俺と彼女と言い訳と
おや、と思った。
彼女は赤くならずに青くなっている。
料理が運ばれてきても食べながらでも俺の顔色を窺っている。
別に怒っている訳じゃないんだけどね。
添加物一杯のレトルト食品の味しかしないハンバーグを口に運ぶ。
コンビニとさして変わらない味のそれは懐かしくもあった。
出会った頃から思っていたけれど、彼女は恥ずかしがり屋なんだと思う。
それでいて物凄く臆病だ。
人に嫌われるのが嫌で自分の意見を押し殺すところがある。
それは彼女のようなフリーター生活を長くやってきた者の処世術なのかも知れない。
でも、だからこそ、彼女に自分は謝ってばかり居る。
さっきベッドの上でそう言われてはっきりと認識した。
確かに謝ってばかりなんだ。
それは、彼女を好きという視点もあったけれど、金で雇っているという認識があったから。
しかし、今は違う。
彼女は自分の意志で側に居てくれているはずなのに、そう感じられないのだ。
だからね、笹川君。
俺は君の本当の気持ちが知りたいんだよ。
怒っている訳じゃ無くて、まっすぐなその視線の先にある本当の俺への気持ちが。
それが期待を裏切る物でも構わない。
ちらりと彼女がまたこちらを見る。
今までだったら分かったよ、ごめんね。と謝ってただろう。
そうすれば丸く上手く事が収まる事を知っているから。
それは俺の処世術でもあったから。
関係性を変えたのは俺だ。
それなら新しい関係を作っていく道標を示すのも俺で良いと思う。
ハンバーグを食べている彼をカレーを食べる手を止めて見上げれば反対に見返された。
うぅ、視線が、怖い。
すぐさま視線を黄土色の緩い液体へと戻す。
うぅ、食べづらい。
手が震える。
一口運んではまた彼を見た。
綺麗な所作でいつもと変わらぬ様子で食べている。
なんでこんな時までいつもとちっとも変らないんですか。
そう思って気付く。
いつもと変わらないなら彼はもうとっくに謝っているはずだ。
私が不快にならないように私に気を使ってくれていた。
それなのに、彼は私が理由を話さないなら帰らないと言った。
今までだったら考えられない程の強気な発言。
なんで?
恋人になったから?
彼氏面ってこと?
いいや、それならもっと横暴な言い方をしているだろう。
じゃあ、どうしてだろうと、食べ終わった食器にスプーンを置く。
彼との生活ですっかり高級舌になった私に、久しぶりのファミレスは満足感は与えてくれなかった。
空腹感だけが満たされて溜息をつく。
「どうしたの?何か甘い物でも頼もうか」
彼が卓上に残されていた小さなメニューを開いて言う。
いえいえ大丈夫です、と首を振った。
「そう?じゃあお代わり取ってくるね」
とスマートに私のカップと自分のそれを取って歩いていく。
彼が歩けば他のテーブルの女の人が振り返る。
戻ってくればその視線は私に向いた。
それから羨望と嫉妬が襲ってくる。
俯き、違う店にすればよかったなぁと思った。
「はい、二杯目もカフェラテで良かった?」
カップが置かれてまたスティックシュガーが二つ。
たった数回しか一緒に珈琲を飲んでいないのにきちんと覚えてくれていた。
「ありがとうございます」
お礼を言ってから砂糖の袋を破ってさらさらと入れていく。
せっかくふわふわの泡がその重さに耐えかねて沈んでしまい、スプーンでかき混ぜれば消えてしまうが仕方ない。
ずずっと温かく濃くて苦いそれを啜る。
相変わらずブラックで飲んでいる彼をまたちらり。
視線に気づいたのか笑みを浮かべてカップを傾ける手が止まった。
「話す気になった?」
「まだ、です」
おぉ、ちょっと進展したかな、と思う。
それを顔に出さないようにいつものポーカーフェイスを装う。
カップを置いてただじっと待つ。
二人の間にはいつも通りの沈黙。
彼女も俺もきっと口下手だ。
祐樹と高松さんなら盛大に喧嘩をして互いの意見を言い合いそれから仲良くなるんだろう。
それは理想的な形ではあるんだけれど俺たちには似合わないと思う。
じれったくなる程に彼女への気持ちを押し通してきたし、彼女もまた俺への気持ちを最後まで隠していた。
遠慮があるのはお互い様だ。
未だに俺は彼女を呼ぶ時に迷う。
笹川君と涼とふたつの呼び名。
どうしたって気恥ずかしくて彼女に合わせてしまう。
佐久間さんと彼女が呼んでいる間は俺もずっと笹川君だ。
目の前の彼女が俯いた。
居心地悪そうに足をぷらつかせているのがテーブルの下でたまに当たるつま先で分かる。
「どうして、ですか。どうして私の意見なんて気にするんですか」
不意に小さな声で聞かれて眉を寄せた。
私の意見なんかって何だよ、と一瞬でイラつく。
それはもう瞬間湯沸かし器のごとく一瞬だった。
「そういう所がね、嫌なんだよ?」
それでも笑顔を作ったのは癖だ。
取引先と話しているような気分になる。
いや、違う。
もっと面倒な相手だ。
「……すみません」
遂に言われたくなかった言葉を吐かれたわざと大きくため息をついた。
その音に反射的に顔を上げた。
なんで泣きそうなんだよ、それはこっちだよと思う。
「禁止って言ったでしょ。何で言うかな」
吐き捨てるように言えば彼女はまた俯いた。
なんか弱い者虐めをしている気分になる。
もういっそ謝ってしまおうかと思う。
ごめんね、責めてる訳じゃ無いんだよと、喉まで出た言葉は魚の小骨のように引っかかっている。
ただどう思ったのかどうしてそうしたのか、聞きたいだけなのにどうしてこんなに回りくどいんだろう。
俺のせいだろうか。
ビジネスよりよっぽどこっちの方が大変だ。
彼女はもう俯いたまま顔すら上げない。
温くなってしまった珈琲を飲み干して立ち上がるとコートを羽織って伝票を持つ。
「もう、帰ろうか」
声を掛けるとようやく顔を上げて一度頷いてからコートを手に立ち上がった。
あぁ、また、逃げてしまったと会計を済ませながら思う。
彼女のためじゃない、自分のために、対峙するのを止めたんだ。
先に出た彼女が頭を下げる。
ごちそうさまでしたといつもの調子。
いえいえと短く答えて車へと向かった。