第3章 「フィルムに託された想いは、次世代へ受け継がれる…」
劇場内に再び明かりが灯されても、僕は赤いベロア生地の椅子に背を預けて、何も映っていないスクリーンをポカンと見詰めていた。
戦争を知らない世代である僕にとって、軍部の権限が強い時代に国威発揚目的で撮影された戦争映画は、少し刺激が強かったようだ。
「面白かったですね、先輩!」
「ああ…そうだね…」
隣席から覗き込んできた後輩の屈託の無い笑顔を目にして、ようやく我に返ったという感じだった。
「別の映画からのフィルム流用ではありますが、戦艦三笠の活躍や旅順戦も迫力がありましたね。それらの特撮シーンは全部、丸川栄太郎監督が手掛けているんですよ。」
こんなマニアックな話が出来る女友達も、そうザラにいるもんじゃない。
初めて会った日の樟葉さんは僕の事を「面白い人」と評価したけれど、この頃になると、僕も園さんの事を「一緒に居て楽しい人」と思えるようになってきたよ。
「そうだね、樟葉さん。あの緻密なミニチュアワークや爆発シーンの迫力が、後のアルティメマンに繋がってくると思うと、何とも感慨深いよ。」
特撮関連の雑誌やムック本による事前の下調べで、「樺太にかかる虹」の関連情報は頭に叩き込んでいる。
自分で言うのも何だけど、後追い世代の若い映画ファンとしてなら、まずまず及第点の感想と言えそうだね。
だけど「樺太にかかる虹」という映画に対する樟葉さんの思い入れは、僕以上に深い物だったんだ。
「この映画、父方の御祖母ちゃんが好きだった映画なんですよ。封切の時に女の子の友達と一緒に見て以来、御気に入りの映画になったそうです。」
劇場を後にするべく立ち上がった樟葉さんが、ポロッと呟いた独り言。
その声色は、何とも愛おしそうな物だったんだ。
「御祖母ちゃんったら、よっぽど御気に入りだったんでしょうね。集団御見合いで知り合った婚約者−私から見れば、御祖父ちゃんですね−とのデートでも、名画座のリバイバル上映で見たそうなんですよ。」
同性の友人達に、将来の伴侶となる男性。
そうした大切な人達と共有した映画体験は、樟葉さんの御祖母さんにとって大切な思い出となったに違いない。
そしてその思いは、孫娘である樟葉さんにも確かに受け継がれたという事なのだろうか。
「僕は『樺太にかかる虹』を、『アルティメマンの丸川栄太郎監督が撮った映画』と認識していたけど…園さんの御祖母さんにとって、この映画は青春の一ページなんだろうね。」
「きっと…きっとそうだと思います!御祖母ちゃん、二人分の半券を御守袋の中に入れて、亡くなる日まで肌身離さずに大事にしていたそうなんですから!」
これ程までに思い入れ深く御祖母さんの事を語る樟葉さんだけど、彼女は父方の御祖母さんの姿を写真でしか見た事がないらしい。
後に樟葉さんの御父さんになる男の子を産んで間もなく、戦争で亡くなられたそうだ。
だけど樟葉さんの御祖父さんは、若くして死別した奥さんに義理を立てて、決して後妻を迎えなかったらしい。
その代わりに、亡き妻に瓜二つな孫娘の樟葉さんに深い愛情を注いでいるとの事だ。
直接会う事の叶わなかった御祖母さんの趣味嗜好や人となりを樟葉さんが熟知しているのは、御祖父さん達から聞かされた思い出話がキッカケで興味が湧いたからだという。
「座席に並んで腰掛けて上映を待ったり、劇場から退出しながら映画の感想を語り合ったり…きっと御祖父ちゃんと御祖母ちゃんも、今の私や枚方先輩みたいな事をしたんでしょうね。」
「きっとそうだと思うよ、樟葉さん。御祖父さんと一緒に観に行った思い出が楽しかったから、園さんの御祖母さんは半券を大切にしていたんだと思う…」
恐らく樟葉さんは、僕と一緒に映画を鑑賞する事で、婚約時代の祖父母夫婦の思い出を追体験しようとしたんだろうな。
そこまで御先祖様を大切に出来る樟葉さんの事が、僕には羨ましく感じられたよ。
だってそれは、樟葉さんが御家族から大切に育てられてきた事の、何よりの証拠だもの。
そして樟葉さん自身も、御祖父さんを始めとする御家族の愛を正しく受け取っている事にもなる訳で。
そんな樟葉さんと御家族の思い出に、僅かながらでも寄り添えたというのは、とっても光栄な事だよ。
ズケズケと遠慮のない物言いだけれど、明朗快活で義理堅く、オマケに家族思い。
そんな樟葉さんに対する僕の好意は、映画を一緒に観た事で随分と高まっていたんだ。
「樟葉さんの御祖母さんは、他にはどんな映画を御好きだったのかな?」
ふと気付いたら、こんな質問が口をついて出てきていた。
映研部員が後輩にする質問としては、少し立ち入ったテーマかも知れないなぁ。
だけど、家族の思い出や自分の生い立ちみたいな身の上話を打ち明ける程に、僕に心を許してくれているなら…
「ええっと…確か、この映画と併映だった『人情喜劇 街角漫遊記』も好きだったみたいですね。」
予想通り、樟葉さんは何の躊躇いもなく即答してくれた。
きっと樟葉さんは、亡くなられた御祖母さんの好きだった映画や音楽を暗記しているんだろうな。
こうして即答出来るなんて、流石としか言いようがないよ。
「今度、部室のプロジェクターを借りて観てみないかい?コメディ映画として根強い人気のある『街角シリーズ』なら、レンタルビデオ屋にも置いていそうだから…」
「えっ、一緒に観て頂けるんですか?有り難うございます、先輩!枚方先輩なら、きっとそう仰って下さると思っていたんですよ!」
勇壮な軍歌や進軍ラッパの余韻が残る僕の耳には、樟葉さんの快活な声は非常に心地良く感じられたよ。
自分の行動で誰かに喜んで貰える事が、こんなに喜ばしいとはね。
「そうなってくると…今度は先輩のお好きな映画を観てみたくなりますね。また今日みたいな感じで、一緒に映画館へ繰り出しましょうよ!」
だけど何より嬉しいのは、また樟葉さんと一緒に映画を観られるって事なんだ。
友情も愛情も結局の所は、自分を必要としてくれる誰かがいるって事だからね。