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優等生に誘惑されて誘拐の原因を知らされる回②

 ジェルミが出ていったのと入れ替わるようにエルガが部屋に入り、後ろ手に扉を閉めた。絞り出すようなため息をつきながら軽く指を振ると、ようやく僕の体から拘束が解かれる。

 せっかく自由になったのに、僕は何も言えないままだった。

「すまなかった。お前をこんなに危険な目に合わせたのは、私の過失だ」

「いや、僕には状況がよく分からないんだけど……ジェルミはどこに行ったの?」

「詳しい説明をするとむやみにお前の好奇心を煽ってしまうかと控えていたが、完全に裏目に出たな。本当にすまない」

 それ、僕の質問の答えになってないよね?

 だが、とてもそんなことを言い出せるような雰囲気ではなかった。珍しくしおらしい態度のエルガになんと言葉をかけたものかと迷っていると、

「場所を変えよう。きちんと話をしなければならない」

 と、もう一度エルガが指を振る。両腕が放つ淡い光に包まれて、次の瞬間には見覚えのない部屋へ移動していた。


 落ち着いたクリーム色の壁に、毛足の長い緋色のじゅうたんが敷かれている。部屋の中央には低いテーブルと柔らかそうなソファが置かれていて、見るからに居心地がよさそうな空間だった。僕が軟禁されている独房とは大違いだ。

「座れ。飲み物は私が用意する」

「あ……はい」

 エルガに命令されるがままにソファに腰を下ろすと、柔らかく受け止められた体から力が抜けていく。その時僕は、ようやく自分がひどく緊張していたことに気が付いた。

「熱いぞ。気を付けろ」

 思わず放心しかけていると、目の前にマグカップが差し出された。中を満たしているのは苺のような鮮やかな赤の液体で、分厚い陶器を隔てていてもその温度が伝わってくる。立ち上がる湯気は、中身の色とは対照的に控えめな香りだ。清涼感があるが少しだけ甘く、どこか遠くから香るキンモクセイに似ているかもしれない。

「……いい匂いだ」

「そうか。気分を落ち着かせる作用がある果実の汁だ。甘味が少ないからお前の口に合うかは分からんが、とりあえず飲め」


 何気ない僕の言葉にも、ちゃんと反応が返ってくるのが新鮮だ。今までとは比較にならないくらいの温度で、エルガとの会話が成立している。この部屋に来てからだけでも、今までにかけられた言葉の総数を上回っているくらいだ。実際はそんなことないかもしれないが、少なくとも気分的には全く違う。

「……ここ、君の部屋なの?」

「ああ。落ち着いて話をするならここの方がいい。少し長い話になるからな」

 エルガも同じカップを持ち、僕のすぐ隣に腰かけた。物理的にも詰められた距離感に、僕は少しどきどきしてしまう。


「……ジェルミは、私の弟子だった。だが、以前から行動に不審な点があったんだ。私になれなれしく近づいて、異世界やフロイデア様について聞き出そうとしたりな。好奇心からしているのだろうと多めに見ていたが、まさかお前にまで手を出すとは思わなかった」

「て、手を出すって……僕は別に、何か危ないことをされたわけじゃ……」

「いいや。端的に言うと、ジェルミはお前を利用しようとしていた。しかも、限りなく取り返しがつかないような形で、だ。あいつはお前と、エニを結ぼうとしていたんだ」

「へ? エニって魔術に使うもの、だっけ? ジェルミは僕のエニが全然ないって言ってたけど」

 エルガはそれを聞いて、痛みをこらえるような顔をした。

「その通りだ。だが、エニは生まれつき備わっているものではない。むしろ、後天的に獲得していく部分の方が圧倒的に多い。エニとは、人と人がお互いを思いあった時に結ばれるものなんだ」

「……」

「親愛の情の現れ、と言えば分かりやすいか? 幼い子供はほとんど家族や近所のものとしか触れ合わないから、多くても手首を一周するくらいのエニしか持たない。だが、徐々に他人と交流する機会が増えるうちに、自然にお互いを大切に思うようになるだろう。その時、双方の体にエニが現れるんだ」

