戦乙女と道化師.3
チンッ――
鍔なりと共に、魔物はその場に崩れ落ちた。
どさっという音と共に、肉片となって地面に散らばる。
たった数年で体得したとは信じたい居合いで、ヘレナは魔物を斬った。周りにいた闇帝使達も、思わず感嘆と安堵の声を洩らす。
「大丈夫?」
ヘレナは襲われていた女性に手を伸ばしたが、女性は腰がたたず、座り込んだまま呆けていた。
「私はヘレナ・シュナイダー。名前は言える?」
近年は、大概の日本語は世界で通じる。
英語のように、遠慮なく日本語を話せる地域が増えてきていた。
言語の心配こそしていないが、強いストレス――恐怖によって、記憶や声を失うことは珍しくもない。
そんな懸念もあって、なるべく優しく尋ねると、女性の肉厚な唇から声が押し出された。
「アデーレ・エスタハージ」
「アデーレさん。避難勧告が出てたはずなんだけど、何でこんなとこにいたか聞いてもいい?」
アデーレと名乗った女性は、着ていたメイド服のエプロンを手繰り寄せた。
特徴的な彼女の明るい金髪は、後頭部の辺りで一つに括られていた。浅黒く、きめの細かい肌が美しい。女性の翡翠色の瞳が、不安そうに揺れる。
「倉庫で什器を片付けていたら、逃げ遅れて……」
「一人でここまで?」
「いえ、町のなかは護衛してもらったんです。多分……」
中途で言葉を区切り、アデーレはヘレナを見た。
「あなた方と、同業の方だと思います……」
自信無さそうに言葉を続けたアデーレに、ヘレナは「えーっ?!」と叫んだ。
「ありえない!民間人放っとくなんて!」
憤慨しているヘレナに、後方から声がかかる。
「しゃあねぇよ。そいつが盾になったから、そこのお嬢さんが逃げ延びたかもしれんだろ」
今しがた起きたであろう神無月が、寝癖を隠すようにワークキャップを被った。
「何、あんた適当なことを」
「おんやぁ?パパのことは、もう大丈夫なんでちゅかぁ?」
ニヤニヤと笑う神無月に、ヘレナは眉根を寄せた。
「は?」
「おやじぃ、おやじぃ、っていう寝言で、俺一回目が覚めたんだけど。ファザコンじゃぁ男にも相手にされないよな」
ヘレナは顔を真っ赤にすると、キッと睨んだ。
「あんたの方こそ、凄いイビキ!あのまま息止まっちまえば良かったのに!」
二人はそのまま、困惑しているアデーレの事などお構いなしに、子供じみた口論を展開した。――満を持すように、男声が鋭い声音で遮るまでは。
「そこまでだ。民間人が困っておいでだろう」
声の主――パリアッチは、アデーレに向かって軽く会釈をすると、神無月に鋭い視線を向けた。
「神無月。君ともあろうものが、ヘレナに向かって随分と失礼な物言いだとは思わんか」
意表を突かれ、神無月どころか、ヘレナまでもが呆気にとられていた。
「……オンナは好きだけど、ガキは圏外だ」
「ほう?君の女性遍歴は、その程度か」
パリアッチは微笑んでみせた。だが、目は笑っていない。
普段の彼を知る者ならば、違和感を感じる態度だった。
冷たくあしらうことはあっても、わざとらしく嫌味をいう男ではない。ヘレナをからかう為に言うことはあるが、ここまで露骨な悪意はなかった。
神無月は自分の発言が大人気なかった事に気付くと、苦い顔をした。神無月の表情を横目に、彼は続けて口を開く。
「女性がそこまで好きだというなら、どうか民間人をあちらのテントまでお連れしてはくれないか」
言われるがまま、すっかり足腰のたたなくなっているアデーレを抱えると、神無月はテントへ向かって歩を進めた。訝しげな面持ちでパリアッチを見やる。
去り際に「どうしたんだ、あんた」と神無月に言われたのを、パリアッチは「さぁな」とだけ返す。