美少女についていったら監禁宣言される回
暗闇の中で、誰かの声が聞こえる。うん、だったら僕は大丈夫だ。少なくとも耳と頭は無事ってことだし。それが笑い声じゃないのは、ちょっと残念だけど。
目を開けてまず見えたのは、映画のセットみたいに仰々しい石の神殿だ。ということは、僕は再びカルト宗教本部に戻っているようだ。床に寝かされているので、背中が痛い。
遠くで話していたのは、またもやローブをかぶった人々だ。
「あれ、ここは……?」
起き上がると、一斉に彼らが振り向く。その中には、僕から六千円を奪ってドラッグストアに連行した青い髪の少女の姿もあった。ひとまず彼女も無事なようだ。しかし僕が彼女に声をかける前に、ジェダイの騎士みたいな人がすごい勢いで近づいてくる。
「ちょ、ちょっと、僕は……」
「塗り壁!」
「は?」
道を塞いだりする妖怪がどうかしたのだろうか。しかし、その老人ははっきりと僕に視線を向けていた。困っていると、もう一度繰り返す。
「塗り壁……脱いで独立叩け」
「え、僕が塗り壁ってことなんですか? ぬ、脱げって、服を?」
僕の耳がおかしいのか、それともおじいちゃんがぼけてしまってるのか。どちらにしてもあまり歓迎したくない事態だが、僕に詰め寄る老人には異様な気迫があった。訳は分からないけど、とりあえず言うとおりにしよう。そう思って学ランの襟に手をかけると、老人は血相を変えて僕へとびかかろうとする。
「切り上げた!」
「う、うわぁっ!?」
「待て、やめろ!」
助けになったのは、彼女の鋭い声だった。だが、視線は老人ではなく僕に向けられている。僕は何もしてないのに。
「動くな。喋るな。無事でいたければな」
言われるまでもなく、僕は両手を挙げてフリーズ状態だ。だが、いつまでこうしていればいいのだろう。誰か僕に分かるように事態を説明してくれないだろうか。
しかし、僕の思いを裏切るように彼女は僕に背を向ける。
「逆さま切手煮えん、戦果と売り切れた鯛」
「へ?」
その口から聞こえてきたのは、先ほどの老人と同じ意味不明な言葉の羅列だった。彼女は僕の腕を掴む。すると、ジェダイナイトが焦ったように再び僕に詰め寄ってくる。
「会おう! 沼津で窓枠たぎるな!」
「煮えん。猿股ガジェット戦果だ」
興奮した様子の老人を制しながら、少女はあくまで冷静に言葉を続ける。
僕にとっては間違った翻訳を聞いてるみたいな会話だが、彼女らの間では話が通じているようだ。今更ながら、脳が一つの可能性を呈示してくる。もしかして彼らが喋っているのは、日本語ではないんじゃないか。
話は済んだらしく、老人はなぜか僕をにらみつけると、他の取り巻きと一緒に立ち去っていく。
両手を下ろしてそっと窺うと、彼女はフードの下で厳しい顔をしていた。大会前の強豪校のコーチみたいだ。いや、僕は運動部に所属したことなんてないから、イメージなんだけど。
「もう喋ってもいい?」
「……なんだ」
「いや、聞きたいことはいろいろあるんだけどさ……」
あたりを見回して視界に入るのは、明らかに普通じゃない神殿、聞きなれない言葉、そして彼女の色鮮やかな頭髪と瞳。僕の常識で慣れ親しんだところは一つもない。
「もしかして、ここ、地球じゃない?」
「素晴らしい観察眼だ。その思慮深さには恐れ入るな」
称賛の言葉とは裏腹に、彼女は少しの笑顔も見せなかった。
*
