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相棒と触れ合いながら逢引きする回①

 そして翌日。待ち構えていた僕に手渡されたのは、一抱えくらいありそうな箱だった。

「ありがとうエルガ! この中に楽器が入ってるんだね!」

「いや、それ自体が楽器だ。日本にはこういうものはないのか」

 エルガは僕から箱を取り上げると、手のひらで側面を叩いた。素朴な感じの木の箱は、ぽん、と軽い音で返事をする。

「このように、手や足で叩いて鳴らすものだ。叩く場所によって音が違うから、色々と試してみるといい。じゃあな」

「ちょ、ちょっと待ってよ、それだけ? もっと詳しく教えてくれないの?」

「……私は音楽家ではない。暇つぶしなら、その程度で十分だろう。それに、私は忙しいんだ」

 つれなくつぶやくと、エルガは再び僕の手に箱を押し付けて去っていった。忙しいのは、祭典の準備をしているからだろう。僕と自分の弟子が裏で暗躍しているとも知らず、呑気なことだ。


「にしても、打楽器かぁ……」

 僕は腕の中の箱に目を落とす。重さはそれほどではないが、ちょっとした椅子くらいの大きさはある。そういえば、こんな形でまたがって演奏するような楽器をテレビで見たことがある気がする。確かあれは、カホンと言っただろうか。

 記憶にあるように箱の上に座って側面を叩いてみると、なかなかいい音がする。これならば扱いを覚えるのに時間はかからなそうだ。

「ってことは、問題はやっぱり歌だよな……ムコリタとルルーラ、大丈夫かな……」

 僕は廊下から顔を出して周囲を確認すると、部屋をそっと抜け出す。楽器を持ってきてくれるまでは待っていると約束したが、その後も大人しくしてるとは一言も言ってないもんね。もしエルガに見つかったら、演奏方法をしっかり教えてくれる人を探すためと言い張ろう。これなら、非は向こうにあると思わせることもできる。

「なんか、考えることがいちいちせこい気がしてきたな……おかしいな、僕はもっと清く正しい人間だったはずなんだけど……」

 ぼやいてみたところで、同意してくれる人間は誰もいない。僕は小さく肩をすくめて、四角くて冷たい相棒を抱えて歩き出した。



 ムコリタとルルーラと待ち合わせている場所は、教室の窓から見えた中庭のような場所だ。建物内よりは音が響かないし、ムコリタによればこの中庭は観賞用の池があるだけで、あまり人が立ち入るような場所ではないらしい。ぐるりと取り囲む廊下から隠れるように木が茂っているので、昼寝に最適だとも言っていた。

 だったらムコリタは立ち入ってるじゃないかと思わなくもないが、そんな揚げ足をとっても仕方がない。


 しかし、待ち合わせと言っても僕は時計やスマホを持っているわけじゃない。二人がいつ来るかはさっぱり分からないし、もし緊急の用事が発生していたとしたら僕だけ待ちぼうけをくらうことになるかもしれない。連絡手段もないまま相手を待っているのが小学生のころみたいだなと思いながら、僕はカホン(らしきもの)に腰かける。

「カホン……じゃないかもしれないんだよな。エルガに楽器の名前くらい聞いておけばよかったな……とりあえず、君のことはカホコと呼ばせてもらおうか」

 僕はカホコに手を伸ばして、大きさや硬さを確かめながらすみずみまでその具合を……なんか、自分で考えててもいやらしい感じに聞こえるな。やっぱり名前を変えようか。

「ちょっと赤っぽいところがあるから、『アカホン』とかどうかな? ……なぜか分からないけど、勉強とか受験を思い出しちゃうな……じゃあ、ちょっとかわいくして『ハカホン』はどうだろう? 弱々しい感じがするけど、これでいいのだって言ってくれそうだし」

 そんなことを言っても、ハカホンが返事をしてくれるわけはない。けれど久しぶりに浴びる外の空気は心地よくて、風が木の葉を揺らす音さえとても新鮮に聞こえる。そういえば、池があるんだとムコリタが言ってたっけ。二人はまだ来ないみたいだし、ちょっと見に行ってみようかな。


 ハカホンを携えて中庭の中央に歩いていくと、木立が開けたところに小さな池があった。池の周りを囲むのは大きさがそろった石で、よく見ると表面には繊細な彫刻が施されているようだ。その中央から水が湧いていて、噴水の役割も果たしているらしい。けれど、何よりも僕の目を引いたのは、丸く並んだ石の一つに腰かけて指先を水面に浸している人影だった。

「フロイデア、さん?」

 恐る恐る声をかけると、フロイデアは驚いたように顔を上げて、素早く手を引っ込める。

「……シドウ様? どうしてここに……」

「ああ、えーっと、それは……」

「しっ、あまり大きな声を出さないでくださいよ」

 フロイデアは眉を下げて困った顔をしながら、唇を二本の指で挟む。『静かに』のジェスチャーだろうか。七日七晩一睡もせずに見つめ続けても飽きないくらいに整った顔が、ちょっとだけ間の抜けた印象になってとても可愛い。

