仕事終わり
葵と瑪瑙に連れられてきた蘇芳と楓が、目の前でひしっと抱き合った。
「蘇芳、御免なさい。あんな些細な事で怒っちゃって。どうかしていたわ」
「私の方こそ、すまなかった。同伴させる者が多すぎたな。三人に減らしたから、それで許してくれ」
「勿論よ」
それを見物している、楓の甥っ子たちは呆れ果てている。
「喧嘩の内容も、訳分らんが、仲直りの仕方も、訳分らん」
一方、セイの方は凌から、ここに連れ去られてしまうような事態に陥った経緯も聞き、呟いた。
「……狼の小父さんも、あの中に来ていたんですか、昨日?」
「ああ」
「……どうでもいいんだけど、セーちゃん? どうして、この人もあの狼も、一緒くたの小父さん呼ばわりなの?」
ついつい、ロンがそのあんまりな呼び方に物申すと、セイはきっぱりと言った。
「他に、どう呼べばいいのか、分からなかったんだよ」
「そういうことだ。今更、父親呼ばわりしてもらえるほど、深い付き合いでもないからな」
この親子は……。
溜息しか出ない男に構わず、凌が舌打ちした。
「あいつが、昨日の内にオレの匂いを辿ってくれていれば、お前さん達を煩わせることは、なかったんだが。折角、つけた匂いも覚えさせたってのに」
「あなたが、簡単に捕まるとは、思っていなかったんでしょう。……不測の事態も、あったようですし」
「どちらにしても、葵ちゃんから連絡が来て、助かったわ。よく分かったわね、あたしがこの件に係っているって」
珍しく褒められつつも、葵は居心地が悪そうだ。
「その、狼の親父さんから、聞いてました、はい」
それを聞いた蓮が、眉を寄せて大男を見る。
セイは崩壊した建物を見回し、今回逮捕されるに至った例の遊園地の所有者と、その従業員たちを見た。
今後の経営はどうなるのかも気になるが、目下の気がかりは……。
「後は、被害者を探す作業が、残ってるな」
「それは、完全にこちらの仕事、よ」
「手伝わなくてもいいのか?」
当然のように問う若者に、ロンは首を振って答えた。
「あなたは、連れてこられた場所から、出口に出なきゃ。カメラに不自然さを残さないように。努力でどうしようもないくらい、時間が経ってたら改竄を勧めるけど、半日も経ってないもの」
「……連れてこられた所から、出る?」
嫌そうなセイに、男は頷いて続けた。
「嫌だろうけど、そうするしかないでしょ? それに、これはついででいいけど、エンちゃんとミヤちゃんがどういう進展したか、見ておいてよ」
それは、どうでもいい。
そんな想いの若者の服の埃を軽く払い、ロンはその両肩を叩いた。
「よろしくね。……蓮ちゃんも」
「ああ」
自分で埃を払い、女らしく見える様に身づくろいしてから、蓮が頷く。
大人たちに見送られ、二人は連れ去られた場所に歩き出した。
「……おい、お前、昨夜、ここに下見に来たのか?」
眠っていたのだから、帰り道など分からぬはずのセイが、迷わず並んで歩くのを見て、蓮が問うと、若者はあっさりと頷いた。
「一度も来たことがない場所に、のこのこ行ける程、素人じゃない」
夜は、人形たちも動いていなかったから、恐怖も覚えなかった。
心の中でそう付け加えるセイに、蓮は更に問う。
「その時に、里沙は助けた、のか?」
「いなかったよ」
蓮が、立ち止まった。
同じように立ち止まって振り返るセイに、若者は目を据わらせて問いかけた。
「なら、何で、お前も葵も、そこまで落ち着いてんだ?」
「葵さんが、取り乱していないのは、昨日から、だろ?」
「……」
細くなっていた目が見開かれ、次いで逸らされるのを見ながら、金髪の若者はやんわりと言う。
「あんたは、変な策略の取り繕いで、後ろめたくなっていたんだな。何で、気づかなかったのか、不思議だったんだ」
「つまり、狼のおっさんは、凌の叔父貴の指示より、孫娘を取ったって事か?」
「当然のこと、訊くなよ」
