内気な少女と勝気に意気投合する回②
僕らは部屋を出て、そのまま離れた建物にある教室へと駆けこんだ。ルルーラはあの後すっかり黙り込んでしまったので道案内はしてくれなかったのだが、記憶力だけを頼りに見覚えのある扉に着いたのだから立派なものだ。
入って扉を閉めたところで、もじもじとした様のでルルーラが話を切り出す。
「あ、あの……」
「どうかしたの? あ、もしかしてすでに何かいいアイデアが思いついたとか!? エルガに一泡どころかコーラにメントスを入れたみたいにボリュームと迫力のある泡を吹かせられるような刺激的な案が!?」
「いえ、そうじゃなくて……話し合いするなら、シドウ先生のお部屋でも良かったんじゃないか、なんて……」
「いやいや、それは考えが甘いよ! 実はね、あの部屋鍵がかからないんだ。あそこは監視に都合がいいから選ばれた部屋だって言うし、いつエルガが入ってくるかも分からない状況でサプライズの相談はできないでしょ。それに、君だって僕とベッドがある部屋で二人きりってなんか嫌じゃない?」
「そ、そこの考えはきちんとしてるんですね……」
「当たり前じゃないか。むしろ、僕にきちんとしていないところがあるとでも?」
「だ、だってさっき、手とか肩とか……い、今だって二人きりだし、こんな離れの方、人だって全然、来ないし……い、いえ! なんでもありません……!」
聞こえるような聞こえないような声量でもぞもぞと言っていたが、結局ルルーラは首を振って言葉を引っ込めてしまう。肝心なところで説明を諦めてしまうのはエルガに似たのかもしれないが、良くない傾向だと思うぞ。その言い方では、僕が相手の意思も確かめずに体をべたべた触り、無理やり人気のない場所に連れ込んだみたいじゃないか。そんな事実は全くないのに。
僕が不思議に思いながら彼女を見つめていると、ルルーラは張り切ったように大きな声で、
「と、とにかく早く始めましょう! こ、こんなところでこそこそしてるの見られたら、お姉ちゃんになんて言われるか……!」
「何だか分からないけど、積極的に考えてくれるのは僕としても嬉しいな。僕だってルルーラだけに負担をかけるつもりはないから、安心して」
「そうダ。何か知らんガ、やるなラ早くヤれ」
いよいよ本題に入ろうとしたときに割り込んできたのは、僕でもルルーラでもない声だった。まあ、僕も異世界に来たばっかりで疲れているし、そういう種類の幻聴が聞こえることもあるだろう。天の声が告げているとおり、早く話を進めなければ。
しかし不思議なことに、ルルーラは焦ったように辺りをきょろきょろと見回している。どうしたんだろう。まさか、ルルーラにも幻聴が聞こえていたのだろうか。
いや、待てよ? そういえば、ここに入る前に誰かいるかなんて確認しなかったような……。
疑問の答えは机の影から現れた。正確に言うと、机の影になっていた長椅子の上から。
決して寝心地の良くなさそうな椅子から身を起こした少女は、鮮やかな黄緑の髪をかき回して小さくあくびをした。
「む、ムコリタ!? いつからそこにいたんですか!?」
「お前たちが後から来たんだ。ムコリタの昼寝の邪魔をしてそんな言い方とは、失礼な奴らだ」
「わ、わ、私たちの話してること、ずっと聞いてたの……?」
「あんな大声で話して、聞こえない方がおかしい。ムコリタは耳がいいから、お前らが仲良く廊下を走る足音まで聞こえてたぞ」
淡々とした口調で指摘されると、はしゃいでいたところに水を差されたようで若干恥ずかしい。僕はそれでも気にしてないけど、ルルーラは自分のおさげを二本まとめて胸の前でくしゃっと掴んでいる。
そうか、きっとムコリタが乱入してきたから緊張してるんだろう。教室での様子を思い返してみれば納得がいく。一対一のコミュニケーションは平気だが、人が増えると駄目になってしまうというタイプに違いない。まさか、僕と仲がいいと茶化されたから照れてるなんてことはないだろうし。
しかしこのままでは、また自己紹介の時のように赤面からの完全黙秘コースに入ってしまうかもしれない。この後の作戦会議を円滑に進めるためにも、僕がどうにかフォローしなければ。むしろここで頼れるところをアピールすれば、協力関係をさらに強力にするチャンスともいえる。
「大丈夫だよルルーラ! 僕らが二人きりで人気のないところに来たのは事実だけど、まだ肝心なところは話してないだろ? 二人で結託してエルガをどうにかしてやろうと作戦を練ってるなんて、ムコリタには分からないはずだよ!」
「な……!? い、今! 今まさに、シドウ先生がばらしてるじゃないですか!」
