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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第一話 私と彼の新しい生活
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彼女と俺と喧嘩

マンションの廊下を彼の後について歩く。

鼻の奥がツーンとしている。

気を許したらすぐに泣いてしまいそうになる。

そんな事したら彼はますます怒るだろう。

頑丈なドアのこれまた二つも付いているディンプルキーを開けて一瞬迷ってからドアを止めて私を先に入れてくれる。

ガチャンと大きな音がしてドアが閉まり、彼が鍵を掛ける音が二回する。


玄関で止まったままの私の横をすり抜けて彼はさっさとリビングへと向かう。

エアコンを入れたままなので暖かい空気が揺れる。


いつもなら手を握ってくれるのに。

いつもならそんな風に先に行ったりしないのに。


と涙が遂に溢れた。

見られたくなくてそのまま自室のドアを開けて滑りこんでから静かにドアを閉める。

両手を口に当ててせめて嗚咽が漏れないようにとしゃがみこむ。

ボロボロ零れる涙が手を伝って腕へと流れた。

足音がリビングから戻ってくる。

私の部屋の前でそれは止まってドンドンとノックされる。

背をドアにつけているので、開く事はない。

それでもいつもと違う音に身体が震えた。


「笹川君?」


イラついた声が決して薄くは無いドアを通り抜けて私の耳に届く。

ドンドンとまた荒いノック。


やめてくださいとも待ってくださいとも言えなくってただただそれに怯えていた。





リビングに来なかった彼女は自室へと引き籠った。

浮かんでいた怒りは消え焦りに変わる。

何で付き合って早々こんな風に喧嘩じみた事をしているんだろうと冷静になる。

それから出て来ない身を案じて彼女の部屋の前に立った。


ノックがいつもより乱暴になったのは心配だったからだ。

泣かせたのでは無いだろうかと。

玄関を開けて彼女を見ればマンションの廊下のライトの下で目が潤んで見えた。

それなのに俺は無視したんだ。

まだ消えていなかった怒りに理性が負けた。


「笹川君?」


二度目のノックにも彼女は応えてくれなくてはぁっと溜息を吐いてからドアの前にしゃがみこむ。

くっそ役にも立たない無駄に分厚いドアのせいで中の様子はまったく聞こえなかった。


「……ごめんね」


少し大き目な声でただ威圧的にならないように言う。

意地にならずにもっと先に謝れば良かった。

そう思いながら何に対してだろうとも思う。

ドアの向こうから啜り泣く声が響く。


やっぱり泣かせてしまった。


「泣くなよ」


自責の念から苦しくなってそう言うとドアが開く。

真っ暗な中彼女の姿が廊下の明かりに照らし出される。

両手を顔に当てて俯いたまま、また泣き始める。


「ごめん」


謝ってから立ち上がると彼女は首を横に振った。

ふわりと彼女の匂いがする。


「泣くなって」


泣かせたのは俺なのにそう呟くと懸命に首を今度は縦に振った。

それでも顔は上げてくれない。

いつもなら俺は彼女をこの瞬間に抱きしめていた。

でも出来ない。

やっぱり知りたい。

聞きたいんだ、彼女の言い訳を。





もう、だめ、だめ。

やっぱり実家に帰ればよかった。

そうすれば両親と暖かいこたつと年老いた飼い猫が待っててくれたのに。

こんな思いをする事は無かったのに。


ふぇっ、うっ、ひっ、と嗚咽が漏れる。

二人の間の微妙な距離。

前なら彼がスマートに埋めてくれた。

抱き締めて背中を摩りごめんねと謝ってくれた。

なのに今日はもうしてくれない。

理由は分かってる。

自分勝手な私に心底お怒りだからだ。


でも、言えない。

恥ずかしくて。

貴方の匂いが愛おしくて、貴方の匂いがもっと嗅ぎたくて、貴方に触れて居たかったなんて、口が裂けても言えない。

そんなのただの言い訳だ。

そして彼はきっと呆れ果てる。


そんな事も分からないで俺を責めたのか、と。


ごめんなさい。

すみません。

もうしません。

浮かぶのはどれも謝罪の言葉ばかりだ。

それらを彼は望んでいない。


じゃあ、何を言えばいいの。

何を言ったら許してくれるの。


何を言えば前みたいに抱き締めてくれるの。



「……れ、い」



呟いた言葉に自分でもびっくりする。

涙が止まって顔を上げてしまった。

彼が息を飲み手が動く。

私を寄せようと伸びたそれは宙をさまよってからまた落ちた。


「ずるいよ」


彼が言う。

分かってます。

一番、ずるい方法です。


「君はいつもそうやって逃げてずるい」


押し殺すような声に唇を噛みしめた。

分かってます、自分でだって。

貴方がいつも私に気を使っていてくれて、それに甘えている事も。

悪くないのに謝ってくれている事も。


だからそんなに責めないでくださいと、言えない自分に腹が立った。

それから何も分かってない佐久間さんにも。

顔を上げ彼を思い切り睨んでから何度か躊躇って口を開いた。





何でそんな風に名前呼ぶんだよ。

都合良くそうやって呼ぶなよ。

伸びた手は彼女に届く前に俺の脇へと戻った。


「ずるい」


言葉を漏らす。

押し殺したのは怒りでも焦りでも無い。

切なさと悲しみだ。


「君はいつもそうやって逃げてずるい」


手を握り締める。

逃げないでほしいんだ。

俺くらいには本当の事を話して欲しいんだよ。


彼女の息を飲む音が耳につく。

唇が開いたり閉じたりしてから小さな声で呟く。


「佐久間さんの」


顔を上げると目が合った。

その目は力強く俺を睨んでいる。


「佐久間さんのせいです!」


泣いたままの顔で彼女が怒鳴る。

顔を真っ赤にして声の限りに大声で。

はじめて見るそれに驚いて固まる。

部屋中に声が反響した。


「佐久間さんが、いけないのにっ!」


固まったままの俺に彼女が近づいて手をグーにして胸を叩いてくる。

ふんふん鼻息を漏らして両手で力いっぱい。

痛くは無い。

けれど衝撃は伝わる。


「ちょ、ちょっと」


と声を掛ける。

待ってくれ、違う。

冷静に話しがしたいだけなんだ。

そう言おうとしても彼女が俺の言葉を遮る。


「佐久間さんが、佐久間さんがっ、礼が、貴方がっ」


言いながらまた泣き始める。

ぼろぼろ流れ落ちる涙が彼女が動く度に頬を伝っていく。

不謹慎だけれどまるで子供の駄々を捏ねるような姿に可愛いと思った。

だから頬が緩んで笑みが浮かんだんだ。

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