ろくに説明もないまま、というかあれきり何もしゃべらないまま、僕は彼女の後をひたすら追いかける。神殿の外には、長い長い石造りの廊下が続いていた。どうやら僕らは、かなり大きな建物の中にいるらしい。とぼんやり考えていると歩き始めた彼女を見失いかけて、慌てて歩調を早める。
廊下を辿って階段を上がり、さらにその先の木の扉をあけたところで、ようやく少女は足を止めた。古びた扉の向こうにあったのは、埃っぽい小さな部屋だった。あるのはベッドとテーブルくらいで、お世辞にも過ごしやすそうとは言えない。無言のままの彼女に続いて部屋に入ると、そこで彼女はやっと僕に向き直った。
「手を出せ。右手だ」
「……はい」
ドラッグストアを出た時のように混ぜっかえす気には、さすがになれない。
大人しく手のひらを上に向けて右手を差し出すと、彼女は僕の指先を掴み、ちょっと強引に表裏をひっくり返した。その体温の冷たさに、僕は思わず息をのむ。だが彼女は僕の反応を気にもせず、僕の手の甲を覆うように手を重ね、早口で何事かをつぶやいた。
「朝日が止まる前に」
「え、だから何……うあっ!?」
その瞬間、僕の右手に鋭い痛みが走る。ちょうど、彼女が上から押さえている甲の部分だ。彼女がゆっくりと手を離すと、そこには白っぽい円のような模様が浮かんでいた。
「や、焼きいれられた!? 文字通りに!? そんなことある!?」
「うるさい、ぎゃあぎゃあ騒ぐな。そのうち消える」
なんてひどい言い方だろう。まるであざができるまで殴っても悪びれないDV夫のような開き直り方だ。せっかく言葉が通じるんだから、ちょっとくらい歩み寄りの姿勢を見せてくれ。
「……そうだ、言葉だよ! さっきの怪しいおじいちゃんは何を言ってたんだ!?」
「お前が知る必要のないことだ」
「そ、そんな説明で納得できるわけないだろ! そもそもここはどこで、君は誰なんだよ!」
思わず勢いのままに彼女を問い詰めてしまう。だが、僕の精一杯の大声にも彼女は顔色一つ変えない。人形みたいに小さな顔の中で、大きな青い瞳が無感情に僕を真っすぐ見つめている。
その眼力に気おされそうになるが、ここで視線を逸らしたら負けだ。いや、カツアゲの上に誘拐されておいて、僕に勝ち目なんか一つもないんだけど。
「この世界は、アサヒルという」
「へえ、夜は?」
「……日本でも地球でもないということだけ理解しろ。お前をここまで連れてきてしまったのは、私の失敗だ。ココノハドラッグを出た後、お前がついてきていると思っていなかったからそのまま魔術を使ってしまった」
「ま、魔術?」
聞きなれない言葉が出てきたが、彼女は僕の戸惑いに配慮する様子もなく、セリフを読み上げるみたいにすらすらと言葉を続ける。
「世界を超える魔術は、そうそう頻繁に使えるものではない。お前が元の世界に戻れるのは、早くても十四日後だ。その間の食事と住居はこちらで用意する。お前はここで何もせず、ただ準備が整うのを待っているだけでいい。以上だ」
一息に言い終えると、本当にそれで話は終わりだというように彼女は僕に背を向ける。
「ま、待って待って! それ、説明になってなくない!?」
「……なぜだ」
「いや、えっと……魔術とか異世界だとかはこの際置いといて、どうして僕がここに居るのかって理由が全然分からないんだけど。僕、普通に学校にいたはずだよね?」
そうだ、あまりに異様な展開の連続ですっかり忘れていたが、僕はいつも通りに日常を送っていたはずなのだ。登校して、授業を受けて、放課後にちょっとだらだらして。
それがなぜ、こんな奇妙な展開に巻き込まれることになっているんだ?