自分の保身に走る男なのなら、凌も初めから手伝ってもらおうとは、思わないはずだ。
ウルと凌は、女をめぐる裏切り行為が起こる前は、親友同士だったと聞いた。
銀髪のあの男は、情に厚い面がある。
だからこそ、怒り狂って探し当てた夫婦が、子供を助けるために、殺されることも覚悟した時、怒りの矛を収めたのだ。
今回も、事情を知れば、仕方ないと話を収めてしまうだろう。
「……あの人、永く生きている割に、損な役回りが多いな」
「それ、あの人も言ってたよ、自分で」
セイは幼い頃、ウルに背負われた記憶はなく、先程は新鮮な気持ちで眠っていた。
つい、感想が出た蓮は、話を元に戻した。
「じゃあ、何で、蘇芳と楓に、里沙が見つかった事を、教えねえんだ?」
「それは、あんたも、察してるんじゃないのか?」
「……」
楓は凪沙、つまり葵の母親の姉だ。
瑪瑙は姉妹の弟の子で、葵と同じ立場だ。
親しくする理由はあるが、問題は、楓の旦那に収まっている狐だった。
蘇芳は、雅の母の姉に当たる。
その男に化けた女狐を、蓮の血縁者を中心に、嫌い始めていた。
里沙をはぐれさせたと思わせて、何とか楓と疎遠になろうと目論んでいるのだ。
「婆さんたちが嫌ってるからって、別に葵たちが、血縁の者を遠ざける必要、ねえのにな」
「それで遠ざかってくれるかも、分からないけど、もしこのまま楓の訪問を許したら、もれなく蘇芳も、ついてくる」
その言葉に、蓮は思わず息を詰まらせたが、セイは気づかぬふりをして歩き出し、連れ去られた場所の、隠し扉の前に立った。
深呼吸するセイに追いついて来た蓮が、扉を開いて先に戻っていく。
丁度、ミイラ男が展示されている場所だ。
そのミイラ男が、突然前のめりになり、二人の前に体を乗り出す。
声もなく身を竦める若者の隣で、蓮はその腕を軽く攫んだ。
「手を繋がなくても、いいのか? 本当に?」
「……いい。でも……」
首を振ったセイは、小さく切り出した。
「髪を攫んでても、いいか?」
「……あんまり、引っ張るなよ」
丁度、縄状に編まれた髪の先を、セイはしっかりと握り、蓮の後に歩き出した。
髪の先から、本気で怯えているのが分かる震えが、伝わって来る。
さっきまで仕事中だからと、気が張っていた分、気を抜いた今は、反動が来ているようだ。
人形の少しの動きにすら、大袈裟に反応する若者を、目だけで振り返りながら、蓮が気楽に問いかけた。
「暗闇もその中で襲う者も平気なくせに、何だってこんなものが怖いんだ? 理解できねえんだが」
「あんただって、異様なほどに、火を嫌がるじゃないか。それと一緒だよ」
そんな小憎らしい事を言うセイを振り返り、蓮は立ち止まった。
「な、何だよ、早く出よう」
珍しいほどに弱い声音で言う若者に、蓮は意地悪く問いかけた。
「早く出ねえと、怖くて泣いちまうか?」
そんな若者を見返し、セイは顎を引いて答える。
「あんたもな」
「ん?」
妙な事を言った若者が、並んだ蓮の向こう側を指さした。
振り返ると、そこにはフランケンシュタインの人形がある。
そして、蓮の目の前に、特大級の火の玉があった。
この日、このホラーハウスの従業員たちは、達成感が半端なかったに違いない。
絶叫、そう呼んでもいい位に叫んだ二人が、脱兎のごとく出口から転げ出た。
こらえきれずに叫んで逃げてしまった二人は、出口の近くのベンチにしがみ付いて、しばらく声もなくあえいでいた。
「な、何て悲鳴上げるんだよっ、こっちまでびっくりするじゃないかっ」
「う、うるせえっ。お前が、あんなもん、見せるからじゃねえかっっ」
「見なきゃいいだろっ。指さした位でっ」
「見なかったら、余計怖いじゃねえかっ」
若干涙声の二人の、本気の言い合いに、長閑な笑い声が混じった。
「これ、痴話げんかになりますか? オレには、子供同士のなれ合いにしか、見えないんですけど」
「ちょっと、刺激が強すぎたかなあ」
「それにしても、こんな狐らしい物が、出せたんですね。びっくりしました」
