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Darkness Future  作者: 薊乃 なつめ
第1章
1/29

introduction

肌寒い夜気に、旋律が流れた。

聞き惚れてしまうほど美しい、透き通るような女声。

声はとても優しいのに、凍てつくほど無慈悲な、悲しい調べ。

その歌声が世界を救った魔女のものだなんて、この時は知るはずもなくて、まだ幼い“彼女”は目を背けたい現状に戸惑っていた。

その静かな“鎮魂歌”を、呆然と聴きながら――。



空からは日が落ちて、幾ばくかの茜色だけを残して宵闇に染まっていた。

木々は風に揺れて擦れあい、さわさわと音を立てている。

その敷地にはジョギングコースや小さな公園があって、足場の整備された山道は、夜間に於いても人がよく通る。

しかし、その夜はいつもと違っていた。

人はおろか、自然に生息する生き物すら見当たらない。

まるで透明なバリアで遮られているように、誰もそこに立ち入ろうとはしない。

ただひとり、蹲る“少女”を除いては。


少女の上半身が大きく揺れる。

身を引き裂かんばかりの悲しみは、肉体にも変化をもたらしていた。

強烈な嘔吐感が、喉をせり上がってくる。

蒼白になった顔の口元に掌を宛がうと、必死に吐き気を堪えた。

あどけない白い繊手が血で濡れ、蒼海のような瞳からは、雫が頬を伝う。

夜空に浮かぶ満月は、ただ静かに淡い光を照らしていた。


吐き気が収まった少女は、地に手を当てて肩で息をついた。

ぱしゃんっ、という濡れた音に、うっすらと眼を開ける。

辺り一面に血だまりが出来ていた。

視界を埋め尽くす、紅――――。

「あ……」

零れた呼気が震える。

喉元で掠れて、それ以上の声は出てこなかった。


少女の血液にしては少女自身に外傷が全く無い。

少女以外の、何者かの血液が辺り一面に広がっていた事は、明白だった。

両腕を抱きしめながら、声にならない声で叫んでいると、ひときわ大きく、ぱしゃん、という音がした。

何者かが、血だまりを踏む。

その気配は水音を立てながら、少女の傍までやってきた。

「君が『ヘレナ』か?」

耳に心地良い低音――やや渋みのある男の声が、頭上から降り注ぐ。

『ヘレナ』と呼ばれた少女は、肯定の意思を示さずに、声を振り絞った。

「“あいつら”の仲間……?」

「生憎、そうではないな。君の父親の親友だ」

「親父の……」

「私は『パリアッチ』という者だ」

少女は、訝しげに男――パリアッチを見上げた。

月光を受けて輝く銀の長髪が、流れるように靡いている。

顔の方は逆光で見えにくい。

黒いロングコートに身を包んでいるからか、『死神』のイメージが脳裏を掠めた。

男が片膝をついて少女に目線を合わせて来ると、先程よりも鮮明に顔が見えた。すっきりとした鼻梁に、薄い唇。切れ長で藤色の双眸が、まっすぐにヘレナを見つめる。

一見すると優男のような整った美貌だった。

注目すべきは、その個性的なメイク。

左目を縦に両断するように、一筋のラインが引かれている。それは目元から顎にまで走り、“道化師の涙”を彷彿とさせた。

男が纏う雰囲気は、見た目の若さを裏切るほどの風格を帯びているように“見えた”。

――すべてに於いて、奇妙な青年。

ますます、ヘレナの警戒は強まった。

「構えないでくれ。これから、君の保護と管理を務めなくてはならん」

「何、それ」

「君の父親『ゼウス』の遺言だ」

“遺言”と聞いた途端に、ヘレナの胸に凄まじい痛みが走った。

この血だまりは、父親『ゼウス』が流した血液で作られたものだったからだ。

「……あんたが殺したんじゃないの?」

低く、唸る様にヘレナが呟いた。

男を殺しかねない程の気迫。

涼しげな顔は崩さずに片眉を上げると、パリアッチは肩を竦めてみせた。

「私なら、こんなヘマはしないさ」

そう言う彼は、ヘレナの目尻にたまった涙を指先で掬った。

「てめぇ……!」

反射的に手を払うヘレナに、わざとらしくため息を吐く。

「親友に手をかける程、私も堕ちてはおらん。それで、『ゼウス』は何処だ?」

「……消えた。抱えられた途端、まるで、煙みたいに。」

「煙?」

パリアッチは、眉根を寄せて少女を見詰めた。

煙、とは。

辺りに視線を巡らす。煙は見当たらなかった。

ただ、“花のような甘い香り”が、鼻を掠めるだけだ。

「まさか、本当に死んだというのか?」

疑問が、男の唇から洩れた。

一方、すっかり蒼白になったあどけない顔には、戸惑いの色が浮かぶ。


父親の安否は、ヘレナの眼から見て絶望的だった。

相当量の出血の上、死相が色濃く滲んでいた。

“今”動かなければ、必ず後悔する。

少女の小さな胸の内で、冷たい憎悪が膨れ上がっていく。

蒼海の瞳が、昏く揺らぐ。

「辛いだろうな」

思考を遮るかのように、男が声をかけた。

月並みな言葉は、今のヘレナには神経を逆撫でする言葉でしかなかった。突き刺さるような眼光を、男に向ける。

「あんたに、何がわかるんだよ」

「君は、かつての私だ。最愛の者を亡くしたショックで、見境なく人を殺しかねない。――違うかね?」

見透かされた――それ以上に。

男の口振りが殺戮者のように聞き取れてしまい、戦慄を覚えた。

ヘレナが怯えている事を気にもせず、パリアッチは彼女の肩を抱き寄せた。

夜気に冷え切った身体を案じたつもりだったが、彼女は腕を突っ張って、離れようとする。

「放して!」

血に汚れた小さな指先は、小刻みに震えていた。

一回り大きな手で包んでやれば、恐怖と怒りが伝わって来るようだった。

「放したら、君はどうする?人殺しにでもいくのか?黙認出来んな」

「あんたの許可なんて、いらない!!」

「復讐など、『ゼウス』が望んでいたと思うのか?」

「……っ」

彼の一声に、ヘレナの力が抜けた。

「今泣かなければ、後が辛いぞ」

その優しい声音に、少女は顔を歪めた。

まだ幼い声は弱々しく掠れている。

嗚咽を洩らすヘレナの瞳から、涙がこぼれ落ちて頬を濡らしていく。


月明かりの下で、二人は寄り添った。

辺りに響いていた鎮魂歌は、いつしか聞こえなくなっていた。

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