二度目のオカルト研究部は勘弁
即答で師走の勧誘を断ったのは、私の主人公化計画の一環という意図もあるが、それとは別にオカルト研究部という存在自体にあまり良い印象はないのだ。
あれは、中学に上がりたての頃であったか。小学校時代に部活動をしていなかった私は、いきなり運動部に入るのは、身に余ると思い文化部を片っ端から体験入部したのだが、絵も音楽もまだ時代が私に追い付いていないらしく、すぐに見切りをつけた。ならばと、個人的に密かに情熱を注いでいたオカルトに何か関係ある部活を探してみた。案の定、一番近いサークルがクッキング部であるとの結論が出て、最早私を放課後に学校という枠に閉じ込めておくのは社会の損失だと上が判断されたのか、私は半ば強制的に帰宅部という選択肢を選ばざるを得なかった。
しかし私の燻る思いは消えることなく、しばらくした後行動に出ることにした。無ければ作ればいいのだ。与えられたものを何の疑いも無しに受け取らざるを得ないのが人間なのだ、と誰かが言っていたような気もするが、私はその考えに断固として異議を唱えるつもりだ。
約二週間、私は部活設立に東奔西走していた。今まで、その包容力溢れる態度で何もかも受動的に味わっていた私にとって、それは大変骨が折れることであったが、不思議と高揚感が自分の体を支配していた。
結果、私が得たものは週末にボランティアをするというマニフェスト付きではあるが、同好会の長と言う称号と四畳半の部室であった。
このときばかりは私も童心に帰り、副部長に就いてもらった数少ない友人の一人である鴨崎と互いに喜びを分かち合った。
この鴨崎と言う奴は中学1年の秋に転校してきてからというもの、クラスに馴染めずにいた同輩だ。入学式から皆出席の記録を更新し続けているにも関わらずクラスに馴染めていない私は妙に親近感を覚え、余り者同士で行動するうち、我々は妙に意気投合して交友関係を築いたのだ。
まぁ、鴨崎の詳しい話はまた別の機会があれば語らせて貰うことにしよう。
ともかく、私はオカルト研究部なんぞ中学でお腹いっぱいになったので拒否一択である。
社会奉仕は勿論素晴らしい事だし、それに従事している方は尊敬してもしつくせない。ただ私には荷が重すぎた。偶にはカラオケやウィンドウショッピングに勤しむ学生生活を送りたかったものだ。
初めは社会奉仕をしているので人としての徳が高まると思ったが、ルーチンワークとなると此方の心も荒んでくるというものである。人の心の薄汚さを自らで悟ったのが一番の収穫であろうか。
私の中では部活=重労働の図式が成り立っていたので、堕落を望んだ私は名誉帰宅部を希望している。
勿論そんな事情をあったばかりのクラスメイトに打ち明けるわけもなく、私は勉学に集中するから部活に入るつもりはないと、尤もらしい理由をつけ言葉を紡いだ。