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切断された夢、盟友の帰還②

「ねえ、シドウ様。あなたなら分かってくれるでしょう? 寂しくて、辛くて、世界で一人ぼっちみたいな気分。いいえ、『みたいな』じゃなくて、その通りですね。わたくしは、この世界で誰ともつながっていないのですわ。目覚めるたびに、自分の体を見るたびに、その事実を自覚せずにはいられないのですわ」

「フロイデア、さん……」

「どうしてか、なんて聞かないでくださいな。わたくしにも、この世界の誰にも、わたくしがエニを持てない理由は分からないのですから。……けれど、薬や鍛錬でどうにかなるものではないのは確かですわ。その(たぐい)は、嫌になるほど試しましたもの」

 そこで一息つくと、フロイデアは僕からふっと目を逸らす。その先にいるのは、うつむいたままのメラニー。そして、うずくまりながらもフロイデアを押し返さんばかりに睨みつけているエルガだ。

「それでも、わたくしには何も変化がありませんでしたわ。誰かを心から大事に思う気持ちというものが、わたくしには理解ができない。今だって、こうして誠実で頼れる友人の腕を切り落としても、優しくて忠実な側近にそれを命じても、ちっとも悲しいとは思えませんのよ。人並みになろうとあがくうちに、作り笑いばかりが上手になっただけでしたな」


 適切な角度で眉を下げて、歯が見えない程度に口角を引き上げる。フロイデアの笑顔は、神様が丹精を込めて作った芸術品のように、どこから見ても完璧だった。

その仮面の裏で誰とも分かち合えない影と向き合い続けていた少女に、僕は何を言えばいいんだろう。

「……だから、あなたにここにいて欲しいのです。わたくしの孤独を理解してくれなくても構いませんわ。ただ同じ目線に立ってくれるだけでいいのですよ。それだけで、わたくしは一人じゃなくなるのですから。孤独なのは変わらないけど、一人じゃないなら耐えられますわ」

「……違う」

 言葉を凍り付かせてしまった僕の代わりに、うめくような低い声が割り込んでくる。ローブの袖口から真っ赤な血を滴らせながら、エルガはそれでもゆっくりと立ち上がった。

「あなたの言葉を否定するのはとても心苦しい、フロイデア様。だが、シドウはあなたとは違う。向こうの世界には彼の帰りを待つ人間がいるし、シドウ自身も帰ることを願っている」

「……本当にひどい人ですわね。そんなこと、わたくしも分かってますよ」

 小さな唇を尖らせて、フロイデアは分かりやすく拗ねた表情を作る。それがどこまで本心なのか、僕にはもう分からない。


「シドウ様を見ていれば、わたくしみたいな空っぽな人間と違うことくらいは分かりますわ。ええ、エルガの言う通りですよ。あなたはわたくしと違って、望めばいくらでも人とのつながりを持てますね。でも……だったら、望まなければいいじゃないですか」

 優しい弓形の紫水晶が、軽やかで美しい声が、そのすべてを裏切る残酷な言葉を紡いでいく。

「エルガの魔術を封じてしまえば、元の世界に戻る手段はありませんな。でも、それでいいじゃないですか。ご家族もご友人も、あなたは一度拒絶したのでしょう? そんなもの、今になって省みる価値はありませんよ。だいたい、向こうの方々だってシドウ様を待っているとは限らないじゃないですか。もしかしたら、あなたを邪魔者扱いして、帰ってきてほしくないと思っているのかもしれませんわ」

「そ、れは……」

「シドウ、聞かなくていい」

 だが、フロイデアから言われたことを僕は否定できない。僕が向こうに帰りたいと願っても、それを待っている人がいるかどうかは分からないというのは事実だ。

「戻っても受け入れられないかもしれないなら、ずっとここに居た方がいいじゃないですか。わたくし、あなたに何も強制しませんよ? むしろ、あなたをあらゆる苦難から守って差し上げますわ。たいていの悩みって、人との関わりから生じるものですからね。ここにいれば、あなたは誰に傷つけられることもなく暮らしていけるのですよ」