聞き慣れた、二人の声だ。
振り返った先のベンチで、見慣れた男女が並んで座り、談笑していた。
女が掌を上にして、前に掲げるその上に、先程の火の玉が浮かんでいる。
それを見た蓮が目を剝き、勢いよく女の前に走り寄った。
「ミヤっ、お前、何でそんなもん……」
「だって、不公平だろ? セイはすごく怖い思いをしてるのに。火災防止のためとはいえ、鬼火や狐火がないなんて、私としても悔しいし」
「日本怪談の屋敷じゃないのは、まあ、ご愛敬ですね」
穏やかに笑い、エンは離れたところに立つセイを見た。
「変なところで会うな。どうしたんだ?」
「どうもしないよ。ただの、仕事だ」
どっと疲れた表情で近づいた若者に、男は穏やかに切り出す。
「落とし物だ」
右手に掲げられたのは、さっき蓮の胸ポケットから落ちた、携帯電話だ。
「その中で、見つけたんだよ」
「そうか、落とし物として、届けられているのを願ってたんだけど。助かった、ありがとう」
雅に礼を言いながら、携帯電話に手を伸ばしたが、エンはその手を遠ざけた。
「訊きたいことが、あるんだが。いいか?」
「仕事の話なら、話せないぞ。分かってるだろ?」
問いにすぐに返す若者に、男は笑顔のまま首を振った。
「お前、どうして、ここに来た? しばらく仕事はないとかなんとか言って、古谷家の方に入り浸りだったじゃないか」
「そのつもりだったけど、急遽、協力を仰がれたんだよ、この人に」
答える若者の様子には、躊躇いがない。
傍に立つ蓮にも変化がないが、エンは目を細めた。
「言っとくが、仕事の内容は、こいつと同じで、答えねえぞ」
「分かっていますよ。偶々、今日、こちらに仕事で来た、と言うのに、引っかかっているだけで、仕事の内容には、興味はありません」
先回りする若者に返し、続けた。
「解決してきたから、無事に出て来たんでしょう?」
「葵君の話では、楓さんが巻き込まれたって? 中々すごい人間もいたもんだね」
「単に、油断し過ぎただけだ、ありゃあ」
葵を問い詰めたのかと目を細め、蓮が首を傾げる。
「何で、葵と連絡とってんだ? 二人共、アトラクションで、遊んでたんじゃなかったのかよ?」
「一段落して休んでたら、電話が来たんだよ、この携帯に」
セイが、僅かに頭を動かし、空を仰ぐ。
「セイからメールが来たけど、短かすぎて、分かりにくいって」
「……」
事情を察した蓮も、つい空を仰ぐ中、雅がやんわりと続けた。
「詳しく訊いたら、ホラーハウスで、何人か、人が消えてるらしいじゃないか。それ聞いてね、ちょっと、気になったんだよ。蓮」
「……何だよ?」
「君、この件を調べたの、いつ?」
蓮が、珍しく詰まった。
目を見張るセイを一瞥してから、低い声で答える。
「……一昨日だ」
「は?」
珍しく、セイが間抜けな声で、聞き返した。
「この辺の聞き込みと、ここへの侵入で、一日かかった」
「つまり、メルたちと飲んでた日の翌日、だよね?」
「ああ」
酒樽を持ち込んだロンと、居座っていたメルが朝から飲み始め、昼頃には出来上がっていた。
昼前に雅が訪れ、昼過ぎに鏡月がふらりとやって来た。
「私は、元々呼ばれてたから来たんだけど、ロンが来てるなんて、しかも、酒を持ち込んでるなんて思わなかったよ」
しかも、話が切れると嘆き節が始まり、その度に話を逸らすと言う作業を、雅は強いられていた。
業を煮やしたのは、雅の方だ。
「……吊り橋効果なんて話、しなきゃよかった」
まさか、あそこで思いもしない事実を、知ることになるとは。
「……何のことですか?」
「だから、君が、高いところが、軒並み駄目って話だよっ」
目を丸くして固まったエンの代わりに、セイが首を傾げた。
「何で嘆き節の話から、吊り橋効果の話になって、それが発覚するんだ?」
「認めるな、セイっ」
「今更、遅いだろ。どうせ、ミヤの事だから、徹底的に、アトラクションを、隅々まであんたと、楽しんだんだろう?」
