第3話 地獄から舞い戻ったヒーロー
「おい、女神っ! てめぇこれはどういうことだ!」
パニックに陥りそうな俺は自分自身を落ち着かせようと胸に手を当てるが、早くなる鼓動のせいで却って焦燥が募る。
『今、晩ごはん食べてるので後にしてもらってもいいですか?』
「いいわけねぇだろッ!」
俺はマンドレイクの鳴き声すらかき消してしまう程の大声を、天井に向かって放っていた。
「なんで俺の最強のステータスがこんなクソみたいなステータスに変わってんだよ! 異世界でのあの一年間はなんだったんだよ! つーか、一年前より遥かに弱ぇじゃねぇか! どうなってやがんだァッ!! 説明しろ!」
『吉野はたしかに異世界でレベルMax、カンストまで鍛え上げましたよね。立派です。けれど、それは異世界で私が用意した吉野の肉体での話じゃないですか。こちらの世界の吉野の肉体は一年間寝ていたわけですよね? なら筋力が衰えるのは当然です』
つまり、俺には二つ肉体があり、女神によって魂が二つの肉体を移動していたということらしい。
「だとしても、これはいくらなんでも酷すぎるだろ。これのどこが勇者なんだよ!」
『そちらの世界には基本的に勇者なんて居ませんよ?』
「は? 勇者が居ない……? 俺が勇者なんじゃないのか? 話が違うじゃねぇか!」
『ですから、勇者の心を持つ吉野を、そちらの世界の勇者として召喚したんです』
「ややこしくて分からんっ!」
『とにかく、吉野のマインドは完璧に勇者なんですよ』
「精神論でどうにかなる問題じゃねぇだろ。前回みたいな勇者特典、チートをよこせって言ってんだよ」
『もうあるじゃないですか』
「は? このステータスのどこがチートなんだよ。赤ん坊並みの最弱ステータスじゃねぇか」
『ちゃんとよく見てくださいよ』
クチャラーな女神に苛立ちながら、俺はもう一度ステータスを確認する。
ムカイヨシノ 呪い
Level:1
HP:6/6
MP:00/00
腕力:1
耐久:1
俊敏:1
魔力:00
知識:00
S P:5
J P:5
目も当てられない程の雑魚ステだ。
『肉体はこれから鍛えるしかありませんが、魂と密接な関係にあるMP値と魔力値、それに知識だけは引き継いでいるじゃないですか』
「引き継いでるって……ゼロじゃん」
『吉野の目は節穴ですか? よく見てください。0が二つに見えますが、よく見ると繋がっていませんか?』
「あっ!」
たしかに0が二つ繋がっており、よくよく見てみると∞マークにも見える。
『それに、EX:スキル【女神通信】でいつでも私とお喋りが可能なスペシャル特典付きです。凄いじゃないですか』
むしろどちらかというと迷惑な部類に入るスキルだが、今は置いておこう。
「納得いかないけど、たしかにMP値と魔力値が∞ってのはチートだな。けど、知識が∞ってのはどういうことだ?」
『吉野は異世界で数多くの魔物を相手にしてきました。この世界で吉野ほど魔物の知識を持つ者はいません。敵を知っているということは、それだけ有利ということです。私もさっさとごはんを食べ終えて、そちらの世界の人々を少しは戦えるようにアップデートしなければいけませんので、この辺で失礼しますね』
「あっ、おい、ちょっと!」
一方的に通信を切られてしまった。
「アップデートってなんだよ?」
最後の言葉が気になるも、以降女神と通信が繋がることはなかった。他にもSPやJPといった聞き覚えのないものについても聞きたかったのだが、仕方ない。
「つーか名前の横にある呪いって、なんだ?」
考えたところで分からないので、諦めてさっさと寝ることにした。
翌朝、いのりが家にやって来た。
壁に掛けられた時計で時刻を確認しようと思ったが、電池が切れていた。
「今って何時だ?」
「朝の7時前だよ」
「随分早いな」
「うん。学校は家を半頃に出る予定」
「……ん?」
いのりは玄関先に立ったまま、家に上がろうとしなかった。
おへその前で指をこねくり回すいのりを不思議そうに見つめたまま、「上がらないのか?」俺は尋ねた。
すると、いのりはハッと顔を上げる。
「う、ウチで朝食どうかなって、その……おっ、お母さんが吉野を呼んで来いってしつこいからっ!」
「昨夜もご馳走になったのに、いいのか?」
「よ、吉野とは、かっ、かか家族みたいなものだからっ!」
たしかに小さい頃から須藤家とは家族ぐるみの付き合いだった。というより、両親を早くに亡くし、祖父と二人暮らしだった俺をいつも気にかけてくれたのは、いのりの家族だけだった。
この世界にとって、少なくとも俺にとっては、世界で唯一価値ある存在だ。
「せっかくだし、世話になるか」
「うん!」
おばさんの作るごはんは日本一だ。
昨夜も思ったが、やはり和食は最高だ。鮭に卵焼きに味噌汁と納豆、それに白米。この瞬間だけはこちらの世界も捨てたもんじゃないと思える。
