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トイレに行こうとしたら変な語尾のお嬢さんと遭遇した回②

「言葉が戻ってますよ、エルガ」

「あ……!」

 口元を抑え、エルガは目線をさまよわせた後にようやく僕を見る。

「お……お前、フロイデア様に何をしたんだ!」

「いや、僕はただ、トイレに行こうとしただけで……」

「そうよ、わたくしが勝手に来たのですよ? だいたいエルガ、そんな乱暴な言葉遣いは失礼だと思いませんかい?」

「ちょ、ちょっと待ってください二人とも! あの、僕には話がまったく分からないんですが……」


 エルガの慌てようからして、フロイデアがただのお手伝いさんなんかではないということはさすがに分かる。でも、エルガだってあんなに信者を引き連れていたのだから、相当地位は高いんじゃないだろうか。その彼女がここまで態度を変える相手ということは、フロイデアは、もしかして。

「ごめんなさいね、シドウ様。ありのままのあなたと話をしてみたくて、使用人のふりをしてしまいましたのよ。わたくしは、フロイデア・エル・グリニジア。この国の……えーっと、日本語で言うと、なんだったかしら。首長? 首相?」

「……王位継承権第一位の、王女様だ」

 ちょっと困ったように眉を下げて笑うフロイデアの言葉を、エルガが引き継いだ。王位? 王女? 耳慣れない言葉に戸惑いつつも、僕の脳は一つの理解を示す。

「……つまり、フロイデアさんはこの国で最も偉い人……偉いお方のご令嬢ということで?」

「そう、その通りですわ! さすがシドウ様、理解が早いですな!」

 フロイデアは黒い手袋に包まれた指先を合わせ、にっこりと笑う。

 つまり僕は、エルガよりもさらに偉い人に扉をぶつけて転ばせ、おまけにトイレを案内してもらったのか。知らなかったとはいえ、とんでもないご無礼をしてしまった。時代が時代なら重罪人だ。今でさえ刑務所並みの待遇なのに、これ以下の扱いになるのだろうか。


「すみません、王女様だなんて知らなかったんです……! お願いです、どうか死刑だけは勘弁してください! 僕には老いた母がいて、僕が食費と薬代と今月の家賃を持って帰るのを、お腹を空かせて咳き込みつつ隙間風に吹かれながら待ってるんです!」

「……病気なのは妹だと言ってなかったか?」

 そこの青髪娘、冷静な突っ込みはやめてくれ。僕には基本的に泣き落とししか手がないんだから。

 だが、フロイデアは僕の発言を真に受けたように目を大きく見開き、

「まあ、死刑だなんてそんなことするはずがありませんわ! かわいそうに、エルガが脅かしすぎたのですな」

 こんな物騒な話をしていても、フロイデアの妙に間が抜けた語尾は変わらない。僕をからかおうとしてやっているものではなく、これが彼女の素なのだろう。かわいいのは間違いないんだけど、どうにも緊張感がなくて困ってしまう。

 しかしエルガには、癒し満点のフロイデア流会話術も効果はないようだ。

「別に、脅かしてなんかいない。こいつにも必要最低限のことはちゃんと伝えている」

「最低限じゃ駄目ですわ。きちんとわたくし達のことを理解してもらった方がお互いのためになるでしょうに。それに、この部屋だってお客様には狭すぎるわ。シドウ様はこちらに滞在していただいてるのであって、罪人ではないのですよ?」

 フロイデアが少し厳しい声で問いただすと、エルガは焦ったように弁を重ねた。

「周囲の目と私の監視のしやすさを考えれば、ここに居住させるのが最適だ。多少不便はあるかもしれんが、ただ過ごすだけなら問題はない」

「わたくしにはそうは思えませんね。第一、せっかくの異世界からの客人をただ閉じ込めておくなんてもったいないと思わないの?」

「へあ?」

 僕のことで言い争っているのは分かるのだが、相槌を打つ暇もなく進行していく会話についていけない。フロイデアはお姫様で、エルガは魔術師。それだけはなんとか理解できたんだけど。


「えっと……エルガが言うには、僕はこの部屋から出ない方がいいんですよね? でも、フロイデアさんは何か僕にやってほしいことがある……ってことですか?」

「なっ……!? シドウ、お前何を言い出すつもりだ!?」

「エルガ、黙りなさいな。シドウ様は今わたくしと話しているのですよ」

 フロイデアは穏やかな笑みを俺に向けたまま、声だけでエルガを牽制した。不本意そうに口をつぐんだエルガは、フロイデアからは見えない角度で俺をすごい形相で睨んでくる。その態度はまるで、一緒にふざけていたところを自分だけ先生に怒られた子供みたいだ。

子供ならそんな仕草も可愛いものだが、エルガの大きい目だとただ睨まれるだけでもかなりの怒気が伝わってきて、思わずどきどきしてしまう。いや、ふざけてる場合じゃないんだけど。


「シドウ様が体験された通り、わたくしたちは度々異世界に……日本に魔術師を送り、物資の調達などをしていますの。協力をお願いする現地の方との円滑な交流のため、日本語の習得は魔術師にとっては必要不可欠なのですよ」

