あなたの声に痺れるんです。( 続編 )~公爵令嬢は婚約者の声がよすぎて悶える~
────お嬢、朝だよ
うーん……もうちょっと……
────お嬢、そろそろ起きないと遅刻だよ
あと少し……もう少しだけ寝させて……
「────ティア、起きて」
私の耳元で囁かれたのは、甘くとろけるような色気のある低い声。
「ひゃあっっ!」
ぞくぞくぞくーーっ。
脳が一瞬で覚醒する。体にぞわぞわが走る。
あまりの刺激に反射的にガバリと起き上がった。
一瞬で冴えた目に映ったのは、すぐ隣に立つ、ここにいるはずのない黒い騎士服を身に纏った人の姿。
「えっ……クレイ? 何で?」
ここは私の寝室。つい今しがたまで眠っていた私の寝室に、なぜ彼がいるのだろう。
私の婚約者のクレイディルが。
カーテンの隙間から射し込む朝の光で艶やかな黒髪は輝き、深い紫色の切れ長の瞳はどこまでも優しく、真っ直ぐに私を見つめている。
「お嬢を起こしにきたんですよ。そろそろ起きないと、本当に遅刻しちゃいますよ」
「っっ、大変!」
その言葉にハッとなり、すぐに彼を部屋の外に追い出す。慌てて制服に着替え始める。
身支度を全て終えると、急いで食事室へと向かった。
「おはよう、ティア」
「おはよう。新学期初日から遅刻するつもりかい?」
「おはようございます、お父様、お母様。お恥ずかしい限りです……」
私は席につくと、見苦しくない程度に急いで朝食をとり始めた。
いつもなら家族四人で囲む食卓だけれど、今日は私の右隣の席が空いている。
「お兄様は、もう学園へ向かわれたのですね」
「生徒会は今日は忙しいからね。二時間前にはもう出ていったよ」
「そうですか。大変ですね」
その後は両親と会話する余裕もなく、ささっと朝食をとりおえた私は、クレイと共に急いで馬車に乗り込んだ。
何とか間に合ったことにホッと息を吐くと、起床時から気になっていたことを聞くことにした。
「ねぇ、どうして今日はあなたが私を起こしに来たの?」
「当主様からの命ですよ。お嬢なかなか起きなくていつもメイドが苦労してるから、今日から俺に頼みたいって」
「お父様……」
何てことなの。つまりこれから毎朝、色気たっぷりの痺れる声で起きなきゃいけないということ……私の心臓持つかしら。
それに、クレイに寝顔を見られるということ。
え、どうしよう。頭から何か被って寝るべきだろうか。
それにしても、いくら婚約者でも、娘の寝室に男性を入らせるなんておかしい。
そうしてまでクレイに頼んだということは、私は毎朝メイド達をすごく困らせていたということかしら……
申し訳なくなってきたので、帰ったら謝ろうと心に決めた。
「遅刻しないように、毎朝きちんと起こしてあげますから、安心してくださいね」
「王子に朝起こしてもらう公爵家の娘ってどうなのかしら……」
「あはは、そう言われるとおかしいですね」
くったくのない笑顔で軽口を交わす私の専属護衛の影であるクレイは、我が国の友好国トレイニール国の第二王子 クレイディル・トレイニア。
王子という身分に戻ったのにも関わらず、何故か未だに私の影を務めている。
私が学園を卒業するまでは続けるそうだ。いつも一緒に過ごせることはすごく嬉しいのだけれど、本当にいいのかと心配になる。……王子なのに。
馬車が学園前へと到着し、私は馬車を降り門をくぐって学園内へと入った。
クレイは隠形魔法で姿を消し、私の側に控える。
本当は一緒に学園に通えたら嬉しいけれど、彼は十八歳なのでもう通えない歳なのである。
私は今日からここ王立魔術学園の二年生になる。クラスは一年時から引き続き一番上のAクラス。公爵令嬢たるもの他の生徒達の模範とならなければいけないので、学園内では気を抜けない。
初日から遅刻しそうになったけれど。
新しいクラスには、一年時とほとんど変わらないクラスメート達がいた。
「おはよっ、ティア。今日からまたよろしくね」
「おはよう、イザベラ。こちらこそ」
教室に入るとすぐに、親友のイザベラが笑顔で駆け寄ってきて声をかけてくれた。
