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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第十七話 二兎追う者たちは一兎も……得ず?
199/418

17-8 兄と妹の落胆

両手に大荷物を持って東京駅へと戻ってきた。

結局どこに行こうか悩んだ挙句渋谷へ行って三人できゃあきゃあ言いながら買い物をした。

好きとか嫌いとか抜きに誰かと買い物をするのは楽しい。

自分では絶対に選ばないような服を勧められたり可愛いと言い合ったり出来るから。

そうして選んだ荷物は色んな大きさと色の紙袋に入ってそれを田中さんと二人手分けして持っている。


「えーっと、ね。地図出すから待って」


そう言い紙袋を手首に掛けてから彼女が鞄から平べったい小型の携帯を出して左手でそれを構え指を動かしている。

リンゴのマークの会社が出しているそれに掛かっているカバーはストーンが貼られきらきら輝いていた。

綺麗だなぁと思いながら見つめていれば彼女は地図を確認したらしく顔を上げ首を傾ける。


「どしたの?」


そう言われて小さく首を振った。

それからどっちですかと尋ねれば気を取り直したようにこっちと言いながら歩き始めた。

しばらく歩けば目的地らしく簡素なビルがそこにある。

そこに掲げられた名前を見てなるほどと思う。

あの人と一緒に居るようになってから一通り一人で勉強した中にその名前を見た。

TENRYU HOTELというそれは佐久間グループの一つだ。

静岡に佐久間という地名がありそこが天竜川の中流域にある事から流れが止まらないようにとその名が付いたと後から尋ねれば彼はそう言った。

佐久間雛子という生粋の佐久間家の人間ならここの一室を押さえる事なんて簡単だろう。

それこそ電話一本、一言で済むはずだ。


「ここだよっ」


目的地にたどり着いた事に安心したのか田中さんは振り向いて言い私はぼんやりと見上げていた視線を戻して小さく笑って頷いた。

ここが佐久間の息の掛かった所だから何だって言うんだ。

今更関係ない。

あの人とはもう別れているのだし、私はあの人が普段通りの生活になる事を見守るまで居ればいいだけだ。

路面から入れば敷地内には佐久間らしくビジネスホテルだと言うのに中央に伸びる道の両脇には砂利が引いてある。

駐車場は別の所にあるのだろう。

しかし自動ドアを抜ければ普通のどこにでもあるホテルで田中さんがカウンターに素早く駆け寄り宿帳に記入を始めた。

所在無く立ち尽くしそれから周囲を見回した。

一流ホテルでは無いけれどきちんとソファとローテーブルが置かれたロビーには誰も居ない。

他より値段設定の少し高い佐久間のホテルは案外人気が無いのかもしれない。


「行こうっ」


はい、と手渡されたのは薄っぺらいカードキーでそれを受け取りながら右奥に見えるエレベーターに向かう。

カードキーに書かれた部屋名は七〇二と英数字で書かれており着いたそれに乗り込み先に七階を押せば彼女も同じ階らしく動かなかった。

扉が閉まり上までいく間、どうしてそうしてしまうのか分からないが階数表示が順番に明るくなって消えるのを見ていた。

七階に着きそれが開けば音が無い空間が広がる。

広いとは言えないエレベーターホールの目の前の壁には部屋を案内する札がありそれに従っててくてく歩いていけば彼女もまた同じ方へと着いてきた。

目的の部屋を探し当てドアを開けようとカードキーを差せばノブの上の赤いランプが緑に変わってかちゃりと音がした。

そこを開き中に入ると当然のように彼女も入ってきて、え?と振り返れば彼女もまた立ち止まりえ?と顔を上げる。


「……一緒の部屋、ですか?」


そう小さく尋ねれば彼女はそれが当然だと言うようにうんうんと頷く。

それに大きな溜息を隠しきれずに吐いてしまえば心配そうにその顔が歪む。

いや、私の思慮不足なだけだ。

彼女は一緒に旅行しに来たわけじゃない、私の監視役なんだ。

それならば一緒の部屋にするのは当然だろう。

けれどてっきり一人だと思っていたんだ。


「一緒、嫌だよね。ごめん」


小さく呟き項垂れて彼女が言いそれに仕方なく首を振った。

私がお金を払うわけじゃない。

その上自由だって無いのだから従うしかないんだ。


「すいません、驚いただけです。田中さんと一緒で楽しみですよ」


そう言い笑えば不安そうな顔は少しずつ和らいでそれからえへへと笑った。


本音を言えばまっぴらごめんだ。

