17-4 雌鳥の飛来
雛子からはあれっきり連絡が無い。
安田からは一時間程前に新幹線に乗ったとメールがあったきりだ。
それには雛子の指示通り東京駅の一つの改札口を出るようにと返事をしてある。
仕事の片手間にちらりちらりと机の上に置きっぱなしにしたそれを見ては連絡が無い事を確認する。
雛子の提案というよりもう計画の全貌は聞いていない。
どちらかと言えば俺も安田と同じだ。
雛子から言われた通りに動いているだけだ。
それを好ましいとは思わない。
どうしたって使われている感じが強くするし、俺はあいつの部下じゃないと思っている。
けれど藁をも縋る思いだけだ、そうさせているのは。
だからこそずっとこうして携帯を気にして次の指示を待っている。
けれど突然鳴ったそれは彼女じゃ無かった。
ディスプレイが明るくなり低く唸ったそれに映った名前に目を見開いてキーボードを叩いていた手を止めた。
佐久間礼
映し出されたその名前に胸が早鐘を打つ。
雛子の指示にこれは存在していない。
出て良いのか悪いのか考えみつめたままで居ればそれは一度切れた。
自動応答サービスで留守番電話へと繋がれたのだろう。
しかしほっとしたのもつかの間ですぐにそれは再度唸り始めごくりと喉を鳴らした。
マナーモードにしてあるとは言え、机に置いたままのそれが二回も鳴っているというのに出ないのはどう考えたって可笑しすぎる。
俺らしく無い。
周囲に怪しまれる前にそっと震える手を伸ばし取り上げて親指だけで操作して耳に当てた。
『久しぶり』
そう耳元に響いた声が予想していたよりいつも通りで安心した。
けれど連絡を絶っていた礼がそうしてくるのだから、異変には気付いているのだろう。
電話の向こうはえらくがやがやしており遠くに十二時三十五分発、東京行き千七百八十七便の御客様は……と聞こえてそれが空港だと分かり息を飲む。
それからやや間を置いて考えてから口をそっと開いた。
余計な事は言えない。
涼がどうなっているかや俺達がどうしているかは言えないだろう。
「お、おう。どうしたんだよ」
言ってから俺らしくないと思う。
怒鳴りも怒りもせずそう告げてからそう気付いて眉を寄せる。
どうした、じゃねぇ。
何してんだお前、が正解だろう。
俺の言葉に彼はしっかりと間を置いてから口を開く。
その声はさっきよりずっと冷たくなっていた。
『どうって、祐樹が連絡しろって送ったんでしょう。……で、もちろん一枚噛んでるんだよね。さっきの反応じゃ俺が連絡しても可笑しく無いって思ってるみたいだったし』
そう告げられた先の彼を想像する。
どんな顔をしているのか手に取るように分かる。
目を細め笑みを消し一点を見つめるようにしながらそれでも姿勢を正して話しているだろう。
「何の話だ、と言いたい所だが、お前の言う通りだ」
そう声を潜めてから言えば彼はふーんとだけ返しそれからまた口を開いてからゆっくりと俺が聞き取れるように告げた。
『十二時三十五分発の便に乗るから。羽田には十四時に着く。俺はもうあれと話したくないからさ、伝えておいてね?』
彼の言うあれがどれか分かった。
あれは嫌味満載で彼を小馬鹿にしたのだろう。
いつもそうするように変わらぬ態度ですっとぼけ、それから挑発した。
「分かった。ちゃんと伝える」
そう言えば彼はじゃあねと電話を切ってしまった。
またな、とも、後で会おうとも言えない。
きっと会う事になるとは思うがそれは彼の望んだ結果じゃない。
俺達は無理矢理、礼を引っ張りだそうとしているんだ。
もう彼と友達で居られないかもしれない。
引き出しを開けて小さなあの日置いてあった鍵を見た。
それの正体にはもう気付いている。
彼が居なくなると同時に置かれ、このビルには開かずの間はたった一カ所だけだ。
けれど俺にはまだそれを開ける覚悟が無い。
それを開けたらもう礼はここに戻って来ない気がする。
指定された時間よりずっと早く着いて、ずっと立ったまま新幹線の乗り場に割と近い改札の前であたしが待っていればその姿が見えた。
その二人、特に小さいほうの人を見た瞬間体ががくがくと震えた。
逃げ出したい衝動に駆られ後ずさろうとすれば誰かにぶつかって振りかえる。
「徹っ!!」
いつの間にそこに居た彼に驚いて声を上げれば彼はあたしの肩に手を置いてまた前を改札の方を向かせた。
視線の先には楽しそうに話しながら改札を抜ける二人が居て泣きたくなってくる。
その二人の内よく知っている人、安田明子がこちらに先に気付いた。
それから怪訝な顔をしてあたしの後を見て、その明子の異変に気付いて一緒に居る笹川涼があたしを見てから目を細めてそれから笑った。
よく出来た人形のように綺麗な笑顔はものすごく無機質だった。
「ほら、小鳥を迎えに行かないと。そう頼んだよね?」
そうすぐ側の頭上から徹の声がしてびくりと体を震わせた。
