魅惑のポーションは、権力者たちを引き寄せる
銀色の髪に月色の瞳のヴァネッサ王妃。
柔らかい笑顔に氷のような光を湛え、僕に訊ねる。
「なぜレダほどの美しさが手に入る魅惑のポーションを、発明しておきながら発表しないのかしら」
「それは……その、」
「私は気が短いの。端的に説明なさい」
騎士たちの中から、僕と同じタイプ白衣を着た、一人の枯れ木のような老人が連れてこられた。
あれは、研究所の所長だ。
僕の非常事態を察したのだろう、わらわらと集まってくるスライムたちを、おっかなびっくりに避けながら近づいてきた。
間近に僕の顔を凝視し、驚愕する。
「本当の魅惑のポーションがあると聞いてきたのだがの。君は……どなたかな?」
ざわりと騎士たちは動揺するが、王妃は揺るがない。
彼女は冷静に紹介してくれた。
「ラドウィング卿、うちの白騎士が保証するわ。彼はベッシュ・ウォルトよ」
「ベッシュだと!?」
所長は僕の全身を眺め、着ていた白衣を調べてようやく納得してれた。
「その白衣は、研究員に特別にあつらえたもの。確かに、君はベッシュなのだな」
「ご無沙汰しております、所長。僕はこうして無事に生き残り、生き恥をさらしております」
「ああ、その声と皮肉な話し方。まさに君はベッシュだ。……確かに君は薬を成功させたのだな。あの時は、本当にすまなかった」
「いえ、もう、貴方にはどうしようもできないことは、分かっていましたから」
しみじみと語り合う僕らに、王妃は命じる。
「ウォルト。そこの研究室に案内なさい。ラドウィング卿にポーションの製法と製品を説明なさい。そしてラドウィング卿。ウォルトのポーションと製法が本物であるかを確かめなさい」
僕は小さな扉を開け、所長と騎士数人を通した。
そしてお店の広さほどの空間に置かれたテーブルや実験器具を片づけ、書類と製品を取り出した。
興味深そうに、所長は器具類を見る。
フラスコに浮かぶ赤いもの。
ずらりと並べられた赤い何か。
「ベッシュ……これはもしや」
「ええ、所長想像された通りですよ。この廃坑に僕を追いやってくれたネスティには感謝しなければなりませんね。そして、これがポーションの設計図です」
僕は所長に外見に関する理論と、ポーションを作成するレシピを渡した。
老人特有の節ばった細い指でめくる都度、彼の目が開かれ、青ざめていく。
「確かに、ネイド卿では決して真似できないの。まず発想が違う」
「そうですね。彼はあくまで美容として見た目を誤魔化すことだけに執着していました。
ですが、「ぼく」はあくまで骨の専門家で、自分を治したい。ただそれだけのために研究してきましたから」
「……君の外見について、何も言うつもりはなかった。だが、これを見てようやく理解が出来た。君は外見で差別されることが、本当に辛かったのだな」
「……「ぼく」の研究への原動力は、全てが憎しみでした。
突然変異で生まれ、醜い化け物と忌避される度に浮かぶ感情。それが結果として僕を僕としてたらしめたのです」
所長は瞑目し、完成品のポーションを入れた箱を騎士に運ばせる。
研究室を出ると、そこには黒髪の若い男女二人組の囚人が用意されていた。
王妃が冷たい声で命じる。
「効果を示してみなさい」
騎士がポーションの太い瓶を開ける。
すると、赤い内臓を思わせる、ドロリとした液体が現れた。
エナジーポーションやマジックポーションのようなサラサラとした液体を想像していたのだろう。
う、っと顔が引きつる騎士たち。
リックはハラハラとこちらを見ているだけだった。
無理やりに飲まされた二人は、人とは思えないほどの叫び声をあげた。
痛い痛いと全身の激痛を訴え、地面をのたうち回る。
「これは毒薬か!?」と騎士の一人が詰問してきた。
「いいえ、違います。骨が生まれ変わっているのです」
「生まれ変わるだと?」
「これは元々骨の薬ですから。<最高に美しい骨格>になるよう、指向性を持たせています」
スライムたちは彼らに押しつぶされないように避けるが、決して逃げることはなかった。
むしろ、本来警戒心が強いはずの彼らが、初めて会う二人の囚人に興味深げに集まっていく。
所長はその様子と痛々し気に見ていた。
そしてちらりと、僕を見る。
僕は何の感傷も起きない。
ただふと。
変化していく彼らを歓迎する気持ちが浮かび、沈んでいった。
時間としてはほんの少し、だが体感としては数刻の時が流れたように感じられた。
痛みが去った囚人二人は、やがてヨロヨロと顔を上げる。
「美しい……。まるで、レダ様のような美だ」
「おい、リック、お前がいるぞ!?」
「俺はこっちですよ!」
この世界の完璧な「絶世」の美が二人、完成した。
ただ、どう見ても男はリック。女はレダによく似ている。
ヴァネッサ王妃は大いに喜んだ。
「なんて素晴らしいの! これこそが本当の魅惑のポーションだわ! どうしてここまで美しく変化できるのかしら」
「王妃様。それは元々「顔面レベル」を発見したがウォルトだからでございます」
「……ラドウィング卿、もう少し詳しく説明なさい」
所長がこの場を借りて、僕の立場を擁護し始める。
元々顔面レベルは、骨格のゆがみを検査する指標だった。
僕は骨に関連する治療薬の専門家であり、現在「顔面レベルの発見」と呼ばれている論文は、治療の指標にするために作ったものだった。
ただ、これを研究所で友人だと信じていたネスティ・ネイドに盗作・改名され、大々的に発表されてしまう。
『顔面レベルの発見とそれに付随する魅惑のポーションの可能性について』と。
やつが最初から、チートなポーションを論文に盛り込んでいたのは簡単だ。
すでに「ぼく」が、妄執に近い思いで、何種類も骨のゆがみの回復薬を開発していたからだ。
やつはこれら利用して、名誉と莫大な富を得ることが出来ると考えた。
そして貴族の地位を利用し「ぼく」を論文盗作者として訴え追放する。
必死に逃げたよ。殺されるかもしれなかったのだから。
命からがら逃げた先で廃坑の管理人に拾われ、その後開発したポーションで顔が変わらなければ、本当に危なかった。
だが、薬というものはそう簡単にリスクを減らしてベネフィットを取れるものではない。
やつは色々と実験を行ったのだろう。
だが最後に出した幻覚薬を利用した製品では大失敗している。
憎しみで生きてきた「ぼく」にしたら、愉快で愉快でしょうがない。
だが。
「ぼく」もここで大きな失敗をする。
ネスティに本物を送り付けてしまったのだ。
すべてはやつを高いところから見下ろして、のたうち回る様が見たかったから。
自分をバカにする人間たちが、苦しむ様が見たかったから。
ダメ押しに奴を突き落とすはずが結果として。
腐敗の香りに敏感な権力者たちに、嗅ぎ付かれてしまった。
王妃は静かに意見を聞いた。
「ならば、貴方の名誉棄損は回復しましょう。王立研究所に戻りなさい」
「申し訳ありません、王妃様。魅惑のポーションは、現在ここでしか作れないのです。もっとここで研究させていただけませんでしょうか。むしろ、ここの管理権を永年いただけませんでしょうか」
「どういうことかしら。ラドウィング卿」
「ポーションの材料が、この空間を覆う、独特な固有種の赤カビだからでございますな」
僕と所長を除いた全員が、周りを見回す。
赤い岩壁。これらは全て、カビだ。
みっしりと生えたカビを、お腹の空いたスライムたちが元気に食べている。
「赤カビが材料だと言うのなら、それを食べてしまうスライムは殺してしまいなさい」
「王妃様! 失礼を承知で申し上げますが、それはなりません。
赤カビはこれらスライムと共生しているのです。スライムがいなくなってしまえば、カビは生きて行けません」
「共生とは何なの?」
王妃の疑問に、所長が答える。
「いわゆる生物同士の助け合いですな。ウォルトの論文によると、赤カビはスライムに捕食されても完全には消えない。むしろスライムの中でのみ繁殖を行い、子を排出させる仕組みになっています。スライムの方が有利な関係ではありますが、この赤カビはかろうじてこの方法によって株を増やしています」
「なんと……それでは、これらのカビを外で培養はできないのか?」
「ええ、現在はできません」
僕の付け加えた答えに、王妃はしばし考え込んだ。
そして、再度命じる。
「ならば、まだしばらくこの廃坑にはベッシュ・ウォルトがいればいいわ。管理権も正式に出してあげましょう。貴方をだまして陥れたネイド卿にも、お仕置きをしてあげましょう。
……ただし、この製法を外部に流出させようとしたら。
発明者への謝意をもって、苦しまないよう眠らせてあげます」
暗に、貴重なポーションの機密漏えいを守るために僕を殺すといっているのだ。
権力者にとって、僕なんてただのカビのようなもの。
漏らす漏らさないは関係なく。
ポーションの大量生産技術さえ確立してしまえば、恐らくその時点で僕は殺される。
そう、理解した。
表情の変わらない僕を心配げに見つめていた所長は、死ぬ前に絶世の美しさを手に入れて酔っている男女に視線を移す。
そして小さく囁いた。
「ベッシュ。私は何度も言う。力になれなくてすまん。
……だが、なんとか君を逃すすべを考える。決してバカなことを考えるんじゃないぞ」
「……ありがとうございます」
主の機嫌が直りホッとしているリックを引き連れ、妖艶な権力者は帰っていく。
最後に一つだけ確認して。
「ベッシュ・ウォルト。このポーションは飲めば飲むほど綺麗になれるのかしら」
「いいえ、その瓶一本が最大量です。
所長に手渡した使用上の注意をよく読み、用法・容量をお守りください」
絶対に、一本以上服用しないよう、お願いいたします。
僕はそう注意し、深々と頭を下げる。
後ろではスライムたちが、心配げに僕を見つめていた。