番外編 クレア・ハミルトン的考察
しまった。
くそ、よりによってペンダントを無くすとは。
クレア・ハミルトン。
彼の父親は代々商人であったハミルトン家を大きく、豊かにさせた。
クレアからすると、父は人との付き合いが異常に上手いのが、商人として恵まれたのだろうと考える。
別に容姿が整っている訳でも、頭がいい訳でもない。
ただ、人の観察に長けていた。
その能力を生かして、彼は人付き合いはとても広く、また、親密だ。その人脈をもって仕事をスムーズに進めていた。
そして、クレアもまた、人を観察することが得意であり、好きでもある。
父親からの遺伝とも言える、人の観察力を買われ、クレアは探偵へとスカウトされた。
以来、商人と探偵という二つの顔をクレアは持つ。
そんなクレアは、オーラル伯爵家で珍しく焦っていた。
ーーーペンダントが無い!
あのペンダントには、探偵の証でもある『アーサー・ベチュアリーと共に』というメッセージが書かれているのだ。
別に見られたところで、バレることはないだろう。しかし、必要以上に見られる訳にはいかないのである。
最悪なことに、すぐに人と会う約束もあるため、クレアは珍しく焦っていたのだ。
その時だった。
「どうかされましたか?」
落ち着いた女性の声。
それが、アイとの出合いだった。
時間もないため、誰かに頼むしかなかった。ただ、無くしたものをあまり大勢で捜索されるのは避けておきたかったため、クレアは彼女一人で探してもらうように頼んだ。
「それで、なんだが…………、」
「はい?」
「いや……、なんでもない。それでは、宜しく頼むよ。」
クレアは中を見ないようにと彼女に言いたかった。
しかし、そう言われると見たくなるのが人の性分というものだ。
それに、中を見られても探偵であることを勘繰られる可能性は低い。
言わない方がいいだろう。そう思い、クレアは急いで馬車へと乗った。
「…あ、」
馬車に乗ってから、ペンダントの形状や特徴を言い忘れていたことに気がつく。
くそ。今日は本当についてない。
クレアは頭を抱えた。これで、あのメイドが中を見ることは、ほぼ間違いない。
数日後、ペンダントを渡してもらってから、クレアは注意深くメイドのアイについて調査していた。
彼女はペンダントの中を見ていないと嘘をついた。しかし、クレアの観察眼を欺くことはできなかった。
調査によると、彼女はスパイではなさそうだ。
三年前からオーラル伯爵家にメイドとして仕えている。中々、長い経歴だ。
異質なのは、二十二歳にも関わらず未婚者であることと、五年前よりも前の情報が一切無いことだ。
しかし、執事のローランドに監視をしてもらっても、何も怪しい行動はしていない。プライベートで、手紙や電話は一切しない。外部との関わりが全くないのだ。
嘘をついた時、動揺を隠せていなかったこともスパイとしては未熟だ。さらに、スパイであったとしても、手紙や電話をしていないなら、情報を伝えられない。つまり、一般人だということか。
アイについて調べれば調べるほどに、クレアは彼女は利用価値があることに気がつく。
冷静で、俺に嘘をつく度胸もある。オーラル伯爵家には忠実。彼女のようなタイプは金では動かないだろう。
オーラル伯爵家にいるであろうスパイを見付けるのに、彼女が味方になれば幾分か見付けやすくなるだろう。
ヘンリーに忠誠を誓う堅物のローランドでさえも、「アイがスパイである可能性はほぼ無いと思う。」と言わせるほどの人間だ。裏切ることはないだろう。
クレアは考えた。
しかし、アイを此方の味方としておくには、まだ確証に欠ける。
ペンダントの嘘の件もまだ明らかになっていない。
自分自身で、彼女を試して本当に使える人間かを判断しなければ。
味方は必ず信用できるものでなければ、探偵も商売も上手くいかないことをクレアはよく知っている。そのため、クレアはある計画を立てた。
アイを試す計画を。
ーーー随分、居心地が悪そうだ。
ブティックの中に入ってから、目を遠くしているアイを見て、クレアは少し可笑しく思った。
馬車の中でも、なんとか帰ろうと頑張っていた彼女は面白かった。
ブティックに入るまでは少し嬉しそうにしていたが、しかし、中に入った瞬間に、戸惑いや恐れを感じている表情をみせた。冷静な印象である彼女の顔色が変わるのを、クレアはひそかに確認して少し愉快になった。