何で自分の過去を面白半分で他人に見せびらかすような馬鹿な女と寝食を共にしなくちゃいけないんだ。

それならまだ恋人を寝取った事を悔やんでいる安田さんの方がずっとマシだ。

悪いと思ってやったのか悪いとは思わずやったのかには雲泥の差がある。

けれどどうしようも出来ないとあきらめて部屋の奥へ進めばそこにはシングルベッドがふたつあり、それを見て少しほっとした。

偏見を持つわけじゃないが同じベッドだったら迷わずソファで寝ると宣言していただろう。


「笹川さんはどっちがいい?」


そう聞かれて彼女がベッドを指差していてどっちでも良いと思いながら近くにあった壁側を指差せば彼女はわかったと笑顔で言い窓側のそれにダイブした。

紙袋と鞄は既に床に置かれておりぶわんぶわんとマットレスが揺れて布団がずれた。

もうこうなったら自棄だと思い同じように自分のベッドに飛び込んでうつ伏せのまま顔を横にして彼女を見た。

彼女も同じように私を見ていてその顔にそっと告げる。


「涼でいいですよ。面倒でしょうし」


私の言葉に彼女はくしゃっと顔を歪めてからぼろぼろと涙を流してあたしも美沙で良いと告げてきてそれにそっと笑って返す。

きっと心を許したと勘違いをしているのだろう。

私はいつまでも笹川さんと呼ばれるのが億劫になっただけだ。

寝食を共にするならそれくらい許してやっても良い。

それから目を閉じて考える。

携帯の電源はしばらく落としておいた方が良いだろう。

兄がこうなっている事を知っているのかどうかは分からないが彼が短気な行動を起こすとちょっと面倒だ。

話が無駄に拗れるかもしれない。

けれどずっとこのままという訳には行かないのだから連絡くらいは入れるべきだろう。


ぱちりと目を開き起き上がるとベッドの枕元に座ったまま二つのベッドの間に置かれたサイドテーブルの上の電話の受話器を取った。

腕時計を見ればまだ午後五時を過ぎたくらい。

業務上必要で暗記した番号をダイヤルしてきっとそこに居るだろうと思ってじっとそれを待つ。

私の突然の行動に彼女は起き上がりベッドの上に座ったままじっと私を見つめていた。







終業のベルが鳴ったって誰も立ち上がらねぇ。

今まではこの時間になれば礼が降りてきて三月だろうが何月だろうが皆を返していた。

それから一人戻ってきて残業をし、翌朝、残業代わりに全員が一時間以上早く出てくるのに間に合うように出社してきた。

三月が終われば臨時ボーナスが出る。

一人当たり五万というそれは残業手当が付けられない早朝手当のようなものだ。

けれどその礼は居ねぇし、残業はOKにしちゃったもんだから皆嬉々として残ってやがる。

赤ペンを持ったまま書類から顔を上げれば電話が鳴った。

ベルの鳴る音の回数の違いでそれが外線だと分かる。

右の島と左の島の前列の中央の席の奴の電話も鳴る。

が、それより早く俺の机で鳴っているそれを取った。

電話機は全員の机にあるのだが鳴るの俺のと中央に置かれたのだけで後の電話は通話は出来るが呼び出し音は鳴らないよう設定されている。


「お待たせいたしました、佐久間商事黒井です」


外向きの声でそう静かに言えば電話の相手は一呼吸置いてからくすくすと笑う。

その声に目を開き立ち上がりそうになった。


『先程は失礼致しました。涼です』


そう言われ声も出なかった。

というか無事に東京に着いた事すら知らず仕事に追われていた事に驚く。


『祐樹さん、ですよね?』


あれ?と付けてからそう彼女が不安そうに言い慌てて、おう、と返事をする。

そうすればほぉっと息を吐く音がした。


「ええっと、安田と一緒か?」


安田に指示を出した事を思い出し確認をしようと尋ねればやや間を置いてから涼が口を開く。


『いえ、田中さんと一緒です。そう言うシナリオみたいですね』


怒るでも呆れるでもなく淡々と告げられ頭が混乱した。

その口ぶりはまるで雛子が主導で動いている事を聞いたようなものでそうなのかと邪推して口を開く。


「雛子が何か言ったのか?てか、どーいう事なんだよ」


口調が少し強くなったのは思い通りにならなかったからじゃない。

無理矢理引っ張り出してくる事になった妹を想ってだ。

そうすれば俺の意図などお見通しのように安心させるような声が響く。


『お会いしました。雛子さんは何も仰ってませんよ。安田さんと田中さんが一緒にいらっしゃったので、お話を伺って状況判断しました。どういうと言われてもこれも推測ですが、安田さんはそちらにお返ししますという意味だと思いますよ。その代わり美沙は貸してもらうというのが本音でしょう』