「かわいいティアに会えなくて寂しかったよ。休み中に婚約したそうだね。おめでとう」
「ありがとう。また今度紹介させてね」
「うん。楽しみにしているね」
イザベラは休みの間は領地に帰っていたので、一度も会えなかった。
彼女に早くクレイを紹介したい。本当は、すぐ側にいて今すぐにでも紹介できるけれど、それは秘密だ。
始業ベルが鳴り、教師が教室へと入ってきた。
前とほとんど変わらないメンバーだが、新学期初日ということで、前の席から順に自己紹介をしていく。
「第二王子のライル・ディオ・キルシェレイクだ。休み中にセレスティアに振られた為、婚約者募集中だ。皆、一年間クラスメートとしてよろしく頼む」
爽やかな笑顔と共に軽く発せられた言葉に、教室中がざわめいた。
何人かはちらちらと私の顔をうかがってくるので、居た堪れなくなる。
自己紹介でそんなこと言わなくていいのに……ライル王子らしいけれど。
女生徒達からは小さな悲鳴が聞こえたが無理もない。
彼はとにかくモテる。王子という身分を感じさせないほど誰にでも気さくに接し、分け隔てなく交友を深めているため、彼の周りにはいつも大勢の人がいる。
自己紹介は続く。
「あの、えっと、カレン・ルーチェスと申します。今学年より編入してきました。よろしくお願いいたします」
肩まであるふわふわのミルクティー色の髪で、ピンク色の真ん丸な瞳をした可愛らしい子が、緊張ぎみに自己紹介をした。
編入してくると言うことは、後天的に魔力に目覚めたということ。
ここは、魔力を持つ人間は身分問わず通うことを義務付けられている学園だから。
噂で聞いたのはあの子のことかもしれないと、期待に胸が膨らんだ。
全員の自己紹介が終わると、すぐに授業が始まった。新入生と違い、二年生からは新学期初日から授業がある。
休み時間になると、ライル王子はクラスメート達に囲まれた。一年生の時からよく見慣れた光景だ。
わいわいと盛り上がっている彼らを横目に、私はルーチェスさんの下へと行った。
「初めまして、ルーチェスさん。私はセレスティア・ソレイシアスと申します。よろしくお願いいたします」
「ほえっ!? あっ、あの、カレン・ルーチェスです。こちらこそよろしくお願いいたします」
急に話しかけられて驚いたのだろうか。ルーチェスさんは勢いよく立ち上がり、地面に頭がつきそうなほどのお辞儀をした。すごく体が柔らかい。
「ティア、ずるいよー! 私も混ぜてっ」
イザベラも赤髪のポニーテールを揺らしながら駆け寄ってきた。
「ルーチェスさん、聖魔法に目覚めた方が編入してくるって噂があったのだけれど、あなたのことかしら?」
「はっ、はい! そうです」
「やっぱり。素敵ね。聖魔法ってどんなのかしら。目に見えるの? 光魔法みたいに光るのかしら?」
興奮してしまい、ぐいぐいといきすぎたようで、ルーチェスさんは少したじろいだ。いけない、怖がらせてしまった。
「あの……見せましょうか?」
「本当に? 嬉しい!」
「それは私もぜひ見てみたいな」
ルーチェスさんは、手のひらを上に向けて魔力を集める。すぐに小さな光の玉が現れた。眩しさのない淡い光だ。
「わぁ……綺麗。優しい光ね」
「ほんと、なんだか見てるだけで癒されるね」
私達がそう言うと、ルーチェスさんは頬を赤く染めた。あまりの可憐さに胸がきゅんとなる。
「これ、触れても大丈夫?」
「はい、大丈夫ですよ。どうぞ」
了承を得た私は光に触れてみた。初めて触れた聖魔法は、ぽかぽかと温かくて心地よい、不思議な感覚になるものだった。
「この光で、怪我や病を治せるのよね?」
「そうです。まだ訓練中なので小さな傷ぐらいしか治せませんが」
すごい、それはぜひ見てみたい。
だけど私は今はどこも怪我をしていない。
どうしようかしら……そうだ。今怪我をしたらいいんだ。そうしよう。
私は上機嫌で懐から小型ナイフを取りだす。そして自分の指先を切りつけることにした。
……あれ?
