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優等生に誘惑されて誘拐の原因を知らされる回①

 しりとりレッスンは大成功のうちに終了を収めた。うっかりミスや記憶違いなどで各自一回ずつ泥がついたところでエルガからの号令が入り、授業自体が終了する運びとなった。気が付けば結構な長時間が経っていたようだし、その区切り自体はちょうど良かったと思う。

 僕のプリティな個室、すなわち隔離されたプリズンホテルに客人が訪れたのは、運ばれてきた食事を一人で終えた後のことだった。窓から見える空模様と僕の第六感によると、時刻はおそらく午後六時くらいだろう。まだ寝るには早いし、かといって何かできることがあるわけでもないしと暇を持て余していた時に、控えめに扉がノックされた。


「はーい、どうぞー」

「失礼します!」

 てっきりエルガだと思っていたので、僕はだらしなくベッドに寝ころんだまま相手を迎える。しかし、扉の影からぴょこりと顔をのぞかせたのは、くすんだ赤銅色の髪の少女だった。見慣れない客人に慌てた僕は、急いでベッドから起き上がって正座する。

「あれ……ジェルミ、さん?」

「ジェルミで結構です、シドウ先生!」

「せ、先生?」

「私たちに日本語を教えてくださるのでしょう? だったら先生とお呼びするのが当然です!」

 ジェルミは嬉しそうに頷くと、ぱたぱたとベッドに駆けよって僕の隣に座った。肩が触れ合いそうなほどの近くから、ふわっと甘い香りが漂った気がする。思わず体を硬直させる僕に構わず、ジェルミは腕に抱えていた広辞苑、もとい『知の博覧書』を開く。


「実は、以前から分からない言葉がありまして……せっかくですから、シドウ先生に教えていただきたくてお部屋まで押しかけてしまいました」

「えっと……勉強熱心、なんだね?」

「もちろんです! エルガ様のような強力な魔術師になるためには、研鑽は欠かせませんから! まさしく『知は力』です!」

「そっか、ジェルミさん……ジェルミも魔術師を目指してるんだ。確か、他の人たちもそうなんだよね?」

「そうですね、メラニーは私たちとは事情が違いますが、ルルーラとムコリタは私と同じくエルガ様のもとで魔術を学んでいます。もしかして、シドウ先生も魔術に興味がおありですか? せっかくですから何かお見せしましょうか!?」

 目を輝かせるジェルミは勉強熱心なだけでなく、僕との交流も積極的になってくれているらしい。それはありがたいんだけど、あんまり身を乗り出すから、その、僕の太ももに手が。手袋を隔てているとはいえ、女の子らしい華奢な指だとかちょっと低めの体温だとかが伝わって、平穏な気分ではいられなくなってしまう。


「あの……ジェルミさん、手が……」

「ジェルミ、です」

「じぇ、ジェルミ……あの、手が触れてしまってるので、どけていただけると……」

「うふふ、わざとです」

 悪戯っぽく笑うと、ジェルミは僕の太ももに触れたまま、さらに距離を詰めてくる。さっきから身を引きっぱなしの僕にぴったりと肩がくっついて、甘い花みたいな香りがいっそう強く感じられる。

「緊張してますね? 怖がらないでいいんですよ?」

「いや、僕たちまだ知り合ったばっかりだし、まだそういうのは早いんじゃないかって、とにかくまだ段階というものが……!」

「『まだ』が三回もありますね? 私たちの関係はまだまだということでしょうか」

「か、関係だなんてそんな! 女の子がはしたないことを言うんじゃありません!」


 あれ、意味深な勘繰りをしているのは僕だけのような。もしかして、この世界ではこれくらいの距離感が普通なんだろうか。ほぼ初対面の異性の太ももをやわやわとさすりながら微笑みかけるのが常識だなんて、恐ろしい世界に来てしまったものだ。

