カツアゲと思ったらはじめてのおつかいだった回
君はカツアゲにあったことはあるだろうか。僕はある。自慢じゃないが何度もある。だが、女の子にされるのは今日が初めてだ。それも、髪も瞳も真っ青なコスプレ風の美少女に。
けれど、一番の問題点はそこじゃない。今僕が尻をついて座り込んでいる場所が、路地裏でもゲームセンターの片隅でもないということだ。僕の知識で一番近いところを挙げると、おそらくカルト宗教の本部だと思う。
「お前、名前はなんという」
どうしてヤンキーとか不良って、脅しの手段として名前と出身を聞いてくるんだろう。僕が懐から印籠でも出したら、態度を変えてへりくだってくれるつもりなんだろうか。サイズが合わなくなってきた学ランのポケットの中には、小銭すらも入ってないんだけど。
「志藤真澄です……」
「ふん、ご立派な名前だな」
「あ、ありがとうございます……?」
白っぽい柱が並ぶ広間のような空間には、真っ黒なローブで全身を覆った人が集まっている。見たところ、二十人はいるんじゃないだろうか。彼らの視線が集まっているのは、一段高いところにある、体育館で校長先生が話す舞台のような場所だ。そして僕は、まさにその舞台の上で、青い髪の美少女に詰め寄られている。
少女は信者らしき人々の熱い視線を背負いながら、僕に厳かに問いかける。
「ではシドウ、さっそく本題に入ろう。お前、いくら持ってる」
晴れた日の海みたいに綺麗な色の髪と、同じ色の瞳。彼女の見た目は人間離れしたような神々しさなのに、発する言葉は完全にチンピラだった。ヤンキー教祖か。不良の神様なのか。悪事なら盗んだバイクで走り出すくらいにしといてくれ。それなら、僕は免許を持ってないから無関係でいられる。
黙り込んだ僕にだめ押しするように、少女は静かに恫喝を続ける。
「金だ。いくら出せる」
「いくらって……が、学校帰りだから、千円くらいしか持ってない、です」
「……せんえん」
青い髪の美少女が僕の所持金を復唱すると、信者の皆さんから声が上がる。驚きや怒りではなく、なんとも言えない残念さに満ち溢れたため息だった。それはもう、ホームグラウンドでの試合で四番打者が三振を取られた野球ファン並みに。いや、中学生の所持金ごときでそんな大げさに悲しまなくても。
僕は唾を飲み込み、目の前に立ちはだかる美少女をただ見上げる。彼女も他の取り巻きたちと同じように、くるぶしまで届く長いローブで全身を覆っている。ただ、フードはかぶっていないので、謎の群衆の中で彼女だけが際立っていた。やはり、彼女がこの集団のリーダーなのだろうか。
「……あ、あの。もうお分かりと思いますが、僕あまりお金持ってないんです。警察とかにも絶っ対に言わないんで、今回は見逃してもらえませんかね?」
「それは無理な相談だ」
卑屈に頼んでみると、少女は厳しい目つきのまま首を横に振る。それと同時に、彼女の周囲の人影が音もなく僕に近づき、手足を抑え込もうとする。
「ちょ、ちょっと!? な、何するんですかぁ!?」
まさかリンチでもされるのだろうか。いや、もしかして人身売買という手もあるかも。しょぼくれた男子中学生に買い手がつくかは分からないが、臓器はめちゃくちゃに健康だ。くそ、こんなことならタバコでも酒でもやっておけばよかった。
絶望の中でうつむいても、視界に入るのは白茶けた革靴のつま先だけだ。しかしその瞬間、起死回生の一手が閃く。
「あ、そうだ! ま、待ってください! 金、あります! 緊急用の五千円が靴の中に!」
僕は必死の思いで声を張り上げる。証拠を見てくれと言わんばかりに、情けなく足も上げる。
麻薬中毒者が書いたみたいに歪んだY字バランスを見ると、少女は軽く目を見開き、嬉しそうに微笑んだ。
「それなら話は別だな」
人の命は地球より重いなんて誰かが言ってたけど、少なくとも僕の命は五千円で買えてしまうものらしい。
少女は嬉々として僕の右足から革靴をはぎ取り、中敷きの底からしわの寄った五千円札を取り出す。それを高々と掲げると、取り巻きからはまたしても声が上がる。今度は、まごうことない喜びの声だ。おそらく笑顔を浮かべているだろう取り巻きさんたちの手から、やっと僕は解放される。
財布の中には千円しかなかった僕が言うのもなんだけど、君たちたかだか五千円ごときで喜びすぎじゃないか? 皆さん大人なんだから、もっと自分の力できちんと稼いでほしい。カツアゲなんかしないでくれ。特に男子中学生からは。