ナイフの刃は、指に触れる寸前で止まった。これ以上はぴくりとも動かせない。
手首に感じる温もり。どうやらクレイに止められてしまったようだ。
「────ティア、ダメだよ」
「っひゃぁ!」
ぞくぞくぞくーーっ。
他の誰にも聞こえないほどの小さな囁きに悶える。
いっ、今っ、耳に唇が触れっっ……感触がっ。
「ティア?」
急に声をあげた私を、イザベラとルーチェスさんが不思議そうな顔で見る。
「じっ、自分の指に傷をつけようかと思ったのだけど、やっぱり怖くて無理みたい。えへへ」
「ティアったら、それでそんな涙目になるなんてかわいすぎでしょ。ほら、貸して」
イザベラは私からナイフを受け取り、景気よく指をスパッと切った。わぁ、結構いったよ。
イザベラは一瞬、あ、やっちゃった。というような顔をしたけれど、特に慌てることはない。
「ちょっと切りすぎたかなぁ。これいけそう?」
「はい、大丈夫だと思います」
ルーチェスさんはイザベラの指に光を当てた。数秒で傷は綺麗に治り、もう傷口も見つからない。
「わぁ……本当に治った」
「本当にすごいね。ありがとう」
「いえ、どういたしまして」
あまりの感動に時間を忘れてしまい、三人で話をしていたら次の授業の時間が迫っていた。
教室内にはもう私達以外の生徒はいない。急いで演習場へと向かった。
演習場での実技授業では、遠くの的に正確に魔法を当てる訓練をした。
ルーチェスさん含む攻撃系の魔法を使えない人たちは、少し離れた所で違う訓練をする。
私は指先に魔力を集めて、次々に的を雷で射貫いていった。
「さすがですね、ソレイシアスさん。全て的確に射貫きましたね」
「ありがとうございます」
教師に褒められ、他の生徒達からも歓声があがった。
幼い頃から訓練をしていたので、雷魔法は自由自在に使える。
と言っても使う機会なんて暗殺者に襲われた時くらいしか無かったのだけれど。それもクレイが瞬殺してくれるから、今では本当に使うことはなくなった。
学園での授業を全て終え帰宅時間となった。馬車に乗り公爵邸へと向かう。
「お嬢、今度あんなことしようとしたら、本気で怒りますからね」
「ごめんなさい……」
二人きりになった途端に、クレイからお叱りを受けてしまった。
彼の本気ってどんなのだろう。ちょっと見てみたい気もする。
でも低い声で怒られたら、きっと泣いてしまうと思うので我慢しよう。
「ルーチェスさんの聖魔法は本当に凄かったわね」
「そうですね。百年に一度現れるという聖女ではないかと言われていますから、そのうち王家の庇護下に入るでしょう」
「そうね」
それにしても、ふわふわと柔らかそうで本当に可愛い子だった。
真ん丸大きなピンク色の瞳で見つめられたら胸がきゅんとなり、素直ないい子で、守ってあげたくなるような感覚にもなった。
編入してきたばかりで不安だろうし、手助けできることはしてあげたい。
公爵邸に到着したら、自室へと戻り、すぐにワンピースに着替えた。
コンコンッ
「お嬢、入って大丈夫ですか?」
「大丈夫よ」
ガラガラとワゴンを押しながらクレイが入ってくる。テーブルの横につくと、慣れた手つきで紅茶を淹れてくれて、私の向かいの席へと座った。
「ねぇ、あなたはいつまで私のことお嬢って呼ぶの?」
「さぁ。お嬢が学園を卒業するまでですかね」
「耳元でだけティアって呼ぶのやめて欲しいんだけど。と言うか耳元で話すのはやめてくれないかしら」
「あはは、嫌ですよ」
「むぅ」
相変わらずちょっと意地悪だけれど、彼とこうやって向かい合いながら紅茶を飲むこの時間が一番好き。
今までは姿が見えなかったけれど、今ではこうやって姿を見ながら一緒に過ごせる。
私はふいに手を伸ばし、彼の手に触れてみた。
「お嬢?」
「えへへ。こうやって触れられるのが嬉しくて」
そう言って笑いかけたすぐ後、クレイの姿は消えた。
「ちょっと、何で消えるの?」
「今顔を見られたくないので」
「ずるいわよ」
「そう言われましても」
彼は、恥ずかしくなるといつも姿を消してしまう。私は未だに照れた顔を見たことがない。
私は恥ずかしい所ばかり見られているのに……
夕食の時間になり、クレイと共に食事室へと向かった。
