魅惑のポーション発売のお知らせ
商店街で一番大きな日用品店【まねきケット・シー】の、太鼓腹のおっさんが宣言した。
「来月、魅惑のポーションを入荷しますぞ」
これには商店街の連中が大騒ぎだ。
特に診療所と薬局の経営者はパニックを起こし、他の零細日用品店は客を根こそぎ奪われるのではと恐れ戦いていた。
僕は今、商店街の回覧板を屋根の上で眺めている。
周りには散らばった工具。そしてスライム。
太陽が大好きなシロとクロが、のんびりと日向ぼっこをしている。
のんびりしすぎて、プリンとした体が平べったい円形クッションになっているのもご愛敬だ。
さて。
なぜ回覧板が手に入るのか。
一応、これでも僕がダンジョン商店街の一員だからだ。
町の外れで、商店街からは結構離れている店だけど。
商店街年会費は零細商店には手痛い出費だ。
だがこれがないと、いざ悪天候などで店の品が在庫切れを起こした時に、融通をしてもらえなくなる。
一店舗経営の保険だと思うしかない。
回覧板には「魅惑のポーションがネイド商会で小売店向けに発売した」と説明が記載されていた。
ネイド商会といえば大きな商会だ。
この国の名家、ネイド侯爵家が自前で作った商会。
本来は豊富な資金力で新規性の高い商品を大量に買い付けるスタイルを取っており、自分たちで一から商品を開発することはあまりない。
だが、今回だけは別。
ネイド侯爵家の三男、ネスティ・ネイドが王立研究所研究員として発明したポーションを、王家の許可を取って販売するというものだった。
ネスティ・ネイド。
その名前に苦々しい思いがこみ上げる。
だが一方で。
彼のポーションの効能効果、使用上の注意を読み、下卑た笑いがこみ上げそうになった。
ひどく口角が上がっている自分は今、相当嫌らしい顔をしているだろう。
ひどく自己嫌悪に陥った。
「ベッシュ! 何そんなところで反省のポーズを取ってるの?」
屋根の下からルマの声がする。
修理をしていたんだ、と答えると彼女はこちらに来ると言う。
さすがは現役の探索者。
脚立も使わず、あっさりと屋根に飛び乗った。
彼女上にいることに気が付いたアカが、よじよじと窓から上がってきた。
すぐにルマに甘えて抱き上げてもらう。
……あいつ、最近図に乗っているよな。
だが口にして、小さい男とは思われたくない。
あとでこっそり締めるか。
そう決意して、ルマの姿に気が付いた。
長い前髪は相変わらずだけど、今日の彼女は珍しく仕事用の繋ぎではなかった。
淡い黄色のワンピースに小さい革のリュックだ。足は華奢なパンプスを履いている。
見慣れぬ女性らしさにドギマギする。
「その格好はどうしたんですか」
似合うけど、と続けたかったが上手く言えない。
「……就職活動、かな」
「就職活動って、もしかして」
「うん。私、グループから抜けたんだ」
ルマは最近、「おまえのようなブスを置いてやっている」という仲間を切ったらしい。
元々地元で唯一まともに付き合ってくれた同年代だったが、もういいのだと言う。
「私も、もっと色んな人に信頼されるようになりたいし。みんなも私に頼ってちゃ、探索者として伸びないと思うしね」
「どうやってチームを作るのですか? ダンジョン探索者は5,6人は必要だと聞いていますが」
「一番いいのは郷里や学校の同期なんだけど、どこもチームがすでに完成していて厳しいんだよね。だから欠員の出たグループに混ぜてもらえないか、協会に依頼して探してもらっているんだ」
「そうしたら暫くは……」
「うん、無職だね。まだ貯金はあるけれどあの宿に連泊するのはきつくなったし、丁度いいから出ようと思ってる」
思わず手を挙げる。
「なら、ここに住みませんか?」
「ベッシュの家に?」
