第9話 警告文
「こっちはダメだ、引き返そう」
二階に下りたまでは良かったが、一階に続く階段が瓦礫で塞がっていた。
「なんでこんなことになってるんやぁ?」
「まるで大きな地震が起きたあとみたいだね」
なんて呑気なことを言っているのだと、俺はため息をこぼしてしまう。
ゴブリンに壁を粉砕する程の腕力はない。となると、考えられる可能性は二つ、スキルを使って誰かが何らかの目的で道を塞いだか、ゴブリン以外に別のなにかが混ざっていて、そいつが壁を破壊したか、だ。
前者だった場合、これをやった人物はかなり見所がある。できれば仲間にしたい。
後者だった場合、今以上にまずい状況に発展すること間違いなし。
ゴブリンは基本的に単独行動はしない。奴らは群れる生き物――なのだが、普段はせいぜい数体から多くても10体程の小規模な群れで行動している。
――もちろん、例外もある。
群れのリーダーが強い個体だった場合だ。
ホブゴブリンやチャンピオンゴブリンといった個体が先導していたなら、最悪全校生徒の全滅もあり得る。
そもそも他人の心配なんかしている場合じゃない。仮に上位個体がこの群れを率いていたとしたら、ここにいる三人だけで居るのは危険だ。それなりに戦える仲間が、戦力が必要になってくる。
今の俺は本間のいう通り紙装甲。少しでも距離を詰められたり、壁を粉砕するほどの馬鹿力で石を投擲されれば、たぶんそれだけで死ぬ。
「最悪だな」
自分の非力さが妬ましい。
異世界にいた頃の俺ならこんなゴブリンの群れ如き瞬殺できたのに……。
タラレバを考えていたって仕方がない。時間の無駄だ。今は一分一秒が惜しい。
「別の階段から下に行こう」
「そうするしかなさそうだね」
「ほな、さっさと行こ」
別の階段を目指して移動を開始した直後、一際大きな悲鳴が鼓膜を揺らした。
叫び声はどんどん大きくなり、こちらに近付いていた。それと同時に慌ただしい足音も迫ってくる。
「誰か、こっちに走ってきとんるとちゃうかぁ?」
「吉野……」
「二人ともいつでも走れるよう――逃げれるようにするんだ」
長い廊下の途中で足を止め、俺たちは遥か前方の曲がり角に注視する。
俺はいつでもスキル【水魔法】からウォーターボールを繰り出せるように、右手人差し指に小さな水球を作った。
緊張の面持ちで身構えるいのりと生唾を飲み込む本間を横目に、俺は神経を研ぎ澄ませるように前方を睨みつけた。
刹那――死相を浮かべた数人の生徒が、押し流された濁流の如く勢いで角から飛び出してきた。
「「「―――!?」」」
瞬間的に数を確認する。女子生徒が三名、男子生徒がニ名の計五名。
恐怖に顔を歪めた彼らの背後からは、殺意を具現化したようなゴブリンが三体連なっていた。
「いゃっ――待ってっ!?」
「―――っ!?」
そのうちの一人が勢いあまって壁に激突してしまう。角を曲がりきれずにそのまま転倒してしまった女子生徒は、助けを求めるように男子生徒の足首を掴んだ。
「助けて、まーくん!」
「離せよッ!」
「置いてがぁないっ―――」
女子生徒が助けを求める中、無情にも男子生徒は女子生徒の顔面を蹴り上げた。
「離せつってんだろうがァッ!」
「―――でっ」
女子生徒は声にならない声を短く発し、鼻血を撒き散らしながら吹き飛んだ。そこに追ってきたゴブリンが飛びつく。
「いやあああああああああああああああああああああああああああっ」
腹を空かせたハイエナのように、容赦なく女子生徒に襲い掛かるゴブリン。さらに別の二体が彼らに襲い掛かろうとしていた。
「伏せろっ!」
俺は咄嗟に準備していたウォーターボールで、ゴブリンの頭部を的確に射貫く。
