトランクから出し、しっかりと洗っておきました。
「さて」
先ずはボウルに卵黄だけを入れて、そこに砂糖を入れます。卵黄が白っぽくもったりとするまで、泡だて器でしっかりと混ぜます。
次に、生乳を鍋で温め、鍋肌の生乳がふつふつと泡立ち沸きかけたら火からおろします。そして、先程作った卵液に生乳を少しずつ入れながら泡だて器で混ぜます。ここでしっかりと撹拌しておかないと、味がぼやけてしまうので注意です。
しっかりと混ざったら、別の大きなボウルに持ってきてもらった氷を入れてそこにお塩を振りかけます。そのうえに先程作った液の入ったボウルを乗せ、ヘラでゆっくりと回しながら、冷やしていきます。
ボウルの肌で冷やされ少し固まりかけたものを軽く剥がしながら混ぜ続けると、段々と液がもったりと重たくなっていきます。
ここで氷室箱の出番です。
中に入る程度のボウルを選んでおいたので、しっかりと中に収めて、少し休憩。
今回はノーマルのものだけど、色々な具材を足したりもしたいなぁ、なんて考えているうちに三十分経っていました。
氷室箱からボウルを取り出し、少し固まりつつある卵液をヘラでしっかりと撹拌。これを二〜三回繰り返すと、滑らかミルクアイスの出来上がりです。
「あの……先程から何をされているのですか?」
「あら? ポール。いつの間に?」
どうやら、侍女たちから私が部屋で何かをしていると、連絡がポールに入ったようです。
暇だから趣味に邁進していると伝えると、怪訝な顔をされてしまいました。
「丁度良かったわ。貴方も一緒に食べましょうよ」
アイスを掬い、持参していたカップに入れて、ソファ前にあるローテーブルに並べました。
「ほらほら、みんな座ってちょうだい」
侍女二人とその手伝いの幼い女の子、そして執事のポール。四人と私でソファに座り、アイスをパクリ。といっても誰も手を付けようとしなかったので、私が一番に食べ始めたけれど。
「あのっ……食べていいのですか?」
女の子はメルというそう。八歳で、侍女見習いなのだとか。
「いいわよ。溶けちゃうから、早く食べなさい」
「はいっ――――ふわぁぁぁ、あまぁい! 美味しいですっ!」
「でしょう?」
王都では氷はとても貴重なもので、気軽にアイスなど作れませんでしたが、ここでは有り余るほど。持参金も国王陛下からの融資金というか、謝礼金を上乗せして持ってきているので、お菓子は作り放題です。
今回の材料費も、ちゃんと私の持参金から差し引くように伝えています。
私は後ろ暗くならずに、美味しいものを美味しいと食べたいのです。
「っ……美味しいですな」
「ふふっ。でしょ? トリスタン様には内緒よ?」
唇に人差し指を縦にあて、メルにそう言うと、コクコクと必死に頷いていました。
そんな初アイスの日から四ヵ月。
週二回は必ずアイスディを開催し、他の日はたまに焼き菓子なども作って、充実した日々を過ごしていました。
特に何も言われない事から、毎食部屋で取り、トリスタン様が執務室に籠もっている日や視察などで長時間外出する日などは、厨房にもこっそりと出入りしていました。
「オレリア様、トリスタン様が執務室でお呼びです」
「え…………なんで?」
執事のポールが部屋に来てそう告げました。
アイスディに必ず参加するようになっていたポールは、ほぼ私の味方になってくれてはいましたし、けっこう色々と融通を利かせてくれるようになっていました。
「アフタヌーンに出てくる菓子や、食後のデザートがオレリア様作だとバレてしまいました」
「えぇ? なんで?」
「っ……ごめ、なさい…………」
部屋の扉がゆっくりと開き、涙目のメルがお仕着せのスカートをギュッと握りしめていました。
「メル、どうしたの?」
「ごしゅ、じんさまが……っ、きょ、今日のクッキー、レモン味はじめて食べたって。とっても、おいしいって。食べてみなさいってくれたんです」
――――へぇ?