少し前までの僅かなこわばりが、雅の表情から消えている。
それだけで、今日の事は、まあいいかと思っていたセイは、気楽にエンの制止を流した。
それから、ふと気になって問う。
「? と言う事は、蓮も巻き込まれたって事か?」
「まあ、な」
「話の流れから行くと、この二人がくっつくのを見届ける、ってのを、引き受けたって事か?」
「違うよ」
それに首を振ったのは、雅だ。
「その子も、吊り橋効果狙いの、デートを強要されてたんだよ」
「……他人が言い出したかのように、言うか。オレの方に話を持って行こうとしたの、あんたじゃねえか」
「私も逃れられなかったんだから、いいじゃないか。多分、私をダシに、エンを囮として、送り込むのが、本当の目的だったんだろうから」
エンが目を細めた。
「囮? まさか、ここまで手が込んだことをした理由が、そんな事なんですか?」
メルを巻き込んで酒で勢いをつけ、嘆き続けた上で、何とか囮にする男を炙り出したかった、と言う事だろうと、雅は苦い顔で言った。
苦手なものの後の口直しに、ホラーハウスに向かう事を、仄かに期待していたのかもしれない。
「一番驚いたのは、ロン自身じゃないかな? 囮として動く羽目になったのが、蓮と君だったから。あの人、何か言ってなかった?」
「多少は。だが、後の片づけが大変だからな、情報交換だけですぐに戻って来れたのは、そのせいだ」
この県の所轄の警察関係者には、適当な話を作って報告され、あの男たちは現行犯逮捕ざれた事だろう。
「楓さんは、無事だった?」
「ああ」
「君は? 怪我はない?」
「見ての通りだ」
短い問答の後、雅は頷いて笑顔になった。
「じゃあ、残りの時間は、君らも楽しみなさい。折角のデートなんだから」
「蓮が、らしくない姿なのが、少し気になりますけど、これはこれで、似合っていますね」
「……殴られてえのか」
穏やかに揶揄うエンに、蓮はつい睨みながら反応してしまった。
そんな反応を見ながら、セイが首を傾げる。
「あんたに、そんな話が持ち上がるってことは、いつの間にか、想う人が出来てたのか?」
デートの段取りを画策されるほどだから、セイ自身もその相手を、知っているかもしれない。
そんな事を考えながら、若者が何気に呟き、眉を寄せた。
「下調べしたら、怪しい話が出て来て、その人と入るのはやめたって事か。成程、納得した」
それなら、別に蓮が女よりの格好をする理由にはならないが、その辺りは、何か思うところがあるのだろうと、セイは一人で納得したが……。
それを見上げた雅が、呆れて溜息を吐いた。
エンも苦笑して、蓮を見上げている。
一人頷いているセイを一瞥し、蓮は気の抜けた溜息を吐いた。
こいつは、昔から、こういう奴だ。
だから、何食わぬ顔で、仕事仲間をしているのだが、そんな蓮を見据え雅は言った。
「いや、まだ、手はある」
「いや、無理だろ、こりゃ」
「そんなことは、ないっ」
きっぱりと言い切り、雅は立ち上がってセイの腕を攫んだ。
「セイ、君、一度、学校に通ってみないか?」
「……何で?」
唐突な申し出に、当然不審を抱く若者に、女は優しく言った。
「世に出るだけじゃ、分からない事も、教えてくれる。文学や、保健体育や、その他諸々も」
「分かる必要のある事か? それ?」
「あるよっ。特に、保健体育は、君が、学ばなければならない教科だ」
力説する雅に対し、セイは懐疑的な面持ちで、首を傾げる。
だから、何で、今迄、その辺りの教育を、してやらなかったんだと、蓮は苦々しい気持ちで心の中で突っ込み、空を見上げた。
男二人をそっちのけで、女と若者は、噛み合わない会話を、しばらく続けていた。
もう少し長くなるかと思っておりましたが、終わってしまいました。
あまりに呆気ないお話で、申し訳ない限りでありますが、息抜きに読んでいただけたなら、有難い限りであります。