 いやあ、そうでなければジェルミが僕に好意を持っているということになってしまう。いくらなんでもね、そんな都合がいいことがあるわけじゃないってことは僕だって自覚してますよ。エルガも言ってた通り、この世界にはハーレムもチートもないんだから、僕に好感度を持ってくれる対象が出るなんてあり得ない。気を引き締めていかないと。

「ええと、ジェルミにとっては普通のことかもしれないけど……とにかく僕の世界では体を、特に腰から下を触るというのはとても意味深なことでして、好意の表れと捉えられなくもない行為でして」

「あら、そうなのですか? やはり私たちの世界とは違う常識も多いようですね。シドウ先生の方も、こちらの暮らしでは慣れないことも多いんじゃありませんか? 分からないことがあれば、なんでも教えて差し上げますよ?」

「な、なんでも……?」

「ええ、な、ん、で、も」

 意味深に区切りながら、ジェルミは相変わらず僕の足をすりすりと撫で続けている。これはもう、目の前に道は開けているんじゃないだろうか。ビーチフラッグのごとく、ジェルミルートに勢いよく飛び込むべきなんじゃないだろうか。


「ひ、一つだけ聞いてもよろしいでしょうか」

「もちろんです。なんでもどうぞ?」

 ここで何を聞くかが今後の全てを決めると言っても過言ではないだろう。大事なのは、お互いの意思を確認することだ。些細なすれ違いや思い違いが不幸な結果を招くというのは、ドラマやゲームでなくてもよくある話だ。だからこそ、どんな小さなことでも誤解がないようにきっちりと確認をしておかなければ。

「あの、その、えーっと……あ、この世界の人って、皆手袋してるでしょ? これ、何か理由があるんですか?」

 そう、例えば一見どうでもいいことでも、明らかにしておくことが重要なのだ。その知識が役に立つかどうかはさておき、とりあえず誤解の余地を一つずつなくしていくことが真の相互理解につながるはずだ。

 言っておくけど、決して臆しているわけではない。僕は、いや僕らは、大変に高度で有意義なコミュニケーションを始めようとしているのだ。勢い任せにしたりせず、慎重に進めるに越したことはない。

 僕の思慮深い問いかけに共感するように、ジェルミは不埒な動きをしていた手を止めた。しかし、丸く見開かれた朝焼け色の瞳からうかがえる感情は、どちらかと言えば僕への理解よりも疑問の方が強いようだ。


「あら、日本ではそうではないのですか? ……ああ、エニがないから当然ですね」

「えに?」

 聞きなれない言葉を繰り返すと、ジェルミは意外そうな顔をして僕を見つめた。

「ええ……シドウ先生も手袋をされてるからご存じかと思ったのですが、もしかしてエルガ様はエニについて何もおっしゃっていないのですか?」

「う、うん。そんな言葉、聞いたこともないよ」

 そもそもエルガとは会話さえほとんど成立してない、なんてジェルミには言えないけど。エルガと僕のコミュニケーション不全について相談する必要なんてないし、ちょっとぐらいは先生として尊敬されたいんだよ、僕だって。


「エニは魔術と深くかかわりがあるもので……そうだ、実際にお見せしましょうか?」

 と、ジェルミは僕の返事を待たずに自分の手袋に指をかけ、肘まであるそれをするりと引き抜いた。露わになった前腕には、不規則な曲線で形成された刺青が隙間なく施されていた。

 白く若々しい肌を、美しくもどこか不気味な雰囲気を感じる模様が埋め尽くしている。その非現実的な光景に目を奪われた僕は、思わずつぶやいていた。

「エルガの腕と同じだ……」

「まさか、エルガ様のエニは私と比較になりませんよ。量も質も」

 どこか自嘲するように笑いながら、ジェルミは自らの腕を覆いつくさんばかりの線を指先でなぞる。

「エニとは魔術に使う力の源になるものです。この世界の人々はすべて、多かれ少なかれエニを持っており、このような形で腕に表れます」

「……確かに、エルガは肩まで刺青があったような」

「いれずみ……ああ、皮膚に絵を描く技術のことですね。残念ながら、この腕の模様は刺青ではありません。エニの増大によって、自然に象られるものですから」

「し、自然に?」

「ええ、だから腕を見せることは自分のエニの多寡を見せつけること、ひいては魔術の腕前を明らかにすることにつながります。特別な事情がない限り、手袋をつけて隠しておくのが一般的ですね。この王城のような儀礼的な場所では、特に」

