相棒と触れ合いながら逢引きする回③
「ど、どうですか……?」
僕の目の前に広げられているのは、綺麗に整った文字が書かれた紙の束だった。ルルーラは真剣な、けれどどこか期待しているような顔つきで、落ち着かなさそうにおさげの先をいじっている。
「うーん、これは……ちょっと長すぎじゃない?」
「や、やっぱりそうですか……す、すみません、これでもだいぶ削ったつもりだったんですけど……」
がっくりと肩を落として、ルルーラは膝の上の弦楽器を抱きしめる。
「いや、悪いってわけじゃないんだけどさ……内容自体はすごくよく書けてると思うよ、うん。刺さったら危ないからってコマを取り上げられた時の悔しさなんか、臨場感があって思わずもらい泣きしそうだったもん。最終的に仲直りするところまで含めて、すごく感動したよ。まあいい話にしちゃうと趣旨が変わっちゃうんだけどね」
「す、すみません、書いているうちについ盛り上がってきてしまって……」
「ムコリタにも見セろ。世直ししテやろう」
「うん、手直しね。元気だけが売りの政治家みたいなこと言い出さないでね。それはいいけど……ムコリタ、日本語の文字は読めるの?」
「読めルぞ。ムコリタだっテルルーラと同じ教えを受けてる。あマり馬鹿にするな」
ならいいけど。僕はルルーラに許可を取って、手書きの歌詞を手渡す。
「……あの、った、を、れない。いつも、らせて、ばかりで……」
何だその呪文は。と思ったら、どうやら平仮名だけを拾って読み上げているらしい。やっぱり読めてないじゃないか。
「読める読めなイじゃなく、長すギだ。祭典まで日にちもナいのに、こんなの覚えていらレるか」
不満げに小さな唇を尖らせると、ムコリタはルルーラに紙束を突き返した。八つ当たりのようにも見えるが、その意見にも一理ある。
「そうだね、ムコリタが作ってくれた曲自体もそんなに長くなかったし……もったいないけど、内容はもっと減らした方が良さそうだ」
「そうだ。言いタいことは絞れ。いっそ『エルガのご来光!』くラいに短くまとめれバいい」
「む、ムコリタ! いくらなんでもそれは言い過ぎです!」
「ご来光? どういう意味なの、ルルーラ?」
「あ、そ、それは……えっと……く、詳しくは言いませんが、この世界ではとても一般的な罵倒の語彙になります……」
言い出したムコリタは平気そうな顔をしているのに、ルルーラは顔を赤くしている。人によって受け取り方が違うような言葉なんだろうか。
僕からすれば、悪口のわりにずいぶん縁起が良さそうだなあとしか感じられないんだけど。
ん? 待てよ。もしかしたらこれは、僕らが今直面している問題の解決策になるかもしれないぞ。
「ねえルルーラ、ちょっと耳を貸してくれない?」
「は、はい。なんでしょう?」
ぴこぴことおさげを揺らしながら近寄ってきたルルーラに、僕は思いついたことを耳打ちする。
「……っていうのはどうかな? 聞いてて変に思う?」
「い、いえ、そんなことはありませんが……でも、と、とっても難しい気がします……」
「だから、本当に一言二言でもいいんだ。あとはメロディに合わせて繰り返すだけ。これなら覚えるのも楽器の練習もいらなそうじゃない?」
「な、るほど……それだったら、ちょっと考えてみてもいいかも、ですね……」
「なんだ、何をこそこそ言っテる? ムコリタにも教えろ」
ムコリタの耳にも、僕は先ほどと同じことをささやく。この倉庫の中には三人しかいないんだから、実は声を潜める必要はないんだけど。
「……ってことなんだ」
「ふうん。シドウ、お前なかなカいいタマをしてるな」
「いや、こういうときは『頭がいい』だよ」
「わ、私としてはムコリタも正しい気がしますが……こんな大胆なこと、本当にやっていいんでしょうか……」
ひそひそと額を突き合わせて、僕らは秘密の相談を続ける。やらしいことをしているつもりはないが、やっぱりやましくはあるのかもしれない。
清く正しい人間だったら、悪だくみがこんなに楽しいはずはないんだし。
*
どうにか『合唱作戦』の目途が経ち、二人と別れた僕は浮かれた足取りで部屋に戻る。が、その道のりで思わぬ人に出会った。いや、出くわしてしまった。
先を急ごうとしていた僕は、曲がり角の先で誰かとぶつかりそうになる。
「っと、ごめんな、さい……」
「……む」
そこにいたのは、晴れた日の海みたいな綺麗な青の髪と目を持った、この国一番の魔術師だった。
例のローブを身にまとったエルガは、僕の顔を見て少しだけ眉をしかめる。が、それっきり何も言わず、けれど立ち去ることもせず、ただ僕を見つめている。