トリスタン様って、使用人たちにも氷雪系なのかと思っていたのですが、予想外に近く、そして優しいようですね。
「それで?」
「このまえ食べて、おいしいの知ってたから。ご主人さまのために作ってたから、ご主人さまが食べてくださいって……」
「そこで、感付かれてしまいました」
別にトリスタン様のために作ったかというと、そうでもないのだけれど。
メル的には、私はトリスタン様のお嫁に来たけれど、無碍に扱われていて、トリスタン様に好かれたくて作っていると勘違いしていたよう。
これは、仕方がないわね。
大人たちの行動で、小さな子を巻き込んでしまったことの方が重大だわ。
「メル、ありがとう。貴女のその優しさはいつまでも持っていてね」
泣くのを我慢しているメルをそっと抱きしめて、額にキスをしました。
「オレリアさまぁぁぁぁ」
わんわんと泣きじゃくるメルをさらに抱きしめて、宥めていると、部屋の扉がノックされました。
「何ごとだ?」
久しぶりに見る、ふわふわの赤毛と凍てつく青い瞳。
「お騒がせして申し訳ございません、トリスタン様」
「…………話が聞きた……かったんだが、後でいい」
トリスタン様を見て、更に泣きじゃくるメル。
流石のトリスタン様も、八歳の少女にこうも泣かれると慌てるようで「メル、怒っていない。大丈夫だ」とメルの頭をそっと撫でて部屋を出ていかれました。
十五分ほどして、メルがやっと落ち着いたので、トリスタン様の執務室に向かいました。
「大変、お待たせいたしました」
「あぁ。……メルは?」
チラリと一瞬だけこちらに視線を向けたものの、直ぐに手元の書類に視線が戻って行きました。会話する時くらい、相手の目を見て欲しいものです。
「落ち着きましたわ。今は少し恥ずかしそうにしています」
「そう、か…………」
そのまま言葉が途切れたので、呼び出した要件はと聞くと、少し気不味そうにこちらに視線を向けられました。
「ここ最近の菓子類は君が作っていたと聞いたが本当か?」
「ええ」
「なんのために?」
「趣味と暇つぶしですわ」
「暇つぶし…………」
トリスタン様の眉間に深い皺がギュムッと寄りました。明らかに不服そうですね。
「ええ。だって、こちらに輿入れしてきた日に、部屋から出るなと言われたままですし、ずっと放置されていましたもの。暇を持て余しますわ」
「ぐっ……」
まぁ、こちらからも一切関わろうとしていませんでしたけど。
「今さらだが……すまなかった」
「それは何に対してですか?」
「意固地になって、君と関わろうとしなかった」
「まぁ、お互い様ですわね」
「……ん」
トリスタン様がコクリと頷くと赤い髪がふわりと揺れました。ふと苺濃いめのアイスが食べたいなと思ったのは内緒です。
「次の食事から、一緒に……どうだろうか?」
「あら、喜んで」
「っ――――い、以上だ」
まさかの『以上だ』での会話終了でした。
まぁ、仮面夫婦としては、通常かもしれませんが。
メル大泣きの日から、時間が合うときはともに食事をするようになっていました。ただ、会話はほぼなし。ときおりデザートの解説を求められるだけ。
「このアイスは?」
「今日のは、キャラメルソースを固まりかけたミルクアイスに混ぜ込み、マーブル模様になるように仕上げたものです。キャラメルは少し苦めにしていますわ」
「ん……美味しい」
「ありがとう存じます」
仮面夫婦になって半年、なかなかの仮面夫婦ではありますが、国王陛下との約束が未だに果たされてはいないのは、少し気がかりではありました。
そんなある日の朝、トリスタン様が部屋に来て、私専用の部屋が出来たから、そちらに部屋を替えるよう言い、そそくさと去って行きました。
「ご主人さま、ずっと内緒で用意してました!」
メルから情報が筒抜けですよ、トリスタン様?
クスクスと笑いながら、メルに「そういうのは黙っててあげなさい」と言うと、メルが「でも」と言葉を続けました。
「ご主人さまとオレリアさまに仲良くなってほしいんです」
「あら、なんで?」
「ご主人さま、オレリアさまとお話するとき、ちょっと笑顔です。それに、いっぱい聞いてくるんです」
「え? 何を?」
メルがいったい何を言い出すのか、ハラハラとしているのは私だけではないようで、侍女たちは焦りを滲ませたような顔をしていました。
「オレリアさまの好きな食べ物とか、好きな色とかです」
「……うん?」
「あと、オレリアさまがご主人さまの話を何かしていないかとか」
――――悪口の確認かしら?
「そうなのね」
「話したら、だめでしたか? ご主人さま、オレリアさまともっとお話したいんだと思うんです。だから、お部屋を用意したって」
話しながらどんどんとしょんぼりしていくメルの頭を撫でて、お礼を言いました。子どもながらに色々と考えて、気を遣ってくれているのかもしれませんね。
「それに、お二人の赤ちゃんが産まれたら、私が侍女をするのが夢なんです!」
メルは思っていたよりも、強かでした。
部屋の引っ越しは順調に進み、その日のうちに済みました。
今までの客間よりもかなり広く、部屋もいくつかに分かれていました。
「こちらが専用のキッチンでございます」
「えっ、キッチン!?」
広さはそこまでないものの、趣味でするには十分なキッチンで、新品かつ最新の調理道具がずらりと揃えられていました。
窯まであり、ケーキやクッキー、パンなんかも焼き放題です。
「大きめの氷室庫も用意しております」
「アイス、作り放題じゃない!」
氷雪侯爵と仮面夫婦になって、暇を持て余していたので、アイスクリームのレパートリーがかなり増えました。
まだまだ仮面夫婦で、特に何も進展していないとは思いますが、アイスクリーム作りだけは順調です。
進展があったら、報告が欲しいと陛下に言われていましたし、手紙を出しておきましょう。
*****
結婚する気のない姪――オレリアを焚き付けたが、使命に燃え上がるかと思いきや、アイスクリーム作りに燃え上がっている旨の手紙が届いた。
――――違う、そうじゃない。
手紙と一緒に、オレリアが作ったというアイスクリームが氷の箱に入って届いたらしい。
「……美味いな」
とりあえず、子作りを頑張れということと、定期的にアイスクリームを送るよう返事を書いた。
―― fin ――
読んでいただき、ありがとうございます!
面白かった、もっと書け、もっとアイスクリーム作れよ……そんな軽ーい気持ちでブクマや評価、感想などいただけますと、笛路が小躍りして喜びますヽ(=´▽`=)ノ
こちらの作品は、藤也いらいち様(https://mypage.syosetu.com/1955250)からタイトルいただきました(*´艸`*)
いらいちさん、あじゃまままままっする!