休暇の初日は
ワープアだった私は佐久間礼という若手の会社社長のお金持ちの家政婦になった。
そこからつい先日、恋人へとレベルアップしたばかりだ。
ただ私達には普通と違う点がある。
恋人になる前から約二週間、寝食を共にした。
いや、しかし、何も無かった。
何も、何も?
目を覚ますと体が固まっていることに気付く。
というか体が重い。
起き上がろうとすればそこに太い腕が圧し掛かっている。
「佐久間さん?」
ついいつもの癖でそう呼ぶ。
が、起きない。
仕事納めで飲んでくるよと電話があって帰ってきた姿を見ていない。
ぱぱっと体を見るとパジャマを着ていた。
よかったと胸を撫で下ろす。
よく見れば彼はスーツのままで見事に皺になっている。
えぇぇっと嘆きながらも体を揺する。
ワックスをつけたままの頭で私の枕で寝ないでほしい。
「起きてください、佐久間さん」
ゆっさゆっさ揺らすとようやく彼は目を開けた。
んーっと子供みたいに呻いて起き上がる。
ようやく体が自由になって次いで起き上がった。
「あれ?俺、どうし……!」
いやこっちの台詞です。
どうして付き合ってまだ数日の貴方がここに居るんですかとため息を吐く。
「わ、ごめん。そんなつもりじゃ」
飛び退きベッドから降りる彼を尻目にその前を通ってクローゼットを開ける。
着替えを取り出して振り向いて睨む。
「いつまで居るんですか」
今朝からずっと彼女のご機嫌は斜めだ。
いや、俺のせいです、すいません。
それでも作ってくれた美味しい朝飯を食べながらちらりと見る。
眉間に皺が寄ったままだ。
いや、そんなに怒らな、すいません。
食べ終わるとさっさと片付けて掃除を始める。
もちろん洗濯機は既に回っていた。
「退いて下さい」
俺の足に掃除機の先端が当たる。
ごめんごめんとソファの上にあぐらをかく。
まったく、もうとぶつぶつ呟きながらカーペットと丁寧にかけていく。
普段怒らないせいか怖い。
いい加減眉間の皺くらい緩めてほしい。
「まだ怒ってる?」
尋ねると顔をあげ思いっきり睨まれた。
いや、ほんと、ごめんなさい。
掃除機をかけ終えて洗濯物を干す。
風がやたらと強いこの家のルーフバルコニーにはそれが干せなくてお風呂に仕方なく干している。
洗濯機には乾燥機能もあるのだが、何となく気が引ける。
別に干せないわけじゃないのだし、最近の洗剤と柔軟剤は優秀だ。
今日からしばらくは彼は家にいるらしい。
帰省しないんですかと尋ねると、私が残っているのに出来ないよと笑われた。
何だ、それ、私が居るからみたいじゃないと思い出して憤慨する。
素直に一緒に居たいのだと言ってくれれば良いのに。
洗濯物を干し終え風呂場を出る。
洗面所を通り廊下へ出て廊下を歩く。
手には籠。
干して取り込んでおいた昨日の分がある。
それを持ってリビングより手前の和室に直接入る。
靴を脱ぎしっかりと揃えてから襖を閉めた。
正座をして洗濯物を畳む。
最初は照れた彼の下着ももう慣れた。
二人分は大して多くなくてすぐに終わる。
自分の分と彼の分を分けて重ねて持ってそこを出る。
リビングへ行くと寝そべって新聞を読んでいる。
「佐久間さん」
声をかけると恐る恐る顔の前に掲げていた新聞をずらす。
そのまま歩み寄り洗濯物を差し出す。
「ご自分でお願いしますね」
にっこりと笑うと彼は笑って頷いて新聞を置き私の手から差し出した分を受け取った。
参ったなぁと自室に戻って頭を掻く。
洗濯物はもうクローゼットの中にきちんとしまった。
自分の失態とは言え機嫌が直らないのは痛い。
なんたって一年に数日しかない休みだ。
完全公休。
それは物凄く俺にとっては貴重なもので、あわよくば七年とちょっと振りに出来た恋人と楽しく過ごしたい。
何とか機嫌直らないかなぁ。
ぼんやりと考えベッドに座る。
昨夜の事は覚えている。
いや、彼女のベッドに潜り込んだ事ではなく、祐樹と何人かと飲みに行ったことだ。
気が緩んだのだ。
ずっと緊張していた気持ちにけじめがついて我を忘れて飲みまくった。
財布の中のお札は確実に減っていることだろう。
それから。
それから酒井は帰した後だったのでタクシーで帰ってきた。
それで、どうしてだか分からないけれど、彼女のベッドに入ったらしい。
うーん。
一度だけじゃないのだ、夜の内に彼女の部屋へと行ったのは。
最も彼女は気付いていないだろうから、黙っていれば分からない、はず。
明日は大掃除をしようとお昼のうどんの乾麺を沸騰した鍋に入れてぐるぐる菜箸でかき混ぜる。
麺がばらばらになったのを確認して菜箸を置き隣の小鍋に斜めに切った長ネギと縦に細長く切った鳥のもも肉を入れる。
かつお出汁と醤油とみりんとお酒、それに砂糖と塩を入れた中で火が通るまでぐつぐつと煮込む。
もう面倒だから麺にしよう。
いやギャグじゃない。
普段適当な物で一人だからと済ませている昼食を二人分作るのはやる気が出なかった。
夏休みに素麺ばかり出してきた母の気持ちが良く分かる。
コンロの脇に置いたタイマーが鳴り麺を茹でていた鍋の火を止める。
鍋つかみで取ってを掴みシンクに置いておいたザルにあける。
作業台に鍋を一旦置いてから蛇口にハンドルを上げて水を出す。
熱いから最初は菜箸で混ぜて冷えた所で両手で麺を揉むように洗う。
ぬめりが取れたら麺を手の平で押し付けて水を切る。
大分取れたところで平らな粉引の丸皿に盛っていく。
二つの皿に量を変えて盛り終わると漆の塗られた内側が朱で外側が黒の御椀に出汁を具ごと入れた。
お盆に乗せてテーブルへと運ぶ。
それらをきちんと配置してエプロンを外してポケットから携帯を出す。
ぽちぽちボタンを押してコールすると一回で出た。
「お昼です」
『は、はい。今行きます』
相手はもちろん彼でぶつりとそれだけやり取りを交わして切る。
そのままテーブルに座ってまっていると向こうのドアが開く音のあとにぱたぱたとこちらへ来る音がした。