私と彼と本音
開いてしまった口と言葉は止まらない。
それは堰き止めていた川の水を流したように。
彼の胸を叩く。
私のつるぺたなやせ細った凹凸の無いそれと違って厚くしっかりとした胸板は私が叩いたくらいじゃ屁でも無い。
「佐久間さんがっ、佐久間さんがっ、礼がっ、貴方がっ、私をそうさせたのにっ」
顔を上げればどことなく嬉しそうに笑っている彼の姿。
むかつく。
何で笑ってるんだよ。
怒りが増して両手で最後にどんっと叩く。
「もう、もう、良いです。もう、知りません。もうっ」
どうなっても良いと彼に最低な言葉を言おうとしたのに流れが変わった事に気付いたのか、私の手は彼に簡単につかまってしまう。
言葉が詰まり顔を上げる。
その手には乗らないとまた口を開くが瞬時に彼は私の口を自分のそれで塞いだ。
二回目のキスは涙の味がしました。
「もう、もう、良いです。もう、知りません、もう」
その言葉に続く結果を俺は知ってる。
よく知っているからこそそんな感情任せに言われたくなくて小さな細い腕を自分の手で絡め取った。
ぐっと引っ張り彼女を自分の方へ寄せる。
冗談じゃない、ようやく愛せると思った女をこんな事で失ってたまるか。
言葉が止まった彼女の口に無理矢理に自分のそれを重ねる。
目を開き俺をまっすぐ見つめてくる彼女の視線から避けるように目を閉じた。
んーんーと塞いだ口から声が漏れる。
舌を入れるような無粋な真似は出来なくてそれが止む頃にそっと離せば間を置かずに彼女は顔を離し拘束されている手を引っ張った。
真っ赤に染まった顔はまだ俺を睨んでいる。
「佐久間さんっ」
ぐいぐいと引っ張る彼女の手を離す事が出来ない。
それでいて掛ける言葉も見つからない。
「ずるいっ、貴方だって、充分ずるいじゃないっ!」
敬語が遂に無くなった。
さっきの言葉の続きは本心じゃ無いと信じたい。
「それで?」
冷静を装って短く返す。
「佐久間さんが先に私の中に入ってきたのに!」
その言葉に力が緩む。
その通りだけれど、言われると辛い。
「だから?」
それでも彼女には顔色ひとつ変えずに返す。
聞きたかった答えはきっと聞けると信じて。
「だから?何ですか、それ。謝りもしないで。佐久間さんが悪いのに、佐久間さんが私の布団で寝たから!」
「寝た、から?」
あれ?と思う。
俺が原因なのは分かってるけれど、そんな風に話を持っていかれると思っていなかった。
ポーカーフェイスが崩れて眉を寄せる。
彼女はなおも俺を睨み続けて言葉を続けた。
「だから匂いがっ!」
匂い?
匂いって何よ。
俺臭いの?
「礼の匂いがしたのに消えちゃったから、だからっ」
ちょっと待って。
確かに訳を話せとは言ったけれどそんな事カミングアウトされるとは思って無かった。
もっとシンプルに貴方の事が好きだったからですとか言われると思っていたんだ。
顔がぶわっと赤くなる。
熱くなって彼女の目を見続けるのが辛い。
「礼の匂いをもっと……近くで、もっと、感じたかったから」
勢いって急に失速するんだよ。
怒りって急に霧散していく。
尻つぼみになりながら俯き言葉を続けた。
言うまいと思ってた彼への気持ちを伝えた事に恥ずかしくて恥ずかしくて穴があったら入りたい。
何も反応を返してこない彼に不安が募っていく。
そりゃそうだよね、変態的思考だ。
自分の恋人が自分の匂いに釣られてのこのこベッドに入ったんですなんて告白されて良い気がするわけない。
動物じゃないんだからそんなにフェロモン満載じゃないよと怒られても仕方がない。
「……本当?」
小さく聞かれて顔を上げる。
彼の顔は暗くてよく見えないけれど唇を噛みしめて少し震えていた。
あぁ、やっぱり、怒らせてしまったと後悔する。
うやむやに出来るだけの話術も何も無い自分が恨めしい。
「今言った事、本当なの?」
もう一度ゆっくりそう問われて仕方なく頷く。
そうです、貴方が恋人にした女は、変態なんです。
ごめんなさいと謝ろうと口を開きかける。
彼はそれを待たずに私の肩と背に手を回して引き寄せた。
力強いそれに離れていた体がくっつく。
胸に顔が埋まり背と頭には彼の腕がしっかりと巻きつく。
「やばい、嬉しい」
やばい?そんな言葉遣いは覚えている限りした事が無いはずのそれに上を向くが、彼の手がそれを許さなかった。
ぎゅうぎゅうと抱き締められて何が何やら分からない。
てか、嬉しい?
「佐久間さん?」
そう呼べば、彼は返事の代わりに抱く手に力を籠める。
そうされればされる程彼の喜びが伝わってくる。
何で怒らないの?
どうして喜ぶの?
「佐久間さん」
あの、ごめんなさいと続けると彼はまた力を籠めた。
痛く無い、むしろ幸せだ。
彼の手はいつだって私を守ってくれる。
こうやって自分の汚点からも。
前に祐樹が恋愛って嬉しい事があると心が溶けていくんだよと言ってた事がある。
幸せな恋愛を経験して居なかった俺には何の事だかさっぱり分からなかったけれど今なら分かる。
本当に心が溶けていくんだ。
チョコレートが手の上でゆっくりと形を変えるように。
「佐久間さん?」
三度目の呼びかけにいい加減と彼女の体を抱く手を緩めて頭を押さえていたのを外す。
ようやく自由になった顔を上げて彼女が見つめる。
照れたようにそれでいて不安げに。
「違うでしょ」
その言葉だけできちんと何を示したのか彼女に伝わる。
うっと声を漏らしてから彼女がまた口を開く。
「あの、礼、怒っているでしょう?」
どさくさ紛れじゃなくきちんと呼ばれて胸が高鳴る。
怒る?
そんな事ある訳がない。
「怒るわけないじゃない」
呆れて言う。
そうかそれが怖くて言わなかったのか。
そんな気の短い男でも無いんだけどな。
「本当に?」
頷く俺に彼女の顔は怪訝なままだ。
匂いが好きなんて最高の褒め言葉じゃないか。
優しいとか楽しいとかそんなありきたりな言葉から飛びぬけている。
「本当。……ねぇ」
彼女の耳元に顔を寄せて唇をつける。
体が強張り、けれど俺の言葉を待ってくれる。
「まだ何もしないから今夜から一緒に寝ようよ」
彼女の耳が赤く染まっていくのを俺は笑いながら見つめた。
第一話目初めての喧嘩編 完
続編なので全体的にストーリーはつながるように仕上げますが、大まかに話数を表記する事といたしました。
今回の話で一話目は完結となります。
次回からは題名に2-1という風に表記させていただき、本文の冒頭で主題を、最終話で主題の後に同じように完と書かせていただきます。
分かりづらく申し訳ありません。