彼は今でも他の影たちと一緒に離れで生活し、食事もそこでとっているけれど、たまにこうして一緒に食事をするようになった。
食事室に入ると、兄さまの姿があった。
「お兄様、お帰りなさい。お疲れさまでした」
兄は本当に疲れた顔をしていた。新学期の準備で朝早くから夕方まで大変だったようだ。
「ただいま。本当に疲れたよ……もう生徒会辞めていいかな」
「そんなこと仰らないで。お兄様がいなくなってしまったら、レオニール王子が泣きますよ」
「うん、そうだね。確実に泣くだろうけど、それも仕方ないと思うんだよね。何ならティアが代わってくれるかい」
「あ、それは遠慮しますね」
「そう……」
一つ歳上のロナウド兄さまは、学園の生徒会の副会長をしている。
生徒会長である第一王子と共に、学園に通う生徒達の憧れの的である。青銀の髪を持つ兄さまと金髪の第一王子が並んで歩くだけで、周りからいつも感嘆の声が漏れるほどだ。
「私のクラスに聖魔法を使える方が編入してきましたよ」
「ああ、ルーチェス君だね。彼女はいずれこの国において重要な人物となるだろうから、手助けをしてやってくれ」
「はい。すごくいい子だったので仲良くなれそうです」
「そうか。それはよかった」
お父様とお母様も揃い、皆で夕食をとった。
クレイはもう両親とも兄さまともとても仲良くなった。
「ティアは久しぶりの学校はどうだったかい?」
「はい、友人達と会えてとても楽しかったです。編入生のルーチェスさんの聖魔法も見せてもらえました」
「お嬢は自分の指をナイフで切ろうとしていましたよ」
「何? どういうことなの、ティア」
「え、あの、聖魔法の力を見てみたくて……えっと」
私は父と母、兄からも叱られることになった。
指先を少し切ろうとしただけだから、そんなに怒らなくてもいいと思うのに。イザベラなんてスパッと切っていた。
それを言ったら、後日イザベラはロナウド兄様に叱られてしまった。
余計なことを言って申し訳ない。
* * * * * * *
ルーチェス男爵邸にて。
私、カレン・ルーチェスは頭を悩ませていた。
「はぁ……ついに入学しちゃった。それにしても、ここって本当に乙女ゲーム『ヒーリング ラブ ラビリンス』の世界だったんだ……」
前世の記憶の中にある『ヒロイン』と自分の境遇が何もかもが同じだったから覚悟はしていた。
だけど学園に通うまでは半信半疑で、期待と不安が入り交じっていた。
幼い頃、この国の第二王子の名前を知った時は飛び上がって喜び、そして公爵令嬢の名前を聞いて震えあがった。
攻略対象達の名前はうろ覚えだけど、推しのライル王子と悪役令嬢セレスティアのことだけははっきりと覚えていたから。
今日初めてお顔を拝見し、やっぱり私は『ヒロイン』なのだと確信した。
でも、明らかにおかしなところがいくつもあった。
二人は婚約しているはずなのに、していなかったのだ。
ライル王子はセレスティアさんに振られたって言っていたし、セレスティアさんはすごく優しそうな素敵な人だった。
そして赤髪のイザベラさん。あの人も確か別の攻略対象での悪役令嬢だった気がするんだけど、すごく明るくていい人だった。
「もしかしてあの二人も私と一緒なのかな……」
悪役令嬢セレスティアといえば、ライル王子に近づく全ての女性に電撃で威嚇をするビリビリ令嬢だったはず。魔力操作が苦手で怒るとすぐに放電したり、自身の護衛の影を使って嫌がらせしてくるはずなのに。
実技授業で見た彼女の魔法は完璧だった。
「今度聞いてみようかな……」
どうせなら仲良くして、平穏な学園生活を送りたい。
* * * * * * *
新学期が始まり数日が経った。
昼休憩の時間になり、中庭に敷物を敷いてイザベラとカレンちゃんと三人で昼食をとることにした。
カレン・ルーチェスさんとはすぐに仲良くなれて、カレンちゃん、ティアさん、と呼び合う仲になり、三人で一緒にいることが多くなっていた。
「今日もレオニール王子とロナウド様はキラッキラだったね」
「そうですね、本当に眼福でした」
イザベラはいつものように明るく笑い、カレンちゃんはほうっと息を吐きながら頬を染めている。
「……皆本当にキラキラとした髪が好きね」
「ティアさんは好きではないんですか?」
