第1章 「若き映画ファン達の意気投合」
スタッフロールが全て流れ終わったタイミングを見計らい、先程まで消されていた大教室の蛍光灯が再び点けられた。
スクリーンに投影される映画だけが鮮烈に輝く暗闇に慣れていた僕の目には、室内を煌々と照らす蛍光灯の明かりは殊更に眩しく感じられる。
映画の世界から現実の世界へ引き戻されるのは、何とも名残惜しい。
だけど、全ての上映プログラムを終えた以上、我儘を言う訳にはいかなかった。
何しろ僕は、今回の学内上映会の司会進行を仰せつかっているのだから。
「これをもちまして、畿内大学映画研究会による新入生歓迎上映会を終了させて頂きます。御記入頂きました御手持ちのアンケートは、御近くのスタッフへ御渡し下さい。また、出口付近には新歓ボックスも御座いますので、御意見御質問等はそちらへ御願い申し上げます。」
古いマイクに混じるノイズを気にしながら、僕は進行表に書かれている最後の注意事項を読み上げた。
いずれにせよ、これで今回の新歓上映会における僕の役割は終わった。
撤収作業を手伝った後は、友達と一緒に新歓ボックスにゆっくり座って、いつ来るか分からない入部希望者に備えながら休憩しよう。
そんな僕の目論見は、次の瞬間には打ち砕かれる事になる。
「おい、枚方!枚方はいるか?」
やや神経質な甲高い声は、畿内大学映画研究会の現会長である蹉跎真道先輩の物だった。
「蹉跎会長、僕に何か御用ですか?」
「学内上映会に来た新入生が、お前に聞きたい事があるそうだ。ここは良いから、今すぐ新歓ボックスに行って来い。もしかしたら入部希望者になってくれるかも知れんのだから、くれぐれも丁重にな。」
最後の一言を殊更に強調すると、蹉跎先輩はアンケート回収に励むスタッフの群れに早くも加わっていた。
早足で新歓ボックスへ向かうと、そこには一人の女子大生が長いサイドテールを持ち上げたり摘んだりしながら腰掛けていた。
どうやら待たされている間がよっぽど手持ち無沙汰だったらしい。
入学間もない四月上旬頃という事もあり、まだ高校生の面影が見え隠れして何とも初々しい。
「お待たせしました、ニ回生の枚方修久です!僕に質問というのは、貴女ですか?」
「はじめまして、文学部一回生の園樟葉と申します。」
僕の姿を認めた新入生は、サッと椅子から立ち上がって深々と頭を下げた。
華奢な肢体を十五度に傾けた会釈の姿勢は実に美しく、御両親の躾の良さが伺えた。
「この度は新歓上映会にお越し頂きまして、誠にありがとうございます。それでは、御質問を御伺い致しましょうか?」
「こちらこそ、お忙しい中、お時間を頂きありがとうございます!」
血色の良い端正な童顔の朗らかなイメージに違わず、良く通るソプラノの声も明るくて快活。
文化系の極地である映研よりも、テニス部やラクロス部のようなスポーツ系のサークルが似合いそうな新入生だ。
「単刀直入に申し上げますと、枚方先輩の監督された映画への質問ですね。カット割りやカメラアングルなどに拘りが感じられましたので、幾つか御伺いしたい事が御座います。」
だからこそ、その新入生が上映作品を丹念に鑑賞してくれた事には驚かされたし、演出面にまで注目してくれている事を知った時には嬉しく感じられたんだよ。
「枚方先輩の監督された『アパート住まいのインベーダー』には、逆光に照らされてシルエットだけが浮かび上がった状態の登場人物が会話するカットが御座いますね。ミステリアスな雰囲気が出ていて、良い演出でしたよ。」
「夜勤看護師に擬態した地底人の女性に促されて、主人公がレチクル星人としての正体を晒すシーンの事ですね。御評価頂けて嬉しいですよ!」
僕が昨年に撮った「アパート住まいのインベーダー」という短編SFは、市井の片隅で暮らす宇宙人や地底人の心の交流を描いたフィルムだ。
趣味全開のマニアックなフィルムを、こんな初々しい新入生が評価してくれるなんて意外だったよ。
そして彼女の次の質問は、僕にとって決定的な一言だったんだ。
「あのカットは恐らく、成相寺真雄監督が『アルティメマン』シリーズで駆使した手法へのオマージュですね?」
「よくお気付きですね!全くもって、その通りですよ!」
子供の頃の僕は、特撮ヒーロー番組「アルティメマン」シリーズが大好きだった。
その中でも、独特のカメラワークと演出を駆使した成相寺真雄監督の担当されたエピソードは特にお気に入りで、映研の活動で自主制作映画を撮る時には、何らかの形で成相寺演出を意識したカットを盛り込んでいる程なんだ。
−特撮ファンの学生に気付いて貰い、それをキッカケに友達やサークル仲間になれたら良いな。
そんな思いを込めながら撮影したフィルムだけど、まさか新入生の女の子に気付いて貰えるとは思わなかったよ。
「それに、所帯染みたアパートの一室で異形の宇宙人と会話する展開も、『アルティメゼクス』のベムテラー星人の回を意識されていますよね?」
その上、具体的なエピソードまで覚えているなんて。
マニアとまではいかなくても、彼女も特撮が好きなのかも知れないな。
思いがけない形で巡り会えた同好の士が、こんな初々しい美人の女子大生だった。
その驚きと喜びに、どうやら僕はスッカリ舞い上がっていたみたいだ。
「枚方先輩は、アルティメマンのシリーズがお好きなんですか?」
そのせいで、彼女のこの何気ない質問にも思わず力を入れて答えてしまったんだよ。
「はい、大好きです!」
新歓ボックスのパイプ椅子でピンと背筋を伸ばして、ハッキリ聞こえるように大きな声と明瞭な発音で。
「えっ、枚方先輩…?」
「あっ…」
犯した過ちに気付いた瞬間、サーッと血の気が引いていくのを僕は実感した。
今のタイミングで「大好きです!」と大声で言ってしまうなんて、これじゃまるで愛の告白みたいじゃないか…
樟葉さんだって、きっと恥をかかされて怒っているに違いない。
そう思っていたんだけど。
「プッ…アッハハ!枚方先輩って、面白い人なんですね!」
僕の予想に反して、青いサイドテールが印象的な新入生は腹を抱えて楽しそうに笑い転げていたんだ。
「そんなガチガチにしゃちこ張って答えちゃって…まるで、面接に来た就活生みたいじゃないですか。」
「あっ、はあ…」
笑い者になるのは本意じゃないけど、正直言ってホッとしたよ。
これで樟葉さんが怒って帰ってしまったら、会長達に何て言われるか。
「よし、決めた!私、映研に入りますよ!」
「えっ、即決だな…本当に良いんですか?見学とか仮入部とかありますけど…」
入部届を手渡しながら確認したけれど、樟葉さんは己の決意を翻そうとはしなかった。
「私に二言はありません!枚方先輩とは話も合いそうですし、それに何より…ドジっ子っぽい先輩が相応に楽しくやれている映研なら、私にとっても居心地は良さそうですからね!」
これはなかなか、手厳しい事を言ってくれるね。
初対面時の初々しい第一印象が上塗りされてしまうような、ズケズケとした物言いだよ。
「ハハハ…こちらこそ、歓迎するよ…」
その時の僕には、新入生を勧誘出来た喜びよりも「この我の強い後輩を、果たして上手く指導出来るだろうか?」という不安の方が遥かに大きかったんだ。