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はじめての授業で緊張しながら増長する回①

「おはようございます、シドウ様! 準備はもう済みましたね? それでは参りましょうか」

「あ、はい……」

 昨日はやることもないのでさっさと眠ってしまったが、それがかえって良かったのかもしれない。辺りが明るくなると同時に扉が開かれ、僕は現れた数名の使用人らしき人々にされるがままに、あっという間に身支度を整えられてしまった。フロイデアはちょうどすべてが終わった今、待ち構えていたように僕の部屋へとやってきた。


「では、こちらへどうぞ。私たちの教室へご案内しますわ。皆シドウ様のことを待ちかねてますぞよ」

 ということは、エルガも先に行っているのだろう。それにしても、フロイデアやエルガの話ぶりを見ている限りでは、この世界の日本語レベルって相当高そうなんだけど。僕が改めて日本語を教える必要なんて全然ないんじゃないかな?

 フロイデアの語尾だって、本人が気にするほどおかしくはない。むしろかわいい。これこそが正しい形なんじゃないかとさえ思えてくる。どうかそのままの君でいてほしい。


 フロイデアの後ろを歩いているとたまに使用人らしき人とすれ違うのだが、全ての人が手袋をつけているのは何か理由があるのだろうか。ちなみに、僕も着替えさせられたときに手袋を渡されている。エルガにつけられた紋章のようなものは、今は滑らかな肌ざわりの革の下だ。

 僕が見てきた限りでは、手袋をつけずに過ごしているのはエルガだけだ。彼女だけは僕と出会った時も、ドラッグストアに行った時も、素手のままだった。だからあの刺青にビビってしまったんだけど。エルガは魔術師だから特別待遇なんだろうか。思い返してみると、エルガの取り巻きの人々――おそらく、エルガと同じ魔術師であろう彼らも、手袋はしていなかったように思う。


 そんなことを考えている間に、僕らは目的地に到着したらしい。僕が寝ていた、というか軟禁されていた部屋がある建物からは、渡り廊下を挟んで別の棟に移動したようだ。建物が変わると雰囲気が一変して、武骨な印象だった石造りの建築は、壁の色合いや柱の装飾なども豪華で手が込んだものに変わっている。

 つややかに塗装された扉の前でフロイデアは立ち止まり、振り向いて俺に笑いかけた。

「さあシドウ様、ここがあなたの教室ですわ。集まってるのは皆良い子たちですから、気負わずに接してくださいな」

「あ……は、はい」

 あれ? おかしいな。答えた声が、なんだか上ずってる気がする。無意識に唾液を飲み込んだ音が、フロイデアにまで聞こえてしまいそうだった。僕は自分の緊張をごまかすように、重厚な雰囲気の扉に手を伸ばす。


 落ち着け僕。最初のあいさつだって昨日のうちに考えておいたじゃないか。まずは扉を開けて、生徒の前に立って自分の名前を名乗って、それから、……その後は、どうするんだっけ?

 考えれば考えるほど頭の中に重い水が詰まったみたいになってきて、思考は妙な方向へと暴走し始める。ここはどこなんだろう。教室なんて言ってたけど、その割には静かすぎやしないか? だいたい、どうして扉の向こうから、生徒たちの話し声が聞こえないんだろう。

「シドウ様? どうされましたか? 早く授業を始めてくださいな」

 扉に手をかけたまま立ちすくんだ僕に、フロイデアから屈託のない催促がかけられる。

 早く、早く始めなさい。そんな口調ではなかったはずなのに、頭の中でリフレインする言葉に追いつめられて、一つの疑念が黒い雲のように湧き上がってくる。

 ……本当は、この扉を開けても誰もいないんじゃないか? フロイデアは僕をからかって、笑いものにしようとしてるんじゃないか?


