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混乱の本番、そして開眼の時間②

「わっ!?」

「ぎゃんっ!」

「むぎゅう」

 三者三様の悲鳴を上げて、僕らは硬い地面に叩きつけられる。ムコリタの魔術は、言葉を選ばずに表現するならめちゃくちゃ乱暴だった。気づいたら移動が終わっていたエルガのやり方とは違い、宙に持ち上げられ、どこだか分からない空間をぐるぐると振り回された感覚がはっきりと体に残っている。そして、僕を下敷きにするような形で着地した二人の体の重みも。


「よし、無事に着いたな。さあシドウ、ルルーラ、さっさと準備をしろ」

 ムコリタは悪びれた様子もなくそういうと、つぶれたままの僕を置いてどこかへ歩いて行ってしまう。そりゃいつまでも乗られたままじゃ困るんだけど、一言くらい僕を気遣う言葉とかないのかよ。

「……ってわけだから、ルルーラも僕の上からどいてもらえる? このままだと僕、緊張とか関係なく内臓が飛び出ちゃいそうだよ」

 せっかくなので一発冗談を挟んでみたのだが、ルルーラはそれに対して何も返事を返してくれない。それでもどいてはくれたのだから、聞こえていないわけではないようだ。となると、僕が純粋に滑ったことになってしまう。

「いや、まあ滑るのはいいんだけどさ……でも、無視は辛いよ無視は……」


 ぼやきながら身を起こしたところで、しかし僕はルルーラの沈黙の意味を理解した。否応なく、理解させられた。僕らに向けられている、何百、何千もの目によって。

「……あれ? ここ、どこ?」

「お、お、恐ろしいことに……祭典の、舞台のど真ん中……だ、と思います……」

 僕らが座り込んでいるのは、半円形の大きな石の上だ。それをぐるりと囲んで見下ろすように、階段状の客席が設けられている。信じたくないけど、僕から見える範囲に空席はない。つまり、これは練習や準備中ではなく、祭典の本番真っ最中ということだろう。

 震えるルルーラの視線の先には、階段のちょうど真ん中、周囲よりも一段高いところに設けられた貴賓席があった。華やかな天幕がかけられたそこには、驚きで目を丸くしているフロイデアとエルガの姿があったように思う。

「おい、ムコリタは準備ができた。そっちもできたら合図をよこせ。『縫い頭』の音から始めるぞ」

「む、ムコリタ……! うん、も、もうこうなったら、やるしかないですよね……! あれ、先生? シドウ先生?」


 けれど僕には、ルルーラの声なんて聞こえちゃいなかった。プレッシャーを和らげようと浅い呼吸を繰り返すので精一杯で。

 しかし、そんな努力もむなしくぐにゃぐにゃと視界が歪んで、僕に向けられている目と同じ数の口が、獲物を見つけた肉食の虫みたいに、動き、始める。


「おい、誰だあれ」「知らね」「さっさと何かやれって」「キモ。引くわ」「時間の無駄」「うわ、俺だったらもう学校来れねえ」「かわいそー、震えてるじゃん」「早く帰りたいんだけど」


 嘘だ。こんなことを彼らが言ってるはずがない。そもそも、僕はこの世界の言葉を理解できないんだから、彼らの発言だって意味が分からない音のつながりに聞こえなければおかしい。

 それなのに、僕は知っている。面白半分の敵意と、呼吸も許されないくらいの無関心に晒される感覚を。逃げ出してしまいたいのに、それが許されない恐怖を。何を言っても伝わらなくて、けれど誰も許してくれない、地上にいながら溺れていくみたいな無力感を。

 思い出した。これが僕の、忘れていた記憶。忘れていたことにしたかった、怖くて辛くて苦しい、断絶の記憶だ。


「せ、先生……? シドウ先生、どうしたんですか……?」

 肩に何かが触れている。けれど、振り向くことも声を出して返事をすることもできない。この場で何かをすることが恐ろしくてたまらない。それなのにじっとしているのも耐えられなくて僕はどうすればいいんだっけ先生ごめんなさいそんなつもりじゃなくて僕は悪くないのに何で謝らなきゃいけないんですかいいですよ先生罰なら受けます嫌ですごめんなさい先生もう許して助けて嫌だ、嫌だ、嫌だ!


「……は」

 全身の気力を振り絞って出てきたのは、情けないくらいに弱々しい吐息だけだった。

 ごめん、ルルーラ、ムコリタ。せっかく一緒に協力してくれたのに、僕はもう何もできないみたいだ。『観衆をジャガイモだと思え』なんて言っておいて、いざとなったら僕自身が固まってるんだから笑っちゃうよね。

 でも、これが僕の真実だ。大勢の前に立つと委縮して、怖くてどうしようもなくなってしまう。思い返せば、フロイデアに連れられて教室に入ろうとした時もそうだった。たまたまエルガの助け舟があったから何とかなってただけで、愉快で堂々としていつも楽しいシドウ先生なんて、最初からどこにもいなかったんだ。


「……大丈夫です、シドウ先生。今までいっぱい元気もらったんだから、今度は私が返す番です。私は、もう大丈夫ですから」

 すぐ側にあった気配が立ち上がって、離れていくのを感じる。

「お、お、お姉ちゃん、き、聞こえてますか? わ、たし、今から、歌います。いつも、思ってる、気持ちをいっぱいに込めて」

 聞き取れたのはそこだけだった。後に続いていたよく分からない言葉は、きっとこの世界の言葉で挨拶をしたのだろう。マイクも使ってないのに声が大きく響いている。それも魔術の効果なんだろうかと、回らない頭が勝手に考えているのが滑稽に思えた。

 それから間もなく、場違いなくらいに美しい和音が響く。この金属っぽい澄んだ音は、ムコリタが弾く『縫い頭』だ。何度も繰り返して練習した、最初のメロディ。これが終わったら、すぐに歌が始まるはずだ。三人であれこれ言いながら考えた、僕らの歌。

 大きく大きく、息を吸う音が聞こえた。


「お姉ちゃんの、あほぉぉぉぉ!」

 ルルーラの絶叫が、鼓膜を通り抜けて心臓を直接ぶん殴る。それくらいの衝撃が、間違いなくあった。

「あほ、あほ、あぁあ、ほぉお!!」

 自分でも止められないかのように、ルルーラは手元の弦楽器をかき鳴らしながら叫ぶ。練習ではもう少し静かな曲だったし、いろいろ歌詞もメロディも考えていたのに、ルルーラはそれしか伝えられない、伝えたくないというように同じフレーズを繰り返す。

 けれど、舞台にはムコリタもいるのだ。打ち合わせにない流れに困ったように、綺麗な響きの和音は途切れてしまう。観衆も、半分くらいは顔をしかめて耳を抑えている。


 だが、残りの半分は目を輝かせて舞台に立つルルーラを見つめていた。日本語の歌詞の意味は分かっていないだろうけど、何か熱いものが伝わったのだろう。

 止まっていたのはわずかだけで、ムコリタはすぐに伴奏のテンポを上げてルルーラに合わせた。それだけではない。

「あーー、ほーー」

 綺麗な裏声を使って、ルルーラのシャウトを追いかけるようにコーラスを入れる。それで気づいたのか、ルルーラもようやくムコリタの方を見てギター(のようなもの)を弾く勢いを少し弱めた。

 突っ走っていたボーカルがペースを落として、鍵盤の美しいサポートを得て、ハーモニーが生まれていく。奏でられるのが同じフレーズの繰り返しであっても、それは確かに音楽と呼ぶのにふさわしいものであった。

 僕よりも、観衆の方がそれを理解しているのだろう。ムコリタの透明な声に合わせるように、ルルーラの力強い声にあこがれるように、歌声は自然と湧き上がってきた。


 あー、ほー。あーほー。男女や老若も織り交ぜた声が、階段状の客席から僕らに向かって降り注ぐ。まるでライブの定番曲でコールアンドレスポンスをしているみたいだ。

僕の想像を裏付けるように、人々はルルーラとムコリタに向かってペンライトを振り始める。いや、それはさすがに違う。彼らはただ、挙げた手をリズムに合わせて左右に振っているだけだ。光っているのはペンライトではなく、腕そのものだ。蛍みたいな優しい光が、ゆったりと観客席で揺れている。

あれは何度も見てきた、エニの光だ。誰かが誰かと思いあう、絆の証。こんなふうに使うこともできるのか。

「すごい、綺麗だ……」

 無意識に呟いて、僕は自分の中の恐怖が薄れていることに気がつく。さらに周りを見渡す余裕ができたせいか、とんでもないものを見つけてしまった。

 貴賓席の、天幕の下。フロイデアがにこにこと楽しそうに僕らを見下ろしている、その隣。エルガは腕を組んで、口を小さく開けて歌っていた。

 彼女は、歌詞の意味も分かっているはずなのに。自分を馬鹿にしている内容を、大勢の民衆が口をそろえて歌っている、見ようによってはとんでもなく侮辱的な場面なのに。

 晴れた青空みたいな美しい瞳は、楽しそうに細められていた。


「……あはは」

 こんなの、笑わない方がおかしいって。僕らがこそこそと何かを企んでいるのはエルガには筒抜けだったはずだ。だが、急に舞台に現れて、こんな阿呆みたいな歌を歌うなんてことは予想もしてなかったはずだ。これを聞けば間違いなく機嫌を損ねるだろうし、悪くすればもう二度と口をきいてもらえないかもしれないと覚悟していた。まあ、エルガに一泡吹かせるのが当初の目的だったし、落ち込んでいた僕はそれでもいいと思ってたんだ。

 けれど、エルガが怒るでも悲しむでもなく、楽しんでくれているなら。それは、僕にとって何よりも嬉しいことだと思えた。

 僕の視線に気づいたのか、エルガは決まり悪そうに口を閉じてしまう。その代わりと言うように彼女がぐいっと宙を掴むと、遠くに転がっていたハカホンが手元にやってきた。ここでやらなくちゃ、色々な方面に申し訳が立たないってものだ。僕がハカホンに腰かけたのを見て、ムコリタが小さく頷く。そして寄せては返す波のように繰り返されていた曲の雰囲気が変わり、いよいよ終奏に入る。

 た、た、とん。最後の瞬間だけどうにか間に合わせたというような、間抜けな音。完成度だけを見れば、二人だけの演奏で終えた方が良かったかもしれない。

 それでも僕は、今ここで死んでもいいと思うくらいの達成感を感じていた。


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