「な、なるほど……」


 相槌をうちながら、こっそりと僕は自分の左手で反対の手を抑える。その手袋の下には、エルガにつけられた印のようなものがある。もしや、あれが僕のエニなのだろうか。

 ジェルミやエルガの腕にあるものとは比べ物にならない、小さくて存在感のない模様。もしあれが僕が持つ潜在能力の表れなのだとしたら。

 うつむく僕など目にも入っていないように、ジェルミはどこかうっとりと宙を見上げながら説明を続ける。

「その人の持つエニが大きく、複雑であるほど魔術の技量も上がっていきます。私程度では、良く言ったところで十人並みですね。簡単な魔法くらいなら難なく使えますが、もっと大きな規模のものはまだ扱えません。世界を渡るなんて大魔術ができるのは、この国ではエルガ様くらいなのです」

「へえ……エルガってすごい人なんだな」

 初めて会った時の勢いで呼び捨てにしてるが、もしかしたらまずいのだろうか。ジェルミなんて、エルガを様付けで呼んでるし。でも、今更さん付けするのもなんか寂しいというか、他人行儀な気がする。


 それまで優等生めいた口調で説明をしていたジェルミは、思い出したように悪戯っぽい微笑みを取り戻した。

「でもね、やり方次第では私にもできるんです。ねえシドウ先生、早く日本に帰りたいなら、私が協力しますよ?」

「え? じゃ、じゃあ、ジェルミが僕を日本に連れていけるってこと?」

「その通りです。そういうの、日本語では裏技っていうんでしょう?」

 ジェルミは戸惑う僕の手を取り、恋人同士がするみたいに指と指を素早く絡ませた。

「ジェルミ!?」

「照れているのですか? うふふ、可愛らしいですね。大丈夫ですよ、私を信じて、身を委ねてください」

 そのまま白い指先がつうっと手首を辿り、僕がつけている手袋の間に忍び込んできた。少し温度の低い指が、硬い布と僕の手のひらの間を蛇のように動く。ただ手を触られているとは思えないほどの背徳感にくらりとしたその時、エルガの忠告を思い出した。

「だ、駄目だよ! なんだか分からないけど、手袋の下は誰にも見せるなってエルガに言われてるんだ……」

「まあ、私を拒むのですか? それに、私の手を握っておきながら他の女の名前を呼ぶなんて酷い人ですね、シドウ先生」

 ジェルミは露わになった手の甲を口元に当て、くすくすと笑う。次の瞬間、上機嫌だった少女の声色が別人のように冷えた。


「仕方ありません、だったら実力行使です」

 危機感を覚えた時には、僕はもう彼女の手中にはまっていた。ジェルミが妖しく笑うと、絡み合った植物のような彼女の腕の模様がぼうっと光る。

そして、僕の体は固まった。比喩ではなく、指を動かすことも瞬きさえもできない。

 ジェルミは身動きの取れない僕の手を持ち上げると、そのまま小さい子供にするみたいに僕の手袋を脱がせ、その下の丸くて薄い印を愛撫するようにゆっくりとなぞる。

「大丈夫ですよ、シドウ先生はちゃんと私が利用してあげます。髪の毛一本からつま先まで、大事に大事に可愛がってあげますね」

 からかうように囁かれても、反論どころか自分が呼吸できているかどうかも分からない。ジェルミの言葉はただの音として鼓膜を振動させているだけだ。

「うふふ、異世界の人ってとっても無防備ですね。初歩の束縛魔術でさえ、こんなに強く感じちゃうなんて……ああ、やっぱり。先生のエニ、すっごく小さくて可愛らしいです」


 けれど、彼女が含み笑いをしながら言った次の言葉だけは、妙にはっきりと聞こえた。

「だから()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……っ!?」

 形のいい唇から耳を疑うような言葉が飛び出した瞬間、

「ぜいはっ!」

 鋭い声とともに、扉が蹴り破られた。そこに立っていたのは、昼間とは打って変わって厳しい顔をしたメラニーだった。防具の下からは、ジェルミが僕を拘束した時と同じ光がうっすらと漏れている。