 僕の考えすぎとは分かっている。それでも、酷く気分が悪くて、呼吸が不規則になる。なんだかめまいまでしているみたいな気分だ。

 ああ、どうしよう。僕はこの扉を開くのが、なぜだか怖くてたまらない。思わず逃げ出してしまおうかと思ったその時、扉は向こう側から開く。

「……おい、居るなら早く入れ」

 そこから顔を出したのは、相変わらず仏頂面のエルガだった。彼女は僕の顔を見てちょっと眉をしかめた後、軽くため息をついた。

「気分が悪いなら考え直したらどうだ。予定を変えたって誰も困りはしない」

 その意外に優しい響きに、僕は少し驚く。エルガに逆らって勝手に授業を引き受けてしまったんだから、皮肉の一つでも言われるかと思ったのに。というか、僕が緊張していることにも気づいてくれたのか。

 何よりも僕を安心させたのは、扉の向こうで誰かが待っていてくれたということだ。気が付けば、先ほど感じていた嫌な動悸は消え失せていた。


「いや……うん、大丈夫。行けるよ」

 自分に言い聞かせるようにはっきりと言うと、エルガは意外そうに眉を上げ、けれど何も言わずに扉を大きく開いた。

 その途端、様々な色の瞳が僕に向けられる。室内には長机が三つ置かれていて、そのうちの二つに二人ずつが座っている。エルガも入れると、生徒は全部で五人だろうか。

 見たところ、四人ともエルガと年の変わらない女の子のように見える。好奇心と期待とわずかな警戒心が混じった視線が突き刺さるのを感じながら、僕は彼女たちの前に進む。

「えっと……僕の名前は、志藤と言います。エルガの魔術で、日本から来ました。短い間ですが、よろしくお願いします」


 用意していたセリフを言い終わって、僕は少し迷ったが、頭を下げた。この世界にはお辞儀の風習はないかもしれないけど、なんとなく身に付いた仕草をしないと落ち着かなかったから。

 恐る恐る頭を上げると、色鮮やかな四揃いの瞳に見つめられた。敵対的な意思は感じないんだけど、この視線の意味は何だろう。

 どう言葉をつづけたものか迷っていると、手前の机に座っていたエメラルドの髪に黄色い瞳の女の子が、まっすぐに手を上げた。


「エット……って、何ダ?」

「え?」

 少しハスキーな声で発せられた言葉には、変なところにアクセントが付いていた。それに気を留める暇もなく、彼女の発言を皮切りに、近くに座っているもの同士で少女たちはひそひそと会話を始める。

「名前の一部なんじゃないのぉ?」

「ち、ちが、違うと、思い、ます……」

「今もエ、って言っタ。何か意味ありソウだ」

 ……もしかして、僕の言葉が上手く伝わってないのだろうか。いや、でも彼女たちも話しているのは日本語だ。それに、フロイデアの話では簡単な会話ならこなせるという話だったのだが……。


 その時、後ろの席のおさげ髪の少女がさっと立ち上がった。

「ムコリタ、あなたが勝手に喋るから先生が困ってます! ルルーラとメラニーもお喋りはよしなさい!」

 熟れたイチジクみたいなくすんだ赤色の髪の少女は、可愛らしいがはきはきとした声で教室の中に秩序を取り戻す。最初にムコリタと呼ばれたのは黄色い瞳の少女だろうか。特に悪びれた様子も見せず、何もなかったように口をつぐんでいる。

 おさげ髪の少女は俺――ではなく、その隣で壁にもたれて立っていたエルガを見て、どこか自慢げににっこりと笑った。

「エルガ様、皆静かになりました。続きをお願いします」

「……この場の教師は私ではない。シドウ、お前が仕切れ」

 急に話を振られても。だが、エルガの言うことはもっともだ。仮にも教師と言う立場を引き受けたんだから、いつまでもお客さん扱いされているわけにもいかない。


「えっと……」

 と思わず口に出したところで、すぐ近くで黄色い瞳が輝いたことに気づく。

 彼女たちにとっては一つ一つが勉強の対象なのだから、僕も言葉に気を付けないといけない。先生って大変なんだな。帰ったらちゃんと敬わないと。

「……では、皆さんも自己紹介、してもらえますか? 名前と、あと好きなものや趣味とかを教えてください。じゃあ、立っている君から」

 と、エルガに肩透かしを食わされてしまったおさげ髪の少女に水を向ける。少女はちょっと不服そうに小さな唇を尖らせていたが、すぐに先ほどのような優等生っぽい笑みを浮かべた。