「目標には届かないが、最低限度は望めるな。空振りよりはよっぽど良い」
少女は懐からポーチみたいなものを取り出すと、大切そうに五千円札をしまう。ああ、僕の一葉ちゃん。靴の中なんかで生活を送らせたまま別れの時が来るなんて、本当に残念だ。いつかは財布に迎えて、甘い生活を送るはずだったのに。
少女と取り巻きの皆さんからは、一仕事を終えたような雰囲気が醸し出されている。
「じゃ、じゃあ僕はこれで……」
とそっと背を向けて逃げ出そうとすると、素早く腕を掴まれた。
しまった。黙って逃げればよかった。
「駄目だ。お前にはまだ付き合ってもらう」
「か、勘弁してください! 僕には売るところなんかありません! 家には病気の妹がいて、腎臓も心臓も脊髄も、あとなんだっけ、とにかく全部妹に移植する約束をしてるんです!」
「妹が病気なのか。それは気の毒に」
とは言うものの、少女は僕の手を離してはくれない。華奢な女の子にしか見えないのに、信じられないくらいの力がこもっている。そしてローブの袖口からのぞく腕には、想像通りにびっしりと刺青が。清く正しく大人しい学校生活を送っている僕は、それを見ているだけでくらっとしてくる。
「うう……せめて一息にお願いします……。痛いのは嫌……殺すなら切れ味のいい刃物で優しく捌いて……」
「殺す? 何を言ってるんだ、お前は」
「邪魔しないでください……天国に行けるように、最後のお祈りをしてるんですから……」
「何を勘違いしてるか知らないけど、今から行くところは天国なんかじゃないぞ」
「じゃあどこなんだよ! 地獄か! それとも監獄か! もしくは両国か!」
黙ったら本当にまずい事態に陥りそうな気がしてまくしたてるが、少女は僕のマシンガントークにも顔色一つ変えずに首を振った。
「いいや。今からお前を連れていくのは、ココノハドラッグ青葉台店だ」
*
ココノハドラッグ。イメージカラーは目が痛くなるような蛍光グリーンで、看板もポイントカードもその色で統一されている。店内では妙に頭に残るテーマソングを流し続けているので、長く買い物すると洗脳されてる気分になる。いつ行っても何かのキャンペーンをやっていて、やたらと長いポイント付きのレシートをくれる。品揃えは豊富だが店舗数は大手チェーンには及ばない、地域密着型のドラッグストアだ。
そう、ここはドラッグストアなのだ。
自動ドアの前に立つと、聞きなれた朗らかな電子音が迎えてくれる。
「らっしゃいませー」
やる気のなさそうな店員の挨拶に、こんなに安堵させられる日が来るなんて。何でもないようなことが幸せだったっていうあの歌は本当だったんだ。僕が感動に打ち震えていると、腕が後ろから強く引っ張られる。
「あまり時間がない。手早く済ませるぞ」
「あ、はい……」
少女はいつの間にかフードを深くかぶり、その隙間から大きな目をのぞかせて鋭く辺りを見回す。
「風邪薬と頭痛薬はどこだ? できれば消毒薬と絆創膏も欲しい」
「え、強盗とかするんじゃないんすか」
「そんな目立つことするわけないだろう、馬鹿か」
僕からは金を奪ったのに、店にはちゃんと金を払うのかよ。なんだその倫理観は。僕にも少しくらい優しくしてくれ。バファリンの半分でもいいから。
ついでに言えば、どんなに隠したってその髪色と目じゃ目立たないのは不可能だと思うけど。だが、意外なことに周囲の客の視線は僕らには向けられていない。こんな怪しい服装なのに、なぜだろう?
「あまりきょろきょろするんじゃない。そのためにお前を連れてきたんだ」
「え、ど、どういうことすか。僕、財布役はもう終了したんじゃないんすか。お役御免で無罪放免じゃないんですか」
「違う。私一人ではこの世界に……いや、説明する必要はないな。早く売り場を案内しろ」
少女は何か言いかけたところで首を振り、僕の腕をつかむ手に力をこめる。女の子と二人で買い物なんて本来なら喜ぶべきなのかもしれないけど、今の僕らはどう見ても強盗とその人質なんだよな。
現状を冷静に理解したところで、誰も褒めてはくれない。おとなしく犯人の要求に従って、早く解放されることを願おう。
「頭痛薬、たぶんこの辺りだと思うけど……どれが欲しいんですか?」
「このパッケージと同じものだ」
「えーっと、それなら……うわ、これ千円以上するのか……」
「それが一番効くんだ。次は風邪薬だ。さっさと探せ」
少女の指示通りに店内をめぐり、言われた薬を探し出す。僕にばっかり言いつけてないで、自分で探せば済む話なのに。僕、本当に必要なのか?