「ずいぶんと乱暴な挨拶ですね、メラニー」

「……ジェルミ、どういうつもりなんだい」

「もちろん、シドウ先生と素敵なひと時を……むぐっ!?」

 この状況でもまだ余裕ぶった口調を崩さないジェルミだったが、言葉の途中で唇がぴたっとくっついてしまう。メラニーの後ろから現れたのは、例のローブを真深く被ったエルガだった。その表情は見えないが、持ち上げられた両腕の刺青は――彼女のエニは、青みがかった光を放っている。ジェルミの口をふさいだのはきっとエルガの魔術なのだろう。


「お前の話を聞くつもりはない。メラニー、もう下がれ」

「はぁい」

「……ジェルミ。お前が私を裏切るつもりだったのはすでに分かっている。だが、今から質問することに素直に答えるなら、私の責任で処分を留保することもできる」

 エルガの声には緩みは一切ないが、その反面、怒りや憤りも感じられない。純度百パーセントの、完璧なまでの無感情だった。

「シドウを誘い出したのは、お前の独断か」

「……」

「私のもとについていたのは、王弟派の支持か」

「……まさか」

 ジェルミの腕が怪しく光ると同時に、閉ざされたはずだった少女の唇が開く。異変を感じたのか前に出ようとしたメラニーを、エルガは手の動きだけで止めた。

「口止め程度とはいえ、私の魔術を破るなんて腕を上げたようだな。せっかくだ、恨み言くらい聞いてやろうじゃないか」

「恨み言なんてありませんよ、エルガ様。私はいつだってあなたのためを思って尽くしてるんですから。あなたのことだけを思って」


 さっきまで僕といい感じだったはずの女子が、他の女の子にきらきらとした目で愛をささやいている。さっきまで身動きがとれない状況だったというのに、僕は慌てたり恐怖を感じたりするよりも、疎外感のようなものを感じていた。

 熱っぽい目でエルガを見つめ続けるジェルミには、すでに僕の存在などすっかり忘れてしまっているようだ。

「あの女は……フロイデアは、立場に物を言わせてエルガ様をいいように使っているだけなんです! あんな奴に国を治める資格なんてありません! エルガ様だってお分かりでしょう、だってフロイデアには何より大事なものが欠けているんですから!」

「なるほどな。それがシドウをここに縛り付ける理由になると思うか?」

 突然出てきた名前は、自分のものではないような響きだった。まるで、聞きなれない外国語の単語みたいに。

 エルガに問い詰められたジェルミは、しかし誇らしげに顎を上げて、

「ええ。あなたをフロイデアから解放するためならなんでもします。それが私の愛なのですから」

「……もういい、黙れ。メラニー、連れていけ」

「あい。ジェルミ、浮かべ~」


 すっかりもとの無気力さを取り戻したメラニーがつぶやくと、ジェルミは何かに引っ張られるようにふらふらと立ち上がって少女騎士のもとへと歩いていく。

「エルガ様、全部全部あなたのためです! あなたのことを心の底から思っているのは、私だけ! 私の気持ちを、いつか分かってくださいますよね!?」

 それでもジェルミは首だけで振り返って、最後までエルガに向かって叫び続けていた。メラニーは手荒くはないが、しかし迷いのない態度でジェルミを引き連れ、部屋を去っていく。連れられたジェルミは、扉をくぐるその時まで、僕に視線を向けることはなかった。


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