言われた言葉に頷きながら最後の部分には眉を寄せた。

彼女は俺が無断欠勤をした日大活躍をしたと部下達から聞いた。

まるで何年もそこで働いていたように振舞い信頼を得た。

つまり恐ろしく頭の回転が速く状況判断に長けているのだろう。

聞いただけだったそれを今実感し小さく息を吐く。


「安田を返す、ね。確かに礼が居ねぇ佐久間商事には猫より欲しいけど、な。別に俺は一日中お前に付き添ってろとは言ってねぇ……ってそういう事か」


そう漏らしながらそういう事なのかと気付く。

涼を一人にしたりなんかしてまた逃したら面倒なのだろう。

雛子の計画に支障が出る為に俺にとってどうでも良いと思えた田中を彼女のお目付け役にしたってわけだ。

そういう所でトップに立つべき育てられた礼や雛子とただの成り上がりの俺との差を見せつけられる気がする。


『はい。多分そうだと思います。……本当はここがどこだか教えてしまいたいのですが、それをした時に田中さんに迷惑が掛かると困りますので、雛子さんから聞いて頂いて構いませんか?』


申し訳なさそうにそう彼女から告げられ、おう、と返事をした。

それからやや間を置いてから口を開く。


「なんか悪いな。俺何もしてやれてねぇのに、無理言って。帰って良いなんて言ったがそれも無理そうだ」


礼と別れた事も安田と田中に絡まれていた事も何も知らずに俺は妹に何も出来なかった。

罪の意識はずっと感じていてそう謝る意味で告げれば彼女は明るい声で返してきた。


『大丈夫です。佐久間さんがそんな事になった責任は私にもあります。彼も悪いけれど私も何も言わなかったから。だから雛子さんに従って彼が元に戻るのなら終わるまではお付き合いします。私と違って彼を必要としている人はたくさんいらっしゃるでしょうし』


涙が出そうになった。

俺の妹にしては出来過ぎだ。

けれど、と瞬きをしてから口を開く。


「物分かりの良い妹で助かるぜ。でもな、お前だって必要としてる奴はたくさんいるんだぞ。由香里もすげぇ心配してた。とりあえずは無事だって言っとくよ」


由香里の名前を出せば彼女は小さく息を飲んでから、小さな声で言う。

子供が怒られて言い訳をしている時のようだ。


『ごめんなさい、も付け加えてください。約束したのに守れなかった……。結婚式も行けないだろうし、本当に、ごめんなさい』


その言葉にひょっとしたら来てくれるんじゃないかと思っていた希望が砕かれて肩を落とす。

礼も涼も二人とも席はまだ残してある。

式場に頼み込みぎりぎりまで待ってもらっている状態だ。

礼に関しては雛子がどうにかしてくれるだろうと思ってそのまま残すつもりで居るが涼に関してはそうはいかない。


「……そうかぁ、来ねぇよなぁ。すげぇ残念だ」


思わず本音を漏らしてしまって流れた空気があまりにも重くなってしまう。

それを破るのは年下の妹では無く俺だろうと口をまた開いた。


「まぁ仕方ねぇな。また三人で飯でも行こうぜ。とりあえず無事で良かったぜ。また連絡するよ」


そう努めて明るく言えば彼女もつられるように弾んだ声になり、けれど、携帯は電源を切っているので田中さんに掛けてくださいと、締めの挨拶を言い残し電話が切れた。

受話器を置いた途端何とも言い表せないような気分になる。

涼の身に自由が無い事も、彼女が結婚式に来ない事も、俺の中では想定済みだ。

けれどそうなってしまえばそうなったでやっぱり落ち込む。

暗い気持ちになったまま携帯を取り由香里にメールを打とうとして止めた。

まだ彼女には何も話していなかったと思い出し、早く帰る決意をして仕事に向き直った。


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