「……」
当然の疑問を突き付けたはずなのに、彼女は少し驚いたように目を見開いた。
なんだ、僕がずっと萎縮しっぱなしだと思っていたのだろうか。舐めるなよ、僕は八歳の頃には『第三塩山小の狂犬病』と呼ばれてたんだぜ。ちなみに理由は、水が怖くてなかなかプールに入れなかったから。
僕は心中でひそかにファイティングポーズをとるが、少女は先ほどの勢いから一転して、ぴたりと黙り込んでしまう。僕からにじみ出る狂犬時代の迫力に押されているというよりも、何かを考えているかのようだった。指を細い顎に当て、なにやらぶつぶつと呟いている。
「……移動の直前の記憶がないのか。二度目の魔術に巻き込まれた衝撃で……いや、最初の時点でそうだったな。なるほど、どうりでにぎやかなわけだ」
「は?」
「いや、知らないならその方が良いだろう」
少女は軽く手を振り、勝手に話を終わらせてしまう。うすうす気が付き始めたが、この少女は全体的に自己完結が激しいんじゃないか。コミュニケーション能力に難ありか。通知表に「自分が楽しく話すだけでなく、お友達の話もちゃんと聞きましょう」って書かれちゃうぞ。あれ、親に見せると悲しい顔をされるから困るんだよな。
……おかしいな。なんで異世界まで来てるのに、小学校のことを思い出してるんだろう。しかも、あんまり楽しくない記憶ばかりを。
「そもそも、異世界といえばチートスキルとか人外美少女のハーレムとかじゃないのか……? ヴォルデモートの手下に囲まれてなけなしの財産をカツアゲされるのはなんかおかしいよな……?」
「何を言ってるんだ?」
「いや、もしかしたらここから急展開が起きて剣と魔法と学園の新たな冒険が始まったりしないかと思って」
「あり得ない。お前の仕事はここに居ることだけだ」
少女はうんざりとした表情でため息をつき、
「いいか、この部屋からは一歩も出るな。私以外の人間と会おうと思うな。万が一会うことがあっても、絶対に会話をするな。その手の印も絶対に見せるな」
なんだ、その理不尽で一方的すぎる命令は。関白宣言っていうか、監禁宣言?
「できる範囲で構わない?」
「そんなわけあるか。死ぬ気で守れ」
さすがに笑ってくれるとは思ってないけど、ノータイムで否定されるとちょっと傷つくぞ。それにしても、一歩も出るなと言うのは厳しすぎやしないか。
「ま、守らなかったらどうなるんだよ」
「そんな仮定の話をする必要はない。どんなに好奇心を持ってようと、絶対にここから出るな。それが身のためだ」
厳しく言葉を切ると、冷たい目をした少女はそれで終わりだというように部屋を立ち去ろうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「……なんだ」
「なんだって……この世界のこととか、もっと教えてくれないと困るよ! 僕、これからどうすればいいのかも全然分かってないんだけど!」
「大人しくしていろと言っただろう。それだけで十分だ。余計なことはお前が知る必要はない」
「ひ、必要ならあるよ! ほら、僕たちお互いの自己紹介だってまだなんだよ?」
「お前の名前など知る必要はない。私のことは好きに呼べ」
だったらまさしって呼ぶぞ。さだでもいいけど。
けれど、生殺与奪の権を他人に握られた状況で愉快なあだ名をつけられるほど、僕の心臓はタフにできていない。長男でもないし。
ここまで頑なに拒まれるということは、間違いなく僕は彼女に嫌われているのだろう。よく考えれば、好かれるような行動なんて全然してないし。所持金は千円だし、もとはと言えば僕のせいで巻き込み事故にあってるみたいだし。自分の行動を振り返って考えるほど、良いところがまったくない。……なんだか、気分がへこんできた。
「そうだよね、会ったばかりの知らない奴なんかに名前を教えたくないよね……いや、なんていうか僕、調子に乗りすぎてたよね? ごめん、もう本当黙るから! 君の言った通りだよ、僕には何もできることなんかないもんね」
「おい、別にそこまでは……」
少女は何かを言いかけて、すぐに自分の発言を後悔したように口を閉じた。そしてたっぷり五秒間は黙った後、全身の空気を吐き出すように大きなため息をついた。
「エルガ」
「え?」
「名前は教えたからな。いいか、妙な真似は絶対にするなよ。もう少ししたら食事を持ってきてやる」
もう一度念押しすると、少女は――エルガは、今度こそ、部屋を出ていった。ばたんと扉が閉じられて、狭い部屋を沈黙が満たす。
なぜあんなに冷たい態度をとっていたのに、急に名前だけ教えてくれたのだろう。デレとはとても言えないくらいの、指先ですくった水滴くらいの優しさ。それが、わけの分からない出来事の連続でパニックになっていた頭をようやく冷やしてくれたような気がした。
「食事……なんだろう。もしかして、エルガが作ってくれるんだったりして」
自分で言ってみて、あまりの似合わなさに思わず笑ってしまう。こんな意味不明な状況でニヤニヤしている自分の図太さも、まとめて笑い飛ばしたい気分だ。
部屋は狭いし埃っぽいし、窓は閉め切られたままなのに、さっきまでの暗い気持ちはいつの間にか消えていた。