胸に抱かれているアカが喜び、鮮やかな赤に変わる。
「無理だよ」
アカは煤けた赤になった。
たぶん僕の表情も煤けている。
「そ、そうですよね。年頃の女性が好きでもない男性とその、」
「そういうんじゃなくて。私、王都に行かなきゃいけないの」
「え?」
「欠員募集って基本王都でまとめてやってるの。だからお金に余裕があるうちに、王都の探索者協会に行かなくちゃ」
欠員になった理由やグループを抜けた理由。
更にはグループとしての評判や、中途参加のマッチング等、王都の探索者協会本部は全国の探索者の情報管理を一貫して行っている。
なので新しい仲間を探すには、一度王都に行かねばならない。
ルマはそう説明し、すっかり赤みの減ったアカを撫でる。
僕は不安になった。
「もしかして、他のダンジョンを攻略しているグループに参加することになったら……。もうルマはここにはこれなくなるのですか?」
「極端に言えばそうなるかな。でも、あくまであのダンジョンを攻略しているグループを探すつもりだから。体力レベルも魔力レベルも低い新人に、ソロ活動は危険だしね」
それは、場合によっては彼女がここから離れていくということ。
そうだった。探索者とはそういうものだった。
ダンジョンを巡って遺跡や遺物、更には資源を発見する。
彼らは滅多に一か所に留まらない。
現実に気が付いてしまった。彼女はいつか、いなくなる――――?
呆然とする僕の手元を、ルマが覗き込む。
「あれ? とうとう出るんだ魅惑のポーション! 買いたいなあ。でも、高っ!」
「……やっぱり、ルマも気になりますか?」
「気になるに決まっているじゃない! そりゃあ自分の顔をもっと好きになりたいよ?
でもさ、良くなるものならより良くしたいと思うのも当たり前じゃない。顔で苦労していたら余計に」
「そうですか……」
「それにしてもこの値段で効果は一か月? しかも飲んでいる間は男女とも子供ができない体になる? どこまで顔を底上げできるか分からないのに、この注意書きは引くよねえ」
ルマは回覧板を睨んでいた。
やつに匿名で送りつけた魅惑のポーションに、そんな副作用はない。
それに元に戻ってしまう? 機序を考えたらありえないな。
どうやら僕のポーションを再現できないネスティは、幻覚系の材料に手を出してしまったらしい。
奴の焦る顔を思い浮かべて、暗い愉悦を感じている。
「ねえベッシュ」
「あ、はい!」
「これって本当だと思う?」
「あー。胡散臭いですよね、正直」
「そうだよねえ。そう簡単に、人の顔は変えられないよねえ」
『本当に、あのブス!』
下から聞こえてくる、聞きなれた声の罵声。
ルマが固まる。
二人でそっと屋根の下を見下ろすと、ルマをバカにしながら仲間に入れていた少女が、リーダーを抜かした少年二人を連れ、廃坑の近くでたむろっていた。
少女はあどけない作りの顔に侮蔑を乗せる。
『あのブスが抜けてから、収穫率が下がっちゃったわ』
『リモーネ、気にするなよ。俺たちの本気はこれからなんだから』
『そうだよネモーネ。目の毒がいなくなって、かえってやりやすくなったじゃないか』
本当にひどい連中だな。
なのに、ギリギリまでルマはあれを許し続けたんだ。
「もっと私は、怒らなければいけなったんだ」
隣のルマが、ぽつりとつぶやいた。
でも、いつの間にか諦めちゃったんだよね。そんなの探索者としてダメだよなあとぼやいている。
彼女の気持ちが理解できると同時に、強く胸が締め付けられる。
……おや? 三人の会話は雲行きが変わってきたな。
『それにしても、リーダーが新しく連れてきた女の子ってさ、性格悪いと思わない?』
『え? 思わないよ。可愛いじゃないか』
『そうだよ、あんな可愛い子が性格悪いわけがないじゃないか』