クレアは、彼女が密偵として務まり、信頼できる人物かを見極めるために、ヘンリーに協力してもらい強制的に外へ連れ出した。
もし、クレアから見て、駄目だと感じた時点でアイは失格。適当なタイミングで睡眠薬を飲ませ、家に連れ込み、ペンダントの件を問い詰めるのみ。
もし、密偵を任せることができる人間だと確信した場合は、ペンダントの件と、此方の事情を説明し、協力をしてもらう。
女性を試す真似をするのは紳士のルールに反するだろうが、元々は嘘をついたのは君なのだと、クレアは心のなかで呟いた。
そのため、馬車にいる時点から、警戒心があり、私に心を許していない態度は、クレアにとっては好印象である。
もし、馬車の中で楽観的に楽しそうにしたり、変に親しくしようとした場合は、すぐにでも失格とするつもりだったが。
「中々良い。」
しかし、クレアは此処で一つの試しをする。
キャメロンに、「見繕ってくれ」と極めて抽象的に頼んだ。
ブティックへ連れてきた時点で、キャメロンは勝手に俺と交際しているとでも考えただろう。
果たして、ワンピースかドレスをキャメロンに言われるがままに選ぶか、それとも自分から選ぶか。
もしアクセサリーなどの場合は、失格まではいかないが、正解でもない。
ーーーどんな行動を、彼女は選択するのか。
クレアは自分で趣味が悪いと思いつつも、楽しみながらアイが来るのを待った。
そして、アイが赤ん坊用の洋服を持ってきたと知ったときには、思わず今此処で大笑いをしてしまうかと思った。
ーーー予想以上の答えだ。
自分のものはいらないと、きっぱり答えるアイを見て、クレアは彼女の素質に確信を持ちつつある。
いくら世話になったとはいえ、ブティックのアクセサリーでも持っていれば、周りから嫉妬の対象になる。ましては、ワンピースやドレスは持っての他だ。
彼女は、俺が好意を持っているのだと勘違いしないばかりか、未来のことを考え、一番丸くおさまる物を選んだ。目の前の高級品に目が眩むことなく、あくまでメイドとしての立場を忘れなかったのだ。
予想以上の賢い答えにクレアは満足し、次の場所へと移る。
次のレストランでも、やはり申し訳なさそうに座るアイを見て、クレアは笑いを噛み締めながらメニューを見た。
申し訳ないが、彼女にはこのレストランで睡眠薬を摂取してもらわなければならない。
名物のチェリーパイと紅茶をクレアは勝手に頼んだ。
此処のレストランには、実は同業者の探偵が働いている。
彼には、事前に彼女の紅茶に睡眠薬を入れるように頼んでいる。眠ってもらった後は、彼女が逃げないために自宅へ連れていく計画だ。
そのため、クレア自身は、待っているこの時間は何もせずとも良かったのだが、アイがトイレに行ったっきり戻って来ないため、手持ちぶさたになった。
テーブルには、既に紅茶とパイがある。
ーーーこれなら、俺が睡眠薬を仕込んでも良かったな。
やっと戻ってきたアイを見て、クレアはそう思った。
アイがパイと紅茶を躊躇いなく頂いたことに、少し失望はしたが、概ね満足した。
おそらくであるが、アイはわざとトイレに長くいたのであろう。此処のレストランもまた、メイドに場違いな場所である。
先程のブティックと違うのは、周りには御令嬢がいるということだ。
周りの目がある中で、俺と二人という状態を少しでも減らしたかっただろう。
その証拠に、彼女はパイを食べる手を止めない。下品に見えないレベルの絶妙な早さで、アイはパイを早々に食べきった。単純にチェリーパイが美味しかったのもあるだろうが、早く帰りたいという雰囲気がどことなくある。
ーーーメイドの、しかも教会育ちとしてはわりと食べ方が綺麗だな。もしかしたら、生まれは良い家だったのかもしれない。
それだけがクレアは少し気になったが、此処においても、メイドという立場を依然崩していないアイを評価した。
「合格だな。」
馬車のなか。
睡魔に負けたアイを見て、クレアは呟いた。
ーーー賢く、謙虚で、冷静な女性。
それが、クレアが出した結論だ。
もしかしたら、彼女は私が探偵であることにも考えついてしまったかもしれない。
クレアは、もしそうだったら、彼女は中々に探偵に向いていると思う。
まずは、ペンダントの嘘を暴き、そして、彼女にはオーラル伯爵家で密偵を行ってもらう。
クレアは、思わぬ協力者が現れたことに満足し、薄ら笑いを浮かべた。