「私は黒とか茶色の落ち着いた色の方が好きなの」
そう答えると、カレンちゃんは何かを考え込むように黙り、しばらくして口を開いた。
「あの、お二人はその『日本』ってご存知ですか?」
「にほん?」
何だろう。聞き覚えのある言葉のような気もするけれど分からない。
「えっ、カレンちゃんもしかして……」
イザベラが驚いたような顔で言った。
二人は神妙な面持ちで話し始めたかと思うと、途中からきゃいきゃいと盛り上がりだした。
テンセイだとかオトメゲームだとか。他にもよくわからない言葉が沢山出てきて、一つも理解できないけれど、何となく懐かしいような気持ちになった。
「ねぇ、二人の言っていることはよく分からないのだけど、何だか懐かしい感じがするの」
「それって……記憶が無いだけで、やっぱりティアさんも……」
カレンちゃんは、私にも分かるように、言葉を選びながら説明を始めた。
ここはカレンちゃんが前の人生で遊んでいたゲームの世界そのものだと言う。彼女はそのゲームのヒロインというポジションで、私やイザベラもそこに登場するらしい。
不思議だけれど、何故かすんなりと信じられた。
他にも教えてもらったその世界のこと、乗り物や建物は、私がたまに見る夢に出てくるものと同じだったから。
私が落ち着いた髪色を好ましく思うのは、前の人生で馴染みのあった色だからかもしれないとのことだ。
「だから、ライル王子の婚約者ではなかったのですね」
「そのゲームの中では私はライル王子と婚約していたのね」
そう言った瞬間、背中がヒヤッとした。
クレイが殺気だっているみたい。漏れ出た魔力でいつもと違うぞわぞわを感じる。
「ねぇ、すごい殺気を感じるんだけど」
「はい、鳥肌がすごいです」
クレイはすぐに殺気を引っ込めたけれど、もう今更どうしようもない。
「……もしかして、ティアさんの影ですか?」
「影?」
「カレンちゃん、それ以上は言ってはダメよ」
影の存在は秘匿されているのに、どうして知っているのだろう。それもゲームの知識だろうか。
「あっ! そうでしたね……どうしよう」
カレンちゃんは両手で口を押さえた。どうやら秘匿されていることも知っていたようだ。
イザベラになんて説明しよう。
そう悩んでいる私の耳に、いつものようにふわっと息が触れる。そしていつものように甘くとろける声。
「────ティア、二人を公爵邸にお連れしては?」
「〜〜〜〜っっ」
もうっ、だからそれは止めてっていつも言ってるのに。
「ティアどうしたの? 涙目になってるよ」
「ごめんなさい! 私のせいですよね」
いいえ、違います。私のいじわるな影のせいです。
「いえ、大丈夫よ。あの、二人とも今日の帰りはうちに寄ってもらえないかしら? イザベラにはそこで説明するから、ここでのことは誰にも話さないでほしいの」
今日はお父様は家にいるはずだから、指示を仰ごう。
「わかりました」
「うん、わかったよ」
帰宅時間となり、二人とは別の馬車で公爵邸へと向かった。
「お嬢……すみませんでした」
クレイはシュンとして項垂れている。こんな姿は初めて見るけれどすごく可愛い。
「いいのよ。カレンちゃんには誰も知らないようなこの世界の知識があるのだから。あなたが取り乱したのって、私がライル王子の婚約者だったと話に出てきたから?」
「……はい。でもそれで殺気を出してしまうなんて、影失格です」
「そうね、でもあなたは私の婚約者なのだから良いのよ。あなたが嫉妬してくれて私はすごく嬉しいの」
そう言って手にそっと触れると、クレイは姿を消した。
「ねぇ、お願い。顔を見せて」
「嫌です」
「お願い」
「……」
決して折れるつもりはなく、クレイがいる方をじいっと見つめた。
しばらくして観念したようで、はーーっという長いため息の後、姿を現す。
その顔は真っ赤に染まっていた。
「えへへ、大好きよ」
嬉しさのあまりそう言って笑いかけると、彼の顔は更に赤く染まった。
「お嬢……そろそろ消えて良いですか?」
「ダメよ」
「……」
ようやく照れた顔を見られたのだから、そのお願いは聞けない。
それにしても、消え入りそうな声も素敵だなんてどうなっているのかしら。
そんなやり取りをしているうちに、馬車は公爵邸へと着いた。