けれど、自分の存在意義を疑い始めて哲学的な迷宮に迷い込むより前に、僕はある可能性に思い至る。
「で、次は消毒薬でしたっけ? ……マキロンでいいんですか?」
「……探してるのは、これだ」
思った通り、少女は僕の質問を肯定も否定もせずに、使い終わった空の容器を差し出した。赤いキャップのそれは、まちがいなくマキロンと大きく書いてある。眼鏡をはずしたのび太君だって見間違いようがないだろう。
それでも商品名を口にしないのなら、考えられる可能性は二つだ。一つはこれがNHK制作のドッキリ番組で、仕掛け人の彼女は個別の商品名を口にすることができないという場合だ。しかし、天下の国営放送が恐喝を推奨するような番組を作るわけがない。日本には法律と言うものがあるのだ。
であれば、考えられるのはもう一つ。彼女は、文字を読むことができないのではないだろうか。
そうだとすれば、パッケージを示すだけの買い物にも納得がいく。僕をアシスタントとして連れてきたわけも。
想像力が豊かな僕は、さらに悪い方向へ妄想を暴走させてしまう。あのカルト宗教じみた場所で教祖としてあがめられていた彼女は、まともな教育を受けてないのではないか。日本には法律も憲法もあるはずだが、それらはけっして万能ではない。
あれ、そういえばあの取り巻きの人たちどこ行ったんだ?
……そもそも、僕はどうやってカルト宗教本部を出てココノハドラッグ青葉台店まで来たんだっけ?
「おい、まだ見つからないのか。時間がないと言ってるだろう!」
「……あ、はい。すみません」
しかし、強く言われると反射的に体が従ってしまうのが小心者の悲しいところだ。速やかにマキロンとキズパワーパッドをカゴに入れ、僕は指示通りにレジに向かう。
しかし、妙に値の張るものばかり選ぶのが不思議だ。教祖だから、日用品も高価なものを使わないと格好が付かないんだろうか。
幸いなことに、レジには僕ら以外に誰も並んでいなかった。入店した時と同じように、やる気なさそうな青年がやる気なさそうにレジを通していく。
「合計四点で、五千八百九十二円でーす」
懐から取り出した五千円札をトレーに置こうとした彼女の手が止まる。
「五千円では足りないのか」
「そーっすね。五千八百九十二円なんで」
「…そうか。では、いくつか諦めなければいけないのだな」
彼女はため息をつき、安っぽいピンクの買い物かごへ視線を落とす。刺青に覆われた手は迷うことなくマキロンを掴み、もう一つを選ぼうとしたところでぴたりとその手を止めた。
彼女が最後に要求した子供向けの目薬は、ちょうど五百円くらいだった。マキロンとそれを棚に戻せば、予算内に収まるのに。僕から五千円も奪っておいて、自分の買い物では数百円をあきらめることもできないのか。なんて強欲な奴なんだろう。
今まではおとなしく従ってきた僕だったが、最後くらいはがつんと言ってやった方がいいんじゃないだろうか。そうだ、いつまでもやられっぱなしではいられない。ここらで一太刀浴びせなければ、どんなに寛容な僕でもスカッとしないぜ。
腹を決めた僕は、言うべきことを言うために大きく息を吸う。そして、
「あ、すいません。千円あったので、これでお願いします」
「……な、お前、」
ポケットの財布から最後の紙幣を取り出し、戸惑う彼女を超えてそっと現金トレーに置く。その手はちょっと震えていたかもしれないが、青年は僕の葛藤も目に入ってない様子で、淡々と会計を済ませた。
「あい、六千円からのお預かりでーす。百八円のお返しでーす。ありあとやしたー」
こうして、一回くらいは遊園地に行けるはずだった僕の全財産は、晴れて五枚の硬貨になり果てた。もはや、隣の駅に行くことさえできない。
「はい」
店を出ても彼女が何も言わないので、僕は蛍光グリーンのロゴが入ったビニール袋を手渡す。まさか、さらに荷物持ちまでさせようって言うんじゃないだろうな。これ以上の不当な扱いには、さすがに抗議するぞ。
彼女はようやく僕の腕を掴んでいた手を離し、それを受け取った。
「……なぜだ」
「何が?」
「なぜ、私に施した」
「いや、ここまで来たら六千円も五千円も同じかなって…」