「物資の調達って……あ、もしかして頭痛薬とか絆創膏ですか?」

「その通りですわ! 魔術を使えると言っても、安定的な効果を持つ薬品は、この世界――アサヒルでは、なかなか作ることができないのですぞ。だから、高い品質の薬品が誰でも、かつ手軽に買える日本はわたくしたちにとっては憧れの世界なのです。そのための貨幣は協力者の方に頂戴することにはなってしまいますが、最後にお代はお支払いしてますわ」

「お代? そういえば、エルガからは最後に宝石みたいなものを受け取ったけど……」

「お渡ししているのは、そちらの言葉で言えばサファイアです。換金すればおそらく十万円はするものですわ」

「じゅ、十万!?」

 胸ポケットにしまった宝石を抑える手が震えてしまう。セレブのペットが持っていそうだとは思ったけど、そんなにするなんて。そしてそんなものを行きずりの男子中学生にぽんと渡すなんて、異世界とはいえお金持ちの考えることはやっぱりわからない。

「その石、アサヒルではそんなに貴重なものではありませんの。日本から持ってこられるお薬には、とても比べ物になりませんだ。だから、定期的に魔術師を派遣して購入してきていただくのですな」

「ま、魔術師……」


 黙り込んだままのエルガに視線を向けると、仏頂面に苦虫の汁をぶちまけたような顔になっている。そこまで不満なら口を挟んでくればいいのにと思うが、フロイデアのお叱りを律儀に守っているらしい。

「はいな、前提として知っていただきたいことは以上ですぞ。そして、この国で魔術も日本語も十分に使えるのは、エルガだけですの。他の魔術師もいるといえばいるのですが、まだ日本語の勉強中なのですな。ここで本題に戻りましてシドウ様にお願いなのですが、その子たちの先生になっていただけませんかな?」

「せ、先生!?」

「もちろん、日本語の、ですわ。もし引き受けてくれるなら、大変助かりますよ! たくさんお礼だって差し上げますぞ!」

「お、お礼!?」

「……オウム返ししかできないのか、お前は」

 やっと口を開いたかと思えば、エルガは意外にも的確な突っ込みをしてくれた。しかしエルガは、フロイデアの突拍子もない提案に猛反対すると思ったんだけど。


「で、でも僕、誰とも話すなってエルガに言われてた気がするんですが……」

「そうだ。お前の身の安全を考えれば、ここに居るのが一番だ」

「……でも、その理由は教えてくれるつもりはないんだろ」

 エルガは一瞬だけ何かを言いたげに口を開くが、すぐに元通りに唇を引き結ぶ。その沈黙は、肯定とみなしてよいだろう。

 彼女に何を尋ねてみても、お前には関係ない、黙って大人しくしていろの一点張りだ。これでエルガを信用しろと言う方が無理な話だ。僕はフロイデアに向き直り、自分の意思を告げる。

「フロイデアさん。そのお話、引き受けます。エルガがちゃんと教えてくれないなら、僕はこの世界のことをもっと知らなくちゃいけない」

「本当ですか!? 嬉しいですわ!」

 そろえた指先を顎に当て、フロイデアはぱっと表情をほころばせる。少女のような無邪気な微笑みには、一瞬だけエルガに向けた厳しさは全くない。だからこそ、その背後で眉間にグランドキャニオンみたいな皺を作っているエルガが余計に険しく見える。


 エルガは俺の視線をたっぷり五秒は受けた後、長い長いため息をついた。

「本人がそう望むなら、私は止めない。フロイデア様の言う通り、シドウを無理に閉じ込めておく権利はないからな。ただし、シドウはもちろん、生徒たちにも基本的には私の指示に従ってもらう。フロイデア様、それで納得していただけるか」

「ええ、もちろんですぞ。くれぐれも失礼がないように気をつけなさいよ」

 上機嫌そうにフロイデアはくるりと身をひるがえし、扉に手をかける。話はこれで終わりということだろうか。めまぐるしい展開の割に、意外にあっさりした終結だった。

「ではシドウ様、また明日お会いしましょうね!」

 エルガはもう一度ため息をつき、その後に続く。しかし扉から出ようとしたその時、思い出したように小さくつぶやいた。

「……食事」

「え?」

「食べ終わったら、食器は廊下へ出しておけ」

 短くそれだけ言うと、エルガはゆっくりと扉を閉めた。嵐のようなお姫様が去っていくと、部屋が急に静かになったように感じる。


 結局、この部屋に戻ってきてからエルガが僕個人に向けてに言ったのは、本当に必要最低限の指示だけだった。ウーバーイーツの疲れ切ったお兄さんだってもうちょっと愛想がいいぞ。

 なんとなく寂しい気持ちになりながら、僕はテーブルに置きざりになっていた匙を手に取り、シチューのような煮込み料理を口に運んだ。

「……うまい」

 少し冷めてはいるものの、適度な塩気と柔らかく煮込まれた野菜が優しい味を舌に伝えてくる。僕は料理のことはよく分からないけど、きっとこれを作るには手間も食材もかかってるだろう。これでひどい味だったなら、ちょっとはこの世界に腹を立てることもできるのに。


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[良い点] リズムがよい。 [気になる点] 会話が詰め込まれ過ぎて風景が消えている。
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