 黙れと言われて、けれど立ち去るのもなんだか惜しい気がして、どうしていいのか分からずに突っ立っていると、フロイデアは僕を小さく手招きする。

「時間があるなら、ちょっとお喋りしませんか?」

「も、もちろん……です」


 誰かから隠れているのだろうか、フロイデアの声はうっかりすると聞き逃してしまいそうなくらいに押さえられている。それに合わせて僕も声を潜めると、なんだか二人で秘密の相談をしている気分だ。

 招かれるままに隣に座ると、フロイデアは再び池の水面を撫でる。

「この池、綺麗でしょう? 私のお気に入りの場所なんですぞ」

「す、すみません、なんか邪魔しちゃって……」

「いいえ。誰かがここに来るなんて初めてだから、嬉しいですわ」

 手袋を外したフロイデアの白い腕が、水面から反射した光にきらきらと彩られている。じろじろ見ては失礼だと思いつつ、細く華奢な指先にくぎ付けにされたように目が離せなくなってしまう。少しだけ目線を落として、いたずらに作られる波紋を目で追うふりをしているうちに、僕はふと違和感を覚える。

(あれ……何かおかしいような……)


 その瞬間、ぱしゃん、と遠くで水が跳ねる。魚か何かがいるのだろうかと聞いてみると、フロイデアは僕の言葉を肯定する。

「ええ、この城ができた時に入れられた魚です。その時から新たなものを迎えることはないのですが、不思議と絶えてしまうことはありませんの。この池で生まれて、この池で死ぬ定めの生き物ですわ」

 口の端には優しい笑みを浮かべながらも、フロイデアの眼差しには暗い影が感じられた。隣に招かれたからには、何か冗談でも言うべきなのだろうか。でも、つまらないことを言ってさらに落ち込ませてしまったらどうしよう。

 いやいや、難しく考える必要はない。僕はただ、目の前の相手を笑わせられればいいんだ。審査員が分かり切ってるイロモネアみたいなものだと考えれば楽勝じゃないか。それだとむしろプレッシャーが強くなる気もするけど。

 僕が頭の中から必死に受けそうなモノマネを探していると、フロイデアは水面をくるくるとかき回しながら、いつものように明るく微笑んだ。


「ねえ、シドウ様。一つお願いをしてもいいですか?」

「の、望むところです。モノボケでもサイレントでも受けて立ちますよ? 百万円がかかってなくても、僕はその、あなたのためなら……」

「いいえ、お金なんかじゃありませんのよ。わたくしたちが初めて会った時のこと、覚えてますわね?」

「……ええ、もちろん。あの時フロイデアさんが来てくれていなかったら、きっと僕は部屋で一人惨めに漏らしてたでしょうからね。僕にとってフロイデアさんは、命の恩人と言っても過言ではありません」

「ふふ、それは光栄ですだ。でもね、シドウ様」

 フロイデアはそこで言葉を区切ると、水に浸していた指を僕に向かって伸ばした。身動きする間もなく僕の頬に濡れた感触が触れ、背骨が逆立つような、それでいてくすぐったいような奇妙な気分になる。


「わたくしにとっても、あなたは恩人ですのよ」

「ど、どうしてですか? 僕、あなたに何かしたわけじゃないのに……」

「いいえ、シドウ様はわたくしにとても素敵な言葉をくれましたわ。覚えていませんかな?」

「言葉……」

「あら、本当に忘れちゃいましたかね? うふふ、酷い人」

 詰まる僕をからかうように、フロイデアの指先が僕の頬をなぞる。視界の端で真っ白な手首が天使の羽みたいにふわふわと動いている。

「お、覚えてますよ! “個性的”って言ったでしょ、あなたの言葉遣いを……」

「そうですとも。ちょっと変だけど、素敵。その言葉が、わたくしにとってはとても心地よい響きなんですぞ」


 フロイデアは嬉しそうにしているが、僕は正直気が気じゃない。こんな近くで見つめあいながら触られているから、否応なく鼓動が早まっているのだ。僕がみっともなく汗をかいて体を固くしていることにも気づいているだろうに、フロイデアは素知らぬ顔で僕の頬を撫で続ける。

「だから、もう一つお願いがあるんですわ、シドウ様。わたくしにまた言葉を教えてくださいませんこと? わたくしとあなただけが分かり合えるような、特別で素敵な言葉を」

 フロイデアがどうしてそんなことを頼むのか、僕には分からない。けれど、僕の目には水面を見つめていた寂しそうな横顔だけが焼き付いていた。もしも僕が選ぶ言葉で彼女が抱える暗い部分を少しでも明るくすることができるなら、それは僕にとっても価値があることのように思えた。


「唯一無二……って、知ってますか」

 フロイデアは黙って首を振る。

「他のものとは比べられない、たった一つの大事なものってことです。僕にとって、フロイデアさんがそうなんです。わけも分からないままこの世界に連れてこられて、誰も何も教えてくれなかったけれど、あなたが話しかけてくれたのにすごく助けられたんだ」