嘘だ。中学生にとって千円はめちゃくちゃ大きい。ブラックサンダーなら三十個買える。うまい棒なら……いや、もうやめよう。詳しく考えると余計に悲しくなるだけだから。
「適当なことを言うな。お前に金銭的な余裕がないのは、最初から分かっている」
彼女にも、僕の経済事情は見抜かれていたようだ。
だったら返してくれよ、と言えるほどの神経があれば、もっと僕の人生は楽だったろう。代わりに僕は肩をすくめて、
「……それ、誰かのために買ってるんだろう? 自分で買うほどのお金もなくて、しかも小さい子のためにしてることなんだろ。僕だって全然お金持ちじゃないけど、お小遣いくらいなら一か月我慢すればいいだけだからね」
「お前には関係ないことじゃないのか。どうして私のためにそうまでするんだ」
「関係なくても、そういうもんじゃない?」
僕の軽薄な受け答えが気に障ったのか、少女は眉間にしわを寄せて黙り込む。そして大きなため息をついて懐から何かを取り出すと、そのまま僕に拳を突き付ける。
「手を出せ」
「いやいや、僕は人を殴ったりはしないから。簡単に手を出すのは三流の証拠ですよ」
「……そういう意味じゃない。ああもう、いいから」
なぜかいらだった様子で、彼女は僕の手をぐいっと引く。ついに殴られるのかと身構えた僕だったが、いつまで経っても頬に衝撃は訪れない。その代わりに、手のひらに冷たいものが落とされた。
恐る恐る目を開けると、僕の手の上には青く輝く宝石があった。複雑な形に加工された石は、決して大きくはないが、素人目にも縁日で売ってるような作り物や玩具なんかじゃないと分かる。なんというか、セレブが胸に抱いているポメラニアンが首輪につけてそうな感じだ。
「え? な、何これ」
「取っておけ。売りに出せば、ある程度の金にはなる」
「い、いやいや! 君、こんなの持ってるんなら最初から自分で換金しなよ!」
「そういうわけにもいかないんだ。じゃあな、世話になった」
うろたえる僕にも構わず、少女はココノハドラッグのビニール袋をぶら下げて人通りのない方へと歩き出す。
髪と目の色、腕の刺青、そしていかにも高級そうな宝石。今までの全てが、彼女が普通の人じゃないと教えている。
率直に言えば、犯罪の香りがする。スーパーのトイレに置いてあるサイケデリックな色の消臭剤くらい、ぷんぷん香ってくる。これ以上彼女に関われば、きっと僕の身にも危険が及ぶだろう。被害が六千円程度ですんだことを感謝し、さっさとお家に帰るべきなのだ。
そんなことは分かっているけれど、彼女と別れる前にもう一言、何かを言わなければいけない気がした。
「ね、ねえ!」
「……なんだ?」
呼び止めたところで、それに続く言葉は出てこない。当然だ、だって僕は彼女に用なんかないのだから。それでも、何か言わなければ。だが、返せと言っても僕のお金は帰ってこないし、宝石をくれてありがとうと言うのも変だ。
「あのさ……み、道に迷っちゃったみたいなんだけど。帰り道を教えてくれない?」
「……ふ」
決死の思いで絞り出したのに、返ってきたのは吐息とほとんど変わらないような小さな声だった。けれど、それは確かに笑い声だった。それが僕の耳に届いた瞬間、つま先まで血管が広がったみたいな気がした。
「シドウ。お前、面白い奴だな」
それだけ短く告げると、今度こそ彼女は僕に背を向けて路地裏に消える。
その時には、考えるより前に足が動いていた。
薄暗いビルの隙間、室外機と配管に挟まれるようにして彼女は立っていた。フードを脱いで鮮やかな青い髪を風に嬲らせながら、宙に向かって腕を突き出している。
「待って! 君、名前は……」
勢い任せでその手を掴む。と、驚いたように彼女の目が開かれた。
「お前、何を……!?」
鋭い叫びと同時に、風が強くなる。吹き飛ばされそうなほどの強風の中で、僕は信じられないものを見た。
彼女の腕の刺青が、増えている。いや、動いているのだ。腕だけでなく、首や顔さえも覆うように。
「な、なんだ、これ……?」
「駄目だ、離れろ! 巻き込まれるぞ!」
しかし、掴んだ腕は磁石で固定されたみたいに離すことができない。そのうちに、彼女の刺青が僕の腕を浸食し、学ランからのぞく生白い肌を埋め尽くすように黒く染めていく――。
そして、僕の視界は闇に飲まれた。