……困った。まだ夕食の配給まで時間があるんだから、こんなところで出くわすなんて思ってもみなかった。しかし冷静に考えれば、エルガがどこで何をしているかなんて僕は全く把握していないのだ。祭典の準備で忙しいらしい彼女が、王城の中を歩き回っているのは何も不自然なことではない。
一方僕は、すでに形骸化しているとはいえ一応は監視下にある身だ。与えられたハカホンを持ってうきうきとスキップしている様子を見れば、エルガだっていい気はしないだろう。
言い訳を考えよう。えーと、トイレを探して迷ってしまった? 駄目だ。さすがに隣の部屋を見失うほど僕の認知能力は衰えてはいない。じゃあ、楽器の練習場所を探していた? それも駄目だ。下手したら楽器を取り上げられてしまう。ハカホンがいないのは精神的な支柱を奪われるのと同じだ。
「……どうだ、調子は」
「え?」
「楽器は、うまくやってるのか」
仏頂面から投げかけられたのは、子供と久しぶりに話す父親くらいぶっきらぼうな言葉だ。亭主関白じゃなくて親父だったのか。僕を置き去りにして、大人の階段を上り始めてしまったんだろうか。
「うん……まあ、普通に」
不愛想に話しかけられるものだから、僕からも思春期の息子のような答えしか返せない。
「そうか。ルルーラやムコリタとはどうだ」
「どうって言われても……」
まさか次は、彼女がいるのかとか聞くんじゃないだろうな。そう思ったところで、僕は自分が重大なミスを犯しているのに遅れながら気が付いた。
「い、いやいや! ルルーラともムコリタとも、全然会ってないから分からないよ! ほら、だって授業がないんだし……仮に、もし彼女たちから僕に会いに来たとしても、話す理由がないから追い返すに決まってるじゃないか!」
「つまらない言い訳はしなくていい。私にはお前をもとの世界に返すまで監視する義務がある。どんな話をしているかまでは干渉する気はないが、何度か部屋の外で会っているのは確認済みだ」
ということは、エルガは僕らの動きを知りながら見逃していたということになる。誰とも話すなという言いつけを破った僕を、どうして罰さないのだろうか。
不審には思うが、それでも僕はエルガと話す貴重な機会を逃すまいと決めた。反応を見つつ、エルガが食いつきそうな話題を投げかけてみる。
「心配じゃないの、ルルーラのこと。可愛い妹さんに、僕が何か変なことを吹き込んでるかもしれないじゃないか」
「……ルルーラは、そこまでお前を信用しているのか。姉妹であることは他人には話すなと言っているのに」
「打ち明けられたっていうよりは、うっかり聞いちゃったって感じだけどね」
エルガは僕の返事を予想していたかのように、少しだけ笑う。
「あれの迂闊なところは何を言っても治らないな。今度また注意しておかねば。……まあ、それはどうでもいいことだ。私が心配するとしたら、むしろお前の方だ」
「……? どういうこと?」
「……そうだな、良い機会かもしれない。シドウ、この後は暇なのか? だったらもう少し話そう」
エルガは僕に向けて手を差し出した。それは、一方的でも唐突でもない、初めて示された対話の意思だったように思う。
彼女のことを信じていいのかは、まだ分からない。だが、ここで会話を拒絶したら、今まで僕を突き放してきたエルガと同じになってしまう。それに、話してみなければ信じられるかどうかの手がかりさえ得られないんじゃないか。
僕が迷いながらその手を握ると、触れたところから不思議な光が浮かぶ――。
と次の瞬間、僕は居心地の良さそうな部屋へと移動していた。目に入るのは、暖色系の家具で統一された、心が安らぐような空間。ジェルミの拘束魔術を解いてもらった際にも移動した、エルガの部屋だ。
「……今のも魔術? すごいな、こんなに便利なものがあるなら何でもできそうなのに」
「そうでもないぞ。できることは多いが、出来ないことも多い」
僕の手をあっさりと離すと、エルガは奥に引っ込んで、すぐに戻ってきた。その両手には、以前と同じく二つのカップが握られている。
「魔術で人間に干渉することは容易だが、無機物はエニを持たないから動かすだけでも一苦労だ。だから、茶を淹れるくらいなら手を動かした方が早い。ほら、受け取れ。中身は前に飲ませたのと同じだが、冷たいのも悪くないぞ」
僕はエルガに礼を言い、カップの中の液体に口をつける。ふんわりとした良い香りと優しい甘味が、喉を潤していく。
「もう少し、魔術について聞かせてほしいんだけど。僕がこの世界に来た時に、エルガがつけた印が僕のエニってことなんだよね?」
「そうだ。ちょうどいい、手袋を外して見せてみろ」