「……トイレの場所を教えてくれたから?」

「それもそうですけど」

 僕は苦笑しながら、頬に添えられたフロイデアの手に自分のそれを重ねた。ずっと触れていたはずなのに細い指先に僕の体温は移っておらず、ひどく冷たく感じる。

「あなたが僕に向けて笑ってくれたから、心がすごく楽になったんですよ。喋り方もちょっと『個性的』で、聞いてるだけで楽しくなる。あなたは僕にとっても、特別で他にはない存在なんです」

 僕なりに勇気を振り絞って告げたつもりの言葉だ。だが、フロイデアの反応は鈍く、僕の手を振り払いもしないが握り返しもしてくれない。いつの間にか、その表情は先ほどのような暗い影が差している気がする。

「……フロイデア?」

「唯一無二。わたくしは、特別……」

 彼女が僕の言葉を望んだはずなのに、あまり嬉しそうに見えないのはなぜだろう。僕はどこかで選択肢を間違えてしまったんだろうか。けれど、どんなに悔やんでも一度出した言葉を引っ込めることはできない。


 僕らの間に冷ややかな沈黙が訪れたその時、遠くの方で人の声が聞こえた。

「シドウ? おい、いないのか?」

「せ、せせ、先生! いたら、へ、返事を……」

 ルルーラとムコリタだ。明るくてよく通る二人の声は、人目もはばからずに僕を探しているようだ。まったく、ばれたら困ると何度も言ったはずなのに。

「……あなたを探す人が来たみたいですわね。……そう。シドウ様には、居場所があるのですね。ほら、行って差し上げたらどうですかな?」

「あ……いや、そういうわけじゃないんだけど……ねえ、良かったらもう少し話しをしませんか?」

 なぜそんなことを言ったのかは、僕自身でもよく分からない。ただ、今フロイデアを一人にするべきではないという直感のようなものが働いていた。けれど、フロイデアは懐から見慣れた長い手袋を取り出しながら、

「残念ながら、もう行かないといけないのですよ。話せて楽しかったですぞ、シドウ様」


 指先まで腕を覆ってから一礼するその姿は、引き留めるなと言っているようにしか思えなかった。その背中を何も言えずに見送っていると、フロイデアが去ったのと反対側から人の気配が近づいてくる。

「あ、いタ。聞こえてたなラ返事、しろ」

「せ、先生! もういらっしゃってたんですね!」

 二人が来ると、途端に池の周りは賑やかな雰囲気に包まれる。フロイデアと話していた時と人数は大差ないのに、こんなに騒々しく感じるのはなぜだろう。

「先生? どうかしましたか? 何か気になることでもありますか?」

「いや、今ここでフロイデアと話してたんだけど……」

「え、ふ、フロイデア様が、ここに?」

 ルルーラは不思議そうに目を瞬いて辺りを見回すが、すでにフロイデアの姿はどこにも見えない。

「こ、こんな何もないところに皇女様が? い、いったいどうして……」

「いや、僕も分からないんだけど……なんか、寂しそうに思えたよ」

 ついさっき僕と話していたフロイデアは、これまで僕やエルガの前で見せてきた明るくて穏やかなお姫様とは全く違うように思えた。

「そ、そうですか……ふ、フロイデア様も、な、かなか、難しいお立場ですからね……」

「難しい? 確か、彼女が王位継承者だって聞いた気がするけど。一番偉い人……の、跡継ぎってことなんでしょ?」

「そ、そうなのですが、実は……」

「おい、お前らいつまで話してルんだ? 練習をするんじゃなイのか」

 ルルーラが気まずそうに僕から目を逸らすと、それに応じるようにムコリタが割り込んでくる。

 確かに僕らが集まったのは練習のためなんだけど、ここで楽器を鳴らしながら話し合うことは果たして良いことなのだろうか。

 きっと彼女にとってこの場所は、一人で息抜きをするための空間なのだろう。清らかな水が流れる音は、ただ静かに僕らの会話も受け止めている。たまたま立ち入っただけの僕がこの空間を乱すのは、フロイデアに対して申し訳ない気がした。


「ええと、フロイデアもここに来てるみたいだし、ここって意外と人が来るところなんじゃない? 楽器の演奏なんかしたら、誰かにすぐに聞きつけられちゃうんじゃないかな?」

「心配するな。魔術で結界を張るから、音はそうそう漏れない」

「で、でも、気づかないうちに近くまで来られたら、確かに聞こえちゃうかも……」

「そうそう、誰かに見られたらって思ったら落ち着かないよ……どこか他の場所ってないのかな?」

 ルルーラの援護射撃に乗っかるように言い張ると、ムコリタは小さく肩をすくめる。

「仕方ないな。ムコリタの昼寝場所をまた教えてやるか。実は裏門の近くの倉庫の中も、なかなか静かで快適なんだ」

「ムコリタったら、普段からどれだけさぼってるんですか……」

 呆れたルルーラの声を聞きながら、僕ら三人はこそこそと移動を開始する。中庭から離れるごとに、水が湧きだす静かな音が遠くなっていく。僕は一度だけ振り向いてみたが、やはり小さな池の周りには、誰もいない方が似つかわしいように思えた。


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