あ、確かに。さすがはルルーラ、うろたえた素振りをしながら冷静なところもあるじゃないか。
今のは僕の失言ではなく、君の状況判断力を試したんだ。そういうことにしておいてくれないだろうか。先生と呼ばれる立場なんだから、ドジっ子扱いは避けたいところだ。
「本当にうるさいナ、お前ら。用があるルなら、早クしろ。確か、ルルーラが積極的で早くシたくて、シドウはそレが嬉しいんじゃナいのか」
「違う! 違うの! その言い方はやめて!」
「そうだよ、僕たちはもっとじっくりと慎重に、お互いを理解したうえで進めていこうと……」
「だから違いますって! もう! 先生、余計なこと言わないで!」
あれ、おかしいな。僕のロジカルでクリティカルな予想を裏切って、ルルーラはムコリタにも僕にも臆することなくガンガン突っ込んでいる。いや、別にそれ自体は悪いことじゃないんだけど。
「ねえルルーラ、今の君、すごくスムーズに喋れてるんじゃない? これだったら、僕の協力とかいらないんじゃ……」
「そうダ。ルルーラは賢いし、落ち着けバ喋るのもうマいぞ。フロイデア様にも負けないくらいだ」
確かに『ですだ』とか『ですぞ』とか言わない分、フロイデアよりも聞いていて自然な感じはする。だが、ルルーラではなくムコリタが誇らしげに頷いているのはなぜだろうか。
「あ……でも私、今は夢中で、わ、わけわからなくて……」
「じゃあ、いつモわけわからなイくらい慌テろ。余計なこト考えてびくびくシてるから、失敗スるんだ」
「ちょ、ちょっと待って。ムコリタはルルーラのことを応援してるの? それとも怒ってるの?」
「どっチもだ。能力あル奴がうじうじしテるのは、好キじゃない」
ムコリタの言い方は素っ気ないが、それだけにルルーラへの賛辞は本物のように感じられた。そういえば授業の時も隣に座ってたし、友達同士なんだろうか。
ルルーラは僕の視線に応えるように、
「ムコリタと私は同い年で、おね……エルガ様から魔術の手ほどきを受けている期間も、同じくらいなんです……」
「日本語はルルーラが上手クて、エニの量ト扱いはムコリタの方が上ダ。『あっちとこっち』ダな」
「……もしかしてそれ、『どっちもどっち』って言いたいの?」
僕はためらいがちに突っ込むけど、ムコリタは特に訂正することもなく鷹揚に頷いた。
まるで僕の方が試されたみたいな感じだ。
「ま、待ってムコリタ……そういえば、この時間は魔術の座学があるんじゃないの……? な、なんでここで昼寝してる、の……」
「退屈だからラ、さぼってる。祭典の準備ナんて面倒だ。ああいうノはエルガとかジェルミとか、細かイのが好きな奴がやれバいい。……ああ、ジェルミは当分出てコれないか。まあ、牢に入れられなかったんだからエルガも甘いナ」
こともなさそうに出されたジェルミの名前に、僕は思わず身を固くする。けれどムコリタは僕の方を見るでもなく、再び長椅子にごろりと寝そべった。長いズボンのような衣服の裾から、足首がちらりと見える。まぶたを閉じて蜂蜜みたいな色の瞳を隠したまま、ムコリタは言葉を続ける。
「しかしシドウ、お前もかわいソうだな。ジェルミにちょっかいをカけられて、日本へ戻るタめの儀式は祭典の後回シ。エルガに腹が立つのモ、ちょっとは分かるぞ」
「ちょっとムコリタ、そんな言い方、し、失礼じゃない……!」
「デも事実だ。なあシドウ、そんなに馬鹿にされて、マだお前は怒らナいのか? ムコリタがお前だったら、暴れまわって誰彼構わず怒鳴りつけルぞ。エルガをちょっト脅かしてやろうなんテ、歯抜けの考えは絶対にしナい。日本人ってノは礼儀正しくて心優しい民族なんダな」
「な、な、ムコリタ!」
ルルーラは責めるようにムコリタを叱咤するが、僕はどちらの声にも反応することができない。いや、心は動いているのにそれを言葉にすることができない。
「……」
「ここまで言っテ、まだ分からないのカ? ムコリタはうじうじした奴は嫌いダが、物分かりが悪い奴はモっと嫌いだぞ。でモ、度胸のある奴は嫌いじゃナい。なあシドウ、ヤるならもっと派手にやらないカ?」
「……何を」
聞き返さずにはいられない僕は、すっかりムコリタの不敵な雰囲気にのまれているようだ。ルルーラも僕と同じく、不安と期待を込めた視線を彼女に向けている。
ムコリタは寝転がったまま僕たち二人の姿をたっぷりと眺めると、満足げに頷いて身を起こした。
「どうセなら大勢の前で、楽しく、明ルくやってやろうじゃナいか。せっカくちょうどいい祭りガあるんダからな」
「お祭り? さっき言ってた、祭典って奴のこと?」
ムコリタはにやりと口角を上げて頷く。