9-10 俺と祐樹と涼
普段は丼は祐樹、蕎麦は俺の所に配達してくれる若いにーちゃんもさすがに三つあると迷ったらしく全部俺の所に持ってきた。
「毎度ありゃっしゃーした。器は明日回収しやーっ」
日本語になっていない言葉で彼はぺこっと頭を下げて岡持ちの蓋を閉め颯爽と去って行った。
応接テーブルに置かれたそれの前で涼がわくわくしながら丼三つを眺めている。
「そっちで食べるかな、今日は」
と呟き受話器を取って内線で祐樹に繋ぎこっちに来た事を伝えれば今から行くとの回答。
さすがに涼も居るからか今日は一緒に食べるつもりで仕事を放り出したのか終わらせたのかしたらしい。
「祐樹が今来るって。伸びるから先食べていいよ」
彼女の横に座り少しだけ柄が違うひとつを残してそれぞれの前に置けば彼女は首を振った。
「どうせなら待ちましょう。先に食べるなんて失礼ですよ」
割り箸を丼の前に立ちあがって配りお茶を淹れましょうと衝立の向こうに入っていく。
普段は面倒で冷たいペットボトルだからそれは有難いなと待っていればノックの音と同時にいつものように祐樹が入ってきた。
その音にポットを持ったまま驚いて涼が出てきて眉をしかめた。
「祐樹さん、返事待たないとだめですよ」
思ってもみなかった言葉に祐樹が笑顔のまま固まりゴメンナサイと片言で謝るまで彼女は動かず、それを聞いて頷いてから衝立の向こうへと消えた。
二人の関係性を知っている俺はそれを見てにやけ顔を隠す事が出来ず俯いて誤魔化す。
「お茶入りましたよー」
と小さな鎌倉彫の丸盆に乗せて湯のみを持ってきた彼女がそれを配り俺を見てどうたのかと尋ねるまでそうしていた。
だって、妹に怒られるって。
あの祐樹が素直にゴメンナサイなんて初めて聞いた。
「何でもないよ、食べよう」
にやけた顔のまま割り箸を袋から出して割れば先の方は残念な割れ方をした。
たぶん笑った俺に対しての神様からの罰だろう。
「わぁ、海老だっ」
蓋をあけて思わずそう言わずには居られなかった。
歩きまわったせいでお腹は限界まで空いていたし、さっき嗅いだかつおだしの匂いに加えてまったりとする天ぷらの海老の香りが鼻に届いた。
大ぶりの海老の下には小エビの小さなかき揚げまで付いている。
「美味しそう」
と加えれば何がおかしいのか祐樹さんがげらげら笑った。
それから私の丼の中に茶色く染まって卵でとじられたかつの一番良いところを乗せてくれる。
思わず顔を上げれば彼は楽しそうに笑っていた。
「頑張った笹川ちゃんにお兄ちゃんからお裾分けだな」
その言葉に思わず固まってしまった。
まずい、気づかれると思えば、礼がじゃあ俺もとかき揚げを半分にして乗せてくれた。
「え、え。ちょ、そんなに食べられませんって」
誤魔化してくれたのだと気づきそう返せば二人はげらげら笑う。
もうっと呟き海老を箸でつかみ口に入れればまだほんのり温かいそれはだしが染みていてそれが海老の肉汁と混ざりなんとも言えない旨味を口の中に広げた。
「あー、ほいひいっ」
飲みこまずに言えば二人は声を揃えて言う。
「「口の中に物を入れて話したらいけません」」
わわっと赤くなり急いで飲みこんでからごめんなさいと言えば二人はもう気にしていない様子で目の前の丼の中身を食べている。
お蕎麦も本当においしくておだしまで全部飲んだらお腹いっぱいで苦しくなった。
食べ終わり蓋をしてお茶のお代わりを入れてから立ち上がりそっと部屋を出る。
たぶん二人とも気づいていたけれどそこは何も触れなかった。
安堵しながら化粧室を目指し小走りで廊下を抜けた。
彼女が席を立ってそれを見送ればさっきまで談笑していたのが嘘のように静まる。
祐樹が俺をぎろりと睨みそれから口を開いた。
「で、何があったわけ」
来たな、と思う。
どれくらいで帰ってくるか分からないから手短に話そうと思って口を開くが止まってしまう。