小鳥が動物では無いのかもしれないとは思っていた。
そして彼が言うそれは確かに小さい。
あたしより彼より明子より小さい。
けれど羽が生えているようには見えなかった。
動けないままいるあたしに二人が近づいてきて目の前で止まった。
逃げ出したくて怖くて体ががくがく震える。
それなのに笹川さんは何でもない風に口を開く。
「預かられに参りました」
こんな状況でそんな冗談が言える彼女が信じられなかった。
というかあたしが見えて居ないように徹だけを見つめて話している。
明子はあたしと彼の顔を見比べてから笹川さんに倣うように上を見上げた。
「そう、御苦労さま。疲れたでしょう?」
彼がそう言えば笹川さんは小さく首を振ってからにっこりと笑う。
「いえ、大丈夫です。ご一緒してくれたのが気心知れた方でしたので、大変快適でした」
そう言って彼女はあたしをちらりと見てから彼を見直した。
それに彼がくすくすと笑いそっと声を潜めて言う。
「涼さんは本当に面白いね。礼と別れたなら俺と付き合わない?」
その言葉に弾かれたように彼を見ても彼はあたしを見てくれなかった。
この場にいる誰一人としてあたしを見てくれない。
「いえ、止めておきます。日本は一夫多妻ではありませんので。下手に訴えられたら負けてしまいますし」
そう首を振ってから笑顔で彼女が告げれば彼はまたくすくす笑ってから口を開く。
「その時は佐久間の弁護士を紹介するよ。もちろん格安でね」
「それじゃあ本末転倒ですよ。……田中さんだって佐久間の弁護士に頼むでしょう?」
そう彼女は笑みを消しあたしを見てひどくつまらなそうに言いあたしはその視線が怖くて俯いた。
彼はそれにも心から本当に楽しそうにくすくす笑いながらあたしの肩から手を離す。
「さて、行こうか。とりあえずご飯でも食べない?涼さんの御部屋は俺が抑えてあるから、今日からはそこに泊まってくれて構わないよ」
今日からはそこに泊まってくれて構わないよ、とはそこに居ないといけないという事だろう。
それに頭を下げてありがとうございますと伝えてから田中さんを見た。
青ざめ子兎のようにぶるぶると震えている彼女がここに居るのは少し意外だったけれど、雛子さん改め徹さんが何かするならその可能性は低くは無いだろう。
「何か食べたい物はある?一週間ぶりの東京なんだから、好きな物で良いよ」
そう言われて思わず田舎にだって店は色々ありますよと言いそうになって止めた。
そんな押し問答のような事をするのは面倒だ。
というか、どこでも良いから早く逃げたい。
こんな人の多い所に居たらあの人が来てしまいそうな気がする。
だからゆっくりと考えてから口を開く。
「そうですね……。せっかく大人数居ますから、中華料理にしませんか?飲茶の食べ放題なんて楽しいと思います」
一つのテーブルに四人で座っても構わないという事を含ませて言えば彼はやや驚いてからにっこりと笑い私に返事を返す。
「良いね。じゃあ横浜に行こうか。車待たせてあるからすぐに迎えるからね。もちろん明子さんも一緒にね」
そう言えばさあ行こうと彼は田中さんを放ったまま歩き出し彼女を私達も追い抜いて歩き始めた。
しばらくしてから後からぱたぱたと足音が響く。
徹さんはあえて田中さんに冷たく当たっているのだろう。
私の感情を逆なでないための演技だと思うそれをきっと田中さんは真に受けて居る。
歩きながらひっそりとそう思ってにやりと笑う。
彼があえてそうしてくれているのなら、それは私の為だろう。
表立って復讐したり暴言を吐かない私の気持ちを少しでも静めるためにそうしてくれているんだ、田中さんの性格を利用して。
今回の主催者は割と悪くないかも知れない。
少なくとも今の時点では私は嫌な思いをしていないのだから。
駅の構内を出てバスロータリーの脇に停まっているあの人が乗っているよういな高級車に近づけば、あの人が頼っているような老人では無くまだ比較的若い男性が車から降りて私達に頭を下げた。
それからドアを開け徹さんから順に、私、安田さん、田中さんと乗り込み、車は横浜へと走り始めた。
休演のご案内。
平素は特別のご愛顧を賜りありがとうございます。
本日予定されておりました竹野劇場みかん座、舞台裏八幕目につきましてご連絡いたします。
座長竹野きひめの気まぐれによりこの度の幕を休演させていただく次第となりました。
楽しみにしてくださっている観客の皆さま、並びに関係各所の皆さまには大変ご迷惑をお掛けした事をここにお詫び申し上げます。
振り替えの予定につきましては追ってご連絡申し上げます。
なおお問い合わせは弊社のお客様相談室までお願いいたします。
営業時間は下記に記載した通りとなります。
竹野劇場 お客様相談室
0120-×××-○○○
土曜日曜祝日除く平日午前九時より午後七時