私が見たかったもの
父が観ていたビデオ、私にはそれが凄く衝撃だった。心からカッコイイと思ったのはその時が初めてだったかもしれない。それは仁王立ちした背の高い男が厳しい表情で、黒いギターをかき鳴らしていた。怖いと感じたが、演奏の終わりで見せた笑顔で評価は一変した。
私に気付いた父が、弦が切れても構わず最後まで演奏しているところが何度見ても恰好良いのだと教えてくれた。
それまでの私は、歌詞が好みかどうかでしか歌を聴いていたに過ぎなかった。演奏が心を揺さぶるものとは思っていなかった。それから色々聴いた。じっくり聴いた。川の流れの表面しか見えていなかったものが、川の中で泳いでいる魚の動きや揺れている水草が見えるかのように、楽器それぞれの音がどこで現れどこで消えるかがわかるようになってきた。私も演奏してみたい。そう思うようになり、お小遣いとお年玉を引き出しの奥の箱に少しずつ足していった。
それから暫く経った。意を決して父を連れ出し、ショッピングモールにある楽器屋へ向かった。黒のギターはおこがましい。かといって、カラフルなギターは私に似合わないと思った。楽器屋の壁に飾られたギターの1つに、木の板をそのまま使ったようなものがあった。それは焼き立てパン屋のホイップやベリーをふんだんに使った人気商品とはまた違い、素材を生かした麦の味がするブールのような自然味があった。
暫く眺めていると、父が店員に取ってほしいと伝えていた。試奏できますよと言われたが、弾ける訳もなく恥ずかしくもあり無理だと首を振った。店員は軽くチューニングを合わせアンプに繋ぎ、私の前で弾いて見せた。凄く優しく綺麗な音がした。
これが欲しかった。しかし予算の2倍は軽く超えていた。父の顔を見たら私をなだめる時と同じ顔をしていた。少し俯いて気持ちを切り替えようとしたら、父が私の背中をぽんと叩いて店員に言った。
これください
残りは俺が出してやる。だが途中で投げ出すなよ、と言われた。嬉しくて体が震えた。
手が小さいのでお風呂で指を伸ばすストレッチを始めた。ほぼ帰宅部で体力も無いのでステージに立つことを妄想しジョギングを始めた。無意味かもしれないが走っているときはメトロノームアプリでリズムを体に叩き込んだ。そのお陰で、校内マラソン大会でほぼ運動部ばかりの上位集団についていけた。
高校に入ってすぐ軽音部に向った。そこにクラスの子がいた。愛嬌があってスタイルが良くてアイドルみたいで、嫌いなタイプだった。なので絡む事はないだろうと思っていた のに。
先輩が「おまえら新入生4人でガールズバンドやれ」と言った。深い意味は全然無く、単に当時の流行りに乗っておけ程度のものだった。パートはあっさりと決まった。ドラムは吹奏楽部出身が、もう一人のギター経験者はベースがやりたいと言った。あの子は一番にボーカルと言った。
ギターを持って行った日にあいつは言った。
テレキャスターでリードギターなんておかしい。地味だし。
呆れた。アベフトシ全否定でワロタ。ファッションでバンドするような奴の言うことは違うと思った。揉めると面倒なので奴の言うことは無視した。嫌いなタイプから嫌いになった。しかし奴はとんでもなくて、音程は外さないしふらつかない。音もちゃんと聴いてて合わせてくる。ボーカルとしての技量は凄かった。負けるものかと練習した。
リズム隊からは「あんたら普段ずっとピリピリしているくせに、演奏したらぴったり合うねー」と言われた。ベースとドラムがしっかり支えてくれているからだと答えていた。奴が合わせてくれていることはわかっていたが、そうは言いたくなかった。
文化祭でのステージは、先輩たちが温めてくれたからか会場は優しく私らを迎え入れてくれた。緊張はしなかった。きっかけをくれたあの黒いギターの人にやっと少し近づけたという嬉しさの方が大きかった。演奏しきったら聴いてくれた人たちに、あの人のようにほほ笑みで感謝を表そう。そう思った。
みんな見てる。聴いてくれている。喜んでくれている。
たった2曲の15分くらいのステージの上は、今まで経験したことの無いものを与えてくれた。何ものにも代えがたい時間だった。まだ演奏が続いているようなふわふわしたような感覚のまま、ステージを降りた。
奴が凄い勢いで抱き着いてきた。泣いていた。私も泣いた。
後日談
「私そんなこと言ったっけ。覚えてない。あんたずっとツンツンしてたからそんな性格の人だと思ってた。」
この話は前作の残されたテレキャスターを書いていた時に、知恵袋に書かれていたテレキャスターではリードに不向きという質問からヒントを得たものです。アベフトシさんもその時に知りました。