「向井くんまだ来るでぇっ!」
続けざまにもう一発放とうとしたその時だった――けたたましいブザー音が頭の中で鳴り響き、視界に警告文のような真赤な文字が浮かび上がったのは。
【※同スキルの連続使用不可。
再び同スキルを発動する際は、各スキルのリキャストタイムを確認の上、適切な時間を待った上でご使用ください】
「なっ、なんだよこれ!?」
一瞬で頭の中が真っ白になってしまう。
「助けてぇぇ――」
「もう一匹頼むっ!」
その場でうずくまっていた彼らの声が、ずっと遠くの方から聞こえてくるような感覚に陥っていた。それくらい、俺は気が動転していたのだ。
「あっ、ああああああああああああああっ―――いやだぁ、来るなぁああああああ」
その場に伏せていた男子生徒目がけ、ゴブリンが大跳躍。
「何やってんだよ! もう一回さっきのやってくれよ!」
「お願い早くしてぇええええ」
悲壮な顔の彼らを見たまま、俺は動けなくなっていた。
スキルが、【水魔法】が使えない俺は一般人となんら変わらず――いや、一年間寝たきりだった今の俺は一般人以下。きっと泣き叫ぶ彼らのステータスより、俺のステータスのほうが貧弱だろう。
「……」
【水魔法】が使えない以上、ここは彼らを見捨てて逃げるしかない。そう思って身を翻そうとしたその時――パンッ!!
破裂音が耳をつんざいた。
一体何が起こったのかともう一度ゴブリンの方を見れば、男子生徒に飛びかかっていたゴブリンの胴体が弾け飛んでいたのだ。まるでショットガンで撃ち抜かれたように。
「今のうちにみんなこっちに走って!」
慌てて立ち上がった男子生徒と女子生徒の計三名が、俺の横を通り抜けていく。
もう一人の女子生徒は屈んだ拍子に腰が抜けてしまったようで、その場から動けなくなっていた。そこに転倒した女子生徒を襲っていたゴブリンが突っ込んでくる。
「須藤さん、もう一回チャージショットやっ!」
「………っ」
いのりは手のひらの上の瓦礫に視線を落としまま動かない。おそらく彼女の視界にも同様の警告文が表示されていたのだろう。
「どないしたんや、須藤さん!」
「今のもう一回やってよ!」
「早く助けてやってくれ!」
本間と逃げてきた三人がいのりに詰め寄っている。
「ごめん……なさい」
いのりは今にも泣きそうな顔で呟いていた。
「くっ……」
いのりは何も悪くない。
いのりは立派に男子生徒を助けたんだ。
なのに、それなのにっ。
なんでいのりがこんなに辛そうな表情をしなければいけないんだ。
「くそっ」
気づいた時には、俺はゴブリンに向かって駆け出していた。
「吉野っ!」
見ず知らずの女子生徒を助けたかったわけじゃない。本音を言ってしまえば、俺はいのりの手を引いて今すぐにでもここから離れたかった。けれど、彼女はそれを望まないし、きっと俺が手を取っても、彼女はその手を振りほどいてしまうだろう。
須藤いのりとはそういう女の子だ。
なにより、俺は彼女の悲しそうな顔を見たくなかった。俺が駆け出したのは名も知らない女子生徒を助けるわけじゃない。俺は女神が言うような勇者じゃないんだ。
俺はただ、今にも泣き出してしまいそうな幼馴染みを助けるため、そのためだけにゴブリンへと突貫する。
「くそがぁああああああああああああああああああああっ!!」
異世界で勇者と呼ばれた俺だけど、今はある意味最弱だ。
ステータスは腕力値、耐久値ともに1。
こんなゴミステの俺がどこまでやれるかなんてわからない。ゴブリンの一撃で本当に即死するかもしれない。
だけど、それでも俺はやらなきゃいけない。
彼女の前でだけは、ずっとヒーローで有り続けたいんだ。
あの日のように―――