「じゃあ、僕のエニがほとんどないっていうのは……」

「ああ。それが、お前がこの世界にいる理由でもある」

 エルガはそこで話を一度切ると、赤い液体を一口飲んで大きく息を吐いた。その仕草の一つ一つが、やけに大きく聞こえた。


「そもそも、世界を移動するのは非常に難しいことだ。例えるなら、生身で隣のビルに飛び移るようなものだ。エニは、自分がいるビルにつながっている命綱だ。私は隣のビルから書類を持ってきたいのだが、まずはそのビルのどこに着地するかを決めなければいけない。だから、お前をこの世界に召還したんだ。最初に出会った場所を覚えているか?」

 僕は無言でうなずく。大勢の人に囲まれた、神殿のような場所。カルト宗教みたいだなんて思ってたけど、まさしく儀式の真っ最中だったのか。

「案内人を日本からこの世界に連れてくるのが最も難しいんだ。エニが多い奴だと、元の世界との結びつきが強すぎて引っ張ってこれないからな。かといって、全くエニを持たないものでもいけない。お前のエニを頼りに私が世界を渡ることができなくなってしまう。だから、お前みたいな他人とのかかわりが希薄で、最低限のつながりは持っているくらいの若者が選ばれやすい」

「なんだよ……それ……」

「途中までは上手くいっていた。お前のエニを頼りに日本に飛び、用を済ませたら私のエニを辿ってこちらへ戻る。今回の儀式は急だったが、行程自体は何の問題もなかった」

 僕の動揺をよそに淡々と話し続けるエルガに、思わずかっとなってしまう。

「そんなことを聞いてるんじゃないよ、分かるだろ!?」

「……」

「じゃあなんだよ、僕が友達が少なくて人間関係がしょぼいから連れてきたって、そういうことを言いたいのか!? 勝手に僕を選んでおいてそんな言い方は酷いだろ!」

「お前を悪く言うつもりはない、ただ……」

「つもりなんか関係ない、実際にそうなんだろ! ああそうか、だから僕の手にわざわざエニとやらが見えるようにしたのか! 僕はこんなに一人ぼっちだって思い知らせるために!」

 叫びながら、僕は頭のどこかでエルガの今までの態度に納得していた。こんな理屈が真実なら、聞かされない方がよっぽどましだ。丁寧に説明されればされるほど、余計に腹を立てていただろう。


「……エニを表したのは、お前の身を守るためだ。お前がこの世界の誰かとエニを結べば、日本に帰ることが困難になる。だから、変化があればすぐに気づくようにさせてもらった」

 拾った犬がふらふらしないための、首輪代わりということか。一つ一つの行動が、僕のことをどこまでも軽んじているとしか思えない。悲しくもないのに、なんだか泣きたいような気分になってきた。

「ただ、お前の場合は通常とは状況が違って……」

「……もういいよ」

 なおも話を続けようとするエルガに、僕はどうにか言葉をぶつける。

「もう何も聞きたくないよ。訳も分からず部屋に閉じ込められた時より、いきなり教師役を任された時より、優しくしてくれた生徒に騙された時より……今が、一番辛くて惨めだよ」

「……そうか。すまない。私にしてやれるのは、これだけだ」

 エルガはカップを置き、僕に向かって手を伸ばす。振り払おうと思えばできたことだが、何か行動を起こす気力なんて一切なかった。

 頭にエルガの手のひらが触れると、視界がふわりとぼやけた。同時に、頭の中身も重く痺れたようになっていく。

「部屋で休んでいろ。儀式の準備ができたら呼びに行く。それまでは、ゆっくり体を休めて過ごせ。誰が来ても相手をしなくていい。もちろん、先生ごっこも終わりだ」

 その声が耳に届くころには、すでに僕の瞼は落ち切っていた。体は温かな空気に包まれているのに、なぜか手足は冷え切って仕方がなかった。


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