実の兄である彼に妹は輪姦されてました何て言えない。
俺が涼と結婚する事になれば式なり披露宴で必ずばれる。
「言えねーことなわけ?あんな風にお前が急変してさ駆けつけたんだから何かあったんだろ?」
「うーん、まぁ」
「お前が言えねーなら笹川に聞くけど構わねーな?」
うぅっと呻いてしまう。
それはもっとまずい。
彼は呆れたように俺を見てから視線を外す。
「ならしょうがねぇな、帰ってきたら聞いてみっか」
首を突っ込まないでくれよと散々巻き込んで相談していた挙句思ってしまった。
その感情にも嫌悪感。
首を振ればじゃあ話せよと促される。
当然だ、上司があんな風に会社を飛び出し、次の日の早朝にはどうしたらいいかと相談し、挙句結果的に子供じゃない大人を同伴して出社した。
さっき話さなかったのは勤務中だったからであってそういう所の分別を祐樹は堅苦しいほど守る。
「……それは駄目だ。絶対。涼、泣くぞ」
苦々しく言えばふんっと鼻であしらわれた。
今の涼は彼にとってはただの親友の彼女以上の何者でもない。
「知るか。お前がああやって居なくなる方が俺にとっては大問題だよ。他の社員に示しがつかん」
仰る通りです。
とは言えなくて言葉を濁し顔を両手で覆った。
とてもじゃないけど真正面を向いてなんて話せない。
「……絶対言うなよ。誰にも、彼女にも、言うなよ」
そう念を押せばあぁと同意が聞こえた。
本当に言って良いのか迷う。
結局俺も彼女の友達と同じ事をいやもっと酷い、彼女が居ない場で第三者に話そうとしているんだ。
「過去にね、酷い目に遭ったんだって、男で。肉体的にも精神的にもぼろぼろになるまで追い詰められたんだってさ。俺と涼は最初が普通じゃないだろ。だから心配した友達が彼女を返さないって脅してきたんだよ。……頼む、これ以上は聞かないでくれ、もう話せない。これがいっぱいいっぱい」
囁くように声を潜めて言い手を離して顔を上げれば祐樹は強張った顔のまま固まっていた。
内容を詳しく言わなくてもそれだけで回転の速い彼なら大体分かるんだろう。
「マジかよ」
そう小さく呟いて彼が俺と同じように顔を覆って膝に両肘をついて項垂れた。
それに返す事が出来なく、認めるのが嫌、だった。
彼がはあっと大きく息を吐いてから顔を上げる。
一気に疲労の色が濃くなった。
「俺さ、お前とは兄弟みたいに育ったから、マジで笹川の事は妹みたいに思ってるんだよ。嬉しいしな、お前の彼女。だから結構ショックだ。お前ほどじゃないだろうけど、大丈夫か?」
そう問われて初めて涙が浮かんだ。
目頭が熱くなって鼻の奥が痛い。
やばいと思った時には流れてた。
大丈夫なわけない。
「全然、大丈夫じゃない。昨日もうなされてる涼をずっと見てた。見てるしか出来なくて歯がゆいよ」
「だよな。何にも出来ないよな。ありきたりの事しか出来ねーよ。誕生日を祝ってあげるとかデートするとかさ。それくらいしか出来ねーよ」
涙をワイシャツで拭ってその言葉に頷きながら俺は自分がしでかしていた失態を打ち明けた。
というか愚痴った。
「涼の誕生日終わってたんだよ、マジ、泣きそう。泣いてるけど」
その言葉に祐樹の眉が片方だけ上げる。
新年始まったばっかりじゃねーかとの言葉にあの番号だと伝えるとマジかと呟いた。
「もう俺何あげたらいいのかも、分かんない。マジ、泣きそう」
「いや泣いてんじゃねーか、そうだな、困るな。由香里にも聞けないしな。……お前の心が籠ってれば何でも良いのかも知れないな。あとはそうだな、プロポーズだな」
ぼやくように言う彼の最後の言葉だけは否定した。
目が赤いままだと怪しまれると目薬を出して上を向いてさす。
「プロポーズは無いな。それってなんだか同情してるみたいだろう」
その言葉に祐樹が頷いた。
彼女はまだ帰ってこない。