 それが良いことだと心の底から信じているように、フロイデアは僕に向かって優しく微笑みかける。

「ね、シドウ様。どうかわたくしと一緒に、誰も心に立ち入らせず、静かで穏やかな世界を生きていきましょうぞ。言ってくれましたよね、わたくしは『個性的』だと。ちょっと変わっているけど、そこが素敵なんだと。この世界でわたくしを認めてくれる存在は、あなただけなのですよ。わたくしには、あなたしかいないのです」


 差し出されたその手を取れば、僕はもう傷つくことはないかもしれない。孤独な皇女に求められるまま、どこかに幽閉されて、誰とも関わらない日々を送る。一見すると悲惨な生活だが、それで彼女の心が救えるのなら、僕がここに残る意味は間違いなく存在するだろう。少なくとも、僕を拒み、僕が拒んだ世界に戻る理由よりはよっぽど確からしく感じる。

 だけど、それでも。

「……ごめんなさい」

 胸の奥の息を全て吐き出して、僕ははっきりと拒絶の意思を示す。

 フロイデアは僕の言葉に悲しそうな顔も見せず、小さく首をかしげるだけだった。分かりやすく、『あなたの言葉が理解できません』と伝えるためのポーズ。

「どうしてですか? あなたの帰りなんて、向こうでは誰も望んでいませんよ? そうじゃなかったら、少しくらいはエニが発生しているはずですもの。自分を受け入れてくれない世界なんて、戻っても辛いだけじゃありませんか?」

「……そうかもね。戻ったところで、嫌なことや苦しいことはたくさんあると思うよ。でも、もう一度会って話がしたい人がいるんだ」

 思い浮かべていたのは、不愛想でぶっきらぼうな、あの転校生だった。特別親しいわけじゃなくて、僕が一方的に構ってただけの友人。もしかしたら、向こうは僕を友達だとすら思ってないかもしれない。

「それでもいいんだ。僕からの一方通行で構わないんだよ。受け入れてもらおうなんて思ってない。僕があいつのこと友達だと思ってるから、また話したいだけなんだよ。嫌な思いをしたこともあるけど、それ以上に楽しい記憶があるんだから、僕はあの世界を……僕の友達を、家族を、大事なものを捨てられないんだ!」

 あふれ出した言葉の最後は、自分で思った以上に必死な叫びになっていた。僕が声を張り上げるのと対になるように、フロイデアはゆっくりと視線を落とす。


「……そうですか。あなたも結局、わたくしと同じにはなってくれないのですか。この世界に、わたくしを一人ぼっちで置いていくのですか……」

 悲愴というにはあまりにも感情の薄い声に、僕はかえって胸が締め付けられる。

 僕がここに残ったとしても、フロイデアの置かれた状況が改善することはない。そんなことは彼女だって分かっているだろう。体質なのか環境によるものか、どうしたってフロイデアがエニを持てないのに変わりはない。それを目に見える形で見せつけられる辛さは、確かに僕もよく知っている。

 だが、元から異物である僕と、この世界に生まれついた人間であり、かつ国の重要人物であるフロイデアが抱える欠落は別物だ。その表象が同じであっても、周囲に与える影響は比べ物にならないだろう。このように大勢の前でそれを打ち明けてしまって、果たして彼女の身に影響がないものか――。

 僕の懸念を裏付けるように、フロイデアは静かに語り出す。

「けれど、これで諦めがつきましたわ。エニを持たないわたくしは、人間としては欠陥品ですもの。身を守る術も傷を癒すこともできないと皆に知られてしまった今、誰かがこの虚しい生を終わらせてくれるでしょうよ。この魔術師の中にだって、叔父様の息がかかっているものがいるでしょうし――」