「沢山食べてね」
「はい!」
それからいのりと歩いて駅に向かい、電車に乗って学校へ向かった。校門には懐かしの体育教師がジャージ姿で立っていた。俺を見ては幽霊でも見てしまったかのように固まってしまう。体育教師だけではない、見知った顔の生徒たちは皆一様にあんぐりと大口を開けていた。
職員室でいのりが担任らしき女教師に事情を説明してくれたおかげで、今日のところはとりあえずいのりと同じクラスで授業を受けることになった。
「吉野はそこの席だよ。あたしの隣」
「さんきゅー」
俺は空いているといういのりの隣の席に腰かける。ふと視線が気になって教室を見渡すと、クラスメイトたちがじっとこちらを見ていた。
「おい、あれって去年死んだやつだよな?」
「ああ、たしか天涯孤独を嘆いて線路に身投げしたんだよな」
「違う違う。鮫島たちにイジメられて、それを苦に首吊ったんだよ」
「違うわよ。好きな子に振られたショックで道路に飛び出してトラックに轢かれたのよ」
「えぇー、わたしはオナニーのし過ぎで死んだって聞いたよ?」
どいつもこいつも好き放題言いやがって、特に最後のオナニー死ってのだけは許せん。
「みんな! 吉野はね、仔犬を庇ってトラックに轢かれたんだよ。ずっと意識不明だったけど、昨日奇跡的に意識を取り戻したの」
「……いのり」
いのりの説明に、クラスのみんなは「なんだ全然違うじゃん」と笑い合っていた。
そんな穏やかな空気をぶち壊すように、そいつは現れた。
「よぉ、地獄から蘇ったんだってな、向井」
高校生とは思えないドスの効いた声が、穏やかに流れ始めた教室の空気を一瞬でかき乱す。
前方のドアから現れたのは、元NBAのリバウンド王ことデニス・ロッドマンに瓜二つの大男。190cmはあろう巨体と、派手な緑髪が特徴的な柔道部――鮫島秋人だ。
「うわ、マジで復活してんじゃん貧乏神」
鮫島の後ろから現れたのは白川昇。銀縁眼鏡を掛けたインテリヤクザみたいなやつだ。こいつは昔から鮫島の腰巾着だった。他にも数名いたが、覚えていない。
鮫島は机を押しのけ、真っすぐ俺の元へとやって来た。
「よぉ、久しぶりじゃねぇか。相変わらずムカつく眼をしてやがるぜ」
鮫島と俺は、いわゆる犬猿の仲だ。
中学時代、不良だった鮫島がクラスの男子をいじめていたのを俺が止めた。そのことがきっかけで、鮫島は俺を目の敵にするようになった。
「喉が渇いた。コーラ、買ってこいよ」
「……」
昔はおっかない奴だと思っていたけど、魔王に比べたら屁でもないな。
俺は立ち上がり、鮫島を睨みつけた。
「ダメだよ、吉野」
不安げないのりが俺を見上げていた。
俺はにこっといのりに微笑みかけて、席を離れる。
「おい、てめぇどこに行くんだよ。サメちゃんがコーラ買ってこいって言ってんだろ! あぁッ?」
腰巾着がガンをつけながら威嚇してくる。クラスメイトたちは皆怯えていた。
「コーラ買いに行くんだよ。退いてくれ」
俺は教室を後にする。
教室からは白川たちの笑い声が響いていた。
「だっせぇー! なんだよあれ。マジ笑えるわ」
俺は食堂の自販機でコーラを買い、教室に戻った。鮫島は俺の席に座り、その周りに白川たち取り巻きがいた。
「吉野……」
いのりはとても悲しそうな顔で俺を見て、俯いた。
「相変わらず情けねぇ野郎だな、てめぇは」
得意気になって口端を持ち上げる鮫島の前まで移動した俺は、手に持っていたコーラのプルタブをプシュっと引き上げる。
俺は鮫島を目下に見据えながら、コーラをゴクゴク飲んだ。
鮫島たちはポカーンと半口開けて俺を見ていた。俺は見せつけるようにコーラを飲み干してやった。
「げぷっ」
それから鮫島の間抜けヅラ目掛けて臭いゲップを浴びせてやった。ざまあみろってな具合に。
「てめぇ何しやがんだッ!」
当然鮫島は真っ赤な顔で大激怒。それに合わせて腰巾着たちも騒ぎはじめる。
「何って、見てわかんねぇ? 喉乾いたからコーラ飲んだんだよ。なに? ひょっとしてお前も欲しかったわけぇ? しゃーねぇな、ほら、数滴なら残ってんじゃねぇの? ありがたく飲めよ、小判鮫」
「てめぇこの野郎もっぺん言ってみやがれッ!」
小判鮫こと鮫島が鬼の形相で俺の胸ぐらを掴んだ瞬間、「何やってるの!」担任らしき女教師が入ってきた。
「何もしてませーん」
調子のいい腰巾着が慌てて誤魔化すように声を張り上げる。
「てめぇ、ただで済むと思うなよ、向井」
「んっだよ、商品券でもくれんのか?」
「あとでぶっ殺してやる」
それで威嚇してるつもりかよ、ワイトキングに比べたら可愛らしすぎて頭をなでなでしたくなるくらいだ。
「す、すげぇ」
「あの鮫島に一歩も引かないとか凄すぎだろ」
「地獄から復活したのは伊達じゃないってことかな?」
俺を見るみんなの目が、なんだか輝いていた。
「やっぱり吉野はヒーローだね」
いのりはとても嬉しそうに微笑んでいた。