「私はジェルミと申します。エルガ様のもとで魔術を習っています。シドウさ……先生、よろしくお願いいたします」

 聞いている僕の方がたじろいでしまうほど、堂々として完璧な挨拶だった。左斜め後方でにこにこしている綺麗な姫君と違って、変な語尾もついていない。

 僕は素直に感心して、彼女を本心から褒める。


「とても上手な日本語だね。僕の授業なんか必要なさそうだ」

「ありがとうございます! これもエルガ様が手取り足取り教えてくださったおかげで……」

 だが、エルガはジェルミの熱心な視線にも構わず、軽く手を振って次に行けと促す。ずいぶん冷たい態度だ。ええと、次は誰にしようかな。

「ジェルミの話は、長イ。一人だけで日が暮れソウだ」

 迷っていたところに、ちょうどよく立候補者が現れた。黄色い瞳の少女は、僕の指示も待たずに勝手に立ち上がって喋りだす。

「名前は、ムコリタ。好きなのは、絵を描くこト。ヨロしくな、シドウ先生」

「あ……ああ、よろしく」

 妙な発音は僕の聞き間違いではなく、ムコリタの癖らしい。言葉遣いもジェルミに比べるとだいぶ拙いが、しっかり自分の意思は伝えてくれている。僕が言った趣味の話もちゃんと聞いていてくれたらしい。ぶっきらぼうに見えて、意外と真面目なのかもしれない。


「ほら、次はルルーラが言エ」

「は、はい!」

 ムコリタが隣を軽くつつくと、水色の長い髪の少女が勢いよく立ち上がった。が、立ち尽くしたはいいが声が出ず、魚のようにぱくぱくと口を動かしている。

「あ……う……な、な、まえ……」

 小声で何かをつぶやく少女は、どんどん顔が赤くなっていく。もしや、あがり症なのだろうか。

「ルルーラ、さん? あの、落ち着いて、ゆっくりでいいよ」

「ひ、う……っ」

 リラックスさせるつもりで声をかけたのだけど、かえって逆効果だっただろうか。ルルーラの目にはもはや涙が浮かび始めていた。僕が後回しにしようと言いだそうとした瞬間、ルルーラは大きく息を吸い、

「る、る、ル、ルルーラ、ですっ!」

 叫ぶようにそれだけを言った後、ルルーラは立った時よりもさらに素早く、大きな音を立てて席に着いた。そのまま机に向かって顔を伏せてしまうと、顔の両脇から垂れる長い髪のせいで顔がまったく見えなくなってしまう。

 隣のムコリタもすまし顔のジェルミも、ルルーラの言動に驚く様子は見せていない。ということは、あれが彼女の標準装備なのか。これは、語学以前にコミュニケーションをとるのがなかなか難しいかもしれない。


「およ、じゃあ僕が最後かなぁ? ほいっと」

 どことなく張り詰めた空気を壊してくれたのは、ジェルミの隣の少女だった。のっそりと立ち上がった彼女の服装は、他の子が身に付けている体の線を隠すような長衣とはかなり異なり、ぴったりとした革の上下に簡易な鎧のようなものが付いている。よく見れば、その腰に巻かれたベルトには長剣が収まっていた。

「僕はメラニーだよぉ。勉強は苦手だけど、フロイデア様の騎士だから一応日本語習ってるんだぁ。好きなのは……昼寝かなぁ。よろしくねぇ」

 短い黒髪を揺らしながら気だるげに名乗ると、メラニーは大きくあくびをした。態度も発言も、授業に真面目に臨むとは思えない。これはこれで我が強そうなタイプだ。

 生徒たちの名乗りが終わったところで、それまで黙っていたエルガはようやく口を開いた。


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