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はじめての授業で緊張しながら増長する回②

「……というわけで、この五人がお前の生徒となる。普段は私が教えているから、ある程度の会話はできているだろう。遠慮はいらない、徹底的にやれ」

 エルガは眉間にしわを刻んだままそう言うと、生徒たちの間を通って一番奥の机に腰かけた。一部始終を見ていたフロイデアも、その隣に座る。

「あれ、エルガとフロイデアさんも僕の……じゅ、授業を聞いてくれるんですか」

「私にはお前を監視する義務がある。フロイデア様は……」

「だって面白そうなんですもの!」

「……だそうだ」

 この上なく不本意そうに、エルガはため息をついた。


「さあ、もう紹介は済んだだろう。好きなように始めてくれ」

「始めろって言われても……そうだ、教科書は何を使ってるの?」

 自己紹介を聞いた限りでは、彼女たちの会話レベルはまちまちなようだ。優等生っぽいジェルミと自由人っぽいメラニーは問題なさそうだが、ムコリタの言葉遣いやアクセントは二人に比べるとだいぶたどたどしい。ルルーラと名乗った内気そうな女の子にいたっては、まともなやり取りさえできていないのだから判断のしようもないけど。とにかく、各自のレベルが違うのであれば、普段使っている教材に従って進めるのが無難だろうと判断したのだ。


「教科書……ああ、『知の博覧書』のことですね!」

 僕の言葉に真っ先に反応を返してくれたのは、やはりジェルミだった。心得たように頷くと、どこからか取り出した分厚い本を丁重な手つきで僕に差し出す。その古ぼけた表紙に書いてあった文字は。

「……広辞苑?」

「ええ、エルガ様はいつもこちらを使って私たちに日本語を教えてくださっています」

「じ、辞書で? どんなふうに?」

「日付や星の位置、あるいは窓から見えた鳥の数などから本日読むべき頁の数を導きだし、そこに書かれている説明をひたすら読むのです。もしそこに分からない単語が含まれていれば、さらにその言葉を調べて学びます」

 つまり、あてずっぽうにページを開き、そこに書かれていた単語の解説を読み進めるということか。確かに知識と語彙はつきそうだが、それではなかなか面白みに欠けるのではないだろうか。

 しかしジェルミは、広辞苑をしっかりと握りしめたままうっとりと宙を見上げる。離してくれないと僕が辞書を開けないんだけど。


「この紙面にみっちりと詰め込まれたあらゆる語彙。そして端的ながらも本質を言い表す、鋭い言葉たち……! 辞書なんて言葉では、この書物の素晴らしさは言い表せないと思いませんか? ゆえに私は敬意をこめて『知の博覧書』と呼んでいます」

 この優等生、広辞苑マニアなのか? いや、広辞苑信者? エルガに心酔しているらしい言動と言い、生真面目さだけでなくどことなく愉快な感じがして好印象だ。

「そんナの言ってるの、ジェルミだけダ」

「お黙りムコリタ。あなたには感謝の気持ちが足りないのです。『知の博覧書』をエルガ様が入手するのにされた苦労を知らないのですか? 第一、この国で最大の魔術師であるエルガ様に教えを受けられることが、どれほど貴重なことだと……」

「ジェルミ」

 教室の後ろから投げかけられた冷たい声に、ジェルミはぴたりと口を閉じる。エルガはうんざりとした様子を隠そうともせず、もう一度ため息をついた。

「余計なおべっかを使うのはその辺にして、今お前が教えを受けているのは誰か考えろ。考えたら、口を閉じて席につけ」

「……はい。すみません、エルガ様」

 ジェルミは力なくつぶやくと、言われた通りに静かに椅子に座った。先ほどまではあれほど目を輝かせていたのに、憧れの師に叱られてすっかり勢いをなくしてしまったようだ。積極的に話してくれる唯一の生徒が黙ってしまったせいで、狭い教室の中に重い雰囲気が落ちる。


 沈黙は苦手だ。ぺらぺらと適当なことを言うのは得意なはずなのに、一度流れが途切れてしまうと次に何を言えばいいか分からなくなってしまう。前に立った僕が黙っていると、不審に思ったのかみんなの視線が突き刺さって、何か言えと責められているようで息苦しくて鼓動が駆け足になって何か、何か言わないと何か何か何か――!

「わたくし、シドウ様に教えてほしいことを思い出しましたわ!」

 その瞬間。

 ぱん、と手を打つ音が空気を明るくした。マネキンのように固まってしまった僕に助け船を出してくれたのは、フロイデアだった。どんな宝石よりもきらきらと輝く紫の瞳が、僕に向かって微笑みかけている。

「日本語を使って遊べるゲームがあるのですよね? 確かあれは、なんと言ったでしょうね? しろぶた? いえ、くろうし?」

「……もしかして、しりとり、ですか?」

「きっとそうですぞ! 何か動物に関係する遊びなのですかな?」

「いや、この場合の『とり』は動物の方じゃなくて……」

 フロイデアに説明しているうちに、僕は先ほど感じていた息苦しさがすっかりなくなっているのに気が付いた。少し沈黙が訪れてしまっただけで、どうしてあんなに焦っていたのだろう。

 ここにいるのは、僕に言葉を教えてもらうために集まった生徒たちだ。せっかく外国人講師として招聘されたのだから、黙って突っ立っているだけじゃ彼女たちに申し訳ない。仮にも先生と呼ばれる立場なら、楽しくためになることの一つでも披露しなければ。

「そうだ、皆で実際にやってみませんか?」

 集まった五対の眼差しが、あるものは楽しそうに、あるものは不思議そうに形を変える。


「やってみる……しみとりを、ですかな?」

「いえ、しりとりです。洋服の汚れを取るわけじゃありません。ええと、言葉の一番最後……お尻を取って言葉をつなげるから、しりとり。例えば、『うし』の最後は『し』だから、その次は『しらんぷり』とか『しかめつら』とか……」

 無意識にエルガの方を見てしまったから、つい素っ気ない言葉が思い浮かんでしまう。

「じゃあ、『しらんぷり』の次は……『りんじん』とかでしょうか?」

「そう、その通りです! ただ、『ん』から始まる言葉は日本語にはないので、それを言ったら負け。同じ言葉を二度言ったり、存在しない言葉を言っても負け。とりあえずはそんなところかな」

「ちょっト待て」

 分かってもらえたと思ったところで、腕組みをしたムコリタから待ったが入った。


「遊びだから、勝ち負ケがあるのはいい。だガ、言葉をたくさん知ってルのが有利なのだろう? だったらエルガとシドウが勝つに決マってる。つまらなイ」

 確かに、彼女の言うことにも一理ある。

「ええと……じゃあ、僕とエルガとジェルミさんは五文字以上に限定しようか。で、フロイデアさんとメラニーさんは四文字以上で」

「ええ、僕も条件付きなのぉ? どうしてさ」

「分かりました! うふふ、エルガ様との勝負なんて腕が鳴ります! まさに知で知を争う戦いですね!」

「待て、そもそも私を頭数にいれる必要はない。おいジェルミ、私の隣に来るんじゃない!」

 にぎやかに話していくうちにルールは決まり、僕を含めた六人は輪になって座る。もちろん、『しかめつら』のエルガもその中に入っている。


「じゃあ、スタートは僕から……しりとりの『り』からですね。じゃあ、『りんご』。はい、フロイデアさん」

「『ご』ですか……えーっと、『ごちそう』、はどうでしょうな?」

「ばっちりです! じゃあ次ルルーラさん、『う』です」

「う……う、う……『うなぎ』……」

「次は『ぎ』カ? んー、難しいナ」

「濁点は取っても大丈夫です。『ぎ』じゃなくて『き』でもいいですよ」


 そんな感じで補足説明をしながら、思ったよりも和気あいあいと場が盛り上がっていく。誰かが言った言葉が分からなければその場で辞書を引いてみたり、ラリーが繋がってきたら動詞と名詞の違いに触れてみたり。始める前に思っていたよりもきちんとした授業になったのではないだろうか。

 ジェルミやフロイデアに助けられながらの進行ではあったが、初めての、しかも異世界での授業としては上々の滑り出しだったと思う。

 だから、最初の関門を乗り越えた僕が少し調子に乗っていたのは否定しようがない事実だ。浮かれた頭からは、エルガから言われた注意事項なんてすっかり抜け落ちていた。その増長の報いが、すぐに想定もできないほどの重さで僕に返ってくるとも知らないまま。


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