 まさしくその言葉に誘われたように、視界の隅から鋭い光が飛んでくる。

「くっ……!」

 フロイデアにまっすぐ向かう飛来物を弾き飛ばしたのは、やはりエルガだった。無事な方の腕を振って作られた半透明の障壁によって方向を変えられたそれは、危うく僕をかすめたところで奥の壁に突き刺さる。その軌道を目で追って、僕はようやくそれが短刀だと分かった。あんな勢いで刃物を投げつけられたら、どこに当たってもただじゃすまないだろう。僕はフロイデアに向けられた敵意の底知れなさに、今更ながら恐怖を覚えた。


 エルガは荒く息を吐きながら、短刀が飛んできた方向ではなくフロイデアを強く見つめている。その姿を見るうちに、僕は妙なことに気がつく。エルガだって先ほど刃物で切り付けられたというのに、その袖口からはいつの間にか血が止まっているようだ。

「エルガ、その手は……」

「魔術で応急処置をした。これくらいの怪我、エニを使えれば治療自体は造作もない。自分で自分の処置をするにはそれなりに技術が必要なのだがな……だが、エニを持たない者には、魔術による治療もできない」

 言葉を切ったエルガは、そこで大きく息を吸う。その音がやけに耳に着いた。フロイデアは奇妙なほどに凪いだ瞳をしていた。

「そのために『お使い』が――異世界から医療品を入手するための儀式がある。効きの良い頭痛薬も傷の治りを早める膏薬も、あなたに万一のことがあった時のためのものだ、フロイデア様。だから私は自分の持つエニを増やして魔術に長けることがあなたのためになると思って、それだけに邁進していた。……そのせいで、あなたの苦しみに気づくことができなかった」

 エルガの声は、かわいそうなくらいに震えていた。今では僕も、彼女が決して無感情な人間ではないことを知っている。表現は確かに下手というか不十分なところがあるが、行きがかりの僕に対してすら何くれと世話を焼かずにいられないくらい、情に厚くて深い思いやりを持ち合わせている人間だ。そんな彼女が、いつもの冷静さも取り繕えないくらいにひたむきに、己を傷つけた少女に向かって呼びかけている。

「今更だと思われるかもしれないが、言わせてくれ。私があなたの側にいる。何があっても離れないし、どんな危険からも守って見せる。……こんなこと、わざわざ言葉にしなくてもあなたは分かってくれていると思っていた。私は本当に愚かだ。どんなに相手を想っていても、言葉に出さなければ伝わらないこともあると、ようやく気付かされた」

 その時だけ、エルガはちらりと僕を見た、ような気がする。


 フロイデアは風のない水面みたいに静かな目をしたまま、聞き逃してしまいそうなほど小さな声でつぶやく。

「……そんな言葉、どうやって信じろと言いますの。あなたがどんなにわたくしを思っていても、わたくしはあなたとエニをつなぐことはできませんよ。あなたの言葉が本心だという証拠はないし、仮にそうだったとしても、あなたにとっては何の利もない申し出ですね」

「シドウも言ってただろう、一方通行でいいと。報われようなんて思ってないんだ。私にはあなたの孤独が分からないように、あなただって私の心は分からないだろう? ……だったら行動で示し続けていくしかない。それでも信じられないと言うなら、残ったこの手だって捧げよう。だから、シドウは元の世界に戻してやってくれないか」

「……駄目ですよ」

 フロイデアは自嘲するように、けれどほんの少しだけ嬉しそうに、小さく唇をゆがめた。その不格好な笑みは、完璧に織り上げられた美しい織物に一つだけ生じた綻びのように、そして冬を越えた固いつぼみが春風を受けてわずかにほころぶように、とても美しかった。

「あなたの手がなくなってしまったら、どうやってわたくしを支えてくれるつもりですの? 側にいるって言うなら、それくらいはしてくださらないと」

 フロイデアが言い終わる前に、エルガは腕を伸ばして彼女を抱き寄せた。

 二人の間の立ち入れない雰囲気に、僕と魔術師の皆さんは完璧に置いていかれてしまった。自分の進退がかかった場面だと言うのに、僕は思わず苦笑してしまう。

 そういえば、そうだった。僕が女の子とドキドキするような展開になると、必ずエルガに持っていかれるんだった。

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