私達はすぐにお父様の書斎に向かい、経緯を説明した。
「──なるほど。知られてしまったものはしょうがないね。イザベラ、君はロナウドと結婚したらいずれ知ることだ。そしてルーチェス君、君も近いうちに王家の庇護下に入り我々の護衛対象になるはずだ。だから、問題ないよ」
お父様はいつものように優しく仰ってくれて、ほっと胸をなでおろした。
お父様の書斎から退室し、皆でゲストルームに移動する。
三人で円テーブルを囲むと、私は後ろに声をかけた。
「クレイ、姿を見せて。あなたを二人に紹介したいの」
そう言うと彼はすぐに姿を現してくれた。
「お初にお目にかかります。セレスティアの婚約者で影のクレイディル・トレイニアです。以後お見知りおきを」
「イザベラ・ミラーシェンと申します。ロナウド様と婚約しておりますので、二年後にはティアの義姉になる予定です。今後ともよろしくお願いいたします」
イザベラは侯爵令嬢モードで挨拶をした。
カレンちゃんは何故か目を見開き口を開けたまま硬直している。
「すごい……隠しキャラのクレイ様だ……」
「「「隠しキャラ?」」」
隠しキャラって何かしら。
「いつも姿を消しているという意味かしら?」
「いえ、そういう意味ではなくてですね、えっと、特別な条件をクリアしないと出会うことすらできなくて、攻略がとても難しい登場人物のことです」
カレンちゃんから乙女ゲームの詳細を聞いている。だから『攻略』ということはつまり。
「彼もそのゲームでヒロインと結ばれることがあるってこと?」
クレイが他の女性と……
ああ、すごく嫌だ。違う世界のゲームの中の話だとしても嫌でたまらない。
落ち込んだ私を見たカレンちゃんは慌てた様子で話を続けた。
「あのっ、大丈夫ですよ! クレイ様を攻略しようなんて微塵も思っていませんから! 私はライル王子一筋なので!! っああっ、言っちゃった」
矢継ぎ早に言い終えてから口を押さえて狼狽える様子に、ふっと笑いが込み上げてきた。
「ふふっ、そう。そうなのね。ライル王子が好きなのね」
「そっか、ちょうど今は婚約者募集中みたいだしアピールしないとね! 協力するよ」
「はわっ、あう、いえっ、私なんてしがない男爵令嬢なんで。それはさすがに弁えていますから」
「そんなことないわよ。聖女様は王族と同等の立場に就く存在なのだから。だから応援しているわ」
そう言うと、カレンちゃんは恥ずかしそうに笑った。本当に可愛くて癒やされる。
この子に好きだと言われたら、誰でも好きになっちゃうと思う。
クレイのことを好きでなくて本当によかった。だけど……
イザベラとカレンちゃんが帰って行き、自室でクレイと二人で話をした。
「本当に不思議なことってあるのね。それにしても、あなたが『隠しキャラ』だなんてびっくりね。特別だなんて、あなたにぴったり……ねぇ、もしこれからカレンちゃんがあなたのことを好きになったら……どうしよう」
だってあんなに可愛いもの。今はライル王子が好きでも、クレイの存在を知った彼女が今後心変わりをしないなんて保証はどこにもない。
「お嬢、俺はお嬢と出会ったあの日から、あなたのことだけを思い続けてきました」
「でも……」
「でもじゃありません。お嬢だってライル王子のこと何とも思ってないでしょ?」
「ええ、それはもちろん。これっぽっちも」
それだけは自信を持って言える。
「だから、大丈夫です。俺の心はこの先もずっとあなただけのものです」
真っ直ぐに見つめてくる吸い込まれそうな深い紫色の瞳には、私だけが映っている。
「……ねえ、ぎゅっと抱きしめてもらえないかしら。そうしたらね、安心できると思うの」
不安から少しわがままを言ってみると、クレイの顔は真っ赤に染まった。
少ししてからゆっくりと近づいてきて、私のことを優しく抱きしめてくれた。逞しい胸板と腕に包まれ、彼の鼓動も伝わってきて本当に安心できる。
「えへへ、しあわせ。クレイ大好きよ」
見上げながらそう言うと、彼はまたいっそう顔を赤くした。
そして、彼は優しくそっと囁く。
「ティア、大好きだよ」
……ああ、この痺れるほどの甘い囁きに慣れる日はくるのかしら。
続編の続編(クレイディル視点)に続きます。