『私には態度がひどいのよ?』
『そんなわけがないよー。お前よりも可愛いだけじゃん。むしろお前がいじめたんじゃないのか?』
『するわけないでしょう!? なんで気が付かないのよ』
少女の訴えに、少年二人は首を傾げる。
本気で少女のいら立ちが理解できないようだ。
『だってそう見えないし。なあ?』
『ああ。考えすぎだよ、きつい性格が顔に出てるぞ』
『何言っているの? なんで私の顔について今更言うのよ』
『単純にルマがいなくなって、お前とあの子。
ちょっと見比べればお前の方が顔面レベル低いし、キツイ顔だよな』
『あはは、言える言える。じゃあ、明日の集合は【まねきケット・シー】だな。よろしくな』
悪気の全くない少年二人は、そのまま笑って去っていく。
――――グループの底辺に置き換えられたのだ。
そう自覚をした少女は、唇を噛みしめた。
『魅惑のポーションさえあれば、あんな男どももあの女も、みんなバカにしてやれるのに!』
そうして叫んで去っていく少女を、僕らは何とも言えない顔で見送った。
互いに顔を見合わせる。
アカはただ、ぷるぷる震えている。
何とも言えない空気と沈黙に困っていると、また一人。店の前を通るのが見えた。
【まねきケット・シー】のチラシを持った暗そうな青年だ。
チラシを凝視し、ブツブツ言いながら歩く。
『魅惑のポーションがあればきっと文官試験に受かるはずだ。なぜならばすでに私の英知は輝き才能は溢れんばかりだからだ。あとは顔、顔だけなんだ。きっと美形になりさえすれば私を十回も落とした面接官もすぐに見直すに違いない。人の話を聞かない人間は論外だなんてもう二度と言わせない』
「顔とコミュ力は違うよね」
「はい。自信の足しにはなるとは思いますけど」
ぶつぶつ繰り返す青年が去っていくと、また一人。
今度は以前僕に散々愚痴っていった掃除婦パートのマーシャさんだ。
やはりあのチラシを手に持っている。
『はあ。やっぱり顔面レベルとダイエットは、楽ちんに良くなるに越したことはないわよね。
私も美しくなってしまえば、あの偉そうな女を蹴落としてやれるのに。宿屋の主人は私の姿にメロメロになって言うことを聞くに違いないわ。
むしろ稼ぎの悪い旦那と不良の息子を捨てて、金持ちで甲斐性のある美丈夫と再婚しようかしら』
「夢を見るのはいいけれど、不倫願望はいただけないよね」
「はい。現実逃避と取らぬドラゴンの皮算用は、あまり精神的によろしくありません」
魅惑のポーションが売りに出される。
その話が出てからというもの、ポーションの効果の噂話は尾ひれを付けて広がり始めた。
人より綺麗に、人よりも格好良く。
そして誰よりも美しくなりさえすれば。
人生はすべて上手くいく。
そんな妄想が、淫靡な悪夢のように、ルマが去った町を覆い始めていた。
更に噂が羽を生やして、空を飛び回るようになった頃。
スライム日用品店に、僕の知り合いの男が大きなマスクをつけて飛び込んできた。
扉の前にいたモモが弾かれて、僕の胸元に落ちる。
体を伸ばして抗議しているが、マスク男は気に止めない。
「ベッシュ、助けてくれ! レダがおかしくなってしまったんだ」
この世には、本当に奇跡というものがある。
それを実感させてくれる金髪の男が、目の前にいる。
村の幼馴染で、本物の奇跡の顔のバランスを持つ美形・リック。
すっと通った鼻筋。はっきりとしながらも色気を感じさせる紺碧の目。左右のシンメトリーは完璧で、かつ全身のスタイルは完璧。
頭は悪いし運動神経も良くはない。性格も気弱の優柔不断に尽きる。
だが、顔パスという顔パスを繰り返しているうちに、とうとう王妃様付きの騎士にまで出世してしまった男。
世間では「絶世の」美形、『白騎士』と呼ばれる男だった。