手首までの短い手袋を外して、僕は手の甲をエルガに向ける。そこにあるのは、何も変わらない白くて小さな円だけだ。エニが人と人のつながりであるという話が事実なら、僕が持っているのはずいぶん頼りなくて弱々しいつながりだけだということになる。
「やはり変化はないな。お前としてはどうだ」
「どうだ、って……」
相変わらず、『たまの休みに息子とぎこちなく世間話をするお父さん』感がぬぐえない話し方だ。もっと言葉を尽くしてコミュニケーションをとろうよ。
「その印が……エニが、ルルーラやムコリタと話すときに、何か変わったような感覚はないだろう?」
「……うん。別に、これのことを意識したことはないかな」
「そうか。もしあったら私にも感知できるようになっているのだが、何か異変があればすぐにその場を離れて私に言え。お前の今後にも関わることだ」
「今後?」
「ああ。だが、それよりも先に確認しておきたいことがある。お前、ここに来る前のことは何か思い出したか?」
「いいや、何も」
そういえば、この質問前にも聞かれた気がするな。
「単刀直入に言おうか。これは私からの評価だが、お前は話もうまいし、人と話すのを苦にするような性格ではないだろう。むしろ、一人でいるよりも誰かと交流している方が楽しそうに見える」
「あ、ありがとうございます……?」
なんだろう、今度は担任の先生から通知表を読み上げられてる気分だ。父親から教師に立場が上がって、この短時間でさらに距離が空いてしまったような。
「……別に世辞で言ってるわけじゃない。私だけでなく、ルルーラやフロイデア様に聞いても同じような意見が返ってくるだろう。お前は予想していたよりもずっと、能天気で明るくて愉快な奴だ」
「いやあ、そんなに褒められると照れちゃう……待って、予想していたよりってどういうこと?」
「前にも話しただろう。世界を渡って連れてこられるのは、エニが――人との関わりが薄い者だけだ。ゆえに、お前を見つけた時も、何か問題がある奴なのではないかと思っていた。見つけた場所も場所だったからな。どういう意味か分かるか?」
「いやいや、そんな言い方で分かるわけないって。本当にさあ、もっと僕にも分かるように話をしてよ。クイズしたいなら少しヒントを出すとかさあ……」
「すまない。では、私が見たありのままのことを伝えよう。世界を渡るための案内人を探している時にお前を見つけたのは、そっちの世界の学校の屋上だ」
「……え?」
エルガはカップを置くと、僕に向き直った。
「正確に言えば、屋上の柵の向こう側、一歩踏み出せば何もないような場所だ。お前はそこで、一人きりで立っていた」
「……」
「お前は忘れているかもしれないが、あの日は風がひどく強かった。そうでなくても、遠くの地面をぼんやりと見つめているお前は、次の瞬間にでも踏み出してしまいそうに思えた」
「……おかしいよ、エルガ。そんなことあるわけないよ。だってそれじゃ、それじゃあ僕が……」
まるで、自殺しようとしていたみたいだ。続きの言葉は、どうしても喉の奥に引っかかって出てこない。エルガは僕が飲み込んだ言葉を追求することはせず、
「お前がその場所にいた理由が何であれ、不安定な人間は連れてきやすい。お前が案内人として選ばれた理由はそれだけだ。少々儀式の予定は狂ったが、通常よりも少ないエニでお使いを済ませることもできたし、こちらとしては文句の言いようもない。ただ、お前にとっては話が別だろう」
そこでエルガは一息入れると、誰もいない湖の底を映した水晶みたいな瞳で、僕を見つめる。
「この世界に帰ってきてからずっと見ていたが、お前は簡単に自暴自棄になるような人間だとは思えない。だからこそ、そんなお前ですら思いつめるような出来事を体験していたんじゃないか? もしかしたら、お前にとっては思い出したくもないくらいに辛い出来事を」
「……」
「それを思い出すことが、お前にとっていいことなのかどうかは分からない――だが、何も考えず向こうに戻るのは、必ずしも得策であるとは言えないだろう」
妙にまどろっこしい言い方をして、エルガは大きく息をついた。
「話は以上だ。余計な世話を焼いている自覚はあるから、迷惑なら忘れてくれてもいい」
「いや、忘れられる気なんて全然しないんだけど……といっても、思い出せるような感じも全然ないけどね」
「そうか、すまない……本当に余計なことをしたな」
尊大で不愛想なエルガが珍しくしおらしくしてるのを見て、僕は思わず笑ってしまう。どうせなら、最後まで親父や教